「オーディン。次のホリデーが楽しみですわね。
シグムンドと貴方の生涯の伴侶が漸く決まるのですから」
「クソが…ッ!」
ふざけるな。何が伴侶だ。
そんなもの誰が欲しいと願った。
いつだってそうだ。
次期当主の兄が求めたものはなんだって与えられていた。
しかし俺自身の望みは一つだって叶えてもらえなかった。
俺は所詮、双子の兄のシグムンドの代替品。
両親や家の関係者にとって、俺は永遠の二番手であり、実際その様に扱われてきた。
いっそ自由に生きさせてくれと思う。
しかし自由など許されない。
俺も"ダーヴィスト"である以上、家の名前を汚す真似は許されないからだ。
結局俺はこの中途半端な牢獄から、一生逃れる事は出来ないらしい。
ホリデーが終わりようやく両親という最大の監視の目から逃れられたというのに、俺の怒りは鎮まらなかった。
機嫌の悪い俺を見るなり避けて歩く寮生達。
俺は気にせず歩みを進める。
「オーディン!」
「あ?」
甲高い声に引き留められ振り返る。
そこに居たのはアッシュグレーの髪の長い寮生の女だった。
名前は、何と言ったか。
同い年ではあったはずだ。
「ねえ、なんか機嫌悪くない?大丈夫?」
「…何の用だ」
「別に用なんて無いけどさあ。ホリデー明けだし単純に話したかったって理由じゃだめ?」
そう言いながら俺の腕を引き自分の胸元へ押し付けるようにして上目遣いをする女。
ああ、そういう事か。と理解した。
どうやらこの女は俺に好意があるらしい。
「俺はお前と話す事なんてねーけど」
「ひどーい!私はたくさんあるんだから!ホリデーの時にずっとオーディンの事考えてたし、今だって勇気出して声掛けたんだからね!」
まあ確かに大した勇気だとは思う。
流石グリフィンドール、と言うべきか。
この状態の俺に話しかけられるのは、腐れ縁のトネリコとダチのカークくらいだ。もしかしたら後輩のザック辺りも命知らずにも声を掛けてくるかもしれねーなと考えていると、その女はじっと俺を見つめていた。
「ねえ、オーディン。私ね、貴方みたいにいい家柄の生まれじゃないから不釣り合いかもしれない。でもこの学生の期間の間だけでもいいから、貴方と一緒に居たいの。…だから、付き合って?」
そう言いながら頬を赤らめていじらしそうに目を逸らす女。
これが初めて受けた告白ではない。
むしろ定型文のように、この類の告白を何度も受けた。
まず俺の家柄とそいつの家柄の違いについて述べる。
そして結婚は出来ないから学生の期間だけ、という俺に気を遣っている様で、保守的な、自分の身の可愛さが透けて見えるこの文言。
今回も同じだ。
いつも通り適当な理由をつけてNOと断るだけだ。
中途半端に付き合ったところでお互いのためにならないどころか、俺も家の側近の監視の目が全く無いわけではないからだ。
ただ、この時の俺はどうしたものか。
このレールの引かれた人生に、抗ってみたくなった。
やめろ、後で面倒な事になるのはお前だ。と冷静に諭す俺が心に居る。
しかし、それがどうした。これ以上俺の人生を縛りつけるな。
言いつけに従順になり利口に生きたところで、お前は何も得られない。
勝手に決められた愛してもいない伴侶との仮初の夫婦生活が待っているだけだ。
目の前には俺からの答えをじっと待っている女。
俺はそいつと目を合わせ、こう伝えた。
「分かった」
まさか本当にYESと言われると思わなかったのか、心底驚いた様子で本当にいいの?と迫る女。
「何度も聞くと俺の気が変わるかもしれねーぞ」と伝えると、顔を綻ばせ、やったー!と飛び跳ねて喜び、周りの友人らしき女共に報告しに行く女。
そんなに嬉しい事なのか?俺と付き合う事が。
当事者であるにも関わらず、他人事の様に自分を俯瞰してしまう俺が居る。
さて。俺のお袋、麗子にはどう呼び出しをくらうだろうか。
長男、シグムンドの婚約相手の方に集中してる今だ。
案外、俺の事など使用人に任せて直接咎めることは無いかもしれない。
使用人相手なら簡単だ。撒く方法などいくらでも思いつく。
そうか、最初からこうやって反抗すればよかった。
どうせ家族は俺本人のことなんて、気に掛けもしないのだから。
哀れにも、俺は俺自身を縛り付けていたのか。
ああ、そういえば。
付き合う事になったあの女。
名前は何だっけか。
「ねえ、オーディン。はやく」
相変わらず甲高い声で俺を呼ぶそいつ。
俺はキスは好きじゃない。
互いの息が重なる瞬間が、どうしても心地いいものとは思えないからだ。
近寄ろうともしない俺に嫌気が刺したのか強引に俺の顔を両手で引き寄せ、角度を変えながら何度も何度も口付けを落とす女。
「オーディン、ちょうだい?」
媚びた声で俺の耳元で囁く女。
熱った顔、荒くなった吐息、潤んだ瞳、俺を呼ぶ蕩けた声。
据え膳とはまさにこの事。
俺も男だ。身体の本能のままにこの女を抱けばいい。
しかし俺は、手を伸ばそうとは思えなかった。
「…オーディン?」
不安そうに声を掛ける女。
なぜこの女はそこまで必死に俺を求めるのか。
"俺"を求めているのか。それとも俺の家柄とこの容姿か。
答えは後者だろう。
それで無ければ、こんな無愛想な男に執着する理由なんてどこにもない。
その瞬間、冷水を浴びた気分になり、冷静に自分の行いを見つめ直した。
夢を見たがっていたのは、俺の方だったか。
「悪い」
そう伝え、着崩れていた自身の服を整える。
女は「は?」と気の抜けた声を出し、俺に問い詰めた。
「どういうことよ!こんな…!こんな姿まで見せたのに…!悪いの一言で終わらせようって言うの!?」
そう言いながら泣き崩れる女。
そうだ。俺が泣かせた。
弁明の余地も無いほど、俺が悪い。
俺も、俺自身に軽蔑する。
俺はもう一度「悪かった」と伝え、その女の服のボタンを付け直してこう告げた。
「別れてくれ」
「彼女が出来たんじゃなかったのかい?」
「そーだな」
「気を落とすなよ、オーディン。明日があるさ!」
「あ?気なんて落としてねーよ」
腐れ縁で幼馴染の鷲寮の女、"トネリコ・ノーチラス"の頭をペシっと叩く。
暴力男!と抗議するトネリコに、お前が的外れな事言うからだ研究馬鹿女と返す。
いつものこんなくだらないやり取りに、少し安らぎを感じる自分がいた。
「それにしても束の間の反抗期だったね、オーディン。楽しめた、わけでも無さそうだけど」
「まあな」
「御母様の言われた相手と結婚するかい?」
「そこは最初から気に食わなかったが、仕方ねーかと割り切ってた。だがその気は今回で完全に失せた」
「なるほど。君にとっては今後の結婚生活の擬似体験をした様なものだったんだね。ある意味実りはあったわけだ」
「…そーかもな」
「けれど彼女と同じ女性の立場として、君を擁護する気には全くなれないけどね」
そう言いながら冷ややかな口調で俺を見据えるトネリコ。
昔からこいつ、怒ると麗子と同じくらいの圧をかけてくる奴だったなと思い出す。
「…そこは、悪いと思ってる」
「そうか。まあ普段横暴で俺様な君がこうやってしおらしくなっている訳だし、私からはこれ以上何も言わないよ。今回の件は部外者だからね」
「…で、トネリコサンは俺に何か用か?」
「あ、そうそう。君これから魔法薬学の講義だろう?この本を先生に返しておいてくれるかい?」
「んで俺が講義を受ける前提なんだよ」
「逆に何で講義を受けない前提なんだい?私からは君の両親や関係者にさっきの件に関して何も報告してないのだから、これくらいは当然の対価だろう?むしろ優しすぎるくらいだ」
相変わらずムカつく言い方だが、今回の件は何とも言えない。正論すぎるくらいだ。
「わーったよ…」
「助かるよ〜!じゃあね、オーディン。困ったらいつでもトネリコお姉さんに声を掛けるんだぞ〜。君の場合は相談料込みだけどね!」
「だーれがお前なんかに声掛けるか。用が済んだならさっさと帰れ、研究馬鹿」
「本当に可愛くない幼馴染だな」
「その言葉、そっくりそのままテメェに返す」
ガキの様なやり取りを交わし、背を向けて魔法薬学の教室まで歩き出す。
「運命の出会いがきっとあるさ!めげるなよー!オーディン!」
お節介女め。
背後から聞こえるトネリコの声に振り返らず、手だけ上げて応答する。
もう心の引っ掛かりは無くなっていた。
ありがとう、なんて死んでも言わねーが。
「あ、オーディンくんだ〜。おはよ〜」
「おはよ〜じゃねーよ、寝坊助女。
見ろ、もう夕方だぞ」
「あっ!…また講義受けれなかった…」
「んな不貞腐れんな。今日はお前の大好きな天文学の講義があんだろーが。まだ余裕で間に合うぞ」
「!そうだね!今から行ってくるね!」
寝起きにも関わらず、勢いよく医務室のベッドから起きあがろうとする鷲寮生の女生徒。
案の定、ふらつきそうになったので俺がその肩を支えた。
「気を付けろ」
「う、うん。ごめんね」
「…ほら、貸せ。近くまで俺が教科書運んでやる」
「…いいの?」
「俺はやさしーオーディン様だからな。そろそろ英国紳士も泡吹いて倒れちまうかもなァ?」
「ふふっ、そうだね。優しいもんね。
いつもありがとう、オーディンくん」
「……おー」
真正面から受ける屈託のない笑顔と感謝の言葉に、思わず目を逸らしてしまった。
教科書を受け取り、医務室を足早に出ようとする俺を引き留めるようにローブの裾を掴むそいつ。
どーしたと振り返ると、俺の空いた左腕の方に捕まる様にぎゅっと抱き締め、微笑みかけながらこう言った。
「行こう、オーディンくんっ!」
俺と同じく、半分日本の血が流れた純血の女。
彼女とは、俺が講義をサボって通っていた医務室で出会った。
話す事になったキッカケは、寝ぼけた彼女が無断で俺のベッドに潜り込んできたことだったか。
一体どこの命知らずの女だ。もしかして麗子の差金か?と疑ったが、そのあどけない寝顔に怒る気すら失せた。
その次の日も、彼女は居た。
お前もサボりか?と聞いたところ、ふるふると首を横に振った。
どうやら生まれつき身体が弱いらしい。
ふーんと気のない返事をして自分のベッドに寝転ぶと、「お話ししようよ」と日本語で話しかけてきた。
その日から俺達は二人で話す時は日本語で会話する様になった。
他の生徒達が俺達の会話に耳を傾けたところで何も理解できないだろう。
その時間は、まるで俺と彼女だけのふたりだけの世界の様だった。
彼女が微笑むたびにそのブランドの髪が、朝は陽だまりの様に輝き、夜は月に照らされ星の様にやさしく煌めく。
声も、表情も、言葉も。
全てが優しさで包まれている。
彼女はいつだって、"俺自身"に話しかけてきた。
いつしか俺は、彼女に会う為に医務室へ通っていた。
俺はロマンチストじゃねーから、"運命"なんて言葉は好んで使わない。
だが彼女との出会いを言葉で表すとしたのなら、
それがこの世で最も相応しい言葉だ。
出会いから数年後。
家の窓際で微睡む彼女に白いカーテンのベールを覆いながらそっと口付けた。
すると、彼女の白い肌がみるみる朱色に染まる。
「愛してる」
そう告げると、花が咲いた様に顔を綻ばせる
たったひとりの俺の花嫁。
"サーラ・フロスト"
どんな敵からも、必ず俺が護ってみせる。
その決意と共に、「サーラ」と名前を呼び優しく抱き寄せる。
とくりとくりと音を奏でる彼女の鼓動。
それと同時に、彼女のお腹の中に居るもうひとつの命が胎動する。
きっと、もうすぐ会える。
優しい陽だまりに照らされ、心地よい風が俺達を包み込んでいた。