はみがきして欲しいロディの話「なあ、デク」
つけっぱなしになっていた子ども向け番組を眺めながら、ロディがぽつりと言った。
「あれやってほしい」
彼が指差した画面の中で、幼い子どもが母親の膝の上に頭を乗せて歯を磨いてもらっている。子どもが自分で歯磨きをした後、親に仕上げ磨きをしてもらうというミニコーナーだ。
ロディのおねだりというだけでもレアなのに内容がまた意外で、僕は一瞬面食らってしまった。そんな僕をロディがひたりと見据えて、それから静かに口元だけで笑う。その笑みがあまりにも寂しそうで、僕はロディが口を開いて全部を冗談にしてしまう前に急いで言った。
「ぜ、是非やろう!!」
ちょっと勢いがつきすぎて、ロディがいかにもドン引きという顔になる。僕からは見えないところでピノが嬉しそうに囀った。
ロディがいつも使っている歯ブラシと水の入ったコップ、それから洗面器とタオルを並べれば、準備は万端だ。僕はフローリングに敷いてあるラグの上に正座をして、膝を手のひらで軽く叩いた。
「どうぞ」
ロディがほんの少しだけ躊躇ってから、ころりと床に転がって僕の膝に頭をのせる。ロディの頭のてっぺんが僕のおへその下にくる格好だ。僕はロディの歯ブラシを右手に持って、ちょっと緊張していた。だって、他人の歯を磨いた経験なんて一度もない。
「よ、よろしく、お願いします」
かぱりと開けられた口の中にそっと歯ブラシを入れて、ロディの口の中を傷つけない様にまずは左下の歯列の内側を優しく擦る。歯並び綺麗だなあと思いながら一番奥の歯から真ん中あたりまでを三往復したところで、ロディが僕の膝の横を小さく叩いた。眉根を寄せて渋い顔をしているので、慌てて歯ブラシを引く。
「ごめん、痛かった?」
僕の問いかけにロディはふるふると首を横に振って、こう言った。
「ちゃんと歌って」
なにをと聞きかけて、きっかけになった番組を思い出す。小さい頃から何百回と聞いてきたコーナーソングは、もちろん、ばっちり、歌える……はずだ。たぶん。
狼狽える僕をよそに、ロディは僕の膝の上に再び頭を乗せると催促するように口を開いた。仰向けに寝そべるロディの胸のあたりに陣取っていたピノが、期待を込めた眼差しでこちらを見つめてくる。僕は恥ずかしい気持ちを追いやって、一つ深く息を吸った。
「う、うえのは〜♪」
ちょっと声が裏返る。磨くのに合わせて節をつけると、随分とテンポが間延びしてしまったけれどロディは満足したように表情を緩めた。
「したのは〜♪」
「Pi! Pi!」
ピノが機嫌良く合いの手を入れる。歯ブラシの毛先で白いエナメル質の表面を擦る微かな音が僕とピノの声に紛れて響く。間延びしたテンポで歌ったところでそもそも歌の尺が短いので、あっという間に最後のフレーズだ。
歌い終えてそうっと歯ブラシを引くと、ロディも身体を起こした。ロディは僕から水の入ったコップを受け取ってそそくさと洗面所に引っ込んでしまう。一応、ここで口を濯いでも良いように洗面器もタオルも用意したんだけれども。
ロディの歯ブラシを持ったままだった僕は、蛇口から流れ出る水の音が止んだタイミングで洗面所に顔を出した。「どうだった?」
「……ん、ありがと」
タオルで口元を拭いながら言うロディの耳がほんのりと赤く染まっているだけで可愛いのだが、外されていた視線が重なって、まだ何かをねだるように潤んだ。これは、まだ甘えたモードなのか…!?
全力で甘やかしたい。休日はまだまだこれからである。
……ところで、僕もロディに歯を磨いて欲しいというのは、今頼む雰囲気じゃないよね。