月明りが、死者の席を白く照らした。墓石は整然と立ち並ぶ。見渡す限りに闇が広がっていて、いつかは現人が死の世界への境界線を踏み越えてしまいそうだ。
その静かな世界にぽうっと橙色が浮かび上がった。
石畳に転がる砂利を宇髄天元は踏みつけた。手にはぶら提灯を揺らしている。
空は闇が埋め尽くし、星が点々と輝いている。月もまたそのひとつだ。ただでさえ灰色の石らも月光に照らされると輪郭を薄ぼんやりと浮かび上がらせるだけで、冷たい空気を漂わせている。雑木林が密集する闇にぽっかりと開いたような空間に建てられた墓苑は訪れるひとも少なく、所々草が生い茂っている。あたりを微かに漂う藤の花の香りは一年中、眠る彼らを見守っていた。
明るい葡萄色の単衣を直すと宇髄は目の前にあった墓石をなぞる。本来の墓参りの礼儀としては、綺麗に水で洗ってやることだろうが、柄杓など気の利いたものは、この墓苑にはない。簡単に土や枯れ葉を落とすだけでも、他と比べたら綺麗にみえるのは皮肉なものだろう。ここは、殉職した隊士たちを葬る墓苑のひとつであった。
彷徨う魂を誘うように、灯るは導灯のごとく。
宇髄の視線を得られることなく、ゆらりゆらり、と提灯は不安げに揺れた。
木々を縫うようにして伸びる藤の蔦は紙垂のように、墓苑の出入口まで伸びている。これらはすべて、墓参りに来る遺族らを鬼から守るために植えられたものであった。しかし、このあたりは盛雑木林の深いところにあるためか、ひとの通りは限りなく少ない。季節が過ぎるごとに細い蔓は縦横無尽に伸びていく。ひとの手入れがない藤は、あっといまにその生命力で新たな花をつける。強かに、淡々と。
宇髄は、とある隊士を供養するために、人知れない墓苑まで足を運んでいた。隊士は、丙の男だった。齢は二十歳手前頃か。雷の呼吸を持つ青年は、勤勉で努力家であり、本人に伝えたことはなかったが、自分を慕ってくれているところを宇髄は特に気に入っていた。しかし、そんな宇髄の期待も、青年の努力もすべて今となっては過去のもの。共に酒を酌み交わすことすら叶わなかった男に宇髄は手向けとして髪飾りの石をちぎってやった。これならば、あの世でも派手に着飾り、家族にいずれ見つけてもらうことができるだろう。そもそも、彼に家族がいるのかどうかを聞いたことはなかったが。
提灯を揺らしながら砂利を踏みつけていく。風が吹くと、湿度が肌を撫で付け、草の香りを鼻腔へと運ぶ。ふと、藤棚の始まりに灯りが浮き上がる。その燈火は、徐々にこちらに近づいてくると宇髄は闇を睨んだ。藤に囲まれた場所へ鬼はでない。しかし、こんな夜半に一体。一般人であれば、鬼に恐れて出歩かないだろうに。では、鬼殺隊の隊士か。こんな地味な姿を誰かに見られるのは些か癪ではあるが、やり過ごす場所もない。むしろ勘が鋭いものであれば、警戒をさせてしまうことだろう。それでも別にいいが……。宇髄は諦めてため息をついた。
灯りが近寄ってくる。下駄が地面に擦れる音がした。
「宇髄!」
「ア? 煉獄か? なぜ貴様が地味にこんなところに居る」
目を細めて煉獄杏寿郎は幼い笑みを浮かべた。
「君がここにいると聞いたからな!」
「ハァ⁉ 誰からだよ!」
煉獄は隊服姿でその脇には日輪刀を差している。非番ではないのだろう。それにこの墓苑は煉獄の担当地区からも遠かったはずだ。それをわざわざ宇髄に会うためにここへ来たのだというのだから、宇髄は煉獄を訝しむほかなかった。なんのために。急な案件ならば虹丸を呼びつけるが。
「それよりも、俺はこの前の返事を聞きに来た!」
無視をするなよ! と言ってやりたかったのに、煉獄の科白に宇髄は啖呵を引っ込めた。途端に先日の煉獄との話を思い出し、胸がざらついたなにかで撫でられる。
一体なにが起こって、どうなって、辿り着いた答えなのかは知らないが、煉獄は宇髄を好いているらしい。派手に、一心に。その思いのたけを語られたのは先週のことであった。つまり、宇髄が煉獄の言葉をはぐらかしてから同じだけ日数が経っている。
俺には派手に女房が三人も居るんだぞ、と言ったものの煉獄は知っている、なんてあっさりと答えられてしまえば頭を抱えることしかできなかった。社会的には既に一夫一妻が浸透してきたが、忍にそんなものは関係ない。だからといって、自分と煉獄はおかしいだろう。柱同士で、男同士で。
一向に言葉を返さない宇髄を不思議に思ったのか煉獄は首を傾げた。「あー……」と、襟足の髪を弄ると、煉獄の眼差しが期待に煌めいた。
「そもそもなんで俺なんだよ……」
「好いているからだ!」
「だから、なんで」
「む、好いている意外に理由が必要か?」
コイツ本気で言っているのか。煉獄は、よく分からないやつだ。本気と冗談を同じ調子でいつも並べる。いや、本人にとっては冗談ではないのかもしれないが、冗談にしか聞こえないというか……、煉獄と話していると振り回されるのはいつも宇髄の方だった。
「ほら、優しいからとか、かっこいいとか、強いとか……、あとなんだ? 尊敬しているとかよ」
なんで俺がコイツに恋愛感情を手解きしてやっているのか。
「なるほど、だとしたら俺が宇髄を好いているのは、挙げられたもの全てが当てはまるな!」
「ンなわけあるか!」
森の深いところで烏が慌てふためいた。全くなんなんだ、こいつは。今も煉獄は目を細めて微笑んでいる。こちらを疑うということを知らない濁りのない瞳で、宇髄の言葉を待っているのだ。煉獄のことを好いているかどうかなど。そんなこと、宇髄自身でもわからないことであった。
煉獄は強いやつだ。たしか父は元柱ではあるものの、彼は独学で柱にまで成り上がったと噂では聞いている。それに、正義感もある。堅気の人間を守る想いには共感できるものの、命の優先順位を持つ宇髄としては、真似出来ない部分もあった。煉獄は、救えるものならば、当然のように救う。
手元の提灯が揺らめいた。対して、煉獄の持つ提灯は、"ひばし"がなく、手持ち部分に弓が張られているため、揺れることはない。
「大体、仮に俺が、お前のことを空いていたらどうするんだ」
苛立ちに似た感情を隠すことなく、宇髄は低い声で言った。
「それは凄く嬉しい!」
「で?」
「で、というのはその先のことを問うているのか?」
他にあるものかと、宇髄は無言で肯定の意を主張した。煉獄が大きな瞼を瞬きさせる。それからふっ、と視線を下ろす。今までにない熱を帯びたような表情であった。
「お付き合いをして頂けると嬉しい、と思っている」
「…………、前にも言ったろう俺は妻帯者だ」
この問答は、前にもしたなと後から気が付いた。煉獄にとっては、あまり大きな問題ではないのだろう。いや、現実を知っていてもなお、宇髄に惚れていると言いたいのだろうか。煉獄であれば、他にも魅力的な相手は直ぐに見つけられるだろうに、よりにもよって。
コイツといると提灯のように気持ちが揺れてしまう。突風が吹き抜けたかと思うと、次の瞬間には凪いでいる。苛立ちを覚えたり、戸惑ったり、無茶苦茶だ。
胸がざわめき立つのを感じて宇髄は、息をつく。
「地味に諦めが悪いな」
「すまない、怒らせるつもりはなかった」
煉獄の纏っていた熱が夜風に解けていく。安心するはずなのに、胸は変わらずにざわめいたままだった。
「怒っては――、ねェよ」
「今度一緒に食事でもどうだ?」
「ハァッ!?」
「美味い料亭を知っている! あそこは芋の使い方が良くてな、さつまいもご飯が絶品なんだ。酒も美味いぞ! 店主が拘って季節ごとに変えているらしい! 宇髄、君は好きな物はあるか?」
続けざまに降ってくる科白に宇髄は言葉を失ってしまう。そんな宇髄を置いていったまま煉獄は、白い歯を見せて微笑みかける。「君のことがもっと知りたくなった」
煉獄の手が宇髄の毛先へと伸びていった。それを払うと、宇髄は「ったく、よく分かんねェやつ」と悪態をついた。だのに、煉獄は満足気だった。
静かな夜だ。暗闇にふたつの燈が揺れている。ひとつは左右に揺れて、ひとつは真っ直ぐで。
結局煉獄は、わざわざ宇髄の気持ちを聞くために逢いに来たらしい。宇髄が帰ると言えば自分も帰ると並んで歩き出した時には、流石に呆気に取られてしまった。柱合会議の後とか、いくらでも時間を作ろうと思えば出来ただろうに。全く読めない男だ。
だが、そんな男にどうしても、嫁を除いたほかとは違う不定形な感情を抱いてしまうのは何故なのだろうか。
まったく、嫌になる。
「あ」ふ、と蝋燭の火が消える。
煉獄の燃ゆる髪が照らされた。
「火消えちまってら」
「また付け直せばいいさ」