鉢尾 #127 ワンドロ 迂闊だったと後に鉢屋三郎は語る。喜ばしいことではあるのが余計に後の笑い話になってしまうことの未来に備えて、今から羞恥で身体中がそわそわしてしまう。
「ただいま」
もう少し広い部屋に住んでもいいのではないかと指摘をされたもののこぢんまりとした空間が好きな三郎は譲らず1DKに棲んでいる。もっとも、そう言った文句をいうのは勝手に上がり込んできている男一人だけだ。だから三郎はいつも彼に対して「ワンルームよりはマシだろう」と答えていた。そもそも一人暮らしの部屋としては充分過ぎるくらいなのだから、文句を言われる筋合いはない。だのにベッドが狭いとか俺の漫画が置けないとかそう言ったことを言いだすアイツの方が図々しいと思う。
「おかえりー」
今日もそいつ、尾浜勘右衛門はフローリングに寝転がりながらテレビを眺めていた。毛先が丸っこい不思議な髪が床にグミみたいに潰れている。
「飯作っといたよ」
「ああ、ありがとう」
テレビではクイズ番組が流れていた。常識クイズと題して毎週毎週数多くの知識を問うてくるこの番組は三郎の家では勘右衛門が暇になると観ているものである。なかには嫌、さすがにそれは難しいんじゃないかと不満を言いたくなるものもあるが、なんだかんだ三郎も勘右衛門と一緒にああだこうだ番組に乗ってしまうのだから長く続いている理由も良く分かる。
キッチンからは醤油の良い香りがした。炊飯器の中身も確認するとしっかりと炊かれていて白い肌がつやっとしている。
簡単に荷物を整理して三郎が部屋着に着替える頃には、食卓には夕食の準備がされていた。白米、味噌汁、作り置きしているピーマンのきんぴら、それから。「鯛の煮付けか」
「そー、安かったんだよね。ラッキー」
三郎の顎を肩に乗せながら勘右衛門は答える。男のくせに和菓子みたいなほのかに甘い匂いをしているのがコイツの不思議な所その二である。一は当然うどん髪だ。
うなじに鼻を寄せると勘右衛門はくすぐったそうに身じろいだ。
「あ、そういえば八左ヱ門が」
「ん?」
「五人で飲みたいって。勝手にいいよーって返しちゃった」
「ああ、いいな。最近八左ヱ門に会えていない」
八左ヱ門、雷蔵、兵助は三郎、勘右衛門と共に小学校から高校まで続く私立の学園に通っていた級友だ。卒業後もそれぞれの進路に進みつつも定期的に遊びにいっているのだから有難い存在である。
「それ、八左ヱ門も言ってた。三郎が会ってくれない~って」
「いや、偶然だろ……」
三郎が眉根を寄せれば勘右衛門は快活に笑った。
「そういえば、今日なんで帰り遅くなったんだ?」
箸を動かしながら勘右衛門は聞く。
「ああいや、少し」
三郎は立ち上がり、キッチンにある冷蔵庫から缶ビールを持ってくる。「買い物をしていたんだ」言いながらプルトップを開けて勘右衛門に渡してやる。
勘右衛門は器用に骨から身を剥がしていた手を止め缶を受け取った。
「浮気かと」「するか!」
「冗談だよ」
缶を卓に力強く置いた三郎に対して勘右衛門はしたり顔をする。勘右衛門はたまに笑えない冗談をする。いや、冗談ではなくなった時が一番笑えないのだが。ビールが波たち缶の上に溢れてしまう。
すする前にズボンのポケットに忍ばせた箱に三郎は軽く触れた。
勘右衛門は剥がした身を白米に乗せて涼しい顔をしている。
「買い物だって」三郎は勘右衛門をねめつける。
「服?」
「残念」
「待って、当てる」
完全にクイズ番組に充てられているらしく勘右衛門は箸を置くと指先を額に添える。
「大きな荷物は持ってなかったってことは俺が欲しいって騒いでたゲーム機じゃないな……」
「玄関に置いてあるかもしれんだろう?」
「さっきトイレいった時になかった」
よく見ているなコイツ。
「つか、それくらい自分で買え」
「てことは、お前のリュックに入るくらいの大きさかあ」
三郎はビールをぐいっと煽る。しゅわしゅわと炭酸が口のなかで弾ける。アルコールが頬を火照らせた。
「駅前のいつもめちゃくちゃ並んでて完売必須な団子!」
「それも自分で並べ!」
つまらなそうに勘右衛門は唇を尖らせる。
「え~、時計」
「飽きるなよ、いまそれ適当に言ったろう」
「じゃあなにさ」
勘右衛門は肘をテーブルに、両手の上に顎を置いて上目遣いに三郎を見た。そういうのが許されるのは可愛い女の子だけだぞと言いたくなったが足を蹴られかねんから心の中に留める。
だが、一心に見つめられてしまうとそれはそれで言いだしにくい。先ほどからアルコールのせいだと思っていた高揚感はもしや緊張感から来るものだったのかもしれない。鼓動が逸ることを三郎は自覚した。
一向に答えるつもりのない男に飽きたように勘右衛門はため息をつく。「じゃあいいよ。俺が先に渡すね」
「は?」
「はい、指輪」
今月の給料な。じゃないんだから。とか口走らなくてよかった。だが、それくらい軽い動作で勘右衛門が小箱を三郎へ手渡した。開かれたそこにはシルバーリングが中央に座している。指輪だ。
箱と勘右衛門を交互にみれば、あの男ニヤニヤと俺のこと見て来やがる
火が廻ったように身体中が熱くなる。
「結婚しよ!」
一生に一度しか言わない台詞を取られてしまう。ポケットにて眠る小箱が三郎の腿を突く。やられた。味噌汁が冷めていくのも忘れて頭を抱えてた。
顔を上げればきっと勘右衛門は世界で一番幸せそうな顔を浮かべているのだろう。だが、仕込んでいたはずのサプライズを見破られた事実に三郎は合わせる顔が思い浮かばなかった。仮面が欲しい。表情が見破られないほどの分厚い仮面が。