紅よりも赤し赤い。
いや、紅いと言うのが正解だろうか。
赤と言うには黒くくすみ、まるで流れ出た血のよう。じんわりと戻る意識と視界に広がる紅。意識が戻る感覚と反して、自分は死んだのだと思わず考えた。が、目を瞑れば暗くなり、開けばまた紅い。どうやらこの紅は、現実に目の前に広がる光景らしい。
…生きてる。
途端にひらける思考。ゴォゴォと空気を揺らす低い音と、物が焼ける臭い。
視界を埋める紅は、大地の劫火を写した空だった。自分はそれを見ている。…見えている?…ここは、どこだ。
(…‼︎)
ーーガバッ!
勢いよく起き上がる。寝ている場合ではない。
今の戦況は?ナッパやベジータは無事か。思い出せ…そう、たしか……この惑星の奴らはとんでもない怪物を飼い慣らしていた。こんな惑星3人で十分だと、援軍も持たずにやってきたオレたちは……データにも無い桁違いの戦闘力を持った奴らに歯が立たなかった。それから…どうした?…オレは……その怪物にオレは……
「王子サマ達なら、無事だぜ」
突然耳に入る声にハッとする。聞き馴染みはない、だがどこかで確実に聞いたことがある声。
恐る恐る振り返ると、見慣れた戦闘服に身を包む浅黒い肌の男が、距離をおいて座りこちらを見据えていた。
「お前は……」
どこかで…、と言いかけるのを彼は遮った。
「久々だな、ラディッツ」
「…………た…ターレスか?」
彼は肯定の言葉の代わりにニヤリと笑った。
彼とはいわゆる幼馴染…いや、幼馴染"だった"と言うべきか。ターレスは惑星ベジータを発ち、星を流離っていると風の噂では聞いていた。たしか、自分が王族の側近として働き始めた頃だっただろうか。
あの頃より背丈こそ伸びたが雰囲気は変わらず、忘れていた記憶が次々と芋蔓式に甦ってくる。そして同時に多量の質問も。
思考が追いつかず口をパクパクさせるオレを見て、ターレスはクスクス笑った。
「相変わらずで安心したぜラディッツ。元気そうじゃないか」
「オレは…その…」
本来息災を確かめられるべきはターレスだ。彼は皆の知らぬうちに姿を消せたと思っているのだろうが……惑星ベジータの中でも、彼の消息を確かめようとする者や非難する者で溢れたことを、彼は知っているのだろうか。
そしてオレがそれを見て、気が気でなかったことも…
…いや待て。
「ターレス、思い出話は後だ。何が起こった?なぜ貴様はここに……」
そこまで言いかけてハッとする。
ここにきて初めてきちんとターレスを見た。紅の空のせいか、体全体が赤く照らされ全く気付けなかった。ターレスの額、腕、体の至る所から鮮血が流れ、劫火にたまにキラリと反射していた。
咄嗟に這うようにして駆け寄る…それと同時に気を失う前の記憶が蘇る。記憶の通りならオレは、あの怪物の凄まじい攻撃を真正面から食らったはずだった。そして恐らく死んでいた。まさか。
「ターレス、貴様…オレを庇って……?」
「だとしたらなんだ?」
「なんだ…って……」
どう質問すれば良いのかわからない。
遠く、大地が燃える低い轟音が未だ鳴り響いている。無言のまま目元に流れた血を拭うターレスを見つめ口を摘む。
「約束、したろ」
口火を切ったのは、ターレスだった。
だが、なんともピンとこない言葉。
「や…約束…?」
「お前を、守ると約束した」
「……は…?」
覚えがない。そんな指切りでもしそうなクサい約束を、過去の自分はしたと言うのか。そんな子供じみた約束で、この男は命をかけてオレを守ったと言うのか。
「ターレス、…その、助けてもらったことには礼を言う。だがさっきから何を言っているんだ?オレにはさっぱり…」
わからない。
なんだか勝手にバツが悪くなって俯いたオレを見て、ターレスまたクスリと笑う。
「それでいいさ。それよりホラ、…お前のだろ」
寄越したものはオレがつけていたスカウターだった。
「!」
むしり取る様に慌てて受け取り、通信ボタンを連打した。例の怪物の攻撃によるヒビが入っているが、この程度ならまだ使えるはずだ。べジータとナッパと早く通信を……
「無駄だ、壊れてる。直そうと思ったが直らなかった」
「なんだと………」
これは今自分が持てる唯一の通信手段。なにせ、舐めてかかってこの星に来たのだ。スペアなど持っているはずもない。
「………」
2人はオレを死んだと思うだろうか。弱虫だと罵るだろうか。否、罵られてもいい。生きて彼らの元に何としてでも帰りたい。死して終わるならまだしも、死んだと勘違いされ生きながらに存在を抹消されるなど、サイヤ人として…戦士として……
奥歯がギリリと音を立てる。無意識に力が篭った手の中の、その"壊れた"スカウターが似たような音を立てた。
「俺のスカウターで通信しようとも思ったんだが、下級戦士の俺のスカウターじゃ王族サマ方の回線には入れなくてなぁ」
嘲笑をわずかに含むのがわかったが、表情は視線を落とし神妙に見える。言葉が出なくなり、オレも同じように視線を落とし、"壊れた"スカウターを見る。
わざわざ直そうとしてくれたのか……。
……。…いや…一体なぜそこまで?
過去のオレは、そんなにも重大な約束をしたのか。
待て。
そもそも、オレがつけていたスカウターをハタから見て、"壊れている"とどうやって見抜いた?
わざわざオレの耳から外して判断したのか?
そもそも、ターレスは追われているようなようなもの…捕らえられる危険を冒してまで、王族と通信をしようするだろうか…?
解決しない疑問ばかりが頭を巡るが、今はそんな事を考えてる場合でもないこともわかる。フルフルと頭を振り、ひとまず立ち上がる。
「とにかく…色々世話になった、ターレス。すまなかった」
「戻るか?」
「いや、まず貴様の治療が先だろう。せめてもの礼だ、応急処置くらいは手伝わせてもらう。2人の元に戻るのは、それからでも遅くないはずだ」
何せスカウターが壊れているのだ。これではべジータとナッパを探すこともできない。
反対に、こんなに敵が蔓延る中で戦闘力だけを頼りにオレを探すことも、頭の良い彼らならしないはず。闇雲に動けば、またあの怪物と鉢合わせするかもしれない。いずれ目視で2人が探しにくることも考えられる。それならここから動かないほうが得策だろう。
「ターレス、お前の宇宙船はここから近いか?」
「あぁ、その林を抜けた先に隠してる」
「わかった、案内してくれ。治療道具も少しは積んでるだろう?………立てるか?」
差し伸べた手を、悪いな、とターレスの手が握った。
「……」
触れた手は自分の記憶より遥かに大きく、鼓動が跳ねる。
いくら何も出来ない状況だからとは言え、人肌に照れている場合ではない。
それなのに、彼の少しだけ低い体温が妙な名残惜しさを覚えさせて、気持ち長く手を握ってから返した。
「随分とまぁ、デカくなって」
隣に立ったターレスはオレを見上げる。あぁ、そうか。あの頃は、まだほとんど同じ背丈だったか。戦士としてやっと一人前と認められた頃……そういえば。
「ターレス。歩きながらで構わん、さっきの質問の続きをさせてくれ。なぜお前がこの惑星にいるんだ」
ちらりと見上げたターレスの視線は、すぐに逸らされて林の方へ落ちた。
「……たまたまさ」
「………。…………そうか」
貴様にしてそんなはずは、と否定する言葉を飲み込んだ。腑には落ちなかったが、偶然だと言いはるのを真っ向から疑うのも違う。万が一、それが故意的なものならば理由があるはず…だが、どう考えてもターレスに理となる理由が思い浮かばないのだ。
であれば、おそらく…本当にたまたま…なのだろう。
そして、そこにたまたまオレがいたから、ターレスがこんなに負傷する羽目になってしまったのだが……。
「いつぶりだろうな、こうしてお前と歩くの」
「え…?」
おおよそ血だらけの男が話す話題ではない。だが、隣の男は至極穏やかな表情で前を見据えている。オレは戸惑いがちにもやっと「そうだな…10年以上は…」と返す。
足元では乾いた葉が踏まれてカリカリと音を立てる。それからは言葉を交わすことなくゆっくりと歩く足音は、当然ながら2人分。足元を見れば、隣には青みがかる珍しいカラーのシューズが交互に前に出る。劫火の空がそれらを照らして、紫がかるようにも見える。
あれ…オレは…どこかでこれを………
「ラディッツ」
呼ばれてハッと我にかえる。返事より先にターレスが続けた。
「お前に、見てほしいものがある」
「……?」
立ち止まって目線をあげたターレス。
視線の先には、おおよそ一人乗りとは思えない立派な宇宙船が現れていた。
「ターレス…お前の宇宙船って…」
「あぁ、これさ。悪いがお言葉に甘えてさせてもらうぜ。手を貸してくれ」
あんぐり口を開けて船体に見惚れていたオレの手を、ターレスが引いた。