天の川ふわふわと。
大きな欠伸を1つしてからまた画面に向き合い直す。
頼まれ物の音源編集を始めてから、どのくらいだっただろうか。
近頃は外が明るいせいで時間が分からなくなってしまう。
元々規則正しく生きれているとは口が裂けても言えないけど、近頃さらに酷くなったような気がする。
気がする、と言うよりは、指摘されることが増えた……っていう表現の方が正しいかもしれない。
僕としては正直、自分で出したスケジュールに遅刻しない程度に起きれていたらそれでいいんじゃないかって思ってしまうから、改善する気はあまりない。
『Hiアイク〜!まだ起きているのかい?』
ほらまた。
discordの通知を見て、うんざりもしつつも、こうやって気にかけてくれることを微笑ましく思って返信を返す。
『やぁヴォックス、またお小言でも言いに来たのかい?』
『おや?俺の助言がそんな風に恋人の元へ届いていたとは。こりゃ心外だな……』
『もっと真剣に聞き入れて欲しいのだけどなぁ』
ピコン、ピコンと投げられる文章に続いて、近頃の彼のお気に入りらしいスタンプが送られてくる。
正直可愛くないから止めて欲しい。
『だってヴォックスったらいつもいつも早く寝ろって。それしか言わないんだもん。』
とはいえスタンプも含めておふざけ半分のチャットのやり取り。ぐだぐだとレスポンスを交わしている時間が何よりも幸せに感じる。
そもそもヴォックスだって僕とタイムゾーンほとんど変わらないじゃん、なんでまだ起きてるの、なんて文句を言っていたら、『そう!今日の本題だ!携帯で通話出られるか?』というメッセージがきて、間を置かず通話がかかってきた。
突然のことに驚きつつ通話を受けると、深夜だってのにテンションの高い、まるでバラエティ番組の司会者みたいに張りのある声が聞こえてくる。
「なぁアイク!今日はな、日本ではTANABATAというらしいぞ!タナバタ、知っているか??」
「どうしたの急に……もちろん、七夕についてはよく知っているよ。」
「ならばアマノガワについては知っているかな?ロマンチックな2人の間に流れる星々の大河だよ!」
この男は……僕とヴォックスを織姫と彦星にでも例えようとしているのだろうか。
北海を挟んだ土地に恋仲の男が2人。話の題材としてはなんかイマイチ物足りないんじゃないかな。
「知ってるけど……それがどうしたっていうんだい」
「いや、今すごくな、そのアマノガワがとっても綺麗に見えていてな……こんなに綺麗に見える日は珍しいっておにぎりに言われたんだよ。
だから、年に一度の雅な逢瀬を、電話越しでも一緒に見られたらなって──」
まるで子犬が尻尾を振りながら構ってもらいに来るような。そんな高ぶった声が聞こえて思わず破顔する。
400年も生きてるくせにこういうことしたがるの、本当にかわいいんだよねぇ。
ギザでお茶目な彼の要望に応えるために、わざと音を立ててカーテンを引き、窓を開ける。
こんな事したところで、正直星空なんてあんまり見えないんだけど。
「悪趣味だなぁ〜僕達は会えずにいるっていうのに、他所様の逢瀬を見ようって?」
「あぁいや、そういうことではないんだ、決して。そう、ただ綺麗だなって思って。
それにほら、君がたまに歌っているだろう、夏の星の歌。だから好きなのかと思っていたが、あまり……こういうのはお好みではなかっただろうか……?」
そんなに動揺しなくてもいいじゃない、なんてからかいながら、件の曲の歌詞を反芻する。
「ねぇヴォックス、見えるかい?デネブ、アルタイル、ベガ!空に輝く夏の大三角を探してご覧よ」
「見えているとも!ほら、こっちが俺で、こっちがアイクかな。
天の川くらいすぐに……そうだ、飛行機にでも乗ってしまえば一瞬で越えられるぞ。そしたら今度は一緒に星空の見える展望台にでも行こう」
僕が言わないのが悪いんだけど、一向に噛み合わない会話が面白くて、面白くて、ぶっとアイクは吐き出した。
そのままツボに入ったようにケタケタと声を上げて笑い続ける。
「アイク?……アイク?アイク?どうしたっていうんだい?なぁ、そんなにも笑うほどのことを言っただろうか?
君が楽しそうなのは本望ではあるけれど、理由が分からないから少し困惑しているよ」
その困惑している声すら、今のアイクに取っては笑いのトリガーにしかならなくて、ヒヒヒっと声を上げる。
「ねぇヴォックス、気付いてる?……僕が何処にいるのか、胸に手を当てて思い出してご覧よ。僕はずーっと、面白くて堪らなくてさ。」
少しの沈黙の後──答えに到達したらしい聡明な悪魔が、パッチンと手を叩く無邪気な音が通話口から響いてくる。
「ふふ、ようやくお気付きかい?」
「OK、すまなかった。君がいるのはスウェーデンだ。つまり今見えているのは星なんかじゃない、太陽なんだってこと……あっているか?」
「スマートクッキー!気付けて偉いねぇ。
もし一生気付かないようなら一緒にミッドサマーでも見ようかと思ってスケジュールを確認していたところだよ」
それは勘弁してくれ、なんて失礼な返事を遮るように、彼の言う“夏の星の歌”の、1番有名な冒頭のフレーズを口ずさむ。
流石にちゃんと歌詞を覚えていなくてめちゃくちゃになってしまったけど。
「うむ、やはりアイクの歌声は最高だな。この空のどんな星よりも美しいよ」
「そお?アリガト。僕は今ね、外の空気が暑いなって思ってるからそろそろ窓を閉めるね」
我ながら冷たい返しだなぁと思いつつ……ヴォックスの褒め方はいつも大袈裟で、気恥ずかしくなっちゃうもんだから許して欲しい。
なんならこんな照れ隠し、通話越しだろうときっとお見通しで、品のいい眉をすっと釣り上げてニヤニヤと笑っているんだろうなぁと容易に想像できる。
「つれない坊やめ……いや、とはいえ急に電話してすまなかったな。要件は済んだし、もう遅いからここで切ろうか。
おやすみアイク、早く寝るんだぞ」
「ご忠告ありがとう。君の言う通り、今日はもう眠ることにするよ。おやすみ。」
通話を切ってから、七夕かぁ……と独り言を零す。
白夜──太陽が沈まない神秘の風景。
なんて言われることもあるようだけれど。
こんな空でも織姫と彦星は出会うことは出来るのだろうか。
いつか短編小説くらいのネタにはなるかもな、と走り書きを残して、パソコンの電源を落とした。