なんかベランダに美少女居て幽霊かと思ったら悪魔だって言うからまあとりあえず上がりなよ ベランダに美少女が居た。
いや、美少女って言っても顔は長い髪で隠れてるし、某ホラー映画のヒロイン(名前に子がつく女の子は大体可愛い)にそっくりだから、多分幽霊だろう。
でも、直感で美少女だとわかる。
僕はとにかく窓を開けた。
「君、ベランダなんかでどうしたんだい?」
紳士的な問いかけにも、彼女は答えない。
「こんな寒い日に白いワンピース一枚では凍えてしまう。温かいお茶を入れよう。入って」
僕は優しく背中を押して部屋に入れた。
彼女はシャイなのか、導いてやらないと動きもしない。突っ立ったままだ。
「借りてきた猫みたいな顔してないでさ、座りなよ」
そもそも相手の顔は見えないのだが、座布団を用意して座らせる。
お茶を出すが、手を出す気配はない。猫舌なのか遠慮しているのか……。
まあいい。
「君、なんでうちのベランダに?」
「…………」
「もしかして家出? だめだよ? 最近は未成年の子に悪いことをさせるお店があるから……」
「…………」
「……お菓子食べる?」
クッキーと煎餅を出す。
手を出す気配はない。
「ごめん。ドライ系のお菓子しかないんだ。あとはあたりめとか……」
ガタッ
一瞬、反応した気がした。
「あとはカルパスとか、酒のつまみばかりなんだ。女の子が食べるものじゃないよね」
笑い話になればと思ったが、彼女は笑わなかった。
俯いたまま、ほんの少し左右に揺れている。
「あ……たりめ……」
長い髪の向こうで、幽かな声がした。美少女らしい可愛い声だ。
僕は初めての反応に嬉しくなり、身を乗り出して聞いた。
「あたりめ? あたりめが食べたいの?」
少女の髪が揺れ、肯定する。
僕は台所に駆けて行き、震える指であたりめの袋を開けた。
女の子の手前、ちゃんとお皿に出してやる。
居間に戻り、思わず叫びそうになった。
女の子が髪を整え、顔を出していたのである。
その神々しさを表現できるほど、人類の歴史は長くない。
色づいた頬は採りたての桃。唇はつやめくさくらんぼ。つぶらな瞳はマスカット。収穫時期をずらして見事にフルーツランドを形成している。
「神はどのようなお戯れであなたを生んだのか」
「知りません」
美少女は先程よりはっきりと答え、こちらをじっと見た。
僕ではなく、あたりめの皿である。
僕は卓袱台にそれを置き、美少女と向きあった。
「どうぞ」
気にしているようだったので、あたりめを勧める。
美少女はさっとそれを抜き取り、食べた。
手のひらサイズのイカゲソを、噛む気配もなく、一瞬で。
「お見事。どんな手品を使ったのですか?」
「私は悪魔です」
「ほう」
「あなたと契約したい」
「わかりました」
なんともいえないイカ臭が漂う中、僕は彼女の話を聞いた。
美少女は幽霊ではなく悪魔で、物干しをする僕のことがずっと気になっていたという。しかし話しかける勇気が出ず、今回の『ベランダに立って存在をアピール作戦』に至ったと。
「優しそうな方ですから、寒い中ベランダに美少女が居たら放っておけないと思いまして」
「全くその通りにございます」
美少女という点も含めて頷くと、彼女はあたりめをもう一本消して茶を含んだ。
ほっとした表情で一息つく。
「それで、本題ですが」
「契約してくれという話ですか」
「はい」
彼女は熱い視線でこちらを見る。
「契約してくださるなら、願いをひとつ叶えます」
「結婚して」
即答する僕に、彼女はやや考え、
「質問は無いんですか?」
「無いよ。結婚して?」
「…………」
「……駄目かな?」
若い女の子だし、僕みたいなのは嫌かと思ったが、彼女は小さく顎を引いた。
「……わかりました」
「ひゃっはああい!」
「ですが……私は人間の結婚というものが分かりません。教えて下さい」
「もちろん喜んで!」
「具体的にどのようにすれば良いのでしょう? 私は悪魔なので、役所に婚姻届を出すことはできません」
「とりあえず何もしなくていいよ。ただうちに居て、たまに家事でも手伝ってくれればいいんだ。料理は怪我するといけないから、僕が居る時だけね。掃除と洗濯を一気に覚えるのも大変だろうから、少しずつでいいよ」
「わかりました」
そうして、彼女との生活が始まった。
彼女は僕のことを、
「旦那様」
と呼び、不器用だが慕ってくれた。
「旦那様、洗濯物がうまく畳めません」
「これはね、こことここを持って裏返すと簡単に畳めるんだ」
「すごいです旦那様、魔法みたい」
彼女は悪魔なのに、魔法を使わなかった。
掃除も洗濯も人並み程度で、料理は少し苦手。
「すみません旦那様、お砂糖とお塩を間違えてしまいました」
「いいよ。食べられるから」
「ごめんなさい旦那様。味噌汁にマヨネーズを入れすぎてしまいました」
「マヨネーズ好きだから嬉しい。分離してるから乳化させよう」
「旦那様、重曹を入れて炊いたらお米が黄色くなってしまいました……」
「僕もそれやったことあるから安心して」
彼女は苦手なことにも挑戦しようとした。雑誌で奥さんについて勉強して、『胃袋・給料袋・玉袋』を覚えたからだ。
僕が帰ると、彼女は待ちわびた顔で寄ってくる。そして一緒に料理を作り、たまに失敗して、こじんまりした卓袱台を囲んだ。
彼女は悪魔だからか、食べるのが異様に早い。どんなものも美味しいと喜び、余り物で作ったきんぴらごぼうで涙を流した。
「こんなに美味しいものは、はじめて食べました」
彼女の存在は、孤独な僕の人生を照らしてくれた。
「旦那様、玉袋を握らせてください」
「いやはや」
電気を消して美少女かわからなくなっても、彼女はいい奥さんだった。
いつの間にやら三つの袋は握られ、出会って半年が経った。
「旦那様、ゴールデンウィークに旅行へ行きましょう。新婚旅行です」
「そうだね。新婚旅行は行っておかなきゃね」
彼女は張り切っていた。
僕が仕事に行っている間に下調べをして、行き先を決める。
「沖縄がいいです」
「ほう、沖縄」
「修学旅行先だったので、予備知識はあります。私は行けなかったので、ぜひ行きたいです」
「悪魔にも修学旅行があるの?」
言いくるめるための方便だったのか、彼女は顔を赤くして俯いた。
「ごめんなさい。どうしても行きたくて……」
「いいよ。行こう。沖縄」
僕達は、初めての飛行機で沖縄に行った。
彼女は海の煌めきにはしゃぎ、土産物のシーサーを可愛がった。
ホテルはちょっと奮発して、高級バイキングを食べた。
「こんなにたくさん食べられて、夢みたいです」
彼女は小食だが、やはり、食べるのが早かった。
「旦那様、ハブとマングースのショーが見たいです」
怖がりのくせにそう言って、案の定びっくりしてしがみついてくる。
とても可愛い、奥さんだった。
5日間の旅行の中で、本島は遊びつくしたように思う。
最後の日は、首里城へ行くことにした。
連休だから混んでいて、離れ離れにならないように手を握る。
彼女は悪魔だから、長い坂でも汗ひとつかかなかった。
「わあ! 旦那様! 街の向こうに海が見えますよ!」
城壁の向こうを指差し、彼女は笑った。
長い髪が、風の中でキラキラと光っている。
とても、綺麗だった。
彼女は僕以外の人に見えないから、写真撮影を頼むと怪訝な顔をされたが、僕は全く構わない。
たくさん写真を撮って、フライトまでの時間を楽しんだ。
彼女は首里城が気に入ったらしく、いつまでも遠くを見ていた。
楽しかった新婚旅行も終わり、地元の空港に着く。彼女はトランクの荷札を記念にすると言って、お財布にしまった。
「旦那様、もう少し時間をくださいますか?」
ターミナルで、彼女は足を止めた。飛行機が行き来する景色を、もうしばらく見ていたいとのことだ。
僕も旅行を終えたくなくて、隣に並ぶ。
「旦那様に、謝らなければならないことがあります」
彼女は躊躇いながら口を開く。
「悪魔だというのは、嘘なのです」
「いいよ。気にしないで」
僕はそう思っていたが、彼女は話さなければスッキリしないようだった。
俯き加減で、少しずつ話してゆく。
「半年前……旦那様と出会ったクリスマスの日、私は家出をしました。父は昔から酒が入ると乱暴で、それに耐えきれず、パジャマのまま逃げ出してしまったのです」
そういえば彼女の肌には痣があったなと思いつつ、僕は黙って聞く。
「行き場を無くした私は、泊めてもらえる場所を探しました。しかし受け入れてもらえず、やっと辿り着いたのが、旦那様のお部屋だったのです」
「君のような子を寒空の下に放っておくほど、僕は冷たくないからね」
「それからも、旦那様は私を置いてくださいました。料理や洗濯の役割も与えてくれて……」
「君のような子を警察に渡すほど、僕は出来た人間じゃないからね」
「なにより、一緒にいてくださいました。テレビを見たり、散歩したりして、一緒に笑ってくださいました」
「夫婦なんだから当然だよ」
彼女は眩しそうに笑って、背を向けた。
「こんなに素敵な方と結婚出来たのですから、心残りはありません」
「どこへ行くんだ」
腕を掴むと、彼女は振り向かず言った。
「おうちへ、帰ります」
「駄目だ。家になんて帰ったら……」
「帰らせてください」
「駄目だ」
「旦那様」
振り向いた彼女は泣いていた。
「辛い思い出ばかりでも、あの家は私の実家で、お父さんとお母さんは家族なんです。だから……帰ります」
悔しさをこらえ、手を離す。
彼女は涙を零しながら笑って、左手の薬指にはまった指輪を翳した。
「願いを叶えてくれて、ありがとうございます」
彼女が消えてしばらくして、僕は市内の図書館へ足を運んだ。
地元紙で、去年のクリスマスから数日間を調べる。
目的の記事はすぐに見つかった。
『一家無理心中 父親は自殺か』
僕はその家の跡地に行ったが、彼女とは会えなかった。
クリスマスには、ベランダにあたりめを供える。
彼女が生まれ変わって悪魔になったら、それで呼べる気がしたから。
僕は今も、ひとりきりの部屋で、待っている。
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