今夜もか。
同室のチクミナから微かな呻き声がし、目を覚ました。
あの事件以降、チクミナはよく悪夢に魘されるようになった。
きっと、いや間違いなく兄の夢を見ているのだろう。
我がこの時代に来る前、悪夢に魘されて目覚めなくなった里の幼児に、ルーン魔術を使ってその悪夢を取り除き、命を救ったことがある。
しかし、今の我にはあの頃の魔力が無い。
記憶もほとんど欠落しており、ルーン魔術に関する知識もかなり抜け落ちている。
「魔女失格じゃな…」
悪夢を取り除くことも出来ない、そして亡くした兄を蘇らせることも出来ない。
我は、なんと無力な存在だろう。
我は、この娘に何をしてやれるのだろうか。
そばに居てくれるだけでいい、以前チクミナは我にそう言った。
本当にそれだけでいいのだろうか。
今でも雨が降り続けている其方の心は、癒せるのだろうか。
「チクミナよ」
眠るチクミナの頭を撫でながら、子守唄を歌う。
遠い昔、母から歌ってもらった歌だ。
どんな顔をしていたか、どんな声だったか、もう何も覚えていない。
だが、その旋律は確かに記憶していた。
里の子供達にもよく歌ってみせたものだ。
「…メルシェン?」
しばらくしてからチクミナが目を覚ました。
そして、美しいオッドアイの瞳から涙がほろりと零れ落ちた。
「起きたか」
子守唄を中断し、チクミナに微笑みかける。
「大丈夫じゃ。我がここに居る。今はゆっくりお休み」
そう伝え、指で涙を拭ってやると、チクミナは我の手をぎゅっと握った。
「ごめん、メルシェン。今日だけ…今日だけだから手を握らせて」
弱々しい声で涙をポロポロと流しながら我の手に縋るように握るチクミナの手は震えていた。
ああ、なんという事か。
今この世界は、深く哀しい闇に包まれている。
"予言の子"だけでなくこの学校の生徒、教師、いや魔法界全てがそうだ。
敵に同情などするつもりは毛頭無いが、恐らく死喰い人にも。
皆、孤独なのだ。
その孤独を抱えながら、他者を憎しみ、傷つける。
やがてその復讐は連鎖する。
だからこそ、我はこの時代へ来た。
魔法使いであってもそうでなくとも、我ら人間が手を取り合う未来の可能性を守る為に。
そして我はチクミナやモスケ、様々な仲間と出会った。
今の我は無力で、まるで役立たずだ。
我がこの時代に来た所で、実際何も変わらないかもしれない。
だが目の前の、我の助けを求める者へ手を差し出すことなら出来るはずだ。
我はチクミナの手を握り返す。
「今日だけでなくともよい。チクミナが怖い夢を見なくなるまで、我も共に寝よう」
そう告げると、チクミナは掠れた声でいいの…?と呟いた。
「当たり前じゃ。其方は、我の特別な友じゃからな」
そう言って笑って見せると、チクミナは安堵した様に少しだけ微笑んでみせた。
世界よ。我の仲間を傷つける世界よ。
我は負けない。世界を敵に回したとしても、我は、我の大切な者達の為に杖を振る魔女になろう。
それが我。
メルシェン・ロンド・マーチェスタじゃ。