染められる日「チピチピチャパチャパルビルビラバラバパチコミルビルビブーブーブー」
瑛介は最近流行りの曲を口ずさみながら、軽い足取りでキッチンに向かう。
今日は朝から気分がいい。いや、気分がいいのは昨日からである。昨日は行きつけのパチンコ屋の新台スロット設置日であり、終日回しに行ったところ高設定台に運良く当たったのだ。
つまりは大勝したというわけである。いつもより懐はホクホクで、瑛介の顔も綻ぶ。
時間は午前10時を少し回ったところ。そろそろいかが訪ねてくる頃である。いかもまだ春休み中ということもあり、最近はよく逢瀬を重ねている。
冷蔵庫から冷えたペットボトルを取りだし喉に流す。
喉に絡まる痰をお茶の勢いで流しつつ、ふと自分の部屋を見回す。今まではゴミやら服やらで散乱していた部屋も、いかとの逢瀬を重ねるようになってから、清潔感が増し、そして色が増えた。
「チビ助、いい嫁になれるよな〜」
なんてことをポツリと漏らす。
ベッドに視線を移すとその隅には瑛介の知らないキャラクターのぬいぐるみが置いてある。いつだったかいかが「これ!私の好きなキャラです!有馬氏も好きになってください!!」と興奮気味に布教してきたことを思い出す。あれから数ヶ月経つが、未だにそのキャラクターの名前も作品も知らない。ただそのぬいぐるみのなんとも言えない表情が癖になり、枕元に置いてしまっているのもまた事実だ。
彼氏、彼女の関係でもないのにこの部屋にはいかがいつでも泊まれるようにと彼女の服が置いてある。顔面歯磨きセットと称し洗面所には百均で買ってきた簡素なボックスも置いてあり、そこにはいかの使う化粧水等諸々が入っている。そして極めつけは、いかのためにと買ってしまった茶碗に箸にコップまである始末だ。
他人から見たら付き合ってると思われる関係だろうに、当の本人たちは全くそのつもりはない。少なくともいかはそう思っているだろう。
「俺は、どうだろ」
知らぬ間に彼女の色に染まりつつあるこの部屋に何も思わないのだから、絆されているのだろうな。他人を部屋にあげるなんて嫌としか思わなかったのに。
このぬるま湯のような幸せに浸り続けたいと思う自分に苦笑を漏らす。
「ピンポーーーン」
ちょうどよく家のインターホンが鳴る。いかが着いたのだろう。付属されたカメラの画面を除くと頭部のみどうにか映っていた。
「ちびすぎて何も映ってないで〜す」
『な! ほら! ほら!』
「ふは」
カメラ越しに揶揄うと、揶揄いをしっかり受け止めたいかがジャンプしてカメラに写り込む。「純粋かよ」と笑いながらいかを放置し玄関の方へ向かう。ガチャリと扉を開け、いかを迎える。
「お入り〜」
「わっとと」
ジャンプ最中に扉が開き少しバランスを崩す。そんなに必死にカメラに映ろうとしてたのか。純粋を超えて多分アホだ。
「お邪魔しま〜す」
「ん」
逢瀬と言っても、いつも何かをするわけでもなくただ部屋でくつろぐだけなので、瑛介がもてなすなんてことはまずない。いかはこの部屋を瑛介以上に自由に使うため、なんなら宿主はいかなのではないかとその様子を見て思うことも多々ある。
今も勝手にキッチンを物色している。さながら泥棒のようなスムーズな動きで面白い。
「あ、このお茶貰っていいですか? 朝何も食べてなくて」
「いいけど、なんで何も食べてないのさ」
「食料切らしてたこと忘れてたんですよね〜。有馬氏のお家で何かご飯にありつければと来た次第であります」
ちなみにそのお茶、俺がさっきまで飲んでたお茶ね、という言葉は、言う前にいかが飲みきってしまった。もはや関節キスを気にする関係でもないが、なんだかもやりとする。
「朝飯俺もまだ食ってないから〜、冷蔵庫なんか入ってたっけな」
「多分この前買っておいた卵とか、あと食パンが冷凍庫に入ってるはずですよ。食べきってなければ」
冷蔵庫を漁っているといかも覗き込んできた。そして卵を手に取り、ほらねと自慢げな顔を向ける。
「俺より詳しいじゃん」
「伊達に通ってないですからね」
「なんなら俺居ないのにいる時あるもんねチビ助」
卵をいかから受け取りフライパンなどを適当に準備する。
いかはまだ冷蔵庫を漁っている。
「あ、ハム! ハムありますよ〜」
「ハム俺のツマミだから却下」
「えぇ??」
非常に不満気な声が冷蔵庫の方から聞こえたが聞こえなかったことにする。基本瑛介の冷蔵庫には酒とつまみしか入ってない。どうせそのハムも夜に食べるのだろうし、朝は軽くでいいだろうとフライパンに卵を落とす。
「あれ? チビ助って半熟だっけ」
「あー、だと嬉しいですけど特に好みないですよ〜」
「じゃ俺と一緒でいっか」
「有馬氏あれでしたっけ? いい感じにとろけないやつ」
「そ、よく覚えてんね」
「クイズ有馬ゲドンあったら私優勝できそう」
「寒」
しょうもない会話をしつつ出来上がった目玉焼きと食パンを皿に分けてリビングの方へ行く。
軽い朝食を済ませ、空腹が満たされたいかが眠たそうに伸びる。
「いや〜、寝れますね」
「牛じゃん」
「寝てから言ってくださいよそれは」
と言いつつもいかの目はまだ午前中だというのにしょぼしょぼしている。いや午前中だから眠いのか。瑛介もいかも基本夜行性であるため午前中から活発に行動をすることは珍しい方だと思う。
「有馬氏なんか面白い話ないんですか、このままじゃ寝てしまう」
「牛じゃん」
「失礼な」
「面白いかわかんないけどパチンコで爆勝ちしたって話ならあるよ」
「ヘェ〜」
「信じてないなその顔」
半笑いで「そんなことはないですよ〜」と言っているが絶対信じてない。ムカつくからなにか仕返しをしてやりたいが、どうしたものか。
ちょうど金銭的にホクホクであるし、たまには良いサプライズでもしてやるか。
「チビ助眠いなら寝てなよ。俺タバコ買ってくる」
「んえぇ」
「牛サン眠いんでしょ」
「も〜」
チビ助を見やるとうつらうつらと頭を揺らし、多分一番気持ちのいい微睡みに飲み込まれている状態だ。
「ベッド使ってていいから」
「は〜い」
放っておいてもあとは勝手に過ごすだろう。このぐらいラフな関係の方がお互いにとって居心地の良さを感じるんだろうなと思う。
適当な外に出れる服に着替え玄関を出た。
出る前にもう一度いかを確認したら、ベッドの隅に鎮座していた例のぬいぐるみを抱きかかえてすっかり寝ていた。
ガチャリ__。
玄関が開いた音がした。有馬が帰ってきたんだろう。
意識の覚醒していないいかは、そんなことを考えつつもうひと眠りしようと身体をよじる。有馬の使うベッドは、いかの家にある安いベッドより弾力性がありとても寝心地が良く好きだ。加えて日当たりの好い部屋で、まだ少し肌寒い春の日和でもぽかぽかだ。
「ねー、まだ寝てんのおもろいんだけど」
カシャカシャと買い物をした品を整理し始める。その雑音でさえ今のいかには聞こえていない。
「ち〜びちゃん」
「······ん、ぅ」
整理が終わったのか有馬もベッドの方にやってきた。ぎしりとマットレスが軋む。
「えーと、なんだっけこれ、······にいくん?だっけ」
「んん」
いかの抱えていたぬいぐるみをむんずと掴む。何か嫌な予感がする。ちなみにぬいぐるみの名前はニシくんである。
微睡みを揺蕩ういかの意識では、ぬいぐるみを守りきることは出来ず、有馬によってぬいぐるみが抜き取られる。
ぬいぐるみの居なくなった腕周りでは突然流れる空気に寒さを覚え有馬に背を向けてさらに丸まり込む。
そのあとしばらく何もしてこなかったので、いかはまたすぅすぅと寝息を立て始める。いかの耳元に顔を近づける有馬の存在など露知らず。
「ちゅ」
「んひゃッ?!」
「ふは、ほんとに耳弱いよね」
「な、なななな!?!?!」
フゥと息を吐き外耳にキスを落としてきた有馬に、覚醒直後の脳では理解出来ずに目を瞬かせるいか。ニヤニヤと性格の悪そうな顔で笑う有馬は本当に性格が悪いんだ思う。
「めちゃ寝てたじゃん」
「突然耳狙うのは本当にやめてほしいんですけどぉ······」
「その反応がおもろくて突然やるんでしょ」
いかは耳を抑えじとりと有馬を睨む。しかしその反応すら楽しまれくしゃくしゃと頭を撫でられる。
「ところで今午後一時過ぎ」
「うぇ?」
3時間近く寝ていたのかと寝ていたのかと部屋に置かれていた時計を2度見する。確かに1時過ぎだ。これは夜寝れなくなりそうだ。
「牛化待ったナシじゃん」
「あーあーあーあーもーもーもーもー」
有馬はケラケラと笑いながら買い物してきたものを取りに行く。そういえばタバコを買いに行っただけなのに、有馬が帰ってきたのもついさっきである。どこまでタバコを買いに行ったんだろう。戻ってきた有馬はリボンのあしらわれた紙袋をいかに差し出した。
「ん、これ」
「これ?」
「開けてみなよ」
そう言いながらいかの隣に腰掛ける。先程抜き取られたぬいぐるみを腹に抱え、何やら含んだ笑みでいかを見ている。
ぬいぐるみの顔面側に肘を置いているのが気になる。ああ可哀想にニシくん。めり込んでる。んいぃって多分言ってる。
そんなことを思いながらも手は開封を進める。なんだろう、有馬がいかに贈り物をするなんて滅多にない。初めて、かもしれない。
「え」
紙袋から出し、その包装紙から顔を出した中身は、いつだったかいかが欲しいと言った水彩絵の具だった。
「なんで、これ高いのに」
「奮発しちゃった」
「お、お金とかどこから!?足りました!?まさか盗みとか······」
「俺そんな悪童じゃないから、言ったじゃん大勝したって」
「え、えぁ、あれエイプリルフールの嘘じゃなくて、!?」
水彩絵の具を持ついかの手は震えている。何か熱いものがこみ上げてくる。なんだろうこの感情は。
「え〜チビ助やっぱり嘘だと思ってたの〜?心外なんだけど」
「だって普段全く勝ってないし」
「うわ侵害〜俺の心侵害してる〜」
「ややこしいこと言わないでください」
有馬はいかにもたれ掛かるように体重を預ける。身長差が30センチ以上あるため、いかにとっては結構重い。それを知ってか知らずか片手で支え体重を逃がしている。
「欲しいって、前出かけた時言ってたの見たから」
「聞かれてたんですか」
「チビ助が欲しがることなんて珍しいから覚えてた」
高いから購入を諦めた水彩絵の具、そもそも使うのが勿体なくて使えないだろうに、有馬からの贈り物となればさらに使えなくなりそうだ。
「大切に、使いますね」
「え、なんで泣いてんの」
「うっ、嬉しくて」
「ホンッッット泣き虫」
込み上げる感情が涙となって溢れ出す。この優しさに溺れてしまいそうになる。
「そんなに喜ばれるとこっちが恥ずかしいんだけどー」
「いつか、お礼させてください」
「いやいや、なんならそれが普段のお礼だって。変なこと考えずにありがたく貰いな〜」
いかの頭を優しくポンポンと撫でる。「それでなんかキレーな絵でも描いてよ」と軽い口調で話し出す。ぐしぐしと涙を拭い取りいつもの調子を取り戻してにこりと笑顔を見せる。
「もっと上手くなってからこれ使いたいな······」
「チビ助の絵十分上手いと思うのに。勿体ないから使わないとかだったらまた買わせてよ」
「ええ? それは申し訳ないですよ」
「んー、俺のあげたやつ使わない方が申し訳ないでしょ」
「違いない」
ぐぬぬと唸りつつも「じゃあ、使おっかな」と絵の具を見つめた。何を描こうか、どうこの絵の具を使おうか、想像するだけでワクワクする。
嘘のようで嘘じゃなかった有馬のサプライズは、いかの心をカラフルに染めあげた。
「チビ助の部屋にも、俺のあげたもん増えるといいね」
そうポツリとつぶやく有馬の言葉は、届いてはいなかった。