結婚したい凛と潔のはなし潔と結婚することにした。
弟がぽつりと言う。
高校の卒業証書の『卒業』の文字を撫でながら、たった今高校生活を終えて帰宅してきた弟……凛は、吐息を溢すようにそう呟いた。
「そうか」
ダイニングテーブルに飲んでいた茶を置いて、斜めに座った凛を眺める。
二人の関係は友人と言うには近く、しかし恋人というには遠いように見えた。
確かにずっとそばで二人を見てきたわけではない。自分にも与えられた役割があり、日本に帰国することも年に一度、あるかないかだ。
まさかそれほどまでに深く、静かに愛を育んでいたというのか。
しかしあのブルーロックが認める最良のパートナーと言われれば、なるほどと納得せざるをえない。
生まれは半年ぽっちの差とはいえ、潔と凛は学年がひとつ違う。潔は昨年高校を卒業後、海外とのプロ契約が出来る十八歳になるのと同時に、ひと足先に欧州へと渡った。ブルーロックでもその実力を遺憾なく発揮したドイツのチーム、バスタード・ミュンヘンで現在活躍している。
凛も来月には同じくブルーロックでその身を置いていたフランスのチーム、P.X.Gへと合流する手筈だ。
潔と凛が結婚。
結婚。
ケッコン……。
「おまえたち、まだ18だろ?早すぎねーか?」
思わずそうかと言ってしまったが、ケッコンの言葉を咀嚼し飲み込む前に、脳内で待ったがかかる。
サッカー選手に限らず、スポーツ選手は若い頃から経済的に自立することにより、早く結婚する者もいるにはいる。この国では同性婚も可能だし、男同士の結婚がどうということはない。年齢も成人を迎え、クリアしている。
「結婚したところで生活はほとんど別だろ。サッカー馬鹿のおまえらが他人に目移りすることはありえねぇだろうが、寂しがりなおまえが結婚初期から別居とか耐えられるのか?」
「殺すぞクソ兄貴」
事実を述べただけなのに、鋭い眼差しが飛んでくる。
「反対しても無駄だ。もう決めた」
「反対なんぞしてねぇ。むしろおまえは潔に手綱握られてた方が俺も兄として安心だ」
「チッ……」
極力人と関わらず、破壊衝動のままにプレーする凛の理解者はおそらく稀だ。その一人が家族以外で、しかも相思相愛だというのであれば、それはもはや天文学的な確率だ。糸師家としても潔世一を手放したくはない。
「……別に、思い付きで言ったわけじゃねぇよ」
盛大な舌打ちのあとに、はぁ、と溜息を吐いて、静かに吐き出される言葉。
無言で続きを促す。
「……家族にならないと、俺はただの部外者だ」
その言葉で、合点がいった。
半年ほど前、ブンデスリーガの前期が始まって間もない頃、シーズン開始からスタメン出場していた潔の姿が忽然と消えた。
試合中継に潔の姿が出ることはなく、ニュースにも出ない。
凛も初めはただのスタメン落ちと考えていた。メッセージアプリに「ぬりぃことしてんじゃねぇ」と打つも、既読にならない。多忙な時期はメッセージの見落としもお互いによくあることで、忙しくしているのだろうと高を括っていた。それがいけなかった。
遠いドイツの地で、潔は交通事故に巻き込まれていたのだ。
凛がそのことを知ったのは、潔が事故に遭ってから一週間も経ってからだった。
事故により潔のスマートフォンが破損し、凛への連絡が蜂楽経由で来たのだ。
『凛ちゃん久しぶり。潔が事故にあってスマホ壊れたから、新しい連絡先送るね』
潔が事故。
その文字にひゅ、と呼吸が止まった気がした。
指先が震えて、嫌な汗が全身を包む。
事故?事故ってなんだ?
いつ?どこで?
だから試合に出られなかった?
怪我の程度は、回復するまでどのくらいかかる、それよりあいつの選手生命は───!?
『潔はげんきだよ~』
ぐるぐると脳内を巡った最悪の想像。そのあとに送られてきた、おそらく病院のベッドに座ってピースサインしている潔と蜂楽の写真で、思いっきり脱力したし、激しい怒りも沸いた。
「クッッッッソ!!!!」
その後潔との間でひと悶着あったことは割愛するが、蜂楽の連絡がなければ、凛はさらに長い期間なにも知らずに過ごしていただろう。
ニュースにその情報が流れなかったのも、なんらかの操作があったと見えるし、潔は打撲程度の怪我だったので、一か月後には元気にピッチを走り回っていた。
しかし、もしそれが命を喪うようなものであったなら……?
「俺は潔の恋人だけど、『家族』じゃない」
ただの恋人では、だめなのだ。
何かあったときに、真っ先に連絡が来るのは伴侶や家族だ。恋人など、ましてや離れて暮らす者であれば後回しにされる。そんなことは許せない。
何事も、潔の一番で在りたいと凛は思ってしまったのだ。
「まぁ、潔が承知してるならいいんじゃねぇのか」
椅子から立ち上がり、湯呑を洗って、上着を手にした。
「行くぞ」
「は?どこに……」
そんなの決まってる。婚姻届をもらいにだ。
<終>