rntnワンライ『自惚れても、いいのだろうか』昼休みに訪ねた美術室で、宇髄先生はなぜか大きな真紅の羽織を着て熱々の蕎麦を食べていた。
「失礼します宇髄先生!ぜひご相談したいことが――……」
道場破りのように勢いよくドアを開き美術室へ足を踏み入れた瞬間、自慢の鼻がひくりと動く。ただよう優しい出汁の香りの中、目当ての人は黒板のすぐ前にある教卓に陣取っていた。
「竈門!?」
教室の後ろのドアの前に立つ俺を見たキメツ学園美術教師・宇髄先生が驚いた様子で叫んだ。
「おまっ……、ノックぐらいしろ馬鹿!」
「えっ、すみません……」
女子生徒に絶大な人気を誇る男前な顔が今まで見たことないくらい焦っていて、俺は思わず続けるはずの言葉を忘れてしまう。
たしかに突然の訪問ではあったけど、まさかここまで怒られると思っていなかった。いつもの先生ならこんな突撃、にへらと笑ってすませてくれるはずなのに。不思議に思いながらもいちおう無作法を謝ると、宇髄先生はまったくよぉと小言を漏らしながらも手招きをしてくれた。
「で?なんだよ相談って」
「……先生、昼ご飯にお蕎麦なんて珍しいですね」
「っ、たまには地味なもんが食いたいときだってあんだよ。てかさ、俺いますげえ忙しいんだ。とっとと要件すませて、教室に戻ってくれねぇかな」
不機嫌さを増した棘のある声を受け止めながら、俺の目は机の上で固まっている宇髄先生の手に釘付けだった。
「先生……箸、落ちてますよ」
「!?」
俺の指摘に先生の顔が凄まじい勢いで反応する。ばっと音がしそうな速さで自分の手元に視線をおとし、あ!と声をあげた。自分が箸を落としたことに今ようやく気づいたと言わんばかりの態度だ。まさかそんな訳ないよな。俺の視線にまざる疑惑を察知したらしい宇髄先生が、これ見よがしに余裕ありげな笑顔を浮かべて喋りだした。
「はは、失敗しちまったぜ。よし、どんぶりの横に転がってる箸を拾わねえとな。ところで竈門、俺になにを相談したいんだ?」
「俺の話より先に拾ってください」
「いま拾おうとしてるんだよ!どんぶりの縁から右に五センチの、とこに一本、……その少し上に転がってる、もう一本をな!」
箸の転がった位置を説明している。ますます訳がわからない雰囲気の中で、俺は先生の手をじっと観察する。一本目の箸をつかんだ右手はぱたぱたとどんぶりの側の天板を叩きまくっていた。明らかにもう一本が見つけられていない。
「先生、大丈夫ですか……?」
「ったりめえだろうが!もうちょい上、……左、……とぉ!さあ掴んだぞ!これで心置きなく蕎麦が食えるってもんだ!」
本当に大丈夫なんですか先生。箸を拾っただけで子供みたいにはしゃぐ高校教諭の姿に、背筋をすっと冷たいものが走り抜ける。
「それより竈門!お前は早く要件を言えよな」
先生の行動がエキセントリックすぎて、相談がどうでもよくなりました。
(だめだ。このよくわからない状況を、正確に飲み込める自信がない)
これはたぶん、考えても仕方のないことだ。訝しむ心に蓋をして、俺は当初の目的を果たすために口を開いた。
「じつは、煉獄先生のことなん――」
言い終わらないうちにまた宇髄先生からドンと凄まじい音が聞こえた。驚いて視線をむければ、先生の手が天板にびたりと張りついているのが見えた。手形を取るときみたいに指を目一杯開いた手のひらが板に広がり、そのそばをころころと箸が転がっている。また落としたらしい。
(やっぱり宇髄先生、今日どこかおかしいぞ)
情緒不安定なんて言葉じゃ足りないくらい、とにかく挙動が不審すぎる。よくみたら服装もおかしいじゃないか。なんだあの真っ赤な上着。どてら?いや、着物の上に着る羽織か。派手派手といつも叫んでいる宇髄先生だけど、学校での服装は白いパーカーにジーンズとシンプルなものが多い。だけどいま教卓に座っている先生はといえば、いつもの白パーカーに真紅の羽織を重ね着というなんともいえない奇抜な格好をしていた。しかも襟元も袖口も大きく開きすぎていてオーバーサイズなのが丸わかりだ。
「竈門?どうした?」
「へっ……?あ、」
こちらを見る先生はさっきまでの不機嫌さが嘘みたいに優しい笑顔だった。
「早くしねえと昼休みがおわっちまうぞ」
「は、はい」
なんで突然、態度が急変した。そしてちょっと申し訳ないけど、満面の笑顔がなんか怖い。笑顔なのに、机の上の手が狂暴な獣みたいにギリギリしてる。その異常なギャップが怖くてしかたない。
(やめておこうかな……)
お忙しそうなので、また今度相談にきます。そう言って撤退しようかと思った時だ。
「煉獄のことって言ってたな」
「!は、ぃ……」
俺の思惑を察知したみたいに宇髄先生が勝手に話を進め始めた。だめだ、逃げ時を失った。
「てことは、恋愛相談をしに来たんだよな?」
「あ、あの、……先生。て、手が……」
恋愛相談という単語が飛び出した瞬間に宇髄先生の手がまた大きく暴れだした。天板を引っ掻くみたいに指が浮き上がっている。力みすぎてるのか手全体が震えているのが、この距離でもわかった。
「気にすんな。それよりくわしい話を聞かせろ」
この状況でも笑顔。本当に怖すぎます先生。込み上げる恐怖心に突き動かされるように、気づけば俺は相談の内容を驚くほどの早口で宇髄先生に報告していた。
一年生の頃から俺が片想いをしている煉獄先生は、キメツ学園で教鞭をとっている歴史担当の教師だ。明るくて優しくて、誰にたいしても分け隔てなく真摯な態度で接する理想の先生。授業の時はいつもきりっとして格好いいのに、休憩時間や食事の時は子供みたいな表情を見せる。ギャップの権化みたいな煉獄先生に、一目惚れと言っていいくらいの速度で俺は恋におちた。
一年目、二年目と、信じられない強運に恵まれた俺は社会科のクラス担当を勝ち取った。課題の回収や授業に使う機材を運ぶお手伝いなど、接点が多くなるほど恋心は深まる一方だった。会うたび気持ちは体積を増していき、自分の胸の中だけではもう抱えきれそうになかった。
思いきって告白してみようか。煉獄先生への思いを強くするたびそんな考えがむくむくと頭をもたげる。だがすぐさま正気に戻った理性に馬鹿なことは考えるなと厳しく叱りつけられた。生徒と教師の越えられない高い壁を前に、大揺れの天秤はいつも諦めるに傾くしかなかった。
けれどそうして行ったり来たりを繰り返していたはずの心が最近、告白の二文字に大きく傾きはじめていた。理由はひとつ、煉獄先生から時折ただよってくる香りだ。
この一年半で煉獄先生と俺はけっこう良好な関係を築けていると自負している。俺を見つけた時はいつもより嬉しそうだし、お手伝いの礼にと校則違反のお菓子やジュースをこっそりくれたりする。ぜったいほかの生徒よりも贔屓されている。友達の善逸が断言するくらいには、煉獄先生は俺を気に入ってくれていると思う。
自他ともに認める好印象をさらに強めたのが、最近一緒にいるときに煉獄先生から感じる甘い匂いだった。社会科準備室で作業をしている時に、ふわっと蜜を焦がしたような甘くにがい香りが先生からするのだ。それを吸い込むとなんだか俺もドキドキしてきて、いつも全身が熱くなってしまう。そして香りは日を追うごとに強くなっていた。
生徒以上の感情を、少しは持ってくれているのじゃないかと思う。だけど直接聞くわけにもいかない。ならいっそこちらから告白して、先生の本心を聞き出してしまおうか。でも万が一ぜんぶ俺の勘違いだったら、この先残された先生との時間をふいにすることになる。
でも答えがあやふやなこの状況は、はっきり言って生殺しみたいに苦しい。どうせあと一年ほどで自然消滅する恋だ。心のままに潔くぶつかって、あっさり粉々にされてしまたって結果は同じだ。いやいや、でも――――。
「――――で、悩みまくった末、お前が煉獄に気があることを知ってる俺に相談しにきた、と」
「はい……。宇髄先生は煉獄先生と仲がいいから」
「あわよくば、煉獄の気持ちに探りを入れられると算段したわけだ」
ずはり図星をさされ返す言葉もない。宇髄先生は、俺の煉獄先生への気持ちをなぜか早い段階で見破っていた。お前、煉獄が好きなの?と、面とむかって訊ねられた時は生きた心地がしなかったけど。俺の気持ちを知ったあとも変わらない態度の宇髄先生の存在は、俺にとってとても心強くあった。
どうすればいいかわからない。答えがでなくて苦しくて。悩んだはてに俺が導きだした選択は宇髄先生に相談するの一択だった。
ぶっきらぼうだけど、本当は煉獄先生と同じくらい優しい宇髄先生なら、俺の悩みを受け止めたうえで最適なアドバイスをくれるはずだ。
そう思って美術室に突撃したことを、今はとてつもなく後悔している。
「……先生、あの」
「あ~?」
「その、……どこか、苦しいんですか?」
「いや~?ぜんぜん元気だぜ?」
(じゃあなんでそんなに両手で体を抱き締めてるんですか!)
机の上でぎちぎちしていた宇髄先生の手は、ついさっきから体に巻きついてぎちぎちしていた。両手で自分の体を抱きしめる、なんてかわいいものじゃない。力のかぎり目一杯、先生は自分の体を締めつけていた。腹に巻きついた二の腕には血管がびっしり浮き出ていて、殺意すら感じるほどだ。いや。二メートル近い巨体から立ち上っているのははっきりと殺気で間違いない。なのに、
(なんでまだそんな満面の笑顔なんですか先生!?)
宇髄先生から噴き出す邪悪な気配に完全に心が挫けてしまっていた俺は、ようやくそこで教卓の上に置かれたどんぶりの存在を思い出す。
そうだ蕎麦だ。さっきから箸を取り落としてばかりで先生は一口も食べてないじゃないか。そういえば用事があって忙しいとも最初に言ってたぞ。
(そうか!先生はお腹が減ってるんだ!)
腹を押さえていないと耐えられないくらい空腹なのに、俺のせいで蕎麦が食べられないから苛々してるに違いない。
「すみませんでした先生!また改めてお話に伺います!」
「あ、おいかまど」
「失礼しました――――!!」
呼び止める声をほぼ無視する勢いで謝り倒して勢いのまま背をむけ駆け出した。すべては宇髄先生に蕎麦を食べてもらうため。俺の下らない相談で多忙な先生をこれ以上煩わせちゃいけないからな。恐怖に震える心を苦しい言い訳で隠して、俺は魔の美術室から一目散に逃走した。
俺が消えたあとの教室の中で、どんな会話が交わされていたかなんて知るよしもなく。
「……おい。いいかげん機嫌なおせよ」
「なおるわけがないだろう……っ」
「そんなに悔しかったのかよ。俺が竈門の気持ち知ってたこと」
「!当たり前だ!そもそも、少年と接点などない君がどうして」
「あ――。その説明は面倒くせえから、竈門から直接聞けよ」
「……。一体、いつから知ってたんだ」
「竈門がお前のこと好きだってこと?」
「っ、そうだ!」
「それもノーコメント」
「宇随!」
「それより感謝してほしいもんだね。ずーっと女々しく悩みまくってたお前の悩みを、きれいさっぱり解決してやったってのに」
「……」
「よかったじゃねえか。両想いだぜ先生。あとはド派手に告白してヤッちま」
「う、ず、い」
「うそうそ。そんな怒んなよ煉獄。軽い冗談だろ~?」
「君の冗談は冗談に聞こえない」
「ほーう。そんな強気な態度をとっていいのか?なんなら今から竈門に、煉獄は諦めろって助言してやろうかな」
「すまん」
「あら、素直。ならそんな素直な煉獄先生に、優しくて頼りがいのある俺からひとつお願いがあるんだけど」
「……常識から外れた内容でなければ」
「大丈夫。きっちり常識の範疇内のやつだから」
「……わかった」
「すげえ気合いいれて練習してるとこ悪いんだけどさ。敬老会の出し物、二人羽織で蕎麦食うのから別のに変えてくんない?」
終)