恋人の話※(まずい……なんとかしてごまかさなければ)
司は自分の腕を強く掴んだまま、こちらを振り向くことなく足早に歩いて行く男の後ろ姿を見つめながら必死に思考をめぐらせていた。
天馬司は自分が神代類という人間に惹かれたのは必然だったと考える。
幼い頃から誰かのために何かをすることが好きだった。
それは妹を笑顔にしたい気持ちから始まり、今ではショーを観に来てくれた観客全てを笑顔にしてみせることがスターとしての才能をもった自分の使命であると信じている。
しかしその反面、誰かが自分のために何かをしてくれることにとても弱かった。
別に愛情に飢えていたわけではない。
確かに両親は病弱な妹にかかりきりになることが多く寂しい思いもしたが、その分多忙の合間を縫ってしっかりフォローもしてくれていた。
自分の寂しさなどより遠く離れた幼い妹の気持ちを思う方がずっと心に刺さる。
兄として頼られたいと前のめりになっていた面もあるが、受取下手として成長したのはとどのつまり性分なところが大きいのだろう。
だが神代類との出会いが司を変えた。
自分を輝かせてくれる演出、司ならここまでできると信じて託してくれる期待。
もちろんどれも最高のショーを作るために必要なことであって、類が司を特別視してるわけではないとわかってはいたがそれでも与えられた欲望にすぐ夢中になった。
次は何をしてくれる?どんな自分を教えてくれる?
気がつけば常に類のことを思い浮かべ、その声や仕草を目で追っていた。
こんなのはもう、ただの恋だった。
とはいえ、自覚した気持ちを伝えるつもりはない。
いくら春に浮かれた頭でも、この恋に成就する見込みがないことぐらい判断できる。
かといってこの想いをなかったことにするのは絶対に嫌だった。
感情の経験が役者の糧になることを司はよく知っているし、何よりせっかく芽生えた気持ちを蔑ろにしてしまえばきっとセカイのみんなが悲しむだろう。
何せ今でも「ツカサクン……モシカシテ、マタワスレチャッタノ?」と悲しそうにこちらを見つめるうさぎのぬいぐるみが夢にでてきて飛び起きることがあるくらいだ。
安眠の……いや彼らの笑顔のためにも、生まれた想いは大切にしなければいけないと固く誓ったのだ。
そんなわけで伝えるつもりがない恋ではあるけれど、司はせっかくなので存分に楽しむことにした。
音楽番組で流れる恋の歌を聴いては共感してみたり、「演技の参考に」と咲希から借りた少女漫画を読んでは足をバタつかせてみたり…と今ならどんな恋愛劇でも12000%以上にこなせてしまいそうだった。
そしてある日、授業中に電子辞書で『恋人』とついつい検索していた時のことだった。
「なんだとっ!?」と思わず声を上げ、すかさず教師から注意されたがそれどころではない司にはまるで響かない。
(か、片思いの相手でも『恋人』といっていいのか!!!)
電子辞書に表示されている『恋しく思っている相手を指す』の一文を凝視する。
(つ、つまりオレは類を『恋人』と思っても……)
いいのか?口に出さなきゃセーフだよな!うん、自分で思うだけ…思うだけだから!!
その日、セカイの空は桜色に染まりぬいぐるみ達を大いに慌てさせたという。
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「あれ?司くん、鞄にテディベアなんてつけてたかい?」
司が脳内で類を恋人と呼び始めてから数日後。
ワンダーステージでの通し稽古を終え、メンバー揃って休憩していた時だった。
飲み物をだそうと広げた鞄につけられたテディベアのバッグチャームを見ながら何気なく発せられた類の言葉に、司はぎくりと固まる。
「そのテディベアってもしかして今流行ってるやつ……?クラスの子達がよく話してる」
「あー!あたしも知ってるよ!!確か恋人同士で相手をイメージした色のクマさんをつけるんだよね!!……ん?あれれ??」
寧々とえむの視線も加わり、六つの瞳が司と——黄橙色をしたテディベアに集まる。
「そ、そうなのか!!貰い物だから全然知らなかったな!そんなことよりもそろそろ片付けを始めなければな!!」
取り出そうとしたペットボトルをそのまま無造作に突っ込み、慌てて鞄をとじる。
そして足早にステージへ向かおうとしたところ、不意に後ろから手首を捕まれた。
驚き振り返ると、そこには表情が抜け落ちた類がいた。
しかし「ひっ」と息をのんだ司が言葉を発する前にその手は離され、いつもの飄々とした顔に戻る。
「あぁすまない……驚かせたね。ちょっとネネロボの動きで確認したいところがあるから、舞台の片付けは待ってほしいんだ」
「わ、わかった。オレも手伝うか?」
ドギマギとした鼓動をおさえてなるべく平静を装い尋ねれば、「大丈夫だよ」と軽く返された。
それならば……と若干の気まずさを誤魔化すかのように、司はいそいそと備品の片付けを始めるのだった。
(全然知らないわけないだろぅううううう!!!!)
夜、自室の机に突っ伏して深いため息をつく。その両手には黄橙と―—紫のテディベアが握られていた。
ちらりと顔を上げ、卓上のマガジンラックを見やればデートスポット特集の雑誌が隙間なく並べられている。
もともと凝り性かつ自分が納得いくまで突き詰める性格だ。それはもうあまりにも楽しく脳内の類と順調なお付き合いをしてしまい、うっかりお揃いのアイテムまで鞄につけてしまっていた。
わずかに残っていた理性により紫ではなく自分のカラーを選んでおいて本当に良かった。
己の引きの強さに対し満足げに頷いたものの、ふと手首の感触を思い出して頬を赤らめる。
舞台の片付けを止めるのにあんな無表情にならなくても……と思わないこともないが、きっと何か考えがあったのだろう。
それよりも突然のリアルな接触に心が高ぶり、やはり本物は違うなと恐れ入るばかりだ。
自分の想像力もまだまだなのだと思い知る。
(だが類には絶対バレないようにせねばな!)
当初の予想以上にイマジナリー類との交際を育んではいるが、万が一本人に知られれば間違いなく引かれるだろうとさすがにわかっている。
自分でもどうかと思うときはあるが、司はまだこの恋人ごっこに浸っていたかった。
今日の失敗を反省しつつ、握りしめていた色違いのクマを机の上に並べる。
手のひらサイズのクマ達を軽く指でつつき、気を引き締めなければな!と決意するのだった。
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(と、昨日思っていたばかりだろオレ!?)
切っ掛けは昼休みに廊下を歩いていると偶然懇意にしている後輩達と会ったことだった。
他愛ない世間話をしていた中、そういえばと冬弥がふと思い出したように言った。
「先日神山町で新しくできたカフェに入られる司先輩を見かけたのですが、あぁいった可愛らしい雰囲気のお店もよくご存じなんですね」
「マジっすか!あそこって限定パンケーキがうまいって評判なんすよね。オレも一度行ってみたいと思ってるんだけど客層がな……」
それまでは冬弥の横に並び、面倒さを隠そうともせずに立っていた彰人も加わる。
「客層?何かあるのか?」
「この間雑誌でデートにおススメだとか紹介されてから、カップルがめちゃくちゃ増えて入りづらいんだよな。あ……もしかして司センパイも彼女と行ったんですか?」
まさしくその雑誌を読んで学校帰りに一人こっそり寄ってみたわけだが、まさか目撃されていたとは。
しかし彰人のからかうような視線につい口を滑らす。
「彼女ではないが……まぁ似たようなものだな」
しまったと思った時には既に遅く、目の前の二人が大きく目を見開いていた。
「司センパイと付き合える人がいるんすか!?一体どんな!?」
固まる冬弥よりも早く復活した彰人が驚きのまま中々失礼なことを言う。
なんだと!?と言い返そうとした言葉は
「それは僕も是非知りたいな」
突然背後から両肩に置かれた手と、類の声により遮られた。
口をぱくぱくさせている司に構うことなく、「ちょっと借りるね」と二人に声をかけるとそのまま司の腕を掴み歩き始め——そして今に至る。
ずんずんと腕を引かれ連行される様は周りから注目を浴びているが、また変人ワンツーが何かしているのかと誰も止めようとはしない。
どうにか誤魔化そうにも考えをまとめる隙が生まれない。
頭の中では思考の回し車を爆走していたハムスターがきゅ~と息も絶え絶え倒れている。
そして何も思いつかないままただ引きずられ、目的地であったらしい空き教室へと連れ込まれる。
「さて、じっくり聞かせてくれるかい?」
流れるように入口の鍵を掛け、楽しそうな声色で問われるがその目は決して笑っていない。
(もしかしてフェニランのキャストは恋愛禁止だったのか!?)
類の真意がつかめず、バイト先の雇用契約書を思い起こすがそういった条件に心当たりはない。
「司くんに彼女がいたなんて全然気づかなかったよ。ねぇ……いつからなんだい?」
心当たりはないが、強すぎる圧に機嫌を損ねていることだけはわかる。
恋にかまけてショーに支障をきたすとでも思われているのだろうか?
とりあえずなんとかうまいことこの場を乗り切るべく、まずは恋人疑惑を否定することにした。
「い、いや彼女ではない!相手は男だしな!!それに恋人関係ではなく今後演じる役の幅を広げるため一時的な——」
「は?」
なるほど。絶対零度とはこういう表情を言うんだな!参考になるが……怖っっ!!!
己の選択ミスに気づき青ざめていると肩を捕まれ、教室の壁に押し付けられてしまう。
「つまり君は誰でもいいってこと?そんな関係でもし何か問題が起きたらどうするつもりなの」
ごもっともである。ショーの仲間がそんな爛れたことをしていたらコンプライアンス的にも大問題だ。
ここは素直に謝ろう。そして存在しない遊び相手とは手を切るとを伝え……独りよがりに空想していた類との恋人ごっこも終わりにしよう。
そう決意し、顔をあげると同時に突然荒々しく唇が塞がれた。
驚き咄嗟に声を出そうとするが、舌を絡めとられくぐもって飲まれていく。
「る、類……?」
息苦しさを覚えた頃、ようやく解放され類を見上げるがその視線は変わらず冷たい。
「何も言わなくていいよ。そんなに経験が欲しいなら協力してあげる」
そう言うが早いが司の顎を手で軽く持ち上げまた唇が奪われる。
乱暴な行為に反し、生温かい舌が丁寧に口内を探りくすぐっていく。
(いったい…何がどうなってるんだ!?)
混乱を落ち着けようにも舌を吸われ甘噛みされてしまえば、頭の中が痺れていくだけだった。
キスとはもっとフワフワしたものかと思っていた。こんな暴力的な熱さだとは咲希から借りた少女漫画のどこにも描かれていなかったはずだ。
「もっと慣れてるのかと思ったけど」
「……っふっは…お前っだけだ……っ」
透明な糸を引きながら再度唇が離れていく。
酸欠で目尻を潤ませながら睨みつけると、類は面白そうに目を細めた。
「へぇ……そう言えって教えてもらったの?」
腰に手を回されくるっとまるで踊るようにターンし、そのまま机の上へ仰向けに押し付けられる。
「座長がこれ以上悪い遊びを覚えないようにするのも団員の務めだよね」
「待て待て待て!落ち着け類っ!!」
嗜虐的な笑みを浮かべながら片手で司を押さえつけ、もう片手でクリーム色のカーディガンのボタンを手際よく外していく類にそう叫ぶが、止まる気配はない。
(そうだ!!)
力を抜き、一度抵抗をやめると拘束が若干緩くなる。やっと動かせた手で類のネクタイを思い切り引っ張り噛みつくようにキスをした。
さすがに驚いたのか類の手が止まる。その隙に司は急いでカーディガンのポケットからスマホを取り出すとプレイリストからいつもの曲を素早くタップした。
「ちょっとタイムだ!!!」
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——転移のむこうは、まるでカブキチョウのセカイでした。
「な、なんだこれは!!!」
青空にパステルカラーの雲がふよふよと浮いていたはずのセカイは、今やショッキングピンクに染められ、アトラクション達がビカビカとラブホ街ばりにネオンを光らせている。
少し離れたところにふらついているルカの姿を見つけ、司は慌てて駆け寄った。
「さっきからギラギラ眩しくて眠れないの~……」
目をシパシパさせてそう言うルカの姿に、この異常現象が自分の心のせいなのだと察した。
「司くん」
後ろから聞こえたカイトの声に振り向くと、くいっと親指で空を指し『何とかしろ』と無言の笑顔で訴えられる。
「す、すまない……」
羞恥から逃げた先で更なる追い打ちをかけられ非常にいたたまれない。
せめて他のメンバーに見られる前にことを終えるべく、司はそっと曲の再生を停止した。
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「……タイムはもう終わったの?」
若干怯えながら戻ると、投げやりな類の声がした。
先程の勢いはすっかりなくなり、両膝を抱え込んで顔を俯かせている。
「類、あ、あのな」
「僕じゃ駄目なのかい?」
少しでも状況を把握しようとするが遮られた。
「誰でもいいなら僕にしておきなよ。僕なら最高の演出で君を輝かせてみせるし、器用さには自信があるから身体に関しても必ず満足させ」
「えぇい待て待て待てっ!!!!」
(もしかして……もしかするのか!?)
俯いた顔からは表情が読めない。だがいくら他人の気持ちに鈍いと定評のある司でも察するというもの。
そして期待してしまう。
「その……だな、オレの恋人になりたいってことで合っているか?」
顔が上がらないままこくりと頷かれる。
やはり想像だけではうまくいかないことばかりだ。こんなに可愛いく、更に愛しさが増すなんて知らなかった。
「実はだな——」
そっとしゃがみ、伏せられている類の顔を軽く覗きこみながら司はその恋を伝えることにした。
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後日のある日
「寧々ちゃん!司くんのクマさんが紫に変わってるよ!」
「私を巻き込まないならどうでもいい……」
横目で類の鞄にぶらさがっている黄橙のクマを見つやり、寧々はそっと目を閉じた。