第二部 第一話『rock 'n' roll star』「あ、もしもし博士? 元気ぃ?
あはは、ほんとニーナ以外に『博士』って呼ばれると露骨に嫌そうな声出すよね。潔くて逆に好きだよもう。
そんな事を言ったら、そっちだって私の事を『ひな』って呼んだことないじゃん。お互い様でしょ。
え? 嫌だよ勘弁してよ。アンタとファーストネームで呼び合うなんて考えただけで鳥肌モノだよ。アンタだってそうでしょ。ん、同意見で何より。
あはは、まあ本題いこうか。
詳しくは言わないけど、近い内にニーナから大事な報告があるだろうから忙しくても時間作って話を聞いてあげなよ。私が言いたいのはそれだけ。
え? そんなん私の口から言える訳ないじゃん。今頃あの子はアンタにどう話すか必死で頭を悩ませてるんだろうからさ。あの子から直接聞くのがそれに対する誠意ってもんだよ。
ま、あの子は私達が思ってる以上に立派に成長したって事だけは言えるよ。
そ、私が言えるのはこれだけー。くれぐれもちゃんと話聞いてあげるんだよ。うんうん、はい、よろしくー」
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まったく、今日は本当にツイてなかった。
どうしてこうも厄介なことっていうのは一気にドカッと来るんだろうな。どうせ来るならもっと分散して来てくれりゃいいのに。
「黒鉄さんお疲れ様でしたー」
俺と同じ様に憔悴し切った様子の同僚が、そう言って重そうな足を引きずる様に出て行く。その背中に「お疲れー」と言葉を返したけれど、我ながら自分の声にハリどころか生気すら感じない。
控えめに言って、今日はなかなかの地獄だった。
俺は飲食店で働いている。で、これは何となくわかるとは思うが、当然として飲食店には混み合うピークタイムと、そうでない時間がある。なのに今日は、『そうでない時間』が全くなかった。そう、一切だ。ひっきりなしに客が来続けた。経営的にはありがたいだろうが、現場的には地獄でしかない。
開店からのピークタイムは閉店まで途切れる事なく続き、挙句の果てにラストオーダーでほぼ全てのテーブルから大量注文が来た時には『勘弁してくれ』と涙が出そうになった。
そんな事で泣くなって? まあまあ、そうだな。こういう事は割とある事で、いちいち泣き言をいうべきじゃないのかもしれないな。じゃあ追加情報を聞いてくれ。今日はその後にグリスト清掃、食洗機の分解洗浄まである日だったんだ。……泣けるだろ? いやもう笑ってくれ、いっそのこと。
そんな地獄をなんとかやりこなし、やっとのことで仕事場を後にした。時刻は深夜と呼べる時間帯。日中は暑かったのに、それが嘘の様に肌寒い。
「流石に半袖はまだ早かったかな……」
疲れからか、つい独り言が出てしまったけれど、まあ、気にしない。そんな余裕もないんだよ。本当に疲れた。
歩きながら髪ゴムを外す。それでようやく緊張の糸が解れた気がした。サラリーマンが仕事終わりにネクタイを緩める時って、こういう感覚なんだろうか。
何となしにスマホを確認すると、ニーナからメールが入っていた。内容は短く簡潔に『夜遅くごめん。今から二時間後くらいにこっち来れる?』といったもの。メールが届いていたのは三十分前。流石に歩きスマホをして自転車にでも轢かれたら嫌なので、立ち止まってメールを返す。
『悪い。今まで仕事だった。行けるのは行けるけど、どうした? なんかあったのか?』
そんなメールを送ったら、瞬く間に返信があった。
『ありがと。うん、そうだね。なんかあったといえば、あった。話すと長くなるから、直接説明するよ』
どうして自分が呼び出されてるんだろうというのはどうしても気になった。ただ、何にしても何か困っていることがあるのなら力になってやりたいと思うのが人心ってもんだろ?
約束された時間まで少しあったので、寂れたCDショップに寄った。時間が時間だったから客は俺だけだった。とは言え、仮に昼間だったとしても変わりがあるとは思えない様な、そんな店。
欲しいものがある訳でもないので、ワゴンセールの中古品を覗いた。ワゴンの中に入れられていた洋楽はビートルズだったり、ジミー・ヘンドリックスだったり、オアシスといったポピュラーなものばっかりで俺の趣味に合うものは一切無かった。まあ、もともとあるとは思ってなかったけどさ。
まあそれでもポピュラーな曲っていうのはやっぱり良いものが多い。好きな音楽の方向性は違うのに、心を揺さぶられるなんて事もザラにある。音楽ってのは、本当にいいもんだ。
「Tonight, I'm a rock 'n' roll star
Tonight, I'm a rock 'n' roll star
It's just rock 'n' roll」
店を出て、ニーナの家へと向かった。
リアムギャラガーを気取りながらぶらぶら歩くのは意外と気持ちが良かった。
今夜、俺はロックン・ロールスターなんだ。
今夜、俺はロックン・ロールスターなんだ。
たかがロックンロールだけどな。
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「……あの、ええとな」
上手く言葉が出ない。疑問だったり、言いたいことが頭の中でグチャグチャになって、口を動かしても意味のない言葉しか出せない。
「それ、誰なんだ?」
今月分の意味のない言葉を今言い切ってしまったんじゃないかと思えるほど口だけ動かした後で、ようやくそんな言葉が出てくれた。
俺は言われた時間通りにニーナの家に到着して、そのまま中に招き入れられた。部屋にはすでに顔見知りの橙星あかつきが居て、どうやら俺と同じ様にニーナに呼び出されたのらしい。
ここまではいい。ああ、ここまではいいとも。ある一点だけを除けば何も問題はない。『ニーナのベッドに、見た事のない男が寝ていた事』を除けばな。
「いや、話せば本当に長くなるんだよ。一言でうまく説明できる事じゃなくて……」
どこか困った様子でニーナが言う。
ちなみに俺も困惑してるし、あかつきも見るからに今の状況に戸惑いを隠せていない。
ここにいる全員困ってるって何なんだこれ。
そんな状況下で、ニーナはところどころ言葉に詰まりながらも、丁寧に説明を始めた。
結論から言おう。やましいことじゃなかった。良かった。
そこで寝ている奴はそもそも人間ではなく、ニーナと同じく『自立思考型電脳人形』と言うものらしい。
サラッと言ってしまったが、そうだ。ニーナは人間じゃない。いや、詳しいことは知らないし、仮に聞いても聞いても絶対理解できない。
加えて言うなら、今ここに居る橙星あかつきも普通の人間じゃない。星渡りといって、異星人というか、そもそも次元が違う所の出身らしい。これもよくわからないし、ぜったいにわかれない。
話を戻そう。そこに寝ている男はニーナが電子の海(これも俺にはよくわかんねぇ)で漂っていた壊れ掛けの残骸を持ち帰り、それから『腐れ縁』にあたる人物に素体を作ってもらって、今に至るとのことだった。今はインストールというか、データと素体を慣らしている状況らしく、人間で言えば眠っているらしい。
「話はわかったけどさ、何で俺とメタルさんが呼ばれた訳?」
まだ幾分か困惑した様子であかつきが言う。
確かにそうだ。俺もそれが気になって仕方がなかった。俺は星渡りでなければ自動人形でもないただの人間で、あまつさえ機会に強い訳ではない。それを言ってしまえばあかつきだって、星渡りと言っても電脳人形に関しては同じじゃないのか?
「いやあの、そこの残骸が動ける様になったら博士に報告するためにビデオ通話するんだけどさ。緊張でどうにかなりそうで……。完全に事後報告だから、なおさら……」
相変わらず困った様子でニーナがもごもごと言った。あぁ、何となくわかった。
「いや、でも俺たちが出来る事なんてないぞ」
「それでいいんだよ。画面に映らない所で見ててくれてれば、ボクもそれで少しは冷静になれるから。で、これが終わったら酒に付き合って……」
俺とあかつきは顔を見合わせることもなく、二つ返事で頷いた。
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それから数分くらいでベッドに寝ていた男––––天瀬怜が起き上がった。周囲をキョトキョトと見回しているところにニーナが軽く説明をして、そのまま二人で博士とビデオ通話が繋がるだろうPCの前に座る。
「ちなみにさ。博士はこの事実は前もって知ってるの?」
ふとあかつきが言った。
「え、ううん? なにせ急だったから、とりあえずビデオ通話の約束だけ取り付けただけだけど」
その返答を聞いたあかつきが小さく呟いた。大丈夫かな……。
ほぼ同じタイミングで、俺も呟いていた。大丈夫かな……。
それから程なくして、博士とニーナ達のビデオ通話が始まった。
位置関係的に俺とあかつきから博士の顔は見えなかった。けれど聞こえてくる声はどこか無気力でありながら鋭くて、何かを背負っている人間しか出せない様な声だった。だったんだが……
「あー、それで、そうだな。まず君らは、今どういう関係なんだ?」
あれ、待ってくれ。この質問ってアレじゃないか? この博士、何か重大な勘違いをしてやいないか?
ここでニーナが軌道修正すれば済むんだろうが、生憎緊張でそれどころじゃない様で、そもそも博士が勘違いをしていることにも気付いている気配がない。
そんなとんでもねぇ状況を俺とあかつきが固唾を飲んで見守る中、怜が答えた。
「俺はお姉ちゃんにこの家に連れて来てもらって、できればこのまま一緒にいたいと思ってます」
「えぇ……」
博士がおよそ出さないような声を出した。やべぇよ。これはやべえって。何がやばいって、軌道修正されないままとんでもねぇ方向に突き進んでるんだもんよ。
博士から見たらニーナが男を拾って連れ込み、その上でお姉ちゃんと呼ばせるとんでもねぇプレイをしてる様にしか見えねえんだもん。もうやべえしか言えねえよ。嫌な汗が止まらねえよ。
「ち、ちょっと待ったちょっと待った!」
同じ危険を感じていたらしいあかつきが冷や汗をかきながらPCの前に立った。俺もそれに続いてあかつきの横に立つ。これは俺たちで早いとこ軌道修正しないと大変なことになるぞ。
「な、なんだ。君らは……。まさか、君らも彼氏なのか」
『も』ってなんだ『も』って。
ああ、冷や汗がとまらねえよ。
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結論から言う。誤解は無事解けた。
良かった。本っっっっっ当に良かった。
真実を知った博士からの第一声は「あぁ、なんだ、良かった……」だった。ほんとだよ。
そんなことがあったからか、顔合わせは何事もなく終わった。
そりゃそうだ。『ニーナが連れ込んだ男にお姉ちゃんと呼ばれている』ということに比べれば『電子の海で見つけた残骸を助けて持ち帰り、電脳人形の素体にインストールした』なんてものは「ああ、そう?」くらいの事だ。
博士とのビデオ通話が終わると、そのまま当初の予定通り酒盛りが始まった。
俺はそもそも仕事のストレスが物凄かった事もあって、珍しく次々にビールの缶を開けた。何だかいつもより格段に旨く感じた。
怜はまだ素体との同調が完全かわからないという理由で、酒ではなくジュースを飲んでいる。さっきは爆弾発言で肝を冷やされたとは言え、話してみると弟の様でなんだか可愛らしく感じる。
それは俺だけじゃなくあかつきも同じらしく、今もまるで兄弟の様に微笑ましく話していた。
「あかつき兄ちゃん。俺なんとなくわかってるんだ。さっき助けてもらってなかったら、『失敗』してたって。不正解だったって。どうしたら、正解を選べる様になれるのかな」
「正解も不正解も無いんだよ。そこまで世界は残酷じゃないし、単純でもない。さっき俺とメタルさんがやった事だって、正解かなんてわからないよ。ただ、そうしたかったからそうしただけでさ」
あかつきと怜の会話を聞いているだけで、不思議と酒が進んだ。
そのうち、怜は見ていた俺のところにもやってきた。
「メタルさんはどうしてそんなに髪が長いの? 大変じゃないの?」
「そりゃ大変さ。でもちゃんとした理由がある」
「理由?」
「ああ、それは俺はロッカーだからさ」
「ロッカーだと髪が長くないといけないの?」
「少なくとも俺はね」
「そっか。大変なんだね、ロッカーって」
「わかってくれるか。大変なんだ、ロッカーってのは」
厳密に言えばバンドを組んでいたのは前の話だ。でも、俺が抱いている理想像から髪を長くしたいってのは間違いじゃない。
酒が入っているせいか、急に歌を歌いたくなった。怜に俺の歌を聴かせたくなったんだ。ロッカーとして認識してもらったのに歌声を聴かせないのは野暮ってもんだ。そうだろ?
誰にも歌えとは言われてないが、ロックってのはそういうもんじゃない。歌いたいから、歌を聞かせたいから歌うんだ。
ニーナと話していたあかつきが小さく笑って録音を始めた。バッテリーが足りなかったのか、ニーナに断ってから、先程までビデオ通話に使っていたPCの USB端子を見慣れない機械(おそらくあかつきの母星の製品なんだろう)にケーブルを挿す。
さぁ、歌うぞ
「I live my life in the city
There's no easy way out
The day's moving just too fast for me
I need some time in the sunshine
I've gotta slow it right down
The day's moving just too fast for me」
歌う曲は決まっていた。
当たり前だろ? 今夜、俺はロックンロールスターなんだぜ。