この肉体で動き出す以前のことを、オレはあまりよく覚えていない。
そのくせに、もう手の届かぬものと振り切ろうとすれば、その記憶は立ちはだかる。
無関係な時代の事情で困らされたら嫌だろう、と逃げようとした。
「それは、お前の顔を見るのに体は邪魔だっつって、首だけ持ってくみたいな話じゃねーか」
よくわからない例えで反論され、逃してはもらえなかった。
胸と頭と目の奥が痛くて、少しクロウが嫌いになった。
城の頂点、屋根の先。
王の名に相応しき威厳を纏い、夜に君臨する。
クロウ。
オレの主。
幼き父にして、孤独な我が子。
今夜もご機嫌な様子で、先日手に入れたばかりの『あいぼう』を掻き鳴らしている。
昼間に戦闘があった。
時々、よくわからない理由で侵入してくる輩がいるのだ。
クロウは、自分からは攻撃しない。
しかしその戦闘でオレの左手が壊れた時、彼は自分が傷ついたかのように顔を歪ませ、オレを攻撃した兵士の左腕を奪った。
クロウは、痛みを知っている。
そして彼やオレに攻撃してきた相手には容赦がない。
その肌に傷を与えてしまったならば、もう背を向けても見逃してはもらえない。
今日も侵入者は全滅した。
花を折るかのように容易く敵の手足を砕くその目は、いつだって真剣で澄んでいる。
そこには悲しみも喜びもない。
全ての感情は生き延びた者だけが持つ特権であり、それが摂理なのだと、動かなくなった家畜を土に埋めながら語ったことがある。
ならば一度死んだ者が大地に立ち続けることは罪深いとでもいうのか、と声を荒らげてしまった。
どうしてそんな反応をしたのか、オレもクロウもわからなくて、しばらく唖然としてしまった。
でも、少しして、オレの頭を撫でながら言った。
「その摂理をよくわかってるから、お前を失くしたくなかったんだよ」
その言葉は、主語が曖昧だった。
摂理を超えた存在。
それは、クロウもだ。
頭の打ち所が悪かった時の顔は、今まで殺してきた奴らととてもよく似ているから、きっとあれは死んでいる。
そして、世界を歪めて目覚める。
手のつけられない、無意識の超常。
そんなアイツに寄り添えるのは、ほんの一度でも同じ禁忌を犯したオレだけだと思った。
「ロムぅ、なんだそれ?」
近頃は、クロウに語りたいがために過去に想いを馳せている。
その中で"これ"に至った時、"うんめい"というものが少しわかった気がした。
「オレも『音が出るやつ』を何かやれって言ってただろ。
できる、かもしれない」
「まじかッ!?」
魔人から借りた杖の切れ端を両手に握り、城の片隅の物置で見つけたガラクタに向けて振り下ろす。
クロウと一緒に音を鳴らすことが好きになった。
変わり果てた身への困惑も、思い出せない過去への寂しさもまだある。
それでも、クロウが──あるいは彼に臣下を創るべきと進言した誰かが──オレは生きているべきだと考え赦したのなら、この命を誇るべきなのだ。
魔物とそうでない者達との溝は急激に埋められつつある。
その状況を作り出したのはあの猫の少女だが、そんな時代が来るまで生きるよう導いたのはクロウだ。
──これから誰が指差しても、お前は生きているべきなんだよ
日々を重ね募った不安は、日々を生きることで解決されていた。