彰冬 扉がノックされ、俺は机から顔を上げてそちらを見やった。「はい」
俺の応答を待ってから扉が開く。立て付けが悪いのか、開閉のたびにキィと鋭い音が鳴るのを俺はずっと気になっていた。約一時間前、はじめてこの楽屋へ入った時は、その音に思わず耳を塞いでしまったほどだ。今回そうならずに済んだのは、慎重に扉が開かれたためだろう。その丁寧な作法に、てっきり来客は番組スタッフの方かと思ったが、中へ入ってきたのは私服風の衣装に着替えた相棒の彰人だった。
「——彰人か。スタッフの方が呼びに来て下さったのかと思った」
「うん? 移動にはまだ時間があるだろ?」
「…いや、なんでもない。こっちの話だ」
「そうか?」
彰人の衣装は上下とも黒色をベースとしたものだった。襟付きのジャケットについているチャックやポケットの部分にはシルバーのラインが入っていて、首周りのアクセサリーやピアスも統一性がある。明るい髪色と相まって暗い色でもまとまって見えた。
会話をしながら、彰人は俺の傍へやってきた。部屋の真ん中のテーブルと一脚しかない椅子を俺が使っているせいで、テーブルに手をついて立っている。彰人に悪いと思ってテーブルに広げた紙とペンを端に寄せて退こうしたが「気にすんなよ、続きしてろ」と先に言われてしまう。
「しかし、彰人はブーツだし足を痛めてしまうかもしれない…。それとも、スタッフの方にお願いして椅子をもう一脚用意してもらうか?」
「いや、ふたりで使う部屋に元々一脚しかなかったってことは、不要だと思われたんじゃねえのか? 椅子を借りるくらい我儘とは言わねえんだろうけど、もし嫌な顔でもされたら後々面倒だ。…まぁ、単に置き忘れだとか、別の部屋に移したまま戻し忘れとか、そういう理由も考えられるけどな」
「…そういうことだと思うようにしよう。——…では提案なんだが、彰人。俺と一緒に座わらないか?」
「…………は?」
会話をしながらふと浮かび上がった俺の提案に、彰人は「どういうことだ?」と怪訝そうな表情をする。膝の上にのることを想像させてしまったかもしれないと思って、俺は椅子に座ったまま半分スペースを空けた。「一緒に、とはこういうことなんだが…」パイプ椅子だからかなり狭いが、少しの間膝を曲げられるだけでも違うだろう。
「ダメだっただろうか…? 悪いが俺は少しやることがあるからテーブルを使いたい。けれど、彰人を立たせたり床に座らせるのも嫌なんだ」
俺の言い分を聞き終えると、彰人は首の後ろを擦りながら斜め上の宙を見やった。普段は髪を触ることが多いが、ヘアセットをしているためだろう。再び彰人に見返される。
「…わぁったよ。ったく、気にすんなっつってんのにお前は…」
提案を受け入れてくれた彰人は片眉を下げて笑っていた。俺の隣に腰を掛ける——といっても片脚ははみ出てしまっているし、肩や腕が当たってかなり密着していた。
(歌うときですらこんなに触れ合うことはないから、…なんだか緊張するな…)
「…ところで彰人。その衣装、すごくカッコイイな。黒が基調で大人っぽいと思う。番組側から用意してもらったものか?」
「ありがとな。この服は家から持ってきたんだよ。最近買ったやつだから、冬弥に見せるのも初めてだな」
「そうなのか! ふふ…とても似合っている。ファッション雑誌のモデルみたいだ」
「…それは褒めすぎだろ」
顔が近くにあるおかげで、照れている彰人の頬が赤くなる過程もわかった。まだまだ言い足りないくらいだが、しつこいと思われたら嫌だからこれ以上はやめておこう。
先に着替えた俺の衣装も彰人はたくさん褒めてくれた。といっても、俺の着ている衣装は彰人と一緒に買いに行って選んでもらったものだから、店で試着した時も褒め言葉は受け取っている。ファッションにこだわりのある彰人に「似合ってる」と言ってもらえるのは何度だって嬉しい。
「そういや、サインは決まったか? 色々書き出してるみてえだし、見てもいいか?」
「…あ、ああ…」
テーブルの上に広げている学校の授業用のノートを持ち上げて彰人に見せる。
見開きのそのページには、この後出演する歌番組に提出するサインの候補をいくつか書き出していた。けれど、彰人よりも先に着替えて考える時間を作っていたのだが、未だに納得のいくものが浮かび上がらず苦戦している。
彰人は俺が着替えている間にパッと決めたようで、参考用として左上に書き添えてくれた。アルファベットだが、ひと目で彰人のものだとわかる〝らしい〟ものは、俺では思いつきそうにないものだ。サインくらい事前に用意しておくべきだったんだと、何度目かわからない後悔に息をつく。
「オレはこの中から絞ってもいいと思うが…お前が浮かない顔してるんなら無理しなくていいだろ。今日のところは、この、最初に決めてた署名みたいなやつにしたらどうだ? 当日来て「サイン考えとけ」なんて急に言われちゃ仕方ねえよ」
「……そう、だな。案外最初に浮かび上がったものが良い、なんてこともあるからな。今日のところはそうするとしよう」
「お前らしいと思うぜ、オレは。オレと似たようなサインにするよりも、冬弥が考えたものの方がきっと良い。——まぁ、それが定着しちまって今後もそのサインのままでいくつもりだっていうなら、それなりの覚悟はいりそうだけどな」
俺と当たっている右腕を左手で摩った彰人がにっと笑った。署名のようなサインでは腕が疲れる、と言いたいのだろう。
「ふふ…そうだな。腱鞘炎になるくらい、大勢のファンにサインを描きたいな。俺達の歌をたくさんの人に聴いてもらおう」
「おう。……つかずっと気になってたんだけどよう、この真ん中の、オレと冬弥の名前を並べてるのはなんだ?」
会話がひと区切りつくと、彰人が新たな話題を振る。テーブルに置いたノートを指先でとん、とさされた。『あきと』『とうや』と俺たちの名前をひらがなで書いたものだ。
「サインを考えているあいだ、ふと、俺と彰人の名前がしりとりになっていることに気がついたんだ」
「しりとり?」
首を傾げた彰人にもわかるように、『あきと』と『とうや』の文字のあいだに矢印を引いて『と』の文字を丸で囲った。彰人がそれを見てやっと頷いてくれたものだから、子供っぽい思考だったなと少し恥ずかしくなる。
「ほんとだな。いつも呼んでんのに、全然気にしたことなかった」
「ああ。コンビ名みたいだから、遊びごとで使えそうだな」
「…いっとくが、チーム名は変えねえからな?」
「もちろんわかっている。BAD DOGS 以上のチーム名はないからな」
「それならいいけどよ。んじゃ——」
拳を差し出され、俺もそれにならって突き合わせた。これはステージに立つ前や本番前に必ずやる、俺達の気合い入れだ。
「今日もよろしくな、相棒!」