血の契約「あ、ありがとうございました!」
そう私が頭を下げると、その人...男の人っぽさがある小さな女の吸血鬼さんは微笑みながら首を横に振る。
『いえいえ。依頼なので、これくらいは』
部屋のお掃除を依頼してから僅か1分。片付けがすこぶる苦手であった私のごちゃごちゃとしたごみ屋敷のような部屋は、家具と壁の間や隅にあった埃の塊はおろか、床の汚れや髪の毛、カップラーメンのごみまで、汚れという汚れは全て跡形もなく消え去ってまるで引っ越した時と同じぐらい...いや、それ以上に綺麗に輝いていた。
もし仮に黒帽子の人に道案内をしてなければ、今頃割引券をもらってなかっただろうし、部屋もずっとごみ屋敷のままだったと思う。あの人には感謝しないと。
そう思っていた矢先、彼女が口を開いて依頼の料金の支払いを、と伝えてきた。支払方法は二つあるらしく、一つは現金。もう一つは血液らしい。ちょっと待っててくださいね、と伝えて財布の中身をごそごそと探してみる。
...運が悪かった。そういえば今日は銀行でお金をおろしてこようと思って外に出たんだった。そのことを忘れて、これに依頼をしてしまったことを思い出した。また銀行行くために外に出ないと...
「あ、それじゃあ...血液で...」
『あ、わかりました。それでは...少し、ちくっとしますよ』
彼女はそういうと、どこからともなくガラスの注射器を取り出した。テレビで聞くには、注射は精密になるべく痛くないようにするために軽くて動かしやすいものを使うことが多いらしい。今頃ガラスという重い物を使うなんて珍しいのだけど...
腕をまくって彼女へと向けると、彼女は痛くないですからね~と言いながら注射器の針をぷすりと刺した。本来なら少しでも痛みを感じるはずなのに、なんだか不思議と痛くはなかった。気のせいなのかもしれないけど。
そうして...ほんのちょっとだけ血を抜いて、すぐに依頼料は払い終わってしまった。それと同時に、血を抜かれたせいか、なんだかとてつもなくめんどくさくなってきた。せっかくの休日だというのに、洗濯やら料理やらするのがめんどくさい。これぽっちの血でどうにかなるというなら、もういっそのこと全部この人に頼もうかな。
『...さて、それでは私はこれにて...』
「ま、まって!追加の依頼がしたいんだけど!」
そう呼び止めると、先ほどまで背中が見えていたはずの彼女はいつの間にか私の顔を真っすぐに見ていた。その黄色の瞳が、まるで私の魂を吸い込んでしまうような何か特別な雰囲気を感じて。思わずそれに見惚れてしまう。
『...ふふ、大丈夫ですよ。ちょっとだけ高くなっちゃいますけど...大丈夫ですか?』
「は、はい!」
そういわれて、咄嗟に返事をしてしまった。でも、あの目が、なぜか頭から離れてくれない。あの人は女の人だというのに、ずっと心臓がどきどきとうるさい。これが、一目ぼれ...ってことなのかな。わからないけど...なんだろう。この人と、少しでも長く居たい。そう思ってしまってしまうのは、気のせいでありたい。
――――――――――
...その後。結局家事どころか最後の寝かしつけまでやってもらうことになってしまった。ちょっと子供っぽいけど、これはこれで良い夢が見られそうで...ありかもしれない。
ちょっと変な趣向が出来ているかもしれないと若干焦りながら、ベッドの中へと入る。その時、彼女がぼそりとお支払いのことについて話をしてきた。
『...もし血液でお支払いをするというなら、少し体に負担がかかるとは思いますが...本当によろしいのですか?』
...そう。調子に乗りすぎて色々とお願いしてしまったせいで、割と依頼料が高くついてしまっていた。当然銀行からお金は下ろしてきたけども、もしそれで支払いをしてしまったらまた銀行に行かなきゃいけない。それどころか、お金がごっそり減ってしまって後々大変なことになりそうで怖い。それゆえに有り余っている血液にしているんだけども...
彼女がまたガラスの注射器を取り出した時、ふと思ったことを聞いてみた。
「...そういえば、なんで首とかにかぷーってしたりしないんですか?そっちの方が早そうなのに」
『...あー...それはですね...』
むう、と若干困った顔をして、まあいいですかとそう呟いてから話し始めてくれた。
曰く、元々は首にかじりついていたものの、やはり血を一気に座れるかもしれないと怖がっていた人がいたというのと、血液をその場で摂取することが自身の暴走に繋がりかねないということで、多少質が落ちる注射器で血を採取するようになったのだとか。
『本当は直接摂取が良いんですけどね...衛生的な問題もあるので、できないんです』
「そうなんですか...」
そう思っていた時、ふと頭に一つのお願いが思い浮かんだ。そう、実際に直接飲んでもらおう、と。恩返しがあまりできないというなら、こういう時にこそやらなきゃ。決して、この人に血を吸われたいとかそういうことは思っていない。決して。
『...え?いいんですか?かなり痛いと思いますけど...』
それでも一向に構わないと首を縦に振ると、彼女は若干困った顔をしてから...ふふ、と微笑んで近づいてきた。
『...ありがとうございます。それでは、ちょっと痛いので...暴れないでください、ね』
耳元でそう小さくささやかれ、体がピクリと反応してしまう。そして...首にとんとん、と歯を当てられて...ずぷりと歯が刺さる。それと同時に体から少しだけ力が抜けていくような感覚がし始めた。彼女は私の首に唇を当てて、ちゅーちゅーとかわいらしく吸っている。その表情はどこか赤みがかかっていて、それが余計に女の子らしさを見せている。
『...ん、ふ...んむ...』
先ほどまで大人のようだったというのに、今はまるで赤ちゃんのように血を吸っている。それが自分だけ知っている顔のようにも思えて、体が少しぞくぞくするのを感じた。私だけが知っている表情。そう思っていると、気分が少しずつ上がっていくのを感じる。それどころか、血が座れるのが気持ちよく感じるようにもなってきた。もっと、もっと吸ってほしい。危険な思考のはずなのに、欲望はそれを放してくれない。
「...もっと、大丈夫です」
『...ん、ん...』
やさしく彼女の身を抱きしめると、その細さに驚いてしまう。着太りというのだろうか、想像以上に彼女はスカスカで、抱きしめるとその細さがさらに良くわかる。しかし、肉がないかと言えばそうではなくて、そこにはしっかりと筋肉がついている。洗練された体。それが不思議で、うらやましくて。
気づけば、頭がふわふわしていることに気づいた。手の感覚も徐々に薄くなってきて、ああ、そろそろお休みの時間かな、とか思って。そのまま目を閉じると、不思議と意識が遠のいていって...
『...ん、あ、れ...!?だ、大丈夫ですか...!?えと、あ、あの!?大丈夫ですか!?』
先ほどまで見せなかった焦りの声。彼女の手がとても暖かくて、あー...これは...もしかして、血を吸われすぎて死にかけているのかもしれない。でも、それも本望...
『待ってください!?戻ってきて!戻ってきてくださーい!!!』