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    【ジュナカル】 箍を食む

    人の悪意の成れの果ては悪魔だ。
     生前の行いで純粋な死者の国、つまり黄泉や天国へ行けなくなった者の魂が行き着く先は地獄。そこに落ちた魂が悪魔になるか無事輪廻を迎えられるかはその魂の質による。悪魔になった際には人々を苦しめることで快楽を得たり、あるいは自身が崇拝する悪魔の許で働く害悪な存在と言われていた。――百年ほど前までは。


    「原子の味がするんだが」
     下手くそにパスタをフォークで巻いて口に運んだ白髪に白肌の、十五、六くらいの少年がそう言った。
     彼に食事を奢ることにしていた黒髪にチョコレート色の肌の男性アルジュナは、この少年のどうしようもない、耳を疑うような発言に怪訝な声で返す。
    「いや、トマト味ですけど」
     どういう味覚をしているのだ、とアルジュナはぼやきながら自分のパスタを口に運んだ。全く同じものを注文したが、しっかりトマトソースがかかったパスタである。
     ここはお昼時のイタリア料理店だ。それなりに人気のある店で、二人が入るのにも少しばかり時間を要した。美味しくなかったら困る。
     二人で食事をしているが、アルジュナはこの少年とは出会ったばかりだ。ここ一時間の出来事である。腹を空かせているようだったが彼は金を持っておらず、成り行きで食事に誘った。どこの誰なのかお互いに知り得ないので、先程自己紹介でアルジュナが名乗ったところだ。次はこの少年が名乗る番となっている。
    「それで、貴方のお名前は?」
     口に含んでいたパスタを飲み込んだ少年の口端にはソースが付いていた。ジェスチャーでソースが付いているとアルジュナが教えても上手く伝わらないのか、不思議そうに同じポーズを取るので仕方なくアルジュナの手がナフキンで拭く。
    「すまない、付いていたのか。昨日まで寝ていたのでお前たちが時折理解できなくてな」
    「……寝てた? ずっと?」
     頷いた少年は瞳を瞬かせると短くアルジュナに名乗った。
     カルナ、と。

     話は約一時間前に遡る。
     血液検査の結果表が記された紙一枚を見詰めていた青年アルジュナは、胸の奥が冷えるのを感じながら医療センターの待合室に座っていた。二十六歳、男性。Dマーカーの検査結果の数値は、Aランク。このランクは通常であればCでなければならない。Sになったら取り返しがつかない状態だ。
     結論から言うと、最悪の始まりである。誰しも治療不可で悪化する他ない病にかかればそう思うことだろう。しかもこれはただの血液検査ではない。治療不可ならまだかわいい方である。
     この都市の住民は年に一度健康診断とは別の診断を受けなければならない。
     即ち、人間か化け物か。
     化け物になった場合は残念ながら安寧な死どころか死後の世界すら約束されない。最悪も最悪である。
     この都市に住むのは人間だけではない。動物は勿論そうなのだが、悪魔や天使といった人ではない者も住み着いている。都市の秩序が保たれているのは大天使が定めたらしいルールのおかげだ。人に害を加えなければ悪魔はこの都市に住んで良いことになっており、これを取り締まるのが天使である。人外の巣窟というわけだ。
     当然ながら通常の人間が住もうと思うような場所ではない。悪魔崇拝は禁止されているので魔女の類は都市にいないし、悪魔を取り締まるのは天使だからエクソシストもいない。住んでいる人間は余程人外に興味があるか、そこに住まなければならない血が流れているからである。
     そしてアルジュナにはその血が流れていた。
    「父は平気だったのに……」
     思わずそう呟いた彼は検査票を握り締めるとスマートフォンを取り出した。両親に検査の結果を知らせようとして、文字を打っては途中で止めて消すを繰り返す。最悪の始まりではあるが、まだ重大ではないレベルだ。ただ祖先の血が動き出しただけ。知らせて心配させるには早いかもしれない。
     アルジュナの祖先には悪魔の血を引いた者がいた。悪魔と人間のハーフだ。もう何代も前の祖先で人外の血は薄れに薄れ、彼の父も祖父も悪魔のものと思われる衝動は一切なかったという。それがアルジュナには表れてしまったのだ。
     都市には人外とのハーフやその子孫の人間が沢山住んでいる。どれくらい血が薄れれば都市の外へ出ていいのかも決まっていた。外に出れば彼らはただの悪魔、化け物でしかない。人より力があり、人の血肉を好み、人にできないことをする。退治されない為の救済措置がこの都市なのだ。
     アナウンスで会計の呼び出しをもらい、椅子から立ち上がる。カウンターへ行く途中に封鎖されている階段が目に入り、彼はふと足を止めた。踊り場の窓が割れたのかブルーシートがかかっていて、立ち入り禁止のロープが張られている。何があったのかは知っている。とある病室で爆発があったらしい。死者も数名出たという話がニュースでは大騒ぎで取り上げられ、おかげでアルジュナは人が殆どいない医療センターでスムーズに検査を受けられた。
     カウンターに着いたアルジュナは憐みの目に晒された。何せこれからの生活に見張りが付くのだ。仕事は続けていい。恋愛だって自由だ。ただし見張りがついて、都市からは絶対に出られない。
    「お会計はこちらです。それから書類を」
    「……どうも」
     書類を受け取り会計を済ませたアルジュナは重たい足を家路に向ける気にはなれなかった。受け取った書類には今後の生活についての注意事項が書かれているはずだ。それに目を通して見張りを承諾する書類にサインをしなければならない。サインをしない場合はデッドエンド。人生で一番重いサインである。
     病院を出れば先程まで空は晴れていたくせに、アルジュナの心情を慮ったように雨が降り始めている。
     溜息交じりに鞄から折りたたみ傘を取り出したアルジュナは、病院の屋根ぎりぎりのところで困ったように空を見上げている少年に目を奪われた。
     白髪で白肌の少年だ。背格好から歳は十代後半だろうか。親の姿が傍にないようだが、空模様を見ているのを考えると一人でここに来たところへ雨が降ってきたのだろう。傘を持っていないのだ。
    「傘要りますか? 子供が風邪を引くよりは私が引いた方がいいかと」
     ストレートの、肩まで長さがある白髪は後ろから見たら少女に見えたかもしれない。
     アルジュナの声に視線を滑らせた彼はターコイズブルーの目を瞬かせた。綺麗な目だ。その容姿も相俟って天使と呼ばれても不思議ではない。
     この都市には多数の天使がいるが、実際に目にすると魂が放つ光の強さで目から焼かれて死んでしまうと言われている。だから普段の彼らは人の身体を借りていて本来の姿を目にすることはできない。あくまで天使のイメージは人間の想像でしかない。そしてその想像通りの容姿というのが、羽が生えていないことを除けばこの少年である。
     しかし彼の第一声はとても天使な見た目にそぐわぬものだった。
    「不要だ。オレは風邪を引かないらしい」
     喋り方が一般的な子供のものではない。どういう育ち方をしたのか気になるところだが、断られた以上彼にもう用はなかった。そうですかと頷いて傘を差し一歩を踏み出す。
     背後でお腹の爆音が聞こえてきたアルジュナは、吹き出さないように堪えながら少年をもう一度見た。
    「傘は要らないのだが、腹は減る。どこで満たせる?」
     訊ねられたアルジュナは少年を凝視した。異様なものを感じて彼に近付くと医薬品の匂いがして、身体に匂いが移るくらいには病院にいたのだと察せられる。退院したのか、外出か。だが同伴者の姿はない。彼の歳で外出時に一人はないだろう。通常なら誰かが外に連れ出そうとしなければ子供は病院の外には出られない。
     つまり、彼は独りで退院したということになる。
    「……私も今から食事をするところです。一緒に行きましょう」
     こうしてアルジュナは少年に傘を半分差しだしたのだ。

     カルナと名乗った少年は、続けてアルジュナのずっと寝ていたのか、という疑問に答えることにした。答えはイエス。幼少期からずっと寝たきりだ。
     身体に必要な栄養は全て点滴からで、固形物を食べたことなど入院してからは一度もない。もしかしたら物心が付く前に食べていたかもしれないが、カルナの記憶上ではパスタを食べたのは今日が初になる。アルジュナを見てフォークの扱いに奮闘するが、たった今も己とアルジュナの白い服にソースを飛ばしたところだ。
    「昨日病院の爆発があっただろう。あれはオレが目を覚ましたせいだ」
     店が静まった気がした。周囲でカルナの声を聞いた者たちが耳を欹てているのだ。何故病院が爆発したのかをマスコミは報じていないからである。
     気付いたアルジュナは声のトーンを下げるように促す。そうすると遠くの席でまだ喋っている者たちの声が聞こえてきて、それに釣られて店の中は再び話し声で満ち始めた。
    「目を覚ましただけで爆発が?」
    「いや。正確にはオレが目覚めさせた原因が爆発した」
     天使はそのままの姿で降り立っても人間と対話することができない。顕現する為の器を探す必要がある。通常の悪魔もそうだ。この都市では、悪魔と人間のハーフで生まれた子とその子孫以外は基本的に誰かから本人の許可を得てその身体を借りている。病院で寝たきりの身体は特に使い勝手がいい。目覚める確率が低いからだ。
     カルナは悪魔の血も流れておらず純粋な人間である。都市の外から天使の器になるためにやってきた。ところがカルナを器に差し出された天使は、彼が生きた人生とその容姿に嘆いた。天から愛されたと一目で分かるその姿が歩き回れたのは、十六年の人生でほんの数カ月しかなかったのだ。
     その天使は古くからいる者で、もう十分生きたからと己の恩寵をカルナに捧げた。爆発が起きたのはこの瞬間である。天使の恩寵を目にした者の目や脳が焼かれ、生物が聞き取れない天使の声で窓ガラスは飛び散り壁はひび割れた。やがて天使は恩寵と命を手放し、消滅の際の爆発で周囲を吹き飛ばす。それを受け取ったカルナを除いて、だ。
    「つまり、オレは物凄くはた迷惑な生還を遂げた」
     それも人としてではなく天使としてである。
     カルナの長年の病院生活から食べても味の区別など当然つくわけがないが、「原子の味」と称したのは天使がもつ性質のせいでもある。彼らは原子レベルから物質を見ることができるのだ。食べ慣れれば人としての味覚も取り戻せるだろう。
     話を聞いていたアルジュナは頭を抱えた。天使の恩寵を奪ったら大罪なのだ。カルナから見れば勝手に押し付けられたようなものだが、譲渡する場合は正式な儀式が必要となる。これは儀式をしていないから強奪の扱いだ。でも、彼は意識がなかったわけだし少しくらい情けをかけてくれても。
    「残念ながら罪であることに変わりはない。ただ、通常なら首が飛ぶところを生かしてもらえるようだからマシと言えよう」
     悪いことばかりのように聞こえるかもしれないがカルナは構わなかった。普通なら目覚めてもリハビリをしなければ歩けず、固形食ではなく流動食を食べることになる。加えて知能が幼少期のものでもないのも天使のメリットだ。
    「見張りはついているが、こうして半日だけでも自由に歩けたしな」
    「明日からは?」
    「罪を償う」
     そうですか、としかアルジュナは返せなかった。彼が罪を償ったとして、それは一体何年後だろう。きっとその次に待っているのは天使としての労働だ。生きても死んでも、カルナに自由はないのである。不用意に声をかけても傷付けるだけだ。
     死ねるだけ自分はマシかもしれない。だが、彼を助けた天使は本当にこんな結末を望んでいたのだろうか。古い天使なら都市のルールくらい知っているはず。もしかしたら本当は――ただ生きてほしかっただけなのでは?
     アルジュナが胸底でそんなことを考えているとカルナに名前を呼ばれて顔を上げた。
    「お前は何故病院にいた?」
    「……悪魔の血が少し」
     まだこの都市のルールを聞かされたばかりだったカルナは頭の中の情報を整理した。該当の情報を引っ張り出し、なるほどと頷く。悪魔の血を引いていても、薄れた者たちの中で発症するのはほんの僅かな確率だ。半人半魔が力を得ると、そのどちらよりも強くなるのだと天使の知識が言っている。その力は天使と同等か、それとも。
     彼が都市で見張られるのは彼の力の制御を恐れているのと同時に、彼を使いたいからだ。
    「お前も大変だな」
     目を伏せたカルナは大量に残った具に眉を寄せるとフォークで掬った。食べるのが下手で具だけ余ったのである。食事をするのは大変だ。本当なら天使は食事を必要としない。今カルナが腹を空かせているのはまだ天使の恩寵が身体に馴染んでいないからである。
     自分もアルジュナも、これから人ではなくなっていく。
     たまには会って己が身に対する愚痴でも言い合いたいが、会うのはこれっきりになるはずだ。カルナは自分がこの後どんな罰を受けるのかまだ知らない。
    「お前に会えて良かったよ。……食事も、ありがとう。誰も退院に駆けつけてくれなくてな」
     両親に連絡したのだ。電話には出てもらえたが、名乗ったら切られた。身体を天使の器とするのを承諾したのは両親のはずだから、きっと幽霊か何かだと思ったのかもしれない。ひょっとしたら、もう見限った命だったからかもしれないが。
     胸の奥に何かが刺さったような気がしてカルナの眉が更に寄る。天使になったおかげで病気はしなくなったはずなのにどうしたのだろう。
     どう反応すればいいか困っているアルジュナを見て、寄っていた眉が元に戻った。
     悪魔は有害だ。そう思われていたのは昔の話。勿論一般的には有害だが、悪魔にも色々あるのだ。
     食べ終えた二人は店の前で別れると、もう二度と会えないだろうと思いながらそれぞれの道を歩き出した。しかしその再会は案外早く訪れることとなる。
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