和牛焼肉「センセー、今日仕事終わったら飯食いに行きませんか?」
来客後のテーブルをまだ不慣れな手つきで片付けていた一真がこちらをうかがうような
視線を向けながらそう言った。
派手な格好にでかい図体、目立つ赤頭とサングラスまでかけたどこをどう見ても探偵事務所よりもそっち方面の事務所にいた方が似合いそうな男は、先月ゴミ捨て場で拾った、自称俺の一番弟子で舎弟だ。
文字通り近くの繁華街の路地裏のごみ捨て場で倒れていたのを拾った(ついでにこいつが巻き込まれていた事件を解決した)ところ妙に懐かれてそのまま居座られている。
まぁ見た目の割に最低限の常識はあるし、懐っこい性格で気づけば近所の住人にも可愛がられている。少々喧嘩っ早いきらいはあるがちゃんと手綱を握っていれば忠犬よろしく言うことを聞く。妙に感が良くて犬のように鼻が利くことも多く、なかなかいい拾い物をしたなと最近思うことも多い。
「給料日は昨日だったと思うが、もう使い果たしたのか?」
「ち、違いますよ!ちゃんとまだ残してあります!」
まぁ酒や女で豪遊するような性格でもないし、変な賭け事なんかもやらないからな。
とはいえあまり多く渡せるほどうちの事務所も経営に余裕があるわけでもないから、待ってもらっている先月分と今月分の家賃を払っただけでも今月は結構かつかつだろう。
「いいけど、何食いたい?」
「俺は何でも、センセーが食べたいもので」
「そうだなぁ……」
最近はラーメンとかカップ麺とか麺類が続いてたから、久しぶりにちゃんとした飯が食いたい。今の気分は肉と魚どっちかというと……
「肉」
「えっ」
「焼肉でも行くかぁ」
「や……焼肉」
「何だ、食べたくないのか?」
「い、いえ!焼肉大好きです!」
「だよな。じゃあこの書類片付いたら行くか」
「……はい」
使い終わった湯呑を手に一真が何とも言えない変な顔をしていたのが少々気にかかったが、肉を前にすればすぐに何時もの馬鹿元気も戻ってくるだろう。
あってないような終業時間、今日くらいはその時間に上がれるように手元の書類を捌くことに集中した。
「どうした?焼けたぞ」
「センセー、どうぞ食べてください」
店の前に立った瞬間、「……センセー、食べ放題の方がよくないですか?」なんて言われた。
一真を連れて行ったのは、普段あまり行かない国産牛をメインに取り扱う所謂ちょっといい店だ。大食らいがいるのでコスパ的には勿論チェーンの食べ放題の方が財布的には嬉しいが、今日は輸入肉より和牛が食べたい。たまにはいいだろうと店のドアをくぐると、何か大きな覚悟を決めた様な顔をした一真が後ろについてきた。何の覚悟だ。
席に着き、まずは適当におすすめ盛り合わせとビールを頼んだが、その間一真は一向に喋らず、ひたすらメニュー凝視していた。肉の部位が分からないのかと思ったが、そういうわけではないらしい。お前はどうすると聞くと眉を寄せたままコーラとコーンバターを頼んでいた。
コーンバターは確かに美味いが初手で頼むものか?と思ったが、まぁこういう店にあまり慣れてないってのもあるかととりあえず流した。
そうこうしているうちに飲み物やお通しのキムチやスープなんかがテーブルに並ぶ。どこかそわそわした顔で店の中をきょろきょろ見渡していた一真と何とか乾杯をしたが、何時も一気飲みされるコーラは3分の1も減っていなかった。いや本当にどうした。
ビール二杯目と追加の肉を頼んだ頃に最初に頼んだ肉が運ばれてきた。入店から大人しかった割に率先して肉を焼きだした一真にもしや肉を食べる腹を空けていたのかと思ったが、良い焼き具合になった肉は何故か全て俺の皿に盛られて行った。
「一真、もしかして腹でも痛いか?さっきから飲み物しか飲んでないじゃないか」
「俺はこれだけでダイジョウブです」
「んなわけあるか。ほらカルビ」
「あー……いや!ほんと大丈夫なんで!」
口元に良い具合に焼けた肉を持って行ってやったところ素直にその大きな口が空いたが、すんでのところでかわされた。
袖口で垂れかけたらしいよだれを拭いている一真に、大きくため息を吐く。大丈夫なわけがあるか。
「俺はお前に肉を見せびらかしながら食う趣味はない」
「………」
「なんかあるんだろ。ほら、言ってみろ」
「お……」
「お?」
「俺が、センセーに奢ろうと思ってて」
「え」
予想外の言葉に思わず端でつかんだ肉を取り落としかけ、慌てて取り皿に戻す。
奢る?万年奢られ男のこいつが、俺に?
「でも、連れてかれた店は入ったことない高そうな店だしメニュー見たら見たことない値段の肉ばかりだしセンセーはどんどん高い肉頼んでくし、俺まで食べたら絶対手持ちじゃ足りないし」
だから俺は水だけでいいんです、という一真の言葉にやっと事務所からここまでで見せていた表情や言葉に合点がいった。
本当は何時もはいるようなもっと安い店を予定していたのが、俺がいきなり和牛だのなんだの言いだして、想定以上に高い店に連れていかれたから相当焦ったんだろう。好物のコーラが喉を通らないくらいに。
「別にお前に奢られようなんて思ってないんだがなぁ」
「だって、初めてもらった給料なんですよ。初給料はお世話になった人に奢るのが礼儀だって聞くし」
「その金を払ってるのは俺なんだけどな」
「それでもです!俺、センセーに雇ってもらってろとーに迷わなくて済んだし、住むとこまで世話してもらったんすよ。お礼させてもらいたいです!」
「あー、うん、じゃあそうだな……」
真剣な表情が何ともくすぐったくて、網の上で焼かれて行く肉に視線を向ける。
「ここは俺が出すから、二件目はお前が酒を奢ってくれ。」
「えっ」
「ほら、そこの肉焦げかけてるから早く食え。あと次の肉がテーブルに乗りきらんからさっさと次焼いていくぞ」
「あ、はい!…っアッチィ!」
「すみません、コーラのおかわりお願いします」
その後元気を取り戻した一真は元気に肉を口いっぱいに頬張りはじめ、調子づき過ぎて「シャトーブリアンってやつ食べてみたいです!」などと言い出したのでテーブル下の無駄に長い足を蹴り上げることになったのだった。
END