杏こは(+彰冬要素あり) 今日は、朝からセカイでミクちゃん達に練習を見てもらった。まだ夕方前だけど、明日はイベントがあるから、WEEKEND GARAGEで諸々の最終確認をしたらそのまま解散しようってことになった。
「あっっっつ〜〜〜い もう夕方なのに、こっちはまだこんなに暑いの」
路地裏から出ると、セミの鳴き声と照りつけるような日差しが降り掛かってきて、思わず片目を瞑る。歩き進むたびに雨が降る前みたいな湿った空気が肌に纏って、なんだかそれが夏の知らせのように感じた。
「…お前、うるせえぞ。こんのクソ暑いのによくそんな声量が出るな」
「でも本当に暑いよね。私、もう汗が出てきちゃった」
「…俺もだ。セカイじゃここまで熱日なことはないから、気温差も激しいな。たしか、明日からはまた気温が上がるみたいだぞ」
「うげっ、まだ上がんのかよ…」
「こっちで練習するのもそろそろ辛くなりそうだよね。しばらくは屋内かセカイがいいな」
「だね〜……また暑くなるんなら、そろそろ日傘でも持ち歩こうかな」
「白石、いつも学校で持っている小型の扇風機はどうしたんだ?」
「学校のリュックに忘れた〜…」
「いや、持ち歩けよ」
「だってセカイで練習するなら涼しいからいらないと思って…」
暑いな、って言いながらがんばって両手で顔に風に送る杏ちゃんに、私は「あっ、」と思い出す。家の鍵と財布を入れてたショルダーバッグから、折りたたみの日傘を取り出した。
「杏ちゃん、日傘なら私持ってるよ! よかったら一緒に使わない?」
「本当 やったー! 入る入る! 彰人、冬弥、悪いね〜」
「うっぜ」
「あはは…ごめんね、ふたりとも。実はこれ雨具にもなるから、予備で持ってたんだ。みんなの分も持ってくればよかったな」
「いいんだ、気にしないでくれ。特に白石は限界そうだったからな」
「そうだよね…。杏ちゃん、私のヘアゴムで髪の毛縛る? ポニーテールとかにすれば、多少は涼しくなるんじゃないかな」
「え? でも、こはね…」
「私も一つ縛りにするから平気だよ。少しの間、傘を持ってもらっててもいいかな?」
「こ、こはね〜」
「…至れり尽くせりだな」
「っつーか介護だろ、あれ」
明日の事前確認をひと通り終えると、東雲くん達が立ち上がる。
「じゃ、オレらはそろそろ行くか」
「ああ。そうだな」
今日はふたりともトートバッグやナップザックを持って来てたけど、何かを取り出してるところは見なかったから、これからどこかに行くのかな。
「うん? ふたりとも、これからどこかに行くの?」
聞いてくれたのは杏ちゃんだった。空調の効いた室内でアイスティーを飲んだから、元気に元通りになってる。
「これからふたりで銭湯に行くんだ。その近くにかき氷屋さんがあって、彰人が気になっているようでな」
「銭湯…? あ、それでふたりとも荷物が多いんだね。もしかしてその中身は着替え?」
「おう。どうせ暑いだろうから風呂入ってさっぱりして、かき氷で涼もうってな」
「えー! なにそれ、いいな〜! 私もこはねと行きたい!」
「お前らと行っても風呂は別だからな。こっからバス使って行くんだよ」
「そっか。たしかに汗でべたべただから、お風呂はいいね」
「早く行かねえとどっちの店も閉まっちまうし、じゃあな」
「小豆沢、白石。また明日な」
「うん。お疲れさま」
「お疲れ〜」
(この辺りに銭湯があるなんて知らなかったな…。でもかき氷屋さんって、もしかしたらこの前クラスの子が美味しいって言ってたところかな? 場所はたしか——)
「杏、よかったらお前達に…——って、彰人と冬弥は帰ったのか?」
「あ、謙さん。飲み物、ありがとうございました」
隣に座る杏ちゃん側に来た謙さんに軽く会釈をする。ついさっきまで、よくカウンター席にいる常連のお客さんとお話し中だったけど、その人ももう帰っちゃったみたい。
「これからデートなんだって。どうしたの、父さん?」
「暑い日も練習を頑張るお前達に、試作中のかき氷を作ってやろうと思ってな。客足も落ち着いてきたし、まだ家に帰らないんなら食べて行くか?」
「かき氷 やったー! 食べる!」
「あいつらはまた今度にするとして、杏と嬢ちゃんは何にする?」
「私、ブルーハワイがいい!」
「私は…、えっと、いちごが食べたいです」
「ブルーハワイといちごな。嬢ちゃんのいちごには練乳をトッピングか?」
「あ、…い、いいんですか?」
「ふふん♪ こはね、言うか迷ってたでしょ?」
「う、うん…。謙さん、ありがとうございます」
「嬢ちゃんには、杏がいつも世話になってるからな」
「ね〜!」
「ふふっ。それにしても、私達もかき氷を食べれちゃうなんて、東雲くん達といっしょだね」
「たしかに!」
「あいつらはかき氷屋にでも行ったのか?」
「ううん。銭湯行って、かき氷食べるんだって。ちょっと離れたところ、って言ってたよ」
「…ああ、前に常連客が話していたところだな。近くに海もあるから、その辺りはデートスポットらしいぞ」
「へぇ…! たしかに、今から向かってお風呂に入って、ってしたら、帰りは夕暮れ時になりそうですもんね。夕日の浮かぶ海ってすごく素敵だろうなあ」
「な、なにそれ〜 っていうかあの感じ、冬弥はそのこと知らないよね 彰人のサプライズってこと」
「……」
杏ちゃんからの問いかけに、謙さんは咳払いをして余所を向く。握り拳を口元にあてて、宙を眺めてた。
「これは俺の独り言だが…。たしか、その話が出た時は、彰人が一人先に来ていた時だったような、」
「うわっ〜〜 そりゃあ私達に声掛けてくれないよ!」
「練習終わりにデートか…。羨ましいな」
「若いな、あいつらも」
「じゃあじゃあ、こはねも私とラブラブしようよ。そうだな…かき氷食べたら、私の部屋に行こ?」
「……えっ」
「こら、杏。親の前で口説くなよ」
「えー? いいじゃんべつに! 彰人達をダシに、っていうのはシャクだけど、私もこはねとラブラブしたいの〜!」
突然、横からぎゅっと抱きしめられて、それに驚いた私は「わあっ」て声を上げる。さっき私が貸したヘアゴムでポニーテールをしてるから、杏ちゃんの髪が頬を掠める感覚がなくて、少し違和感を覚えた。
「ら、ラブラブって…?」
横を向くと、杏ちゃんは私の肩に顔をのせてたみたいで、前髪が絡まるくらいの至近距離にまた驚く。ツヤツヤとした琥珀色の瞳に、私の影がかかってた。
「父さんの前で、言ってもいいの?」
「…っ」
後ろにいる謙さんに聞こえないように、杏ちゃんはナイショ話をするみたいに囁く。
その言葉の〝意味〟を理解するまで、数秒もかからなかった。自分の顔がじわじわと熱くなっていくのを感じる。
「か、かき氷…私達もまた今度に、してもらう?」
「うん。そうしよっか」