余所者の処遇〈更新4〉ーーー
今日も今日とて子供のような日々を満喫した。
まるで現実を見ないような、非日常のような今日を味わっていた。
はずだった。
あの薬さえ、被らされていなければ。
それは、ポッターとによさんの2人と話しながら帰路に着いている時だった。
いつも通りにによさんと一緒にポッターのことを煽って、けらけらと笑っていたんだ。
本当に、そんな時だったんだ。
ポーション型の薬を顔にかけられたのは。
「う“あっ!?!」
毒かもしれないとかかった液体を取り払おうとしたが、それよりも早く隣にいた2人がその犯人を押さえつけていた。
「ネシっ!!!大丈夫…?!」
俺に薬を被せた相手の顔に、反射で全力を込めた殴りを見せ、相手を投げ飛ばした輩が何かを言っている。
「とりあえずこっちは私の方で締め上げておくねー」
殴り飛ばされたそれを片手で抱えて、俺たちに表面上だけの笑顔を見せたいろによさん。
2人はそうやって俺のことを心配してくれた。
それなのに、
「…………」
「…ネシ……?」
何も答えない俺を見て、2人は焦燥感を駆られた様子で俺の顔を覗き込もうとする。
そんな2人に、俺は顔をゆっくりと上げて尋ねた。
「……ねえ、…今日って、満月だったっけ…?」
そう言い終えた俺の目に見えたのは、窓から見える夜空に浮かんだ丸い月。
…おかしい。
昨日は確かに半月だったのに。
それは覚えてる。
待って。…なんで?
どういうこと…?
「…は?……満月って…どう見ても半月じゃん!!ネシ、どうしたの?!大丈夫!?」
「そ、そうだよ。…今日は満月なんかじゃないよ…?」
俺の質問に呆然とした様子だった2人は、我に帰った瞬間にそれを真っ向に否定した。
…2人からは、アレは半月に見えているらしい。
…ということは、
「………目が、おかしい……!!」
恐らく先程の薬のせいだろう。
その薬の影響で気が動揺していたのもあってか、俺は自分の目をそのまま触ろうとした。
その鋭い爪のある手で。
「「!?!?」」
2人はそれに酷く驚き、そんな俺を止めようと押さえ込んだ。
「何してんの、ネシ!!!やめろっ!!」
「ネッシー!!そんなことしないでも治るよ!ねえ、大丈夫だからっ!」
2人の声色がかなり震えていることが察せる。
2人も動揺しているのだろう。
突然の俺の奇行に。
「うわっ……、あ…」
2人に押さえ込まれたことにより、俺はこの場で1番見てはいけないものを見てしまった。
夜空に浮かんで、明るく光る夜の太陽。
…丸い月。
それが、何故か爛々と俺の目を惹きつかせる。
いつもよりも大きく見え、かつまるで自分を見ろというような異質な存在感。
…俺は、自他共に認める狼人間だ。
そんな俺が、それを見てどうなるかなんて百も承知だろう。
俺みたいに中途半端な狼人間は、それを見て、人間の理性を失い獣に堕ちる。
…?…狭苦しい…。
「邪魔?…じゃまだな」
いますぐにでも、あの月の光をこの身に浴びたい。
パリンッ!!!
ガラスの砕け散った音だけが響き、そこには黄色い血のようなものと、廊下に並んだ2つの体があった。
ーーー
みやさんと談笑していれば突然執務室の扉が荒く開き、かなり疲労したような表情でユ音さんが私に状況を報告した。
それを聞いて、居ても立っても居られず、医務室に走ることしか出来なかった。
「ポタキムさんとによさんはどうしたの!?」
医務室に着くと、そこには今も僅かに息をしているポタキムさんとによさんがそれぞれのベッドに横たわっている姿があった。
その近くであるだんさんと疾風さん、私の後ろで私を追いかけてきたみやさんとユ音さんがいる。
「…ネシさんに攻撃されて、戦闘不能…らしいです……」
あるだんさんが重たい口調で答えるそれは、絶望感を肥大させるだけの言葉でしかなくて。
「……なんで…おかしい、ネシさんはそんなことしない…」
つい1時間前まで平和だったはずの時間はあっという間に過ぎ去り、あの子が積み上げた日常が一瞬で塵となった。
それだけをこの一瞬で深く感じ取った。
でもどうして。
あの子はそんな…。
「………吐血さん、いろによさんから『ネッシー、薬を被された。そしたら満月が見えるって。半月なのに』って…傷が酷くてそんなことしか聞けなかったんですが…」
始終暗い顔をしているあるだんさんが告げたその言葉に、少し考える。
薬…半月なのに満月が見える…、
「…………狼人間のネシさんに、半月が満月に見える幻覚を見せたのか…!!それで強制的に暴走させた…」
そう考えれば納得がいく。
…あの時“しっかりと説明した”連中が、またこんなことをするなんて…。
それもその薬の作り手は、恐らく研究部隊の1人。
…また、私の大事な子の失脚を狙おうとしたのか……。
「…」
ぐつぐつと煮えたぎる怒りを抑えて、負傷した2人の手当てをする疾風さんに尋ねる。
「…疾風さん、…2人の状態は?」
「うーん…恐らく1時間、いや半日は動けないんじゃないでしょうか!
それもポタキムさんの状態が酷いです!いつもはすぐに起き上がるんですが、今回は再生が全然追いついてませんね。
いろによさんもですねえ…酷いです!」
普段と変わらないこの呑気さが、今は平常心を保つための枷になってくれるのだから有難い。
「…2人の再生力が追いつかないくらいに、攻撃を喰らったってことか…」
それも戦闘部隊の中でも主戦力のこの2人を。
…これは、手段を選んでいる間じゃない。
「…ガイくん、目を貸してね」
まさかとは思いつつ、施設外に行ったであろうネシさんを探しに行かせたガイくんの目を通して、ガイくんが見ている景色を見る。
「…あははっ!!!…もーっらい!!」
そこには無邪気に一般兵たちにその鋭い爪を向ける半狼の姿があった。
一般兵があと少しでそれを食らうといったところで、ガイくんがそれを庇い、相手を思い切り戦闘部隊の訓練場へと投げ飛ばした。
「…ありがとうガイくん、ごめんだけどもう少し頑張って」
視界を共有するのをやめて、目の前の相手を見る。
「あるだんさん、行ってくれるよね」
そう言われて目を見開く相手。
戸惑いはあっただろう。
しかし、それでも覚悟を決めてくれたらしい。
「…勿論、」
腹を決め、笑って承諾してくれるその姿が頼もしい。
それに後押しされ、情に支配されることなく、冷静に命令を下すことが出来た。
「……ありがとう。
…幹部総員、ただいまより暴走状態に陥った幹部ネシの鎮圧を決行する。
全員、配置につくように」
その言葉に、その場にいた全員が渋い顔をした。
相手はあの子なのだ。
つい数時間前まで楽しそうに笑っていた、あの子が。
今の私たちのとって、最大の敵なのだ。
ーーー
「……チッ、…じゃますんなっての。…誰だっけ?」
突然投げ飛ばされたことで地面へと着地するが、周りには目の前の相手以外には誰もいない。
…隔離されたようだ。
「…」
目の前の相手が誰だったかも思い出せず首を傾げて尋ねたが、相手は答える気すらなさそうだ。
白髪に黒目、瞳孔は赤。羊のような角に何の動物か分からない伏せ耳。
…一体、誰だったか。
「口ないの?答えられない?はは。まあいっか。羊くんね、おまえ」
ターゲットを相手に変えて、相手の横を通り過ぎるように喉元を狙う。
「…あー、おまえもコッチ側かあ」
喉元を狙ったというのに、相手の首からは黒い血液しか出なく、この手に致命傷を負わせた感覚がない。
相手もただの人間じゃない。
それだけのことだろう。
でもどうでもいい。
「…はは、」
月が俺の味方をしてくれている。
それだけで十分、俺は強い。
「跡形もなく切り刻んだらさー、おまえもあの…誰だっけ。黄色い髪のとさ、白い髪に角がある……誰、だったけ」
脳裏にぼんやりと浮かぶのは、その2人が自分に笑いかけている姿。
でも自分を邪魔しようとした。
だから殺した。
跡形もなく動けなくなるようにして。
「…まだ息してるのかなあ…あの2人、…誰だったか思い出せないけど」
俺がそう言うと、相手は顔を顰めた。
?
なぜだろう。
「それはポタキムさんといろによさんですよ。ネシさん」
脳裏に浮かぶ知らない存在に気を取られている間に、後ろを取られたらしい。
…いや、本当にそうか?
今まで気配はしなかったような…。
「…誰?おまえ」
特に気にもせず相手の首目掛けて手を下ろすが、当たらない。
避けられたというよりも、先ほどここにいた存在がここにいない。
「…あるだんです。貴方の同僚で、こうやって名乗るのは2回目ですよ」
鋭いけれどもどこか暖かい、そんな目で見つめられて記憶の中にいる影のかかった相手の顔が浮かび上がる。
「……そうだっけ?…てか、ネシって……」
………灰色のような黒髪に、空のような目。
その目で俺を見つめる…?
『…ネシ、』
…誰だっけ?
なんだか懐かしいような、…というよりもネシという名前は自分のことなのかと今更理解する。
「…俺がネシかあ……あははぁ、そっか。…で、おまえが同僚なわけ?」
「はい。…貴方から見た私が味方なのかは分かりませんが」
淡々と答える相手は、自身のことを俺の味方だと言う。
しかし、俺から見たらただの敵だ。
「はは、味方なワケないじゃん。だっておまえも、俺のことを邪魔しようとしてるんだろ?」
俺のことを邪魔する奴は全員敵。
だって俺に味方なんていない。
誰も信用なんてしない。
相手は俺の敵、だから殺す。
「どうせおまえ、コッチ側っていうよりもただの人間寄りだろぉ?あはは!だったら弱いじゃん!おまえなんかが俺に勝てるの?」
月を背にそう言う。
月の光は今も俺にその活力を注ぎ、俺を強くしてくれる。
俺にとって、かけがえのない唯一の味方だ。
「…何か誤解しているようですが…」
それでも相手は不敵に笑って、俺に強気な表情を見せる。
「月の恩恵を受けるのは貴方だけじゃないんですよ。ネシさん。」
そう言った途端、相手はその場の影という影から刃物のような無数の影の刃を俺へと向けた。
…ああ、なるほど。
コイツは影を扱うわけか。
月の光によってコイツの力である影が生まれるなら…月を味方に出来るのは、確かに俺だけじゃないな。
これは………
「楽しそうだなぁ…!!!」
相手から向けられた影の刃を次々に避け、それと同時に相手の方へと近付く。
そんな俺に合わせて相手に近付く度に影の数も増え、段々と避けることが難しくなる。
それでも楽しいことには変わりなかった。
「なんだっけ、あるだんだっけ?」
「はい、あるだんですよ。ネシさん」
再度確認して相手の名前を覚える。
あるだん…確かにどこか聞いた名前だ。
俺はそれをどこで聞いたんだっけか…。
「俺の名前はネシでいいんだよなぁ?」
この質問に、相手は不思議にも何とも言えない顔をした。
口を少し強く結んで、言い留まるようなそんな反応。
…これは使えるかもな。
「…はい、貴方はネシという名前で、…私たちの大事な仲間です」
返された言葉に笑い出しそうだった。
大事な仲間…ねぇ……。
「じゃあ俺の邪魔すんなよ、仲間ならよぉ!!」
そのまま相手に爪を突き立てる。
相手はそれを避け、俺の前から姿を消した。
…というよりも、“影の中に入った”な?
「……」
俺はその場に立ち止まり、全身の感覚を研ぎ澄ませた。
「…スンッ……」
耳よりも先に鼻の方が反応した。
そこか。
「…っ!!」
影から姿を現した相手に向かって即座に蹴りをかます。
足にしっかりと蹴った感覚があるが、相手の姿をまた見失った。
…また影に入ったか…。
身体能力はこちらが上なのは確かだ、なら隙を突いてやればいい。
「………なあ、出て来いよ……あるだん…さんか?」
相手は俺のことをずっとさん付けで呼んでいた。
つまりそういう間柄だったのだろう。
お互いさん付けし合う程度の関係。
少し探りをかけてみるか。
「……ねえ、俺って今まで何してたの?君とも仲が良かったんだよね…?ごめん、思い出せないんだ。……あれ…俺、…なんでこんなに手が汚れて…?」
わざとらしく声を震わせて演技をしてみる。
案外、こういうのは効くんだよなぁ…情に弱い奴には特に。
相手の動向を伺いながら、身体を揺らし顔を両手で隠していく。そうすれば相手に顔は見えないし、それじゃ表情も確認出来るわけがない。
さあ…コイツはどうす、るか
「…!?!」
指の隙間から相手のことをチラリと覗いて見ると、相手は無表情とも言えない表情をしながらじっと至近距離でこちらを見ていた。
…目が合っている……つまり…嘘だとバレている…!
相手の予想外の行動に驚く俺を眺めながら、特に声色を変えることなく呟く。
「…ネシさんって、そうやって嘘を吐くんですね。…やっと嘘を吐いてもらえたと喜んでもいいものか」
意味の分からないことを言う相手にヤケクソで爪を突き立てる。
相手はそれを影の中に入ることで避け、そのまま少し離れた場所に姿を現した。
「…、……マジで意味分かんねえ…!!…な、何…!?」
流石の俺でも相手の先ほどの行動が理解できず狼狽えた。
「……でも良かったです。私、いつものネシさんにこんなことしたくないですもん」
クスッと笑う相手を皮切りに、俺の足が影の中に引き摺り込まれる。
「!?!?!」
どうにか足を引き摺り出そうとするが、どんどん吸い込まれそうになる。
しまった…!
「…吐血さんも酷いですよね。最初に私を出向かせたのは、私が貴方と同じくらいに夜は戦えるからっていうのと……私だったらネシさんのペースを崩せるからなんて…ふふ、よく人のことを見てますよね」
足が引き摺り込まれていくことに気を取られ、気付けば相手と一緒に影の空間に閉じ込められていた。
これでは月の光すら届かない。
それは相手も同じはずだが…。
「………」
相手を目の前に捉えつつ、辺りを見渡すがここから抜け出させそうな隙間などはない。
この空間では相手の影の刃など全身に食らう羽目になるし、相手は俺からの攻撃を全て避けることが出来るだろう。
…完全にこちらに不利だ。
「…お互いに卑怯じゃねえか……」
「そうですね、卑怯です。これでネシさんを捕まえることは出来るし、もしネシさんが私を倒せたとしても外には他の皆さんによる追撃が待ってるでしょうね」
………折角の満月が台無しだな。
朝起きたら方網されていることだろうが…ここで諦めるなんて御免だ。
「…ハッ…じゃあやることが決まったな。満月が終わる前におまえたち全員殺せばいい」
つまりはそういうことだ。
時間はかかるだろうが…既に目の前の相手と同等、もしくはそれ以上の2人を先にやっていて良かった。
残り何人いるかは知らないが、全員の名前を覚えそれぞれが親しい間柄なら、大して数も多くないだろう。
「………残念です。諦めてくれたら、……帰って来てくれた貴方がこれ以上傷つくことはなかったのに」
どこか悲しそうに笑う相手。
相手が何故そんな顔をするなんて分かりもしないが、敢えてそれを嘲笑うように言ってやる。
「おまえの知ってる俺なんて知らねえよ。今ここにいる俺だけが俺なんだ。それ以外の俺のことなんて考えるだけ無駄だ」
「…そうですか。…私たちと……いや、せめて……吐血さんのことは憶えてませんか」
吐血…知らないな。
何も思い出せない。
唯一思い出せるのは…
『待ってよネシ!』
そう言って笑う優しい………誰だ。
おまえがその吐血って奴なのか…?
いや違う。だって俺の知ってる兄貴、は………兄貴……?
俺に兄貴なんているのか…?!
一体誰なんだおまえは!?!?
「…ネシさん…?」
俺は無意識に頭を抱えていたらしい。
だってこんなにも頭に知らない情報が回っているんだ。
そりゃそうなる。
「……?…ネシさん、もしかして…思い出せ、」
そう言いかけた相手の胸元に赤が散る。
「っ、!?ねしさ、」
…もうどうでもいい。
「……殺してやる、おまえら全員」
目の前の相手が倒れたことで、つい先ほどまで閉じ込められていた影の空間がゆっくりと消えていく。
頭に回るこの情報全てが不快だ。
俺にとって邪魔なものは全て消す。
それこそが俺だろう。
「…数人いるな……」
あの空間のせいで感じ取れなかった周りの気配を確認し、自分を包囲する者が数名いることが分かった。
だが…満ちた月の光を浴びれば、その事実すらもどうでも良かった。
「………調子も戻って来たな」
…さて、
「残りの奴らも殺さないと」
この夜を思う存分楽しむことにしよう。