水面には月と星が煌めいていた。風はそよぎ、髪を撫でつける。青臭い匂いがいっぱいに広がるのは夏が近づいている証拠なのだろう。もうすぐ、隣にいる男がもっとも活発になる季節が始まる。生命が活気に溢れ、賑やかになる時節。久々知兵助は夏が少し憎かった。
　池のほとりで兵助と、兵助の想い人である竹谷八左ヱ門は二人水面を眺めてぼんやりと話をしていた。今日あったこと、委員長代理で苦労をしていること、将来やりたいこと。二人で集まると話すことと言えば大体がこういった内容であった。組が違うからこそ情報共有は重要だ、なんてのは建前で一緒にいる間の時間を埋めるのはどうしてもこういった話が多くなってしまう。話下手なのかもしれないと落ち込むことは何度かあったが、今のところ八左ヱ門は楽しそうにしてくれているので救われている。
　それから、話が盛り上がれば兵助は隣に座る彼の指先を絡めて、距離をそっと縮める。
「ん、誰か来るかもしれないだろ」そう言いつつも指を解こうとしない八左ヱ門を愛おしく思う。
「大丈夫じゃないかな、もう一年生のよい子たちは寝ている時間だし、もしかしたら潮江先輩が鍛錬として潜っているかもしれないけれど……」
「本当にいたらどうするんだよ」
「……、たしかに潮江先輩なら本当に潜ってそうだ」
　水面を眺めて二人は笑い合う。時折肩がぶつかる度に兵助の体温は上がっていく。重なる手のひらを擦ると八左ヱ門はくすぐったそうに反応を示す。人差し指を使って彼の指が生み出した空間を抜き差しすれば「おい」と静止の声がかかった。
「ん、どうしたの八左ヱ門？」
「兵助、変なことするなよ」
「変なことってなんだよ」
　暗闇で彼をみると顔を反らされる。あ、逃げた。八左ヱ門のへの字に曲げた口がみたかったのに、あわよくば口付けをしたかったのに、仕方がないから髪に顔を寄せた。湯浴みをした後の八左ヱ門は土や草の匂いがしない。越冬を超えた虫たちもいない。彼から放たれる清潔感の香りを知っているのは自分だけなのだろうと思えば口の端が緩んでいくことを自覚した。
　夜が好きだ。静かな夜が。太陽の昇らない暗い夜が。八左ヱ門を自分のものだけに出来る夜が。彼はみんなの太陽だから。八左ヱ門は常にひとに囲まれていている。それが彼の良さだとは分かっていても、彼を独占することができる限られたこの時間がなによりも愛おしくて大切な時間だった。
「八左ヱ門」
　顔を見せてくれない彼へ声をかける。「なんだよ」といじけたような気配を滲ませた返事に兵助は彼の耳を撫ぜる。引きを飲む音が聞こえた。
「口吸いをしたいからこちらを向いてはくれないか？」
「ん」
「ありがとう、八左ヱ門。愛しているよ、お前を」
　こんな時代であれど、愛しきものといる時だけは平和でいたい。頤おとがいを引き寄せ唇を押し当てる。八左ヱ門の手が兵助の腰を撫でて二人はいっそう近づいた。月明りに伸びる影が一つになって、草原に伸びる。互いの呼吸を堪能するように舌先で口腔を攪拌かくはんする。舌先が重なり合うとぴりぴりと痺れたようになって、ふたりの瞳が蕩けていく。
「俺も兵助のことが好きだ」
「ああ、嬉しいよ」
　頬をすりっと八左ヱ門が重ねてきて、兵助は体を硬直させた。ざらついた肌の感触。初めての感触に息を詰まらせる。耳元に八左ヱ門の唇が寄せられてくれば、羞恥と期待でぐちゃぐちゃの熱が全身を廻る。
「今度は昼間にふたりきりでどこかに行こうな」
　兵助の心臓が飛翔した。口から飛び出していないかあとから不安になるくらいに驚愕をしてしまう。それってつまり……。「えっ、あっ」
「え、だめか？」八左ヱ門の言葉に兵助は慌てて首を振った。
「いく！　お前とどんな時間も過ごしたい」
「ふは、楽しみだ！」
　水面に八左ヱ門の笑い声が抜けていく。あとどれだけこの男と入れるのだろうか。できるのならばずっと隣に居続けたい。陽だまりのような彼を隣に感じながら月のひかりを浴びた。