余所者の処遇〈更新3〉ーーー
「………ん、…」
目覚めると、そこには見知った顔があった。
吐血さんだ。
「ああ、おはよう。ネシさん」
いつもよりも低く感じるその声に疑問を感じながら、差し出された水をゆっくりと受け取った。
「喉、渇いてるでしょ。1回それで潤しな」
言われたままに水を飲み、ぼーっとしている思考をゆっくりと働かせていく。
「…ネシさんの部屋はね、ちょうど何個か空き部屋があったから。そこにしようって話になったよ。…ポタキムさんとによさんが隣なのが申し訳ないんだけどね」
苦笑したように言う吐血さんに、俺は言った。
「別に…いいよ。アイツは…もうどうでもいい」
あれほど心底嫌っていた相手を、俺はどうでもいいと言った。
それは、今回の件があってこそだった。
「!……へえ…意外だな。てっきり嫌がるかと思ったのに…」
今まであれほど殺意を向けた相手は俺の人生上1人もいなかったが、殺意を向けられてもなお、俺のためを思って行動してくれた相手のことを、ずっと憎み続けるのは止めたのだ。
「…アイツが、俺に悪気があったワケじゃないのがよく分かったから…」
「……そう。なら良かった」
そう優しく頷く吐血さんの背中には、先程俺のことを寝かせたガイくん、足元には俺をアイツの所まで連れて行ってくれたデーモちゃんがいた。
「…勢揃いだね…」
「まあね。今回の件は、2人を出さないとダメだって思ったから」
…それほど、自分が状況を悪くしてしまったんだと理解する。
迷惑ばっかかけてるな、俺。
「………ごめん…」
俺が項垂れるように謝ると、吐血さんはそんな俺の背中を擦りながら否定した。
「ネシさんが謝ることじゃないよ。…今回の件は、私の甘さが招いたことだから。……それでネシさんを被害者にさせちゃったね…」
「…いや…俺が、何も言わなかったから仕方ないよ…」
「……ううん。ネシさんは悪くないよ。そもそも言いづらいでしょ。軍の一般兵たちが自分のことを敵視してるなんて」
………?
…俺の言葉を否定する吐血さんから、いつもする匂いとはまた違う、鼻に残るような鉄の臭いがする。
狼の嗅覚も失われている今の俺でも分かるくらいの。
「…!」
俺がそれに気付いたことを察したのか、吐血さんの後ろにいるガイくんが人差し指を口につけて『静かに』と言う。
どうやら…この臭いについては触れない方がいいようだ。
「とりあえず!ネシさんはしばらくゆっくりしてていいからね!…仕事をしたくなったら、私の執務室においで。書類仕事を手伝ってもらうからさ」
優しく笑う相手に、俺はコクリと頷いた。
「……分かった」
その言葉を最後に、俺は現実から目を背けた。
ーーー
あの事件から、俺の部屋は戦闘部隊の2人が両隣にいる部屋になった。
吐血さんが言うには、いい抑止力?らしい。
「…よし…」
新月の時期も過ぎて、月も少しずつ満ち始めた。
それに比例し、俺の調子も良くなっていった。
おかげで、書類仕事しかさせてもらえなかった仕事も、元々もらっていた戦闘部隊の仕事までさせてもらえるようになった。
「……蹴りも殴りも行ける…爪も余裕……後は牙…」
軽い準備運動をこなしている俺を、突然の水飛沫が襲った。
「うわっ!?!?」
咄嗟に顔を庇うと、前方から聞いた声が聞こえてくる。
「よっしゃ!!!ネシさん一本もーらいっ!!」
その声は、俺の同僚であり俺の先輩…ユ音さんだった。
よくよく見ると、相手の手には小さい子供が使うような水鉄砲…。
「………ユ音さん、」
俺がその悪戯っ子に一言言おうとすると、その相手の後ろから、誰かがよたよたと走ってくる。
「ちょっ!!ユ音さん!!やめて下さい!!それは失敗作なんですって!!」
我らがマッドサイエンティスト、疾風さんだ。
恐らく、疾風さんがいつも通りとんでもない物を作ろうとして、それでただの水鉄砲という失敗作が誕生。その失敗作をユ音さんが内なる好奇心と子供心が炸裂した形だろう。
そして、その被害者は俺というわけか。
「……俺が1番目?」
「1番目は疾風さんです!2番目にネシさん!流石に吐血さんみやさんあるだんさんにはかけられないので!!
じゃあ行ってきます!!!」
そこまで言うと、その水鉄砲を片手にローラースケートで華麗に走り出していくユ音さん。
そのユ音さんの先には某黄色い奴といろによさん。
「…」
大体の結末は見えたので、俺は
その場から駆け出した。
先を走っているユ音さんと疾風さんを即座に追い越し、某黄色い奴の両肩を全力で押さえつける。
「!?!…え、ネシっ!?!……え、え?何!?!」
ひたすらに困惑している相手をよそに、俺はその人の名前を呼んだ。
「ユ音さんっ!!!」
その声が届いたのか否か、その人は持ち前の身体で異常なジャンプを発揮し、笑いながら宙で的を定めた。
「はーいっ!!!」
そのまま宙から一直線に線を描いたそれは、見事に黄色い奴の顔面に当たり、俺はそれを確認してすぐに手を離して逃げ出した。
「wwwww、ばーか!!」
「ポタキムさんもーらいっ!!やりぃ!!」
一斉に逃げていく俺たちは、呆然とする疾風さんを引き摺ってその場から駆け出す。
少しでも早く逃げなければ、今すぐにでも、
「………ふざけんなよ…やったなぁ!?」
チーズが全方位に飛び散ってくるだろうから。
「ポタキムさん怒っちゃった!!ネシさん、コレヤバくないですか!?」
笑いながら俺に尋ねる相手に、俺は笑い返した。
「んなもん逃げるっきゃねーだろ!!」
それはまるで青春のような、
無くした幸せが今戻ってきているような、
そんな感覚だった。
言ってしまえば幸せ、言ってしまえば青春。
そんな、夢にも描けなかった毎日が、ここには当たり前のようにあった。
だから疑わなかった。
ーーー
最近は絶好調だ。
月も半月までは満ちてきて、もうそろそろで満月にもなる。
そうなれば俺の絶好調は絶対だな。
なんて、らしくもなく明るく考えてみる。
「……」
自分の鋭く尖った爪を見る。
何度切ってもすぐに生え治ってしまうこの手。
昔は自分を守るため、他者を容赦なく切り刻む手だった。
それが、今では仲間たちを守るための手へと昇華した。
「…俺でも、皆を守れる…」
その事実が、どことなく嬉しかった。
自分がやっと見つけた居場所を、自分の手で守れるなんて、誇らしいことこの上ないくらいには、嬉しいことだった。
「………ふふ、…ふはは!……」
心にじんわりと染み込むその暖かさを強く感じて、俺は目を閉じた。
最後の視界に見えたのは、半月のままの月だった。
ーーー