嫌いじゃない「甘いもん、食いたい」
突然悟がそうぽつりと呟いたかと思ったら、食いたい食いたいと駄々を捏ね始めた。子どもか。
「悟うるさい。まずは任務に集中しろ」
「こんな雑魚に俺が手こずるわけねーだろ」
現実問題、数が多いだけで二級以下の雑魚呪霊しかいないのだから、悟の敵ではないだろう。傑もそう思う。けれど、そういう問題でもないだろう。これは術師として正式に依頼されている任務だ。
「悟、まずは任務を……」
「はいはいウルセーウルセー」
「悟」
「傑の正論は聞き飽きたっつーの」
舌をべろっと出して、こちらを煽ってくる悟の顔に苛立って仕方が無い。思わずこめかみがひくりと脈打った。どうして彼はいつもこうなのだろう。甘やかされて育ったせいか。そうなのか。これだからボンボンは。
腹が立つがいまは喧嘩をしている場合ではない。説教は任務のあとでもいいだろう。いろいろなものを飲み込むように口を引き結び、傑は目の前の呪霊を見据えた。まずは任務。さきほど自分が言った台詞を、もう一度胸のなかで唱えた。
雑魚と悟が言ったように、任務自体はあっさり終わった。途中からどちらのほうが多く祓えるかなどとくだらない遊びを悟がし始めるくらいには、簡単だった。終わったら説教と思っていたが、こうも呆気なく終わったのではその気概も削がれる。
まぁいいかと傑が諦めていると、悟の我儘がまた始まった。甘い物食べたい、と。
「もう終わったし。あ、なんか甘いにおいする」
「あ、ちょっと悟!」
においに吊られたように、悟がふらふらと歩いて行く。確かに任務は終わったが、補助監督が待っているのだから戻ってからにしろとは思ったが、多少はいいかと思い直した。こうなった悟は面倒くさい。さっさと買ってしまったほうが結果的に時間が掛からないというのが、過去から得られた経験だ。
「あ、クレープ」
こんななにもないところに甘味があるのかと訝しんだが、悟が向かったさきにはキッチンカーが一台停まっていた。どうやらクレープの移動販売らしい。嬉々として近寄っていく悟を、傑はあとから追いかけた。
「チョコバナナもいいけど、キャラメルも捨てがたいし……傑は?なににする?」
「えー……私は、ツナとチーズかな」
「は??オマエまじで?」
信じられない、と言いたげに素っ頓狂な声が響く。そんなものは邪道だ、甘いクレープこそ至高、むしろ甘ければ甘いほど正義、などとぎゃあぎゃあうるさい悟を無視し、傑はさっさと自分のクレープを買った。もちろんツナとチーズだ。
薄い皮の上に具を乗せ、ぐるりと巻けばそれがクレープの完成だ。早速頬張れば程よい塩気が疲れた体に染み渡り、小腹が満たされていくのを感じた。ツナとチーズと、わずかな野菜。具材を包み込むようなマヨネーズの味がする。間違いのない組み合わせだ。
傑になにを言っても無駄だと思ったのか、悟は口を曲げたまま自分のクレープを注文していた。出来上がったクレープは異常にでかい。
「なんだそれ。なにを頼んだんだ」
「チョコバナナにチョコアイスとブラウニーとキャラメルソーストッピングして、クリームマシマシ」
手にした念願の甘味に嬉しそうにしている悟を横目に、傑は内心舌を出した。呪文のような言葉だけで胸焼けしそうだ。悟が頬張るたびに、これでもかと入ったクリームがこぼれ落ちそうだった。
よくもこれが食べられるなと感心しながら悟を見ていると、彼は不思議そうに首を傾げた。
「え、なに?傑も食べる?」
「いや、私は。……やっぱり一口もらおうかな」
「え、傑が欲しがるの珍しい。いいよいいよ」
「別に嫌いなわけじゃないし」
悟があまりにも甘い物を食べ過ぎるせいで、相対的に傑は好きではないと思われがちだが、断じてそうではない。悟がそのままクレープを差し出したので、手ずからおずおずと一口もらった。わずかな羞恥はいまは見ない振りだ。
「あま……」
「それがうまいんじゃーん!」
ガツンとした重たい甘さが、口の中に広がる。甘さが全面に出過ぎていて、美味しいかどうかわからない。そのくらい甘ったるい。
思わず傑が顔をしかめると、悟は反対に笑っていた。同じものを共有できて嬉しい、という純粋な好意。悟からそういうものを感じるたびに、腹の奥がざらつくような、落ち着かなくなるような、不思議な心地になる。
傑はそのことを見なかった振りをして、もう行こうと悟を促す。吐き出した息もまだ、甘い気がした。
「夏油様は、クレープなににする?」
「……そうだなぁ」
美々子と菜々子が、振り返って傑に笑いかける。傑も目尻を下げながら、曖昧な返事を返した。
チョコバナナ、とうっかり声に出してしまったのは無意識だった。口にしてから気付いたが、もう遅い。会話として不自然なわけではないし、彼女たちに察せられるようなヘマはしないが、なにを連想して口にしたかわかっているので、傑は内心唇を噛んだ。
「夏油様珍しい」
「別に、甘い物嫌いなわけじゃないよ」
傑が言い訳のように付け足せば、双子は顔を見合わせてうふふと笑った。含みのあるそれに、傑は首を傾げる。
「どうかした?」
「夏油様の嫌いじゃないは~、好きって意味!ね~美々子!」
美々子も同意するように頷いているので、異論はないようだ。そんなこと言われたことがなく、傑はそうだったかなと思い返してみれば、そうだったなと思い至った。
嫌いじゃない。あのとき、よく思っていたことだ。
悟の我儘に振り回されるのも、共闘するのも、純粋な好意を寄せられるのも、決して嫌いではなかった。
瞼を一度強く閉じる。腹の奥のわだかまりを息に混ぜ込んで、息をそっと吐き出した。はしゃいでいる双子を尻目にチョコバナナのクレープを頬張る。舌に広がるのは、あのときほどではないけれど確かな甘さ。
嫌いじゃない、と確かに傑はそう思った。