愛し愛しという心 スヴェルのマスター、セラは眠りが浅い。
ずっと昔。スヴェルがセラに仕えはじめた頃からすでにそうだった。少しの物音、気配にも敏感に察知し、即座に彼女は警戒態勢に入る事が出来る。それが野営の時だけでなく、宿や自室で寝る時もそうだとスヴェルが知ったのは、セラが世界の円環を回して何回目か世界でのことだ。
セラが事切れる瞬間の夢を何度も何度もみるようになったスヴェルは、その度にセラの様子を確認しに向かっていた。
うるさい心音。とまらない震え。身体中から吹き出す冷や汗。居ても立っても居られなくなって、気配を殺してセラの寝所に忍び込み、死んだように眠る彼女の呼吸を確認する。セラが正常に呼吸して、生きている事を認識して、そうしてようやくスヴェルは安堵の息を吐くのだ。
一度だけ、セラを起こしてしまうかもしれないと思い留まって彼女の寝所の手前で引き換えしたその翌日。「昨晩はこっちに来ないで帰っちゃったね。何かあったの?」とセラに尋ねられた。それまで何度も彼女の寝所に忍び込んでいた事が、他ならぬセラに知られていたと分かり、スヴェルはばつの悪い心地になる。理由を聞かれて答えると共に、決してセラに対して危害を加えようとする心算などなかったのだと弁明すると、セラはニッコリと微笑んで、
「じゃあ、今度から一緒に寝る?」
そう言った。
その一言から、セラとスヴェルは同じ寝具、同じ寝台で眠る様になったのだ。
夜半、不意に意識が覚醒する。スヴェルはふ、と目を開けると、腕の中で眠るセラを見つめた。
まろい頬に一筋垂れる赤い髪。それをそっと後ろに払ってやると、セラはわずかに身じろいだ。起こしてしまっただろうか。そのまま動かずにいると、彼女はもぞもぞとスヴェルの胸元へ顔を近づけ、そのまますうすうと寝息をたてた。
たったそれだけ。それだけの事なのに、胸部の中心から湧き上がってくるものがある。
これは何だ?
苦しい。胸の内側がぎゅうっと握りこまれる。でも不快ではない。嫌でもない。喜びの感情が強く混ざる。異様なもの。
押さえつけようとしても、後から後からと湧き続けるソレは胸を痙攣させ、喉を引き攣らせ、そうしてスヴェルの視界を滲ませた。瞬きをすると、ソレは涙となって次々と彼の頬を濡らす。
スヴェルの異変に気が付いたのであろう。セラは目をしばたたかせながらスヴェルを視認すると、ギョッと目を見開いた。
「どうしたの?何か、悲しいことがあったの?」
セラが問うと、スヴェルは首を横にふった。それと同時に彼の両の目からまた涙がこぼれる。
「嫌な夢を見たの?」
「い、いえ」
喉を引き攣らせながらスヴェルは答えた。
「マスターに、向かう感情が、とまらないのです」
私は壊れてしまったのでしょうかと目を伏せるスヴェルに、セラはあやすように穏やかに彼の頬を撫でる。
「そんなことはないよ。大丈夫」
スヴェルのまなじりに一つ、額に一つ口付けて、そのまま胸にスヴェルの頭を抱き寄せた。大丈夫。キミのどんな感情も、私は全部受け止めるよ、と。
掻き抱く様にスヴェルはセラの背中に腕をまわした。零れ続ける涙が彼女の夜着を濡らす。その胸から鼓動は聞こえない。
(マスターには、こうやって与えてもらうことばかりだ。)
とん、とんと一定のリズムでセラの小さな手がスヴェルの広い背中をたたく。その手の柔らかさと暖かさがせつなかった。
(私は彼女に何をしてあげられるのだろう。どうしたら、この女性を幸せに出来るのだろう。)
ポーンとして彼女を守るだけでは足りない。もっと深く、彼女の心の底からの笑顔を見たい。叶うなら、その時隣に居るのは自分であってほしい。
セラがあまりに優しく頭を撫でるので、いっそう辛く、涙が止まらなかった。
抱き合う二人の男女を、月が柔らかく照らしていた。