満エク小話エクリッシにとって人というものは非常に理解しがたい生物である。
人間に「エクリッシはどのようなものなのか」と問うたなら、『変わっている』『機械的』『得体のしれない』『冷血』『何を考えているか分からない』『気持ち悪い』という言葉が出てくるだろう。
満月と共に数多の世界を渡っていく中で、エクリッシの容姿に惹かれて近づいて来た者達はそのような言葉を発して去っていった。
エクリッシ本人としても、彼らや彼女らの言葉が的外れであるとは思わない。
事実、エクリッシは人間ではない。人型の姿であれどそれは本来の姿ではなく、エクリッシに定まった形というものはない。『満月の生命を確実に保護すること』そのためだけにエクリッシはとある存在によって生み出された。
満月とのコミュニケーションを円滑にとるために人の形をしているに過ぎないので、満月以外の生物に自分のリソースを裂こうとしない。
エクリッシは自分に課せられた任務を遂行するだけである。
故に、それらの言葉がエクリッシに異常を与える事はない。
そのハズなのに。
それらの言葉を満月が自分に向けて言ったのなら。満月にエクリッシの存在を、在り方を否定されると想像すると、エクリッシの仮りそめの肉体に異常が生じるのである。
拳をグッと握り込んで動けない。腹の底から背中を伝って寒気の様な感覚が身体中の皮膚を這う。頭から血の気が引いて、体温が上昇してもいないのに発汗している。
何度肉体や臓器をスキャン及び自己調節しても、想像しただけでまた同じ症状に囚われる。
満月がエクリッシを否定するその可能性を完膚無きまでに否定したい。認めたくない。許さない。
満月の肉体も精神も守護するのはエクリッシだ。エクリッシでなければならない。そうあるべきである。
自分はそのためだけに創り出されたのだから。
だが、満月がエクリッシを否定し拒否する理由は、確実に存在するのだ。
エクリッシや満月にまだそれぞれの肉体があった頃。
満月は生涯をかけた、ただ一つの願いを叶えるためだけに。
エクリッシは満月の願いを、正確には、満月が生贄になるのを阻止するために。
二人は本気でやりあった。
最早話し合いでは解決出来ない。戦いによって決着をつけることとなった。
身体的スペックにおいては圧倒的にエクリッシが有利であった。勝てると思っていた。そのハズなのに、エクリッシは敗れた。
そうして、満月はエクリッシを置いて彼女の仲間と共に世界の炉へ堕ちていった。満月達の命は、そこであっさり消えてしまった。
エクリッシは何故自分が置いていかれたのかが分からない。
あと一人、生贄を選んで捧げれば、満月が消える事は無かったではないか。
「なぜ」と「どうして」が浮かび増え続ける解答者のいない疑問。
自分が倒れているその地面が消えてしまったかのような錯覚。
穴が空いてしまったかの様にままならない身体。
身体中の臓器をぐちゃぐちゃにされたかのような強烈な不快感。
名前を呼んでも何も返ってこない、魂すら消えてしまった満月。
いやだ。
耐え難い、どうあがいても、何度計測しても変わらない現状をなんとか否定したい。
初めての感覚。これがエクリッシに芽生えた初めての感情だった。
もうここに満月がいないのなら。
補修できる箇所は補修して、無理矢理立ち上がる。
私も満月と同じ場所へいきたい。
自分でもよくわからない衝動につき動かされるまま足を進め、そのまま、エクリッシも世界の炉へ堕ちた。
そこから何があったのかは知らない。
意識を取り戻した時には、肉体を失いはしたものの、世界の終末装置の一端という身分と、実体化も出来る精神だけの体が与えられた。満月やその仲間達と共に。
最初に湧き上がったのは歓喜。そして次に浮かび上がったのがおそらく罪悪感と呼ばれるもの。
自分がやった事は、満月の願いを否定することだったのではないのだろうか。
エクリッシに満月の願いそのものを否定するつもりは無い。
満月が生きているのなら、どのようなやり方でもその願いを叶える手助けをするつもりだったのだ。
だというのに。結局エクリッシがした事は、自分の役割を優先して満月のしようとした事を否定している。
きっと許されない。満月は自分を恨んでいるだろう。満月の行いを否定してしまった自分は、もう満月の側にはいられないのではないだろうか。
ぞわり。満月を失った時と似た感覚が身体を伝う。
嫌だ。また置いていかれたくない。一緒にいたい。
最も高い可能性を何の根拠も無く否定し続ける自分。
身体の内側を締め付けるような感覚が、内臓を刺し、皮膚を喰い破っていく。そんな幻覚が身体を支配しようとする。
思考の強制終了。バックアップ、再起動。再思考。エラー。強制終了。バックアップ、再起動。再思考。エラー。強制終了。
痛みに似た思考が、何度追いやってもグルグルとぐろを巻いて、頭を独占し続けてはエラーを吐く。
逃げ場も対処法も見つからない。
身体の奥で、何かが脈打つ様に吹き出している。
苦しい。痛い。
「エクリッシ?」
満月の柔らかな声がエクリッシの聴覚に染み込んだ。
視覚が捉えたのは心配そうに眉を下げた満月の表情。満月が自分の顔を覗き込む程近くにいることに、エクリッシは気づく事が出来なかった。
「…何か?」
かろうじて声をだす。喉の奥が引きつる。既に機能を必要としていない心臓の鼓動がうるさい。
満月の声が聞きたい。聞きたくない。
ただ任務のために思考を演算だけにさいていたあの頃には最早戻れない。満月のせいでこんなにも障害が出ているというのに。満月が話しかけてきた事実とその声が嬉しい。様々な感覚が千々に飛び散って、その全てが満月を求めてバラバラに向かっている。
「えぇとね、勘違いだったらごめんねなのだけど。」
僅かに首をかしげて。それでも満月はエクリッシから目をそらす事無く問うた。
「エクリッシ、何か困ってる?」
息を呑む。
困ってる。そうか。自身の現状を顧みるに、満月の言う通り自分は困っているのだろう。満月の言葉は正しい。
「…はい。恐らく、そうであると思われます」
千々になった感覚の内一つが明確になった事で、ようやくまともに返答出来た。
「そっか。その困ってる事について、何か、私に手伝える事はある?」
「…」
沈黙。
はい、の一言が出せない。自身の現状の言語化が出来ないのではない。話そうとすると、言葉が喉で詰まって出てこないのだ。この状況を解決出来るのは、先ほどの様におそらく満月だけであろうというのに、満月の助力を求めることに躊躇する。
「…余計に困らせちゃったかな?」
ごめんね、とエクリッシの側から離れようとする満月の腕をエクリッシは素早く掴んだ。
「エクリッシ?」
思考より先に身体が動いていた。
困惑した満月の声に返答出来ない。説明出来ない。言葉も出ない。エクリッシ自身も困惑していた。
「何か、私にお話したいことがあるんだね?」
穏やかな声と共に再び自分と向き合ってくれた事を確認して、エクリッシは息を吐く。
満月の腕を掴んでいた自身の手が震えていた事に、エクリッシはようやく気がついた。
「大丈夫。ゆっくりでいいよ。私はここにいるからね。」
震えるエクリッシの手を、満月の両手が包む。あたたかい。
「満月…」
どうして貴女の行いを否定した自分にこうも笑いかけてくれるのだろう。
満月が何かを憎む時、敵意と殺意を相手に向けていた事を知っている。
満月が内包する苛烈なまでの憎悪をエクリッシはすぐ側で見てきた。
身体を傷つけられる事は構わない。満月に嫌われてしまう事だけがこんなにも耐え難い。
「満月は、私が憎くないのですか?」
知りたくない。だがこれからも満月の側にいるためには知るべきことだ。