みのはる+あいしず「——ふぅ…。振りもだいぶ合ってきたわね。そろそろ休憩にしましょうか」
「そうだね! ぶっ通しでやってたから、そろそろ体力が…」
愛莉の掛け声に、みのりがへにゃへにゃって床に座り込む。首にタオルを巻いてるけど、練習着の襟周りはすごい汗をかいてた。
「ふふ。みのりちゃん、電池が切れちゃったみたいね。今朝も早くから自主練習をしていたから、疲れてしまうのも無理ないわ」
「次の新曲はみのりのフォーメーション移動が一番多いから、大変だよね」
「うん…。ありがとう、雫ちゃん、遥ちゃん…」
「こーら、みのり? なあに弱音吐いてんのよ。本番のステージの方が広いんだから、もっと体力つけなくっちゃ」
「は、はい〜…」
「あら…、でも、みのりちゃんがこんなにヘトヘトなのもなんだか珍しいわね。休憩も少し長めにした方がいいかしら?」
後ろの壁掛け時計を見ると、時刻は正午ぴったりだった。もうお昼の時間なんだ、って考えたらお腹が空いてきた。今日は各自でお昼を持って来てるし、キリもいいからお昼も兼ねた休憩にしてもよさそう。
「そうだね。もうお昼みたいだし、ご飯を食べて、再開は二時間後にしよっか」
「ええ」
「それもそうね。わたしもお腹がぺこぺこだわ」
「うん! ご飯を食べて、しっかり休もう!」
みんなでお昼を食べ終わると、雫は少し横になりたいって上の部屋に行って、愛莉は気分転換に外へ出た。
今のうちにメールを確認しようと思って、私は練習部屋の壁に寄り掛ってスマホを操作する。
扉が開く音がした。練習着を新しいものに着替えたみのりが、ペットボトルを片手に戻ってきたみたい。
「みのり。お疲れ」
「お疲れ、遥ちゃん! 今なにしてるの?」
「メールの確認だよ。今日は斎藤さんがお休みだから、目を通しておかないとって思って」
「遥ちゃん、休憩中なのにえらい…! 新しいお仕事とか来てたりする?」
「うん、何件か。中には私達四人での仕事もあるみたい」
「ほ、本当」
駆け寄ってきたみのりが私の隣で正座をする。その様子が可愛くて、思わず笑っちゃった。休憩中なんだからもっとゆっくりすればいいのに、こういうところはみのりらしいな。
隣から私のスマホを覗き込むみのりから、仄かにシャンプーの匂いが香った。右側の髪の結び目もさっきと違うような気がするから、シャワーを浴びたのかな。
「ホントだ〜! あ、わたしと遥ちゃんでラジオのゲスト出演の依頼もあるね! …って、このメール、わたしが読んでも大丈夫だった?」
「問題ないよ。オファーを受けるかは一度斎藤さんに確認してからになるけど、今日の練習が終わったら愛莉達にも伝えようと思ってたから」
他にも見てみる? ってスマホを渡すと、みのりが表情がよりぱっと明るくなった。みのりの笑顔にはすごく癒されるから、隣からこっそり盗み見る。
メールやコメントの通知を読んで、「やったやったー!」とか、「わぁ〜…!」って、その全部にリアクションをとる姿が可愛い。
「ふふっ…」
喉が渇いてきて、足元に置いたペットボトルを手探りする。
口に入れたそれは、スポーツ飲料の味がした。水を飲むつもりだったから、甘い味に驚く。今日は水しか持って来てないはずだけど、気のせいだったかな。
「は、遥ちゃん…!」
名前を呼ばれて先に目線だけを向けると、顔を赤くしたみのりの姿があった。私はペットボトルから口を離す。
「どうしたの? 急に大きい声を出して——」
ペットボトルの蓋を閉めた時、あれって思った。午前中に半分くらいまで飲んだはずなのに、量が増えてるから。
「…っ!」
もしかして、って思って辺りを見渡すと、右隣にもう一本ペットボトルが置いてあった。そういえば、さっきみのりもペットボトルを持って来てたから、私が飲んだのは——。
「ご、ごめん! これみのりのだった? 間違えて飲んじゃった…本当にごめん」
「う、ううん! むしろわたしも、大きい声出してごめんね! べ、別に嫌だったわけじゃなくて、む、むしろ、遥ちゃんがわたしのを…、って気づいた時に嫌かな〜…って思って…」
見たことないくらい顔を赤くするみのりが、顔の前で両手を振ったり、頬に手を添えて頭を振ったり、途端に慌ただしくなった。
「…?」
(なんだかみのり、照れてる…? どうしてみのりが照れるんだろう? 間違えたのは私なんだし、むしろ私が恥ずかしがる方だと思うんだけど…)
ASRUNの頃は、ステージ裏に用意された飲み物を、他の子と間違えて口をつけたことはあったけど、そんなのしょっちゅうあったし、誰も気にしていなかった。ロケの移動中なんて、それこそ、飲み回しだってよくしたし。
「わ、わわわわたしなんかが遥ちゃんと、その…、か、間接的な…、き、………をしてしまって、本当にごめんなさい…! れ、冷蔵庫から新しいものを取ってきます〜…」
「あっ、み、みのり…!」
立ち上がった瞬間に、走って出て行っちゃった。
——『遥ちゃんと、その…か、間接的な…き、キスをしてしまって』
困惑して頭が上手く回らないけど、みのりが言ったその台詞が何度も頭の中で繰り返される。その何度目かで、ようやく『間接キス』って言われたことに気づいた。
「……………えっ?」
喉の奥がドクドク鳴って、身体中が一気に熱くなる。みのりを追いかけないといけないのに、足に力が入らなかった。
みのりに何て言おう、って考え出した途端、脳裏に浮かぶのはさっきの赤面した表情。いつもなら、笑った顔や私を見て嬉しそうにする顔が浮かぶのに、今は違った。
「なに、これ……」
「ねえ、遥。さっきみのりが…——って、どうしたのよ? 具合でも悪い?」
愛莉が戻って来た。みのりの名前に肩が跳ねたのを自覚する。
「遥?」
体操座りで顔を伏せた私がなかなか返事をしないから、「ちょっと、大丈夫なの?」って愛莉が隣に座る。もし私が愛莉と同じ立場ならすごく心配すると思う。
「——ねえ、愛莉先輩」
顔を上げて愛莉を見た。服の袖に目元を押し当てていたから、部屋の明かりが眩しく感じる。
「…は? せ、先輩?」
「これは私の独り言なんだけど、その……間接キスをしちゃった時って、ドキドキするもの…?」
「なによ、急に。みのりとでもしたの?」
「……」
いや、これは私の聞き方がまずかった。いくらなんでも直球すぎたかも。
だって、誰かに相談したかった。相談っていうか、打ち明けるっていうか。
勘のいい愛莉なら——というか、さっきみのりの名前を出してたから、上ですれ違ったりしたのかな。
「アンタって、よく一人で背負い込んだり、隠し事だって隠し通しちゃうのに、色恋沙汰になるとダメなのね」
「色恋なんてしたことないし…」
「そう。初恋なのね」
「そういう愛莉は、雫と付き合ってるんでしょ?」
「……なっ」
両目を瞠った愛莉は、慌てた様子で周りをきょろきょろ見る。私以外に誰もいないのに。
「違った?」
「ま、まぁ…そうだけど…。って、何よアンタ、やり返したつもり」
「ふふ…」
愛莉と話すのは楽しい。きっと、愛莉が無意識に機転を利かせたり、相手を持ち上げてくれるからだ。
愛莉と雫が付き合っていることを、なんとなく察してた、みたいに言っちゃったけど、本当は、ふたりが手を繋いで寄り添っているところを何度か見たことがあった。さすがに愛莉や、ここにいない雫に悪いからそれは言わないけど。
「ごめん。付き合ってること、私とみのりには内緒だった?」
「いいえ。いつか言おうとは思ってたわ。でもその……タイミングがなかっただけ。きっとふたりや斎藤さんは祝福してくれるでしょうけど、気を遣わせちゃうと思ったのよ」
「あ〜…みのりはそうするかも。もちろんふたりのことを考えてだとは思うんだけど、すごく分かりやすく、ふたりきりにしてあげたりとか」
「ええ…そこまでさせたいわけじゃないのよ。自慢するために恋人になったわけじゃないもの」
「恋人…」
(付き合うってなんだろう…)
間接キスなんて当たり前で、好きな人同士が手を繋いだりするってこと?
私もみのりと——って、無意識に何かを想像しそうになって慌てて頭を振る。第一、これは好きな人同士じゃないといけないんだ。
真っ先に思い浮かぶってことは、私はみのりを好き、ってことなのかな。さっきのドキドキした感覚って、恋、だったのかな。
(私はみのりのことを、恋愛の意味で好き?)
自問自答したところで答えは出ない。だって、恋なんてしたことがないから。
「私…みのりとどうなりたいのかな」
「今焦ったところで、きっといい答えは出ないわよ」
「さすが恋愛マスター」
「…アンタねえ」
そろそろ休憩も終わる頃だし、ふたりが戻って来る。いい加減、気持ちを切り換えないと。
「恋を自覚して焦る気持ちは分かるけど、今は立ち止まってゆっくり考えた方がいいわよ。みのりへの気持ちを、改めて考え直すとかね。…わたしもそうだったから」
頬を掻いて困ったように笑う愛莉は、頭の中で何を浮かべてるんだろう。恋を自覚した過去の自分? それとも、雫?
「ごめん。恋愛マスター、なんておちょくったけど、愛莉も恋をしてる女の子なんだね」
「え? ま、まぁ…。って、アンタ、また一人で自己完結してるわね」
「してないよ。すごく参考になった。話、聞いてくれてありがとう」
「ならいいけど…。ぐるぐる考え込むのはほどほどにね。力になれるかは分からないけれど、話を聞くくらいならさせてちょうだい」
「うん。もしかしたら…そうさせてもらうかも」
本や映像でしか見たことがない〝恋〟。今はまだ曖昧で、不安定だけど、この想いがもしそうなら、はじめての予感にわくわくするかも。