旅するまれりちゃん(約束編)戦争が終わった時、リーは地上に、マーレイは空中庭園にいた。
ついに終わったのだと歓声を上げる者、その場で泣き崩れる者、茫然とする者、あらゆる形の喜びの渦の中、レイヴン隊はただ黙って熱い抱擁を交わしていた。
それを中断したのはリーの通信端末の着信だった。
構造体にしか感知できないシグナルで報せるそれをどうすべきかと戸惑っていると、リーフが涙を拭いながら「きっとマーレイさんです、出てあげてください」とほほ笑んで促した。
指揮官と目が合うと、柔らかい表情でただ黙って頷いた。
リーは少し離れがたい気がしたが、「ありがとうございます」と言うと、数歩離れて通信を繋いだ。
「…あ、繋がった!兄さん、大丈夫?問題はない?」
「ああ。マーレイは大丈夫なのか?遠隔リンクの影響は?」
「うん、大丈夫。やっと…終わったね」
「そうだな」
長かったようにも思えるし、マーレイはこどもから大人になってしまったという事実もある。
しかし、絶望的だと思われた局面からの怒涛の反撃による急展開での幕引きのためか、短かったようにも思えた。
リーがうまく言葉にできないでいると、マーレイとリーの双方の端末に通知が届いた。
3分後に公開チャンネルで議長のブロードキャストによる終戦宣言が行われる。
「…兄さん、早く会いたいよ。すぐに帰ってきてね」
「わかった」
通信を切ると、会話中の指揮官とリーフの元に戻った。
ちょうどルシアも誰かとの通信を終了して戻ってきた。
失ったものは多かったけれど、これで、やっとパニシングに怯えることのない生活が始まる。
リーが空中庭園に帰還し輸送機のドッグに降りると、厚い強化ガラスの向こうの送迎ロビーからマーレイが手を振っているのが見えた。
早く触れたいと言うように、マーレイはガラスに両の手のひらをぺたりとくっつける。
手のひらを合わせるようにリーもガラスに触れた。
マーレイの手はリーよりも大きく、それは大人の手だった。
目線を上げ、自分よりいくぶんか高い位置にある視線と合って、ふと思い出す。
人間として最後に話した時も、透明な壁に阻まれていた。
マーレイも同じことを考えていたのか、すこし困ったような笑顔を見せた。
彼は、約束を覚えているだろうか。
なあ、兄ちゃんは約束を守ったよ。
もう使われることはないであろう除染室を通過してドアを開けると、既にマーレイが待ち構えていた。
今にも抱きついてきそうな勢いだったが、マーレイはそれをしなかった。我慢した。
それはリーが地上から持ち帰った物資や資料が入った大きなコンテナを抱えていたからであって、人目を憚ってのことではない。
それからマーレイはずっとリーの側を離れなかった。
リーフが「マーレイさんは鳥の雛みたいで可愛いですね」とにこやかに笑っていた。
それから数日後の夜
リーは自室のソファに座って、一人考え事をしていた。
戦争中は常に時間に追われていた。
進化していくパ二シングに早急に対処しなければならなかったから、
睡眠を必要としない体をもってしても時間が過ぎるのがあっという間だった。
しかし、今は時間を持て余している。
リーのベッドを占領してすやすやと眠っているマーレイの方に目を向ける。
レイヴン隊をはじめ、多くの隊が情報整理と報告、療養のために空中庭園に滞在している。
マーレイも同様の目的で空中庭園に滞在している…が、業務を行う以外の時間は常にリーのところにいて、
21号に「指揮官、兄さんにとられた…いつもケルベロスの部屋にいない」とクレームを入れられてしまった。
思い出して、笑みがこぼれる。
こでまでに心身ともに成長したと驚かされたことが何度もあったが、ここ数日のマーレイはまるで一緒に暮らしていた時のようだ。
マーレイはこれからどうしたいのだろう。
復興に向けての体制を検討しているとの発表が世界政府から出され、
そこかしこで軍や構造体はどうなっていくのかという噂話が流れ始めた。
できることなら、マーレイと一緒に地上に行きたいのだけれど。
戦闘がなくなり、意識海が揺らぐことも少ないと思われる中で、
これまでのように指揮官と3名以下の構造体の構成で動くことは無いのかもしれない。
そもそも、人間と構造体では活動していく場所も、内容も異なってくるのかもしれない。
…考えても答えが出ることではない、やめよう。
マーレイを起こさないようにそっとベッドにもぐりこんで、
朝までずっと優しい表情で弟の寝顔を見守っていた。
リーの予想に反して、復興に向けての体制としても軍は存続し、既存の隊をベースに活動することになった。
特化機体のような特殊な能力は制限が加えられること、武器は段階的に回収されることなども合わせて通達された。
退役を希望する者は人間・構造体いずれであっても、これまでの功績を称えつつ見送ることも。
レイヴン隊の指揮官は隊員にこのことを伝えた後、真摯に一人ずつと話をした。
「リーは、どうしたいか決まってる?」
「僕は…」
考える時間はたくさんあったはずなのに、答えは決まっていなかった。
始まりはマーレイのため、マーレイとの約束のためだった。
今は、マーレイがどうしたいか、次第だろうか?
リーがそうであったように、マーレイもまたリーとの約束に縛られていた。
リーと一緒にいる限り、マーレイは自由になれないのではないだろうか。
「私はレイヴン隊の指揮官を続けるよ。みんなが去ったとしても。
リーがどうしたいか決まるまでとりあえず残るのはどう?」
リーの葛藤を見透かしたように、指揮官が提案した。
「ありがとうございます」
小さく答えると、手を握ってブンブンと強めの握手をされた後、
「やあ~リーの演算は復興作業でも大活躍してくれそうだから!!助かる!!」と大げさに宣った。
きっと、これでいい。
マーレイにとって、これがいい。
居場所が決まった安堵感で昨日までよりも軽い気持ちで自室に戻ると、
かなり機嫌の悪いマーレイに迎えられた。
「兄さん、軍に残ることにしたんだって?」
機嫌が悪いどころではない、責めているような、棘のあるような声色だった。
「ああ、当面の間はと思って…それより、何かあったのか?すごく…」
すごく、怒っている。
言い淀むと、マーレイは大げさにため息をついた。
「戦争は終わったんだよ?兄さんは軍に残って何をしたいの?それって僕と一緒にいることより大切なの?」
思いもよらぬ言葉にリーが驚いて固まっていると、
マーレイは深呼吸した後、先ほどのような棘はないが、凛としたしっかりした口調で訂正した。
「…ごめん、忘れて。
僕は、軍を離れる。兄さんも一緒に来てほしい」
もちろん、行きたいに決まっている。
でも、どうしても、自分の存在はマーレイを一般的な人生から遠ざけてしまうような気がする。
マーレイの未来が、自分の選択により変わってしまうかもしれない。
「兄さんは、軍に残りたい?」
答えられずにいるリーの手を取り、今度は優しく問うマーレイは根っからの交渉上手なんだなと思う。
本音が引きずりだされ、言ってはいけない言葉が零れ落ちた。
「マーレイと、一緒にいたいよ」
言葉と一緒に溢れが涙が止まらなかった。
「うん…ありがとう」
マーレイが優しくリーの涙を指で拭うと、目が合って、照れたように笑って、お互いを包むように優しく抱きしめあった。