ちょっとした小ネタ(あぁ。やってしまったな。)
肩で息をしながらソアは横たわっていた。
界賊に酷く殴られた身体は、呼吸をするたびにジクジクと痛みを訴えてくる。特にお腹が痛い。体重をかけて踏みつけられていたから、もしかしたら臓器が傷ついたのかもしれない。
簡易的な処置をしようにも、ソアの医療バッグは界賊に奪われたままだ。知識は頭にあれど、道具がない。何より、もう指一本すらソアの身体は動かなかった。
悲しいくらいの無力感がソアを覆う。船の倉庫の薄暗さ、啜り泣く子供達の泣き声が、ソアの胸を一層締め付けた。
少人数での任務中だった。不審な男を見かけたソアは、メンバーに一言告げてから、コッソリその男のあとをつけた。
あとをつけた先には、今ソア達がいる世界とはまったく文明が違う宇宙船。間違いない。男は界賊の一味だ。
そうして、界賊の船に忍び込んだソアが見たものは、界賊に拐かされたのであろう、薄暗い倉庫に押し込まれた子供達へ振り上げられる男の拳。怯える子ども達が、今まさに男に暴行されようとしているのを、ソアは、隠れたまま見逃す事が、どうしても、どうしても出来なかった。
その結果がこれだ。自分もまた界賊に捕まり、子供達と共に輸送されている。
今思えば、あまりにも無謀だった。
大勢の大人を相手に子供一人が出来ることなどたかが知れている。ましてや、身軽とはいえ虚弱なソアでは。
それでも、後悔は無い。
キズナオオスミは。マツリブルーは。カケル先生は。
ソアが憧れるヒーロー達なら、きっと同じ事をした。
「だい、じょ、う、ぶ、です、よ」
腫れた頬と、いつも以上に動かない口をなんとか動かして、ソアは子供達へ笑いかける。
かつて満月から贈られた言葉。
ソアを救ってくれた魔法の言葉。
この言葉が子供達に届いているか、通じているかも分からない。
それでもソアは、自分とそう変わらない年齢の子供達をなんとか安心させてあげたかった。
カケル先生やシュテルンヴァーテの皆が、ソアを優しさの輪の中にいれてくれた様に。ソアもまたこの子供達に優しさを差し出したかった。
(僕なんかより、満月お姉さんなら、もっとこの子達を安心させてあげられたのに。)
無性に満月に会いたくなった。彼女なら、子供達を安心させて、コッソリ船から連れ出す事だって出来るだろうに。
「み、つき、おねぇ、さ…」
会いたい。会いたい。今すぐ。どうしても。彼女に側にいて欲しい。彼女に会いたい。あの笑顔で、「大丈夫」と言って欲しい。
そんな気持ちが、ソアに満月の名を呟かせる。
ここに彼女はいない。部隊へ繋がる通信機は、鞄と共に界賊に持って行かれ、何処かへ連絡をとる手段も無い。
マツリブルーさんなら、こんな状況でもその冷静さで打開策を出していただろうに。
もしキズナオオスミさんが此処にいたなら、ソアと違って、界賊の暴力から子供達を守り切ることが出来たろうに。
ごめんなさい。弱くてごめんなさい。何も出来なくてごめんなさい。
界賊に暴行されても涙一つ流さなかったソアは、初めて涙を零した。
涙で歪んだ視界に、橙色の光が見えた気がした。
はじめは小さな一つのあかりだった。
昔資料室で見せてもらった蛍の様な。とても小さな小さなあかり。
満月の着ていたドレスのリボンを思い起こす、橙色。
あんまり酷い痛みや精神的苦痛を受けると、幻覚を見る人がいるという。これもそんな幻覚なのだろうか。
あかりは一つ、また一つと増えてゆき、やがて光の塊になった。
宝石の輝きの様な、月の光の様な。熱は無くとも確かにそこにある光が、ソアのすぐ側にある。
集まった光が人一人分の大きさになっていくのを、ソアは朦朧としながらぼんやりみつめていた。
恐怖は無かった。
両親には悪いけれど、ソアの最期に見る光景が、こんなに綺麗なものなのなら、自分の人生も、案外悪いものではない。
ここに満月がいてくれたなら、きっと彼女は笑って聞いてくれるだろう。
「そんな縁起でもない」と言いながら、困った様に笑ってくれるのだ。
やがて光の塊はパッと弾けた。
弾けた光の中から現れたのは、今しがたソアが会いたいと願って止まなかった満月その人。
「みつき、おねぇ、さん…?」
「…うん」
ソアは目をパチクリさせる。
悲しそうな笑顔で、こちらの声に応えた。では、この満月は幻覚ではない、現実のものなのだろうか。
満月は膝を床につくと、優しく、丁寧に、ソアを抱き上げた。
彼女の温度が、声が、満月は今此処にいるのだとソアに教えてくれる。良かった。良かった。
「あ、そこ、に、まだ…こど、も、たち、が…」
身体は動かなかったので、視線で子供達の場所を伝える。
子供達は突然現れた満月に驚いて固まっているようだった。
「うん。大丈夫。分かっているよ。ソア君も、頑張ったんだね」
いいこ、いいこと撫でるその手が触れた場所から、温かいものがジンワリと広がって痛みが薄れていく。治療されているのだ。ソアは力を抜いて満月に身体を預けた。
安心して、痛みが消えていって、暖かくて、ソアの瞼が徐々に重くなる。
「疲れちゃったね。少し寝てていいよ、ソア君。…みんなもおいで。怖かったね、もう大丈夫」
閉じた瞼の先で、歌が聞こえる。苦しくて眠れない夜に満月が歌ってくれた子守唄だ。
子供達が恐る恐る近づいてくる気配がする。
もう大丈夫。母に抱かれた乳飲み子の様に、全てのものから守られた様な強い安心感が身体を巡って、ソアは意識をストンと落とした。
〜・〜
男は息を切らせながら、狭い艦内通路を走っていた。
通路の照明は薄暗い。配管が肩に当たった衝撃に男は呻いた。
(畜生!畜生!アイツ、ボブを喰いやがった!)
つい先刻の、おぞましい光景が蘇る。
『仕入れた』子供達の使い道がどうなるか、二人で賭けていた。思わぬ『臨時収入』だってあったのだ。『臨時収入』がダーザインのバースセイバーという点は良くなかったが、レアモノと思えば悪くない。ボブは『奉仕』に。男は『腑分け』に賭ける。
ボブはああいったガキに『奉仕』させるのを好むヤツだった。
「オマエも相変わらずそういうのが好きだな」
なんて軽口を叩いたその時。
ボブの上半身は見知らぬ何かに飲まれていた。
一体何処から出てきたのか。ヘドロの様なベタベタとした体。ギョロリと蠢く数え切れない瞳。ボブを飲み込む口には真っ白な歯が並び、その黒い身体のせいでより目立っていた。
理由もわからず必至に抵抗するボブの手足がバタバタ動く。
慌てて男も手に持っていた銃をバケモノに撃ち込むが、バケモノに傷一つつけられない。
バケモノはこちらの抵抗を気にもせず、咥えたままのボブの身体を軽々と持ち上げる。ボブの身体を上下を逆さまにすると、蛇の様にあっさりとボブを飲み込んだ。
あまりにも突然の事に、男は呆然とただその様子を見ていた。ボブの身体が飲み込まれるその瞬間が、やけにスローモーションに見えた。
(何だ?今、何が起きた?)
今起きた事を現実だと男の脳は認識出来ない。今までそこにあった日常が、これからも続くと信じて疑わなかったものが、こんなにもあっさりと侵略されたのだから。
ボブを飲み込んだバケモノの持つ複数の目。ふと、その内の一つと男の視線が重なった。
その瞬間、男はわっとその場から駆け出した。嫌だ。死にたくない。少しでもここから離れなくては。次は自分があのバケモノに喰われる!ボブの様に、喰われてしまう!
駆ける。つんのめる様にただ駆ける。少しでも止まれば、あのバケモノが追いついて来そうで、背中がチリチリする感覚が抜けない。
急の事だったとはいえ、バケモノがいた方向と逆に逃げてしまったのが悔やまれた。
艦内の内線は、ボブがいた扉の向こうにあったのだ。これでは救助要請を出す事すら出来ない。
別の内線がある場所へ行こうにも、ここからでは遠すぎる。
(畜生!)
焦りに任せて身体を動かしていたせいだろう。床に放置されたバケツが足に引っかかって倒れた。
ガラン!と大きな音が廊下に響いて、男は飛び上がる。情けない悲鳴が出そうで、慌てて男は自らの口を両手で塞いだ。
ゆっくり、慎重に足を進める。
バクバクと心臓が鳴っているのが分かった。ヒューヒュー、ゼェゼェ。男の息遣いが艦の駆動音と重なって聞こえた。
驚いた拍子に、男の中で冷静な部分がゆっくり思考を始める。
(…静か過ぎないか?)
男は足を止めた。
怒号だったり、談笑だったり、男の記憶の中で、船は常に人の声で溢れていた。
日常の中ではうるさいとすら思えていたその音達。
それが無いということは。
男以外の船員は、もうすでにあのバケモノに喰われてしまったのではないだろうか。
サァっと頭から血の気が引いてゆく。
(嘘だろ…?)
男達は界賊だ。それほどその界隈で名のしれたものでは無かったが、これまでくぐり抜けてきた修羅場の数なら引けはとらないつもりだ。真っ当な奴らではなかったけれど、こんなところで、こんな終わり方をするような奴らじゃなかった。
恐怖が怒りに塗り替えられる。
(やってやる…!)
男は足の進む先を変えた。
目指す先は武器庫だ。あそこなら、今この手に持つ銃よりは上等な武器が揃っている。ここからであれば内線がある場所よりも近い。ボブ達、仲間の復讐だ。倒すことは出来ずとも、せめて、あのバケモノに一泡吹かせてやる。
(みていやがれ、バケモノ!)
決意に満ちた男は気が付かなかった。
男が立つそのすぐ上。通路の天井で、バケモノと呼ばれたソレが、音も立てず大きな口を開けていたのを。
〜・〜
艦橋は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
始めは、これまで繋がっていた『中継先』への通信が不意に途絶えた事だった。
何度繋ぎ直そうとしても通信は繋がらず、艦内の内線ですら繋がらない。
通信機器の故障だろうか。いや、界賊をやるからには、信頼出来る『中継先』への連絡手段は命綱だ。点検だって日常的かつ徹底的にする様厳命していたし、今日も問題無しと報告があがっていたのだ。
続いて、艦内の酸素供給が止められた。
これには皆慌てた。
この艦は今、宇宙空間に浮かんでいる。
そして、この艦のクルーは、ほとんどが酸素が無ければ生きられない種で構成されていた。
残った酸素で、どうにか空気循環システムを復旧させなければならない。
何者かからの攻撃か。
艦長は歯噛みする。
あのバースセイバーのガキが持っていた荷物のせいか?
いや、鞄の中に入っていたのはほとんどが様々な世界の医療機器だった。
通信機もあったが、自分達が持っているものとそう変わらないものだ。あの形式の通信機は、他の通信を妨害する機能は無かったハズ。
クルーの引きつった叫び声が艦長の耳に届いた。
「どうした?!」
怒鳴りつける様に問いかける。
「か、艦内カメラに…女が…」
「女だぁ?」
この艦に、倉庫に押し込んだ『品物』以外の女はいない。この艦は男所帯だった。白兵戦になった時に備えて設置していた、通路や武器庫にしか設置していない艦内カメラに女が写っているハズがないのだ。
何かが艦に接近した様子も無い。外部から侵入したとは考えにくい。だからといって、あのガキの他に侵入者がいるとは考えにくかった。あのガキを見つけてから徹底的に艦内を『洗った』のだ。
「映像をこちらに回せ!」
「あ、アイ・サー!」
手元の端末に送られてきたものは、ここ数分の映像記録。
いつもと変わらぬ艦内通路の映像。その平穏は突如として破られる。映像の中で、船内クルーが次々と消えていった。
それまでカメラに映っていたクルーは、一人、また一人と消え失せた。あっという間に。跡形もなくいなくなっていた。
巻き戻して、確認しようとする。けれども、1秒も経過しない間にクルーは文字通り『消えた』のだ。
一人のクルーが消えたことを皮切りに、その場にいた他のクルー達は散り散りに逃げた。
クルー達の表情は皆一様に恐怖で歪んでいる。
まるで、『映像に写らないナニカ』がそこにいるようだった。
逃げたクルー達も次々に消えてゆく。
何より不可思議なのは、そんな状態が複数のブロックで同時に起きていた事だった。
離れたブロックで、同時に、そこにいたクルー達が逃げ惑い、次々と消え、やがて誰もいなくなる。
跡に残ったのはただの静寂だった。
クルーの愛用品も、嗜好品も、そのままそこにあるのに、人だけが消えた嫌な違和感。
映像の中でしんと静まり返る通路。
目の乾きを覚えて、艦長が一つ瞬きをすると、誰もいなくなったハズの通路に一人の女が、ぽつんと立っていた。
黒いドレスの女だった。俯いた長い髪は垂れ、照明の光に照らされている。
同じ格好の、同じ体格の女が、同じ姿勢で、同時刻に、それぞれ別の場所に設置した監視カメラの映像に写っていた。
(何者だ。)
艦長はじぃっと女を観察する。この女が何者か、少しでも知らなければならない。確実に敵だ。直接会うまでに。何か対策を練らねば。
女は武器を持っていない。立ったまま、動かない。ただ、俯いてそこにいるだけだった。表情が見えない分、薄気味悪さが濃くなっていく。
と、不意に、女は、女達は、まるで示し合わせたかの様に、一糸乱れず、これまた同時に監視カメラの方を向いた。
「ヒッ!」
表情の読めないその瞳が、まるで監視カメラ越しにこちらを視ている様で。艦長は端末を投げ出した。
ありえない。少なくともこの世界の相はT+/M-だ。あんな事をしでかす存在も観測されていない。
とんだホラー・ムービーだ。
(クソが。俺たちが何をしたと言うんだ。ただ、他の世界から使えそうな『商品』を集めて、使ったり売ったりしただけじゃねぇか!)
冷や汗が噴き出てくる。端末を投げ出した艦長に驚いて、クルー達は艦長席を、後ろを振り向いた。そのまま、動けなくなってしまった。
(なんだ?)
艦橋クルー達の異様な様子に艦長は訝しむ。そして、総毛立った。彼らは艦長を見ているのではない。艦長の後ろを見ているのだ。
「投降を」
簡潔な言葉で、場違いなくらい涼やかな声色がすぐ背後から聞こえた。
弾かれた様に振り向く。
肉眼で見た女は小柄で、艦長の胸の高さよりも低かった。黒色のドレスを着ている事以外は何処かの街にでもいそうな、素朴で、平凡な容姿だった。
ついに。ついに女はここまで来てしまった。他のクルーは全てこいつの餌食にされたのだろう。艦長の頭にカッと血が上る。こんな、こんな何処にでもいそうな女に俺たちの艦はやられたっていうのか…!
「ふざけるんじゃねぇ!!」
胸元にあった銃を取り出して女の頭にに発砲せんと引き金を引く。その刹那。
「そうですか。」
艦長の耳は女の口から発せられたその言葉を、落ち着きはらったその声を、はっきりと捉えた。
「残念です。とても。」
銃声は鳴らなかった。
艦長の指が引き金を引くより速く、女の身体から、黒黒とした、ドロドロのアメーバの様な、複数の目と口を持つおぞましいバケモノが四方八方に飛び出して。
艦長が最後に記憶できたのは、そのバケモノの大きく開けられた口が、銃ごと自分を飲み込む瞬間だった。
〜・〜
誰もいなくなった艦橋。規則正しい電子音が艦の正常な航行を告げている。
満月は艦内のいたる場所に広げていた甲型魔力体達を、界賊達がバケモノと呼んでいたものを引っ込めて、艦内の空気循環システムを正常なものに戻した。
世界そのものと繋がる『根源接続』の応用で、今の満月は、この艦についてのことなら、機械の使い方や運行方法、配管の数まで、他の誰よりも情報を得ていた。
倉庫でソアを抱き、子供達をあやすもう一人の端末体である満月に意識をリンクさせる。
行動を起こす前に気をつけていた甲斐あって、倉庫内の酸素濃度は問題ないようだ。子供達も大人しくしていたから、これなら酸素不足による体調不良すら起こらないだろう。
ソアの怪我も完治し、今はゆっくり眠っている。
ホッと息をついて、満月は微笑んだ。
もう一人の満月との意識リンクを切って、満月は通信席へ向かった。
初めて触るキーボードを、慣れた調子で爪弾く。
「エクリッシ」
満月の左肩に乗っていた真白の何かに呼びかける。
「ダーザインと協力関係にある組織をいくつかピックアップします。」
エクリッシと呼ばれたソレは、無機質な声で応えた。
「お願いね。
ピックアップが終わったら、この座標から一番近い組織を教えて。」
「了解」
エクリッシが組織を探している間に、界賊が使っていたものとは別のネットワークを構築する。
そして、目的の場所へ通信が繋げられた。
「もしもし。ダーザイン特編部、シュテルンヴァーテ所属の者です。聞こえますか?」