同棲杏こは お風呂から上がってドライヤーで髪を乾かし終えると、杏ちゃんはリビングの網戸の前で片脚だけ崩した体操座りでスマホを触ってた。
「外、こんなに涼しかったんだね」
背後からの私の声に、杏ちゃんは顔を上げて振り返る。触ってたスマホの電源を落として、「おかえりー」って笑顔を向けてくれた。
「今日ずっと付けっぱにしちゃったけど、エアコンいらなかったね。風気持ちいい!」
「そうだね。台風が近づいてるみたいだから、来週はちょっとだけ涼しくなるみたいだよ」
「ほんと …でも台風か〜逸れてほしいね。さっきからちょっと頭痛いと思ってたけど、もしかしてそのせいかな」
「あ、杏ちゃんって時々頭が痛くなっちゃうんだっけ? お薬飲む?」
「うん…そうする〜。でもどうしよう、薬飲むのって食後じゃないと効かないって言うよね? そうめんくらいなら食べれるけど、あんまりお腹も空いてないなあ」
お腹を擦りながら考える杏ちゃんに、私は記憶を辿ってお夕飯でドレッシングを取り出す時に見た冷蔵庫の残り物を絞り出す。
「——あっ! 私の実家から送られてきたフルーツゼリーがまだ残ってるから、いっしょに食べない?」
「ああ! こはねのお母さん達からのお中元! あれすっごく美味しかったよね! 食べよ食べよっ」
「うん。ちょっと待っててね」
「ありがとう」
杏ちゃんと同棲をしてから、毎年夏にお互いの実家からお中元が届く。私の実家から届いたものは、冷蔵庫横の収納棚の上に置いてある。
冷蔵庫に入れてないから冷たくないけど、お夕飯を作ってくれた杏ちゃんもそれは知ってるはず。引き出しからスプーンを二本取り出した。
「そうだ、杏ちゃん。今朝お父さんから電話があったんだ。向こうもスイカが届いたみたいだよ」
戻るついでに、リビングの棚から救急箱を取ってそれも持って行った。お薬はこの中に入ってる。
「私もこはねのお母さんからメッセージ貰ったよ。でも、もうちょっと早く送ればよかったね。こはねのお母さんは『忙しいでしょうから、気にしないで』って言ってくれたけど…」
「本当に気にしてないと思うから、きっと大丈夫じゃないかな? うちのお父さんがスイカ好きなこと、杏ちゃんが覚えててくれて嬉しかったって言ってたし」
「本当 ならよかった〜」
杏ちゃんの隣に座って、私の膝の上で蓋を開ける。残りはみかん、さくらんぼのゼリーだった。果物が丸ごと入ってるから、おやつにちょうどいいサイズ感。冷やして食べた梨や桃の味もすごく美味しかった。
「残り四個だから、あと二回食べれるね。こはねのお母さん達、贈り物をくれるといつも偶数にしてくれるから嬉しいなあ」
「うん! 杏ちゃんといっしょに食べたよ、って伝えるとすごく嬉しそうにしてくれるよ。杏ちゃんもいつも電話とか、メッセージでお礼してくれてるみたいでありがとう」
「こっちこそ! 可愛い娘さんと毎日ラブラブで幸せですよ〜!」
「ふふっ、それお母さんに言ったの?」
「言ったよ! 『こはねのこと、末永くよろしくね』だって!」
「じゃあ私も、杏ちゃんのご両親に言わないとだね。謙さんとはまた次のイベントで会えるから、その時に伝えようかな」
杏ちゃんがみかんにしたいって言ったから、さくらんぼを残すことにした。毎回、何の味にしようかって話し合う時間も楽しい。杏ちゃんが言うには人気店のものみたいだから、お母さん達もいろいろ考えてこれにしてくれたんだろうな。
「——ん〜っ! みかんが濃厚! それに食べやすい!」
「うん! これもすっごく美味しいね。もう市販のゼリーだと物足りなくなっちゃいそうだな…」
「あはは、わかる〜。こはねのお家ほんとセンスいいよね! 去年の洋菓子も、一昨年のジャムも良かったし!」
「ふふっ、ありがとう」
楽しそうな杏ちゃんの言葉に、同棲してから今年でもう三回目の夏を過ごすんだなって思ったら感慨深くなった。
残り少ない今年の夏。ベランダから花火大会のお裾分けをもらって見て、お酒を飲みながらまだ暑いねって顔を見合わせて笑いたい。来年もその先も、そんな夏をふたりで過ごしたいな。
ふと、スプーンを持つ杏ちゃんの右手に視線がいった。シルバーのマグネットネイルをしてたけど、昨日サロンでオフしたらしい。ネイルをしてた時よりも短くなった爪に、今になって気づく。
きっとまたネイルをしたかっただろうに、多分、私のために外してくれた。その優しさに胸の辺りにあたたかさを覚える。大切にしてもらえてる実感は、もちろん杏ちゃんの言葉からもだけど、こういうさり気ないところからだったりもして。
——『こはね、こっちも触っていい?』
「…っ!」
一時間前くらいまで、その手が私に触れてくれてたんだって考えちゃって、緩みそうになる表情を堪えるために唇をぎゅっと結ぶ。
——今なら、いいかな…。
ひとりで勝手にドキドキしてたせいで、杏ちゃんが恋しくなってきちゃった。食べかけのカップにスプーンを入れて床に置く。杏ちゃんの肩に自分の頭をのせた。
ふふって笑ってくれた杏ちゃんが、右腕を上げて私の肩にまわす。伸びてきた右手が右側の横髪に触れた。
「…杏ちゃん、ショートヘア好き?」
私は去年の秋に髪を切ってショートヘアにした。フォットウエディングを撮るまで伸ばすって決めてたのと、ショートにしてみたいっていう単なる好奇心だったけど、美容室からの帰りに「似合うよ」ってたくさん言ってもらえたことずっと嬉しくて同じ長さをキープしてる。
——それに、短くしてからこうして髪を撫でてくれることも増えたような…。
「うーん…。ショートが好きって言うか…、こはねだから可愛いし綺麗だなって思う、かなあ。出会った頃のふたつ縛りも可愛かったけど、この間のデートはここを編み込みにしてて、それもよかったな〜。へへっ、結局私はこはねだったらなんでも可愛くて良い! って思うよ。あー…回答になってない、よね? ごめんね」
「う、ううん…! 私こそ、変なこと聞いちゃってごめん。私、杏ちゃんにずっと『可愛い』って思ってもらいたいから、頑張るね!」
「じゃあ私も毎日言う〜! こはねはずっとず〜っと、可愛いよ!」
目を細めて笑った杏ちゃんがほっぺにキスをしてくれた。
「お家デート、楽しかったな。たまはどこにも行かない日もいいね」
「だね〜、またしよっか。——ねえ、こはね。今夜は涼しいし、ここでお布団敷いて寝ない?」
「ふふっ、いいよ。なんだかお泊まり会みたいだね」
「ありがとう! じゃあお布団持ってくるね! えっと、この間みのりちゃんと遥が泊まりに来てくれた時に使ったから——」