しほなみ セカイでの練習の休憩中。空き教室で志歩ちゃん、リンちゃん、メイコさんと、床に座っておしゃべりをしてると、教室の扉が開いた。
「リン! ここにいたんだな」
「レンくん?」
中に入ってきたのはレンくんだった。リンちゃんの名前を呼ぶけど、ちょうど背中を向けて座ってるリンちゃんは気がついてないみたいで、まだ会話をまわしてる。
「リン、レンが来たよ。リンに用があるみたいだけど」
隣に座る志歩ちゃんは状況を察したみたいで、リンちゃんの肩を叩いて教えてあげてる。レンくんはもう、すぐ後ろにまで近づいてきてた。
「リン! 返事しろって!」
「——わっ… って、レンじゃん! ちょっと何すんの あたしのカチューシャ引っ張らないでよ、…って、うわっ」
リンちゃんはレンくんを見上げようと振り返るところだったみたいだけど、バランスを崩しちゃって身体を横向きにしたまま転んじゃった。
「リン」
「リンちゃん」
転んじゃって頭をぶつけたそこを両手で抑えるところまでの一部始終が、わたしにはスローモーションのように映って見えた。そこまで音はひどくはなかったけど、その痛みを想像して顔を顰めちゃう。
「いったた…」
「だ、大丈夫かよ、リン」
「リンちゃん! ちょっと、見せてもらうよ」
わたしは膝立ちをして向かいのリンちゃんの元へ駆け寄った。教室の床は木材だけど、それでも頭を打ったからには心配になる。
しゃがんだレンくんの足の間にいるリンちゃんは、床に倒れたまま両目をぱちぱちさせていた。
「えっ だ、大丈夫だって、平気だよ、ほなっち〜! 本当にちょっとぶつけただけ! 悪いのは急に声を掛けてきたレンだもーん!」
「……」
床板に当たってるリンちゃんの頭を見る。少し赤くなってるけど、大事ではなさそうだったから安心した。これなら後でたんこぶにもならなそう。
「あー! レンは謝らないんだー?」
リンちゃんはレンくんに非があるって思ってるみたいで、ズボン越しの脚に指先でつんつんってつついてる。志歩ちゃんもメイコさんも、この状況を困ったような顔をして黙って見てた。
教室に来た時、レンくんは声を掛けていたけど、リンちゃんはそれに気づかなくて驚いちゃったんだよね。どっちが悪いってことはないけど、わたしが口を挟むのも違う。これはふたりの問題だから。
でも、きっと大丈夫だよね。だって、レンくんならきっと——。
「悪かったよ、リン。驚かせて。…それで穂波、リンは大丈夫そうか?」
「うん。傷もなさそうだよ。…ただ、頭だからちょっと心配だな」
「じゃあ今日は安静に、だね! 練習のあとの掃除はレンが代わってくれるよね?」
「…わかったよ」
「やったー! じゃあそれと〜」
「ま、まだやらせるのか」
「だってレンのせいだもーん!」
リンちゃんとレンくんはそのままおしゃべりをし始めちゃった。喧嘩にまではならないにしても、それに近い空気間もあったからドキッとしちゃったな。
「よかった…」
「少しヒヤヒヤしたね」
「うん。丸く収まってよかった」
レンくんが来たってことはそろそろ休憩も終わる頃なのかな。腕時計で時間を見ようと視線を落とした時——。
「——あっ! リ、リン…」
「?」
メイコさんが慌てた声でリンちゃんを呼んだ。なんだかハッとした様子だったから、わたしの方が反応しちゃた。
「メイコさん? 何か——」
「メイコさん、穂波。大丈夫」
「え?」
わたし達を止めたのは志歩ちゃんだった。突然、上着を脱ぎはじめて、脱いだそれをリンちゃんの膝の上に掛けた。
「志歩ちゃん?」
どうしてそんなことをするんだろう、ってまた疑問が増えたけど、今もおしゃべりをしてるリンちゃんとレンくんの様子にようやく合点する。
(あっ…。志歩ちゃん、もしかして…)
リンちゃんは今、脚は体操座りのように折りたたんで、上半身は後ろに倒してる状態。だけど、スカートを履いてるから、きっとそんな状態だとスカートがどんどん下がってきちゃって——。
多分、先にメイコさんがそれに気づいて、リンちゃんに伝えようとしてくれてたんだ。だけど、この場にはレンくんや、他にもわたし達がいる。早く伝えないといけないけど、みんなの前でそれを言っちゃうときっと恥ずかしい思いをさせちゃうから、メイコさんは少し言いづらそうにしてたんだ。
そして、それさえも見越した志歩ちゃんは、何も言わずに上着を掛けてリンちゃんを守ってあげた。間違いなく、今の場面で一番適切な判断。
「——ん? しほっち、あたしの膝に掛けたこの上着、どうしたの?」
「ちょっと肩に虫がいたから、脱いで追い払ったの」
「え? ……む、虫 キャー! あたし虫苦手〜〜」
「し、志歩ちゃん…」
「志歩…」
「苦手ってお前、虫見たことないだろ? だいたい、このセカイに虫なんているもんか」
「あ、あれ…? たしかに?」
「ふふっ。ごめん、リン」
「……あっ! しほっち、まさかあたしのことだましちゃった感じ」
「そうだね。リンの反応が面白いから」
「…も、もう、志歩ちゃん? 意地悪しちゃダメだよ」
「はいはい」
(志歩ちゃん、すごいな…。咄嗟のことなのに、誰も傷つかない嘘までついちゃった)
あまりにも自然な流れだったから、わたしはぽかんとしてただけで、何も言えなかったな。
「志歩、ありがとね」
立ち上がったリンちゃんとレンくんに続いたメイコさんは、志歩ちゃんに耳打ちをする。「べつに」ってだけ答えた志歩ちゃんに、わたしは自分の表情がほころぶのを自覚した。
「もう休憩終わるけど、一歌達、まだこっちに来てないよね? スタジオから飛んできたし、私、戻って様子を見てくるよ」
「そうだね…。そうしたらわたしも行くよ。たしか咲希ちゃんが——」
立ち上がった志歩ちゃんにならってわたしも、って思ったのに、「きゃっ…」足が痺れちゃってふらつく。
そのまま後ろへ尻もちをついちゃうかと思ったけど、それよりも先に志歩ちゃんがわたしの手を掴んでくれた。
「…っと、」
「ご、ごめんね、志歩ちゃん…!」
「ううん、私はべつに。でも、穂波が足が痺れて動けなくなる、なんて珍しいね。一歌や咲希はよくやるけど」
「あはは…。リンちゃんの容態を見てた時に片足を下敷きにしちゃってたから、そのせいかも」
「穂波はいつもスカートだから座り方が限られるよね。……って、なに笑ってるの?」
「…ううん。なんでもないよ」
「なんでもないって顔じゃないでしょ、それ」
志歩ちゃんの支えで立ち上がれたあとも、片眉を上げて怪しむようにわたしを見返してきてた。これじゃあ誤魔化しきれそうにないなって思ったから、正直に話すことにした。
「実は——さっきのリンちゃんのこともだけど、今のわたしのことも助けてくれて、志歩ちゃんってすごいなって思ってたの」
「…ん? すごいって、なにが?」
志歩ちゃんってば、全然ぴんと来てなさそう。眉間を寄せて首まで傾げちゃった。無自覚、なのかな。
「志歩ちゃんは優しくてかっこいいなってことだよ。スマートに人助けができるところが素敵だね」
「…もう、本当になんなの急に?」
「ふふっ。じゃあ、やっぱりなんでもない、かな」
「…え? 穂波ってばどうしたの? 気になるんだけど」
「なんでもありません♪」
「それもなに? ご機嫌じゃん」
「うん。ご機嫌かもね」
志歩ちゃんとこうやって軽口を交わすのもなんだか珍しい感じがする。
結局、志歩ちゃんはずっともやもやしちゃってたみたいで、セカイから帰るまでわたしに問いかけてきてた。
志歩ちゃんには悪いけど、あの時のことは、わたしだけの秘密にしちゃおっと。