帰って来れないデクの話「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「俺今日から一週間休みになったよ」
“そうなんだ”
「……デクが居ない家に帰るの、ちょっと嫌だ」
“寂しい?”
「お前が居ないのなんか、珍しくもないのにな」
“ごめんね”
「っと、そろそろ時間だ。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「今日駅と反対の道を散歩してたらさ、新しいパン屋が出来てた」
“へえ! 裏の道あんまり使わないから僕も知らなかった”
「先週開店したばっからしい。帰って来たら一緒に行かねえ?」
“もちろんだよ”
「一人で行くのもつまんないしさ」
“うん”
「もう時間か。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「最近外ですげーいい匂いがするんで気になってたんだけど、昨日オチャコチャンに教えてもらった」
“金木犀?”
「キンモクセイって言うらしい。あれ家に欲しいなあ」
“本物は難しいけど、今度香水探しに行く?”
「オチャコチャンに庭付きの家に住まんとねーって言われた」
“庭付きかあ……”
「時間だ。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「今日はなんか良いことあったか?」
“うーん……君の声が聞けたこと、かな”
「相変わらずそうだな。俺もいつも通りだよ」
“そっか”
「……なあ、いつ帰ってくる?」
“ごめん”
「なんて、冗談だよ。おっと、いつもあっという間に過ぎちまう。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「今日の晩メシ、何だと思う?」
“えっ、なんだろう……”
「正解は、カツ丼です」
“いいなあ。僕もロディが作ったカツ丼食べたい”
「たまに作らねえと腕が鈍りそうでさ」
“君のご飯はいつも美味しいよ”
「早く帰って来ないと、作り方忘れてるかもな?」
“そ、そんなあ……”
「時間、そろそろか。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「お前が居なくて暇だから、この一週間で家中掃除しちまった」
“お疲れ様”
「キッチンの換気扇までピカピカだぞ」
“年末の大掃除並みだね”
「年末の大掃除は一人でやってもらうからな、覚悟しろよ」
“う……頑張らせていただきます”
「そん時は……あ、もう時間か。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“こんにちは、ロディ”
「明日から仕事だ。仕事の日は話す暇ないかもな」
“それは寂しいなあ”
「もし寂しいなんて言ったらはっ倒すぞ」
“ごめん”
「寂しいとか、どの口で言うつもりだよ」
“うん”
「時間だ。じゃあ、またな」
「よお、デク」
“おはよう、ロディ! 時間ないんじゃなかったの?”
「フライト昼過ぎで、いけるかもと思ったらさ」
“嬉しいよ”
「時間はあんまないんだけどな。土産、買って来るよ」
“ありがとう、でも食べ物じゃない方がいいな”
「食べ物。日持ちが長すぎるのは買わないからな。駄目になる前に帰って来て食えよ」
“善処します……”
「じゃ、そろそろ行かねえと。またな」
「よお、デク」
白を基調とした部屋の、白いベッドの上で横になるデクに声をかけた。返事はない。静かな寝息と無機質な電子音が、デクにまだ命があることを教えてくれている。
俺より先に飛んでいったピノの期待に満ちた後ろ姿を見るのは何度目だろう。初日は無反応なデクに半狂乱になったピノが髪の毛を引っこ抜いたり鼻の頭が赤くなるほど噛みついたせいで、看護師さんにすごく叱られた。でも俺だって、それで目を覚ますなら迷わずデクを殴り飛ばしたかった。
ベッドの脇に小さな丸椅子を置いて座り、デクの前髪をさらりと撫でる。小さな子供を助けようとして敵の攻撃をまともに受けたらしい。他のヒーローのバックアップもあって敵は捕えられたものの、全てが終わってからふつりと気を失ったそうだ。病院に担ぎ込まれて目を覚まさないまま、一週間以上が経ってしまった。目覚めない原因はわからない。
「まだ寝てんのかい、眠り姫さま」
握り返してこない左手を握って、呟く。
「ったく、いつまでそうしてる気だ?」
デクが怪我をして来るなんてもう慣れっこだと思っていたのに。
「なあ、はやく帰ってこいよ……」
鼻の奥が微かにツンと痛むのを堪えて、震えそうになる唇から息を吐き出した。あの手この手でデクを起こそうとしていたピノが、反応のなさに耐えきれなくなって枕元で大粒の涙をこぼしている。
不意にぴくりとデクの指先が動いた。
慌てて顔を上げる。
「でく……?」
「ろ、で……」
思ったよりも力強く握り返してきた左手に、さっき堪えたはずの涙がころりと頬を滑った。緩慢に開かれた瞼の奥で、翡翠色の瞳が揺れる。
「なかない、で…」
「ばかでく。先に言うことないのかよ」
「ただいま」
「おかえり」