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    ゆえな

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    ゆえな

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    ロディがマグカップを買う話 視界の端に鮮やかな色彩が映り込んで、ロディはふと足を止めた。
     吸い寄せられるように見てみれば、食器類が雑然と積み上げられた店先にターコイズグリーンに染められた無地のマグカップがいくつか置かれている。先週ここを通った時にはなかったはずだ。カラフルで華やかな柄が咲き誇る中、無地がむしろ目立って見える。
     なんとなく、デクみてぇな色だなと思った。
     いや、出会った時に着ていたヒーローのコスチュームはもっと深い緑だったか。彼が個性を使う際身に纏う閃光に似ているのかもしれない。
    「PiPi!」
     ピノが嬉しそうに囀った。カップの側に降り立つと翼で何度も指し示しながらこちらを見つめて、ほら買うぞと言わんばかりだ。ロディは思わず苦笑した。
    「いやいやいや、買わねーって。今あるカップだってまだ使えるだろ」
     スタンリークの店で働くようになってから収入は安定したものの、裕福になったとは言い難い。少しでも余裕があるなら幼い弟妹たちに美味いものを食わせてやりたいし、望むものがあるなら買ってやりたい。自分が夢を目指すための学費だって貯めなければならない。金は無限にあるわけじゃない。
    「ほら、行くぞ」
     そう言って、ロディは止めていた歩みを再開した。慌てて舞い戻ってきたピノはやや不満げな声を上げていたが、やがて諦めたのか束ねた髪の中に潜り込んでしまった。

     夜中。ロロとララが寝た後で、ロディは一人勉学に励む。
     フライトスクールの受験資格が得られるまでまだ一年以上あるし、ハイスクールに通う同世代には負けられない。随分久しぶりに感じる自分のための勉強は難しくて、そして楽しかった。しかし、今日は何故か思うように進まない。
     空になりかけた自分のマグカップをぼんやりと眺めながら、ターコイズグリーンと彼のことを思い出してしまう。
     世界を震撼させた大事件の最中に出会った彼と過ごした時間は短かったが、強烈で鮮烈な出来事の数々は一生忘れることができないだろう。とは言え、写真の一枚も撮って貰えばよかったとあれから何度思ったか知れない。ララ作の似顔絵は本当にとても良く描けていて芸術家の才能があるんじゃないかと興奮したものだが。
     今更思い出の品が欲しいなんて、我ながら女々しいなと嘆息する。しかし既に叶わない願いなら、せめて。
    「……え?」
     眺めていたマグカップが、ずりずりと机の端に向かって動いているのに気がついた。ピンク色の冠羽がカップの向こうでひょこひょこと揺れている。
    「ピノ、おまえ何し」
     ロディが言い切る前にカップは机端まで辿りつき、そのままぐらりと傾いだ。
    「わー! まて、まてまてまて!」
     すかさず手を伸ばし、何とか落下は阻止できたものの、カップに残っていた珈琲が床に飛び散ってしまった。
    「あっぶねぇ……あーあ、こぼれちまったじゃねぇか」
     また落とされては敵わないのでカップを抱えたまま雑巾を取りに行く。床に広がった染みを綺麗に拭き取り、雑巾を洗濯かごに放り込んでからピノを睨みつけた。
    「どういうつもりだ? ピノ」
     問えばピノは不服そうな鳴き声を上げた。本当は聞くまでもない。彼は自分の本心なのだから。
     事実、考えていた。我が家には自分と弟妹の分ピッタリしかカップが存在しない。客など来ないから必要ないし、金にも収納するスペースにもさほど余裕がないからだ。しかし逆に言えば、今使っているこのカップが何かの弾みで割れてしまったなら気兼ねなく、いや仕方なく新しいものを購入するだろう。でも、だからって。
    「ほんとに壊そうとするやつがあるかぁ…」
     なんだか随分と情けない声が出てしまった。同時に、自覚していたよりもずっとあのターコイズグリーンに焦がれていたことを突きつけられて、とても居た堪れない気持ちになる。
    「まだ使える物があるのに、そこまでして欲しいとは思わねぇよ」
     そっと言い聞かせるように呟くと、ピノは残念そうな顔で一声鳴いた。

     以前は自分が出かける前にしていた弟妹たちへの声かけが、今はすっかり平日の朝学校に送り出すための恒例行事になっている。
    「忘れ物はないか?」
    「ありませーん!」
     玄関先で最終チェックとばかりに問いかければ、二人分の元気な返事が返ってくる。
    「知らない人に声をかけられてもォ?」
    「絶対に無視しまーす!」
    「学校が終わったらァ?」
    「真っ直ぐおうちに帰りまーす!」
    「よーし!」
    「よーしっ」
    「じゃ、気をつけてな。俺は今日は店だけど、お前らが学校終わる頃には一回帰ってっから」
     言いながらピノが二人にキスを送るのを愛しい気持ちで見守る。すると唐突にロロが口を開いた。
    「にいちゃんさ、たまにだけど、誕生日でも何でもない日でもぼくらの欲しいもの買ってくれるでしょ」
    「どうした急に。なんか欲しいものでもあるのか?」
     珍しいなと思って尋ねれば、ロロは首を横に振った。
    「じゃなくて。にいちゃんもたまには、何でもなくても、自分が欲しいもの買ってもいいと思うよ」
    「……へ…?」
     どうやら昨晩のピノとのやり取りを見られていたらしい。気恥ずかしさに軽く混乱しているロディを尻目に、ロロは妹の手を引いてにっこり笑った。
    「じゃあね、いってきます!」
    「いってきまーす!」
     楽しそうに駆け出していく弟妹をただぽかんと見送ってしまい、いってらっしゃいを言い損ねたのに気づいたのは二人の小さな背中が一層小さくなってからだった。
     幼い弟に全て見透かされたようで恥ずかしい。あの様に言われてしまった以上、何も行動を起こさなければいらぬ気を遣わせてしまいかねないとも思う。
    「どーすっかなぁ…」
     ガシガシと頭を掻きながら呟いた。

     週に一度、マーケットに出かけるたびにあの店の前を通りかかる。店頭から徐々に数を減らしていくターコイズグリーンを見つめては、悩むことを繰り返していた。ピノが毎回買おうと騒ぎ立てるので、いっそのこと知らない間に売り切れてくれりゃあ諦めもつくのにと思う。
     あれからロロは何にも言ってこないが、たまに物言いたげな視線を向けられているような気がする。
     何度目かに店の前を通った時に中年の女性客が一人いて、店頭で商品を選んでいた。皿やカップを手に取ってしげしげと眺めては棚に戻したり、手元に確保したりしている。例のターコイズグリーンは、残り一つになっていた。女性客の指先がついにマグカップに触れそうになるのが見え、ロディは堪らず声をかけた。
    「あのっ…すみません。それ、俺が買っても?」
    「え、ええ。どうぞ」
     カップを指差して問えば、女性客は一瞬驚いたものの嫌そうな素振りはせず一歩下がって場所を譲ってくれる。
     どうも、とひとつ会釈をして目当ての品を手に取った。何だかとてもほっとした気持ちになってしまう。背後ではピノが喜びに歌いながらくるくると飛び回っている。
     ロディが支払いを済ませる傍らで、女性客は食器の物色を再開した。

     トレーラーハウスに帰り昼食を簡単に済ませると、とうとう手に入れてしまったターコイズグリーンを取り出してテーブルに置いた。眺めればどうにも口元がゆるんできてしまう。ピノはマグカップに寄り添って、ふっくらと満足そうに目を閉じていた。
     色の向こうに彼の笑顔を思い出せば、一層頑張らなくてはという気持ちになる。また会いに来るなんて言ってたが、最速で夢を叶えてこっちから会いに行ってやる。
     勿論、浪費の罪悪感もないとは言えない。せめて今日の夕飯は弟妹たちの好きなものを作ってやろうと心に決めた。
     二人の帰宅時間にはまだ早い。洗濯物が乾くのにももう少しかかりそうだ。まずは珈琲を淹れて、それから少しだけ参考書を読むことにしよう。そう思って、ロディは立ち上がった。
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