或夢見鳥の安寧 真選組屯所の一角にて、ある日のことであった。
差し向かいで、山崎と篠原は話していた。彼らの会話内容は外には漏れ聞こえぬよう、綿密な注意を持って行われる。これは、隊士にも機密の多い監察という部署の習いだ。
「山崎さん、あの件について……」
ここっ。
「うん、篠原は……」
くっ、こここっ。
「では、ここで控えを……」
こけっ。
「そうだなあ。十番隊の先見が……」
こここここ……。
「山崎さん」
こけっこここ、くっくっこっこっこっ……。
「それ、どうにかなりませんか」
「無理」
こめかみを震わせる篠原に、げっそりした顔で山崎は答えた。
その頭には、立派な雄鶏が座っている。赤く立派な冠、大きく白い羽根と、つややかなクチバシ、鋭い目。品評会にでも出したらいい線行くのではないだろうか。いや、鶏の品評会のことなんて分からないけど。山崎は苛立ちを隠せない篠原の前で、現実逃避をしながらため息を付いた。
事の起こりは一ヶ月前、真選組隊士が、攘夷浪士を追いかけた昼日中の大通りのことだ。運悪くひとりの老爺が巻き込まれ、攘夷浪士に突き飛ばされた。命にかかわるものではなかったが、大怪我を負い、入院を余儀なくされた。
真っ青になったのは真選組のほうである。捕物の最中に無辜の民に大怪我を負わせ、入院させてしまったのだから。当然、上司たる隊長が丁重に詫びにうかがった。気難しい老人ではなく、むしろ恐縮されて終わった。しかし、家に動物を飼っており、世話をするものがいないこと。自分には身内も知り合いもなく、申し訳ないが世話先を見付けられないだろうかと相談をされたのだ。
貧乏くじを握った隊長だったが、弱みがあるのはこちらということもあり、快諾して老人の家に向かい、はたしてそこにいたのは雄鶏だった。なるほど、ペットと言えばペットだ。自分の手下の不始末を一身に背負った坊主頭の隊長は、まず手を伸ばして捕獲を試みた。
その結果、頭に紅葉柄という風流な出で立ちになったのだ。
近所から話を聞けば、とにかく雄鶏は凶暴で、老人以外には懐かず近寄れば大暴れをする。早く聞いておけば、と、あの好々爺に騙された心地を抱えつつも、十番隊隊長原田右之助は職務を全うした。紅葉はあちこちに咲いたし、隊長服には穴も空いた。
むっすりとした坊主頭の巨漢が、けたたましく鳴いて暴れる袋をかついで屯所に入る光景は、異様だった。皆が遠巻きにするなか、バドミントンラケットを手にした隊士服が、へらへらしながら近寄って、なんだイメチェンか? と声をかける。坊主は人を殺してきた顔になり、相手に袋を開け放った。バサバサと羽ばたく音と、高い悲鳴が上がった。
皆が一回目をつぶり、開けたときに広がった光景は、予想を超えていた。
「ちょ、なんだお前。やめろ、やめろって!」
立派な雄鶏が、バドミントンラケットを持った隊士にすりよっている。はばたいてはいるが、乱暴なものではなく胸に飛び込もうとしているようだ。驚いた隊士は、ラケットを動かして鶏を追いやろうとしているのだが、物ともしない。
そのうち疲れたらしい隊士が一度ラケットを止めると、そのすきに鶏は羽ばたき、なんと彼の頭の上に陣取った。挙げ句、コケコッコー! と、高らかに鬨の声をあげたものだから、坊主頭を含め口を開けて目を丸くしていた面々はこらえきれなくなり、屯所の外まで馬鹿笑いが響いた。
老人の身内なし、近所に預かれる者なし。なにせこちらに非がある警察、保健所送りなんてもってのほかだ。山崎は貧乏くじをひいた、と臆面もなく嘆く。なにせ相手は人語を理解しないから何を言っても怒らない。つまりそれはこちらの言うことを聞かない、と同じであったのだが。
とにもかくにも、頭に雄鶏をのせたままでは職務遂行も危うい。普段ミントンだのカバディだのと遊んでるようで、山崎は職務に誇りを持ち、殉じる覚悟のある人間である。
まず一計を案じて向かったのは、何でも請け負う知り合いの万事屋だった。菓子折りとそれなりの報酬をぶらさげて、低姿勢で社長に頼むとなかなか好感触だった。が、うっかり計算外にしていたのが、この店のペットとその飼主の少女だ。ぎらつく四つのまなこを認めた瞬間、雄鶏は耳をつんざく悲鳴をあげた。そのまま山崎の髪をひっぱり、羽ばたいて外に行こうと暴れる。興奮したのかペットの巨大犬の方も一緒になって暴れる始末だ。
「ジミーくん、これはアレだわ。こっちの手には負えねえわ」
あ、菓子あんがとね。ぼろぼろになりながら避難した先の道路で、二人は別れた。ちゃっかり菓子は取られた。
それからあてがあるわけもなく、山崎は屯所内で雄鶏を世話していた。命令ならともかく、飼育委員だれがいいですかー? 懐いてるから山崎くんでいいと思いまーす。という流れがいつのまにか出来上がった形なのが、山崎にとっては悔しい。唇をかみしめていたら、傍に降りた雄鶏がやさしく腕をつつく。見ると丸いまなこで首をかしげて、ここっと鳴いた。山崎は不覚にも癒やされた。
仕方ないでしょう。と、篠原はそっけなく言った。
「山崎さん以外の誰が与えても餌を受け付けないし、そもそも近寄ることも出来ません」
「なんでだろうね……」
「知りませんよ」
もっともな返事だった。老爺から原田に渡った情報によれば、雄鶏は十五にもなる年寄りらしい。ずいぶんとやんちゃな年寄りだ。首から下げた小さな木札には筆で「千吉」と記してある。
「千吉ねえ。立派な名前だね、お前」
お前は今日から千だよ、とは言わないが。打ち合わせを済ませ、監察の部屋の外に出る。その流れで鶏に餌を与えながら山崎はつぶやいた。
「ちょうどいい座布団だと思ったんじゃねェですかィ」と、昼寝前に通りがかった沖田にはからかわれた。沖田を探していて通りがかった土方は、千吉の餌に親切心でマヨネーズをかけようとした。もちろん、けたたましく鳴かれた上に腕を蹴られていた。マヨネーズは容器ごと地に落ち、何故か山崎が殴られた。
普段の千吉は山崎の頭に乗る。でなければ、後ろをついて歩く。ニワトリの習性で止まらないのか、こっこっこと鳴く。
逆に、それ以外はおとなしいものだった。どうしても頭には乗せておけない稽古中などは、山崎の見える場所に置いておけばじっとしている。山崎が餌を与えたら静かに食べてこぼさないし、用は庭の隅で足した。
前世の恋人だったんじゃねえか、と頭の紅葉が薄れた原田にはからかわれた。が、雄鶏である。いや前世メスだった可能性があるにしても、あまり考えたくないなと山崎は思った。
餌を食べ終わった千吉はこっ、と鳴いた。餌椀を手に山崎が立ち上がり、屯所内に向かうと後をついてくる。框に上る前に足をふこうと布を取り出せば止まり、足をつかんでもおとなしくされるがままだった。ここまで懐かれると可愛らしく思わないわけではないが、やはり自分には仕事がある。爺さんが治るまでと割り切り、変な情は抱かないでおこうと山崎は思った。
原田は老人の状態をうかがいに、病院に来た。長引けば真選組からの見舞金もかかる。そういった計算のもとではあるが、強面の割りに優しいところのある隊長には純粋に見舞いと様子伺いの気持ちもあった。幸い、怪我の具合は順調で、このままならあと一週間ほどだと老人から聞き、強面にほっとした表情を浮かべる。しかし、老人が穏やかな顔で鶏のことを口に出すと、正直な男の顔は一瞬、苦味を覚えた。
「苦労なさっておいででしょう。えらいことを頼んでしまい、すまなんだ」
老人が申し訳無さそうに謝ったので、原田は慌てて首を振った。
「いや、幸い仲間内によく懐く相手がいたもので。そんな苦労ではありません」
本当の話だ。それを聞くと老人は目をまたたかせ、おや、とつぶやいた。
「アレは私に懐いたのも、ここ数年のことなのですよ」
「え」
「千吉という、札があったでしょう」
あれは、迷子札なのです。
千吉というのは手前どもの息子でした。アレは十五年前に縁日でひよことして売られていましてね。どうしてもほしいと息子が泣くものだから、買いました。息子は今、二十と……七になります。ええ、今、生きていればですが。先の戦争で、親を置いていっちまった親不孝者です。その後、かかあもいっちまいました。気丈な女でしたが、やはり堪えたようです。
そうそうアレはね、千吉が懸命に世話をしてました。ちび、ちびと呼んで、アレもねえ、千吉を親と思っていたのでしょう。後ろをついて歩いて、頭の上にも乗っていましたね。私たちからは餌こそ食べるものの、無理に触れようとすると暴れるものだから、難儀しました。
……幼い頃の千吉はよく言っていました。こいつと俺は、おっとうとおっかあを護る侍になるのだから、強くて優しくなけりゃならないと。それが侍なんだとね。
◇◇◇
千吉。千吉。何処へ行くんだ。
おっとうやおっかあをおいて、おいらをおいて、何処へ行くんだ。
――おっとうと、おっかあを、よろしくな。
千吉は一度ふりむいたのに、また行ってしまう。
おいらの足は届かない。千吉は遠くへ行っちまう。
千吉。
千吉はおっとうとおっかあを護りに、侍になるんだな。
じゃあおいらは、ここで、おっとうとおっかあを。
お前の大事なものを、護っているから。
千吉、はよう、はよう、帰ってきてくれよ。
「……すっげー変な夢見た」
「すっげー隈だもんな」
朝食の味噌汁をすする山崎の横で、原田はご飯を頬張っている。千吉は山崎の足元だ。食堂に、日中勤務の隊士が詰めかけるピーク時は過ぎ、席にはちらほら空きがある。
「なあ山崎」
「なんだよ」
不味そうにおひたしを口に入れる山崎は不機嫌そうだ。だが、原田は伝えなければならないと決めていた。
「爺さん、長くないそうだ」
「……はぁ!?」
「怪我じゃねえ。検査で、良くない腫瘍が見つかっちまってな」
もって、二週間だそうだ。遠くの縁者には、病院から連絡が行った。淡々と、原田は事実だけを告げた。
「……爺さんは、知ってるのか」
山崎の問いに、原田は少し動きを止めてから、静かに首を振った。山崎はそれ以上、何も言えなくなった。何にせよ、こちらは他人だ。首をつっこめる範疇を超えている。足元で、ここっ、と鳴き声がして、山崎は肩を一瞬ふるわせた。ズボンがひっぱられた感触がして、そちらを見ると裾をくわえた千吉が丸い目で見あげている。山崎は口の端を、何となしに上げようとした。鶏どころか人に通じるかもわかりゃしない。不器用な出来だった。
「――まあ、その縁者が引き取らなければ、そいつは保健所だろうな」
仕事ついでに老人の件についても、山崎は副長に報告した。わざと避けていた鶏の行方についてきっぱりと申し付けられ、はい、と山崎は静かに返答した。
「……畜生に妙な情を抱くんじゃねえよ。テメェそれでも監察か」
もっともな叱りに、はい、とまた答えた。隣では、千吉が目をしばたいている。
千吉を胸に抱き上げて、山崎は廊下を進んでいた。このあたたかさと重さにも、だいぶ馴染んできたところだった。
「お前さ」
ここっ。
「本当は千吉じゃないんだって?」
くっくっ。こっ。
「監察を欺くなんていい根性してるよなぁ。あの原田に、相手は隊長なのに立ち向かってるし」
こっこっこっ。
「だからさ」
こけっ。
「元気でいろよな」
山崎の顔が埋もった白い羽からは、鼻につーんとくる臭いがした。
二週間後、老人は亡くなった。縁者は千吉を引き取らなかった。
「おい、山崎」
庭でラケットを振っていた山崎に、原田が近づく。もう、千吉はいない。
「……爺さん、どうだった」
「笑ってたよ。俺と息子さん、似てないってさ」
「……そうかよ」
原田の見せる下手な笑顔に、山崎が笑い返す。
「爺さん、息子さんの好きだった絵本のさ、地味な侍に似てるって言うんだよなー。ひどくないか? てか地味って本人の前でつけるか?」
原田は今度こそ笑った。腹を抱えて笑った。しばらくヒーヒーと息を吐くと、ふと、思い出したように問う。
「アイツは?」
「元気そうだよ。写メ見る?」
「おう」
――江戸から離れた土地の神社にて、どうやらそこでは鶏が御神体らしく、境内内には多種多様の鶏が放し飼いにされ、何かをついばんだりと好き勝手に暮らしていた。そこに地味な風貌の男性がひとり、寺社にて神主と話をしている。腕の中には立派な雄鶏が一羽。眼の前の人間とは話がついたのか、男はなにやらを鶏の方に話しかけて、その腕から開放した。
――こっ、こっ、と鶏は鳴くと、男を一度振り返り、そのまま境内へ降りていった。