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    stic_am9

    @stic_am9

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    stic_am9

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    12月のペンチ2にて発行する予定の先出。途中まで。
    原作軸+遠征模造の予定。自覚なしの烏丸と自覚ありの修で遠征で一度離れて、そこからくっつく話になります。

    ポラリスで待ち合わせ:烏修1.三雲修の初恋

    修が身支度をし、ダイニングへと足を運ぶと、当然のように香澄が茶碗にご飯を盛っているところだった。
    タイミングのはかり方、タイムロスのない配慮。こういうところが母のすごいところで出来立てのご飯を食べて欲しいという香澄の思いが伺える。
    三雲家の食卓には出汁が染み出るだし巻き卵や芯まで味が入った肉じゃが、少しの焦げ目が香ばしい焼き魚にすりたての胡麻が香るほうれん草の和えものなど、和食を中心としており、朝食にしては少し盛りがいいぐらいのボリューム感で並んでいる。
    最近はランク戦の対策などを行うため、玉狛に泊まり込むことも増えてきた。広い家に一人でいることになってしまう香澄に申し訳なさを感じつつ、穴埋めをしているわけではないが自宅に帰ったときは必ず一緒に食事をするようにしている。香澄もそんな状況や修の気持ちを理解してか、修が自宅に戻っているときは修が好きな献立を多く出している。
    一時はボーダーへの入隊を反対されていたというのに、理解を得られて味方になるととても心強い。
    三雲家の食卓は基本的に無言だ。香澄の口数が少ないこともあるが、単純に食事の味に集中したいという気持ちもある。玉狛のみんなと食べる食事もおいしいが、やはり母の作る食事は格別だ。修は思わず口端を緩めた。
    半分ほど平らげた頃、最近どうなの、と香澄が切り出し、修が詳細は話せないもののそれでも機密に触れない程度にボーダーのこと、玉狛支部のこと、お世話になっている人たちのことを話し、ムラなく火の通った肉じゃがを箸で持ち上げたときだった。
    「あなた、好きな人ができたのね」
    口に入るはずだったじゃがいもが箸を滑って落ちる。着地点が同じ皿だったから机を汚すことはなかったけれど、肉じゃがのつゆがはねて修の手に飛んだ。
    突然の指摘に動揺が隠せなかった。そもそも香澄を相手に隠せるなどとは微塵も思ってはいなかったのだけれど。
    修は席を立ち、ティッシュを一枚引き抜いて手についたつゆを拭きながら定位置に着席した。動作を一つ入れたことで少しだけ気持ちが落ち着いた気もしたが、そんなわけもなく、箸を持つ手に余計な力が入っていることに気づいて一旦箸をおく。
    正面に座るメガネ越しに見る母は涼しげな表情のまま、きれいな所作でだし巻き卵を箸で割っている。修は頬に冷や汗を流しながら食べ損ねたじゃがいもを箸でつかんで口に入れた。肉じゃがの味はいつと同じく美味しいが、心がせわしなくなっているせいか味が先ほどとは味が違うように感じた。
    だし巻き卵とほうれん草を平らげ、みそ汁を口にしてから香澄に視線を送れば、こちらの答えを待っていたかのように視線がかち合う。ふぅ、と一息吐いてから香澄に応える。
    「……なんでわかった?」
    「わからないと思ったら大間違いよ」
    あなたの母親だもの。香澄は至極当然のようにそう言った。
    「母さんに隠し事はできないな」
    「自覚しているんだったら早く首に縄でも繋いで捕まえておきなさい」
    あなたのお父さんもそうやって捕まえておいたの。冗談だとは思いつつ、母さんならやりかねないしな、と修は冷や汗を誤魔化すように笑ってお茶を啜った。
    きっと母さんは誰を好きなのかまで気付いているのかもしれない。
    純粋にすごいなと思ったのだ。修ですらその気持ちに気づいたのはつい最近だったから。


    授業中、配られた確認テストをすべて記入し、見直しを二回ほど行った。卒業を控え、最後のテストだった。テストが終わればすぐに放課後だ。そんなことを考えながら、教室の窓から見える広葉樹に目をやれば、最後の一枚だった枯れ葉がひらひらと風に揺られ落ちた。
    テスト中だったから慌てて口を押えたが、あ、と声が出そうだった。
    他の葉はとっくに落ちていたのにその葉だけはずっと木にしがみついて、木枯らしが吹いても耐え忍び、所在なさげに揺れていた。このまま春を迎えるのかと思っていたぐらいだった。その頃にはきっと卒業していないのだけれど。
    落ちる葉と冬の薄い青空を見ながら、この話を誰かにしたいと思った。
    その日は久しぶりに師匠が直接稽古をつけてくれる日だった。修の師匠は忙しい日々を過ごす中で修のことを強くしようと熱心に考えてくれる優しいひとだ。
    枯れ葉が落ちた。
    ただそれだけのことを誰かに言うのならば烏丸先輩だな、と思った。空閑も千佳もきっと修の話ならば興味深そうに聞いてくれるだろう。それでも、きっと冗談を交えて返してくれるのは彼しかいないと思った。
    どう反応してくれるだろうか。烏丸先輩にちゃんと会うのは一週間ぶりだな。今日の夕食当番は烏丸先輩だった。今日は何を作ってくれるのだろうか。ぼくも手伝いたいな。お皿を用意したり配膳をするぐらいだろうけども。
    自然に胸がどきどきと、ぽかぽかと温かい気持ちになっていることに気づいた。降りはじめの雨がアスファルトに染み込むようにじわりと、ゆっくりとそれは理解として心に馴染んでいく。
    隣でテストに苦戦している空閑にもうひと踏ん張りだと軽く指でトントンと机をたたいた。集中力を切らした空閑が口を突き出し、難しい顔をしながらテスト用紙に目をやった。そんな姿を横目に修はもう一度その木に目をやる。
    自分にはそういう感情がわからなかった。いままでそういったことに無縁だったわけで、やるべきことをやる、それだけで手いっぱいだったからだ。特にボーダーに入隊してからはまっすぐに走っていたと思う。はじめは千佳のため、それから空閑のため。それが自分のためだからだ。
    家族や空閑や千佳、麟児さん、玉狛のみんなに向ける好きとはちょっと違うなとは思っていた。はじめての師匠で、家族の次にきっと一番ぼくのことを考えてくれている先輩。負担になりたくない、師匠の教えに応えたい。そう考えて邁進していた。
    恋はするものではなく、落ちるものだ。
    読んだのか、聞いたのか、それは忘れてしまったけれど、恋などしたことがなかったからなんの実感もなく。耳の右から左へと抜けていったのだと思う。それでもどこか頭の片隅にあったものがまざまざと甦ってストンと腑に落ちる。

    ぼくは烏丸先輩が好きだと、唐突に自覚したのだ。

    幸いなのはこの恋に気づいたのが芽吹きではなくてとっくに開花していたことだ。気付くのが遅くて開花にも気づいていなかった。修の初恋とはそんな段階だった。
    師匠に向ける様々な感情がすべて「好き」に繋がっているとしたならば、なんてあさましいのだろう。そんな自分にすこしだけ落胆した。
    修の初恋は自覚したと同時に、想いが実らないものだということも理解していた。
    ――だったら、この想いを、せっかくの初恋を大切にしたいと思った。
    ふわふわの、お日様のにおいがするような布団でくるむように大事に、大切に。誰かに踏み荒らされないように隠して、納得して。大切な思い出として花が枯れていくのを見守ろう。好きな人が幸せになることをちゃんと祝福できるように消化させて。そして、次の恋へと種を飛ばすのだ。ぼくはそう決めたから――。


    「ぼくは、やるべきことがあるから。まずはそれを優先したい」
    修がそう告げると香澄はそれ以上に追及をせず、そう、と言ってお茶を静かに傾けた。
    「そろそろ出る時間でしょう」
    食器はそのままでいいわよ、と香澄が言うと修は頷き立ち上がる。ダイニングを出ていくとき、修は立ち止まり香澄に顔を向けた。
    「……ありがとう、母さん」
    成長していく息子の背中を見送りながら香澄はお茶のお代わりをしようと急須にお湯を足す。急須の中で茶葉がぐるぐると回転し、一煎目よりもあっさりと色づいた。こぽこぽと湯呑に注ぎ、最後の一滴が湯呑の中できれいな波紋を描く。
    自分のことよりも他人のことを優先してしまう息子だから。そしてそういうところは強情で一切譲らない子だから。
    「我ながら難儀な子ね」
    香澄はそう言ってお茶をすすった。



    2.ぼくのやさしい師匠

    暦ではまもなく春の入口だというのにまだまだ真冬としか言いようのないそんな夜のことだ。
    「……修か?」
    「烏丸先輩……?」
    バイトの帰り道で見たことのある背中を見かけた。丸いつむりに、寝ぐせでもないのにピョンピョンとはねた毛先。スポーツなど縁のなさそうなひょろりとした体躯。自分の弟子に違いないと声をかければ思った通り冷や汗を一筋流しながら、背筋を伸ばして降りむいた。
    「中学生が出歩いていいような時間じゃないだろ」
    「……それはそうなんですが」
    話を聞けば玉狛支部のインスタントコーヒーが切れ、眠気覚ましに散歩をしながら最寄りのコンビニまでコーヒーを買いに来た、とのことだ。
    「事情はわかった。だけどお前はまだ病み上がりだろ。無理をしてもいいことはないぞ」
    「……そう、ですね」
    心配をおかけしました、とぺこりと頭を下げる。そういうところは素直に謝るくせにきっとこのまま支部に戻っても休む気などないのだろうことは容易に想像できた。人よりもスタート地点が低い凡人だと理解していて、それでもどうにか工夫を講じる頭脳があって、自分より他人を優先して一歩引いたところで見てると思いきや、必要以上に頑張ってしまうところが非凡で頑固。それが自分の知る三雲修だ。
    修のことを思えば、今すぐ家に帰って寝ろ、とでも言ったほうがいいのだろうけれど、そんなことを言っても無意味だということも重々理解している。烏丸は目を伏せ、ため息をつく。
    「……支部まで送る」
    「え、いや、そんな悪いです」
    「ここでお前を放っておくような師匠にしたいのか」
    そう言えば弟子は素直に、では支部の近くまで、と頷いた。師匠と弟子。一つしか年は違わないが随分と便利な関係ではないか。弟子など作る予定もなかったが初めてできた弟子に少し浮足立っているところもある。口元が緩んでいないか悟られないようにマフラーを引き上げ、隣を見やる。鼻の先と耳がまるで子供のように真っ赤になっていた。
    「……お前、ずいぶん薄着じゃないか?」
    そう指摘をすると、明らかにうろたえた様子だった。その顔には図星と書いてある。
    「その、……考えていたよりもコンビニが遠かったな、……と思いまして」
    すぐ近くだから着の身着のままでもいいかと考えて出たはいいが思ったよりも遠かった、というところか。烏丸は呆れたようにマフラーを外し、修に巻き付けた。
    「風邪ひいたらどうするんだ。とりあえずしてろ」
    首にぐるぐると巻かれ、修はぽかんと口を開けたまま息もつけないような驚いた顔をみせた。珍しい表情だ、と烏丸は思った。
    「だ、……いえ! これだと烏丸先輩が寒いのでは」
    「大丈夫だ」
    「ですが……」
    「だったら次から気を付けるんだな。ほら行くぞ」
    修の頭をポンとひと撫でし、先に歩き出すと数歩遅れて歩調をあわるように、いつもより急ぎ足で歩く音が耳に入った。
    玉狛からこのコンビニまで、確かに言うほど距離はない。でもそれは昼間だから言えたことであり、夜道であれば暗がりを避けて少し遠回りをする方がよいだろう。換装しているなら良いかもしれないが、生身なら無難な方を選択したほうがいい。おそらくは修もそうしたルートをたどってきたはずだ。思ったよりも遠かった、にはそういう意味も含まれるのだろう。
    隣を歩く修をちらりと見れば、マフラーの分だけ首元は暖かそうにしていたが、口のあたりで両手をこすり合わせながら、はあと息をかけたりして指先が震えているのが見えた。
    「修、手を貸せ」
    え、と口に出すが意味を理解し、差し出される前に修の手を握った。自分の手が温かいなど思ったこともないが、そう感じられるぐらいには修の手が凍えている。なにやっているんだ、と呆れながら向かい合わせになり、両の手で修の手を包み込んだ。まるで氷を握っているみたいだった。どんどんと自分の体温が奪われていく。
    「……か、烏丸先輩、手が冷えます、……から」
    目の前の彼はあわあわと慌て、手を引き抜こうとする。その手を離さないようにしっかりと握りしめた。
    「うぅ……」
    視線がばったり合いそうになると驚いたようにそらして、決まりが悪いのを紛らかすように俯く。寒さではなく、おそらくは違う意味で耳の先が赤くなっていた。
    確かに往来で向き合って手を握りしめているこの絵面は恥ずかしいのかもしれない。ならば帰路を急いだほうがいいだろう。烏丸は片方の手を離し、行くぞ、と促した。修は目をそらしたままこくこくと頷き、連れ立って歩きだす。
    手を離したってよかった。でも、離そうとは思わなかった。修も本当に嫌ならばそう言うはずだ、と都合のいい考え方をして手に力を込める。
    修の手はまだまだ冷たい。離したもう片手の方をポケットにでも入れていればいいけれど、きっとしないだろうこともわかっていた。病院で会った年もあまり変わらないような見た目の姉のような母を思い出す。教育の違いか修はポケットに手を入れないことも理解していたからだ。
    「……修は手がひんやりしてるな」
    変に緊張していないか雰囲気を変えるためにそう口にした。
    「烏丸先輩は温かいですね。手が温かい人の方が優しいって聞いたことがあります」
    不意に質問を投げかけたことで若干緊張がほぐれたかのように思った。
    「俺はその逆を聞いたことがある」
    「ということはお互い優しいってことですね。ぼくは優しいなんて言われたことないですけど。烏丸先輩はすごく優しいですから」
    修はどこか得意げに笑って見せた。あまりにも恥ずかしいことをさらりと伝えられ、烏丸は顔を隠すように慌てて空を見上げた。優しいなど、面と向かって言われたことはなかった。お世辞じゃないこともわかっている。だから嫌な気持ちはしなかった。むしろ、誰かがこんなふうに隣にいることが心地のいいことだなんて考えたこともなかった――。
    「せっかくだから今日のおさらいでもするか」
    「……! はい!」
    弟子はかわいいぞ、と誰かが言っていた。
    これがそういう気持ちなのだろうか。師匠も俺のことをそう思っていたのだろうか。そう考えて多分違うだろうなと思った。もしレイジさんと手をつないで歩けと言われたらきっとお互い困惑することが目に見える。
    相手が修だから。
    烏丸がそう思い至る日はまだ少し先だった。



    2.ぼくのやさしい師匠:Sequel

    最初は狙っていたわけじゃない。狙うぐらいならきっとやっていない。
    玉狛に泊まり込んでいたある晩、コンビニに行こうと外に出た。いろいろなパターンを考えすぎて頭の中がこんがらがってしまった。頭の中をスッキリとさせたかったのだと思う。あの日はコートも着ずに外に出ていた。
    たまたまバイト帰りの先輩と遭遇し、玉狛支部まで送ってもらった。ぼくが寒がっているのを優しく介抱してくれ、手を繋いで歩いた。
    そのときにはっきりとわかってしまった。
    烏丸先輩はぼくのことを弟妹と同じポジションに置いていると。
    先輩がご家族のことを大切に思っていることは周知の事実で、それと同列に扱ってもらえることは嬉しかった。それと同時に少しだけ悲しかった。嬉しいと悲しいが同時に感じられるというのも恋なのだと理解した。
    修は好きを自覚したあのときから気持ちを育てないように気を付けていた。
    玉狛支部であてがわれた部屋の窓に近寄り、換気がてら窓を開けて冷気を招き入れる。寒いな、と夜空に白い息を細く長く吐き出す。闇夜に映える吐息は揺らめいてやがて溶けていった。
    今日は鈴鳴第一とともに防衛任務に出ているはずだ。
    窓の外の等間隔に並ぶ街灯を見ながら、合間合間の暗闇に烏丸先輩を思い出し、目を伏せた。



    3.それが当然の日常となり

    大規模侵攻からもう少しで一か月が経つ。自主的に外出を控えていた住人たちは大規模侵攻など忘れていたかのように普段通りの生活に戻っている。バイト先の飲食店も少し前までは閑古鳥が鳴いているような状態だったのにすっかり元通りの忙しさだ。
    シフトが減らされるよりも忙しいことはいいことだと思う反面、いつ襲撃が来てもおかしくない状況だというのに緊張感がまったく感じられない。この日常のギャップに、三門の住民は意外とタフだなと思うが、どこか引っかかる自分もいる。
    二十時を過ぎたばかりの空はまだまだしんと静まり返り、風が澄んだ音をたてて凍りつく。雲ひとつない夜空に熱を奪われ、風はないけれどひどく冷える。
    すれ違う人たちは寒さに肩をすくめ早足で帰路を急いでいた。人通りはまばらで活気のない街並みはなおさら寒さを助長してくる。
    中華屋の看板が淡いオレンジで心なしか暖かそうに見えたが、近くに寄っても少しもそれを感じないのはきっと白熱灯じゃないからだろう。
    のれん越しに中華屋特有の油のにおいをかぎ取った。バイト先で賄いを食べてきたから空腹ではないが、鼻から入った情報に少しだけ心が揺らいだ。思わず鼻先まで隠すようにマフラーを引き上げる。師匠の作る肉肉肉野菜炒めを思い出しながら、今度の食事当番のときは餃子にしようと思いはせた。
    通りを一つ曲がると街灯の間隔が広くなる。暗がりに入ると少し落ち着く。空がいつもより暗く見えるのはきっと月が出ていないからだ。
    通りの角、終夜営業のコンビニが青白く、それが一種の街灯になっていた。そのコンビニの向かい、ガードレールに軽くもたれながらぼんやりと空を見つめる見知った人影があった。青白い照明がアンダーリムの眼鏡に反射して、その内の表情が隠れてしまう。両手でコーヒーの紙カップを持っていたが、きっと飲み切ってからになっているのだと思う。整った鼻先とカップを持つ指が赤くなっていた。
    烏丸は足を止めてため息をつく。
    「……修」
    そう呼ぶとハッとしたように顔をこちらに向けた。
    「お、お疲れ様です。烏丸先輩」
    ねぎらいの言葉と共に普段あまり見せることのない柔らかなほほえみを添えた。烏丸は修の前に立ち、その手のカップを取った。
    「やっぱり入ってない」
    「いや……その……思ってたより喉が渇いていたみたいです?」
    修は気まずそうに苦笑いするけれど、それが正しくもないことは聞かずとも知れた。
    「店の中で待っていろと言っただろ」
    烏丸は修の赤らんだ頬を手で覆い、冷えた肌に自分の熱を沁みこませる。
    「……それは、そうなんですが、ちょっと考えごとをしたかったので」
    修は手のひらの中でごまかすように笑った。逃げるわけでもなく、心地よさそうに目を細め、頬をすり寄せる彼は普段の様子とはまったく違う。烏丸もそれが変だとも、なんとも思わない。至って普通のことだと思っていた。
    「烏丸先輩の手、すごくあたたかいです」
    「……そうか」
    少し頬が温まっただろうか烏丸は修の頬から手を離し、コンビニのゴミ箱にコーヒーのカップを捨てる。
    「すみません。ありがとうございます」
    「寒い。いくぞ」
    「はい」
    烏丸は当たり前のように修の手を取ってコートのポケットの中に入れる。修もそれを普通のことのように受け止めた。別に歩きやすい位置に手があるわけじゃない。修だって歩きにくいだろう。でも、一つも疑問を呈したことはなかった。これが当たり前なのだと受け入れているようだった。
    「なんだか烏丸先輩からいい匂いがしますね」
    「今日のバイト先は前に連れて行った駅前の店だったからな」
    「そうだったんですね。烏丸先輩はイタリアンが好きなんですか?」
    「いや、時給がよかったからだな」
    「なるほど」
    修の隣はかすかに淡く春の匂いがする。肌寒い夜なのに、コートの薄い生地を通して、甘い夜風が体を包み込んできた。
    コンビニから玉狛支部方面まで、住宅地を抜けてロードワークにも使う人気の少ない河川敷を通って。他愛もない話をしながら最短距離ではなく、少し遠回りをする。どちらかが提案したことではなく、いつも自然とそうなった。
    「本部での特訓はどうだ?」
    「おかげさまで皆さんすごく良くしてくれます」
    烏丸先輩のおかげです、と照れもなくそう言える澄んだ心が冬の空気にぴったりだと思った。
    「先日のランク戦ではふがいないところを見せてしまったので次は挽回できるように頑張ります」
    「期待していいのか?」
    「ぜ、善処します……」
    トレードマークのようになった冷や汗をかきながら修は苦笑いをしてみせた。
    そこからは反省感と称し、今日の自主練習の話と本部へのおとないについて。それから今日の出来事などを話題にする。
    師匠とは言えど、バイトばかりで他の二人、木崎や小南に比べれば満足に見てやることもできないのが現状だ。別にどちらかが師弟関係になりたいと言ったわけでもなく、林道支部長の命令で弟子となったのは二ヶ月ほど前。余りもの同士で師弟になった関係で、修はよくボーダーに入れたなと驚くほど身体能力は低いし、トリオンも少ない。どうしたら強くできるのかと日夜考え続けるほどだった。
    ――でも、いま考えれば修でよかったと思う。
    現状に文句の一つも口にすることなく、自分のすべきことと真っすぐに自分と向き合っている。若干自分を下に見すぎているきらいはあるが、過剰に自分を見誤っているやつよりはいい。最近あまりいない謙虚で礼儀正しく真面目でおとなしい、よくできた弟子だった。
    「そこで出水先輩が――」
    修が出水先輩にコロッケをおごってもらったという話を楽しそうにしていた。出水先輩や嵐山隊に託しているから口出しはしない、と言ってしまえばその通りだが、それはあまりにも無責任がすぎるだろう。そう思ったにもかかわらず、自分が渡した特訓メニューの報告はそこそこ聞いていたが、本部で行われている訓練の話は上の空で聞いてしまった。
    それに気づかれたのか、いつのまにか今日の出来事を話し出した修が、出水先輩との話で思慮深くも楽しそうに笑ったのをみて、なぜか心がさざ波だつ。ポケットの中でつないだ指を握りなおすふりをして少しだけ力をこめた。
    「随分とかわいがられているんだな」
    不思議と修の表情を見ることができなかった。まっすぐ前を見るふりをして目をそらした。
    「……そうでしょうか」
    「出水先輩がコロッケを誰かに奢るなんて聞いたことがないぞ」
    「そんなおおげさな」
    「出水先輩はコロッケが大好物だからな」
    コロッケ好きの逸話は元同じ隊に所属していたから知っていたけれど、烏丸と出水が一緒にコロッケを食べた思い出はなかったなと思い返す。
    修は一瞬ぽかんとした表情を見せたが、すぐさまうつむいておとがいに手を当てた。
    「……そうだったんですね。それは悪いことをしてしまったかもしれないです」
    「どうしてだ?」
    ご馳走になったことを、かと思えば修は至ってまじめな表情をしてみせた。
    「ぼくが断っておけば出水先輩が二個食べられたわけじゃないですか」
    好物を横取りしたみたいになってしまったかもしれないですね、と修がうんうん唸っているのを見て烏丸は面白いなと思う。
    「なるほど。そういう考えもあるんだな」
    烏丸は少し毒気を抜かれて横目で修の表情を伺った。
    「でも、少し嬉しいかもしれないです」
    「コロッケを奢ってもらったことか?」
    「いえ、ぼくもカニクリームコロッケが好きなので」
    母がベシャメルソースから手作りしていますよ、と照れ笑いを見せた修から目をそらしたくなる。
    修が射手として学びたいと言ったことで、出水先輩のところに向かわせたのは自分だ。修は素直な性格だからきっと予想以上にいろいろなものを学び取り、吸収するだろう。話を聞いている限りまだ出水先輩が何かを教えるには至っていないようだが。それでもかつての年上の弟子よりは、年下で真面目な臨時弟子の方が可愛がりやすいだろうことは楽に想像できた。
    ちりちりとしたなにかが胸を焦がす。その正体不明な感情を吐き出すように細く息を吐く。白い息は自分にまとわりついたあと、霧散した。
    「……今日のバイト先、ランチのクリームコロッケが有名な店なんだ」
    「そうなんですか? それはちょっと気になります」
    なにを競っているのだろうか。自分で何を言い出したのかよくわからない。自分の師匠からポーカーフェイスであれと学んだときの事が甦った。
    「今度食べに来い」
    ありがとうございます、と律儀に返事をする修の様子から、こちらの不安定な感情は読み取られていなさそうだった。
    「烏丸先輩のコロッケ、なんだかすごい付加価値がついてそうです」
    「……そうだといいがな」
    そんなどうでもいい会話をして修が笑った。修の笑顔は何度も見ている。けれど、今の修の笑顔はひどく無防備で玉狛のメンバーにも見せない類の力のふっと抜けたような柔らかい笑顔だった。いつもどこかピンと糸を張るような、線を引きたがる修が、だ。
    驚きで目を見開いた頃にはもういつもの表情だった。忘れられない。惜しげもなく育てた花の開花を見たような気分だった。もやもやした気持ちが晴れていく。
    次のシフトのとき、店長にカニクリームコロッケの作り方を聞いてみよう。きっと修が喜んでくれるはずだ。そう思った。
    「あ、烏丸先輩。星がきれいですね」
    頭上を見上げれば冬の澄んだ空気に星が瞬く。
    「……おー」
    二人の歩いていた河川敷は住宅街から少し離れ、人気が少ない分、街灯が少ない。今までこの道を幾度となく歩いてきたというのに星がよく見えるなんて考えたこともなかった。
    「あのわかりやすい星座がオリオンで、あっちが北斗七星、北斗七星のちょっと上が北極星」
    修は独り言のようにつぶやく。烏丸に教えたいというわけでもなく、ただ自分のために復習でもするかのように口にする。まるで読み聞かせのような優しい声色だった。烏丸はゆっくりと瞬きをし、修の顔見る。修のかんらん色した瞳に星が映っているような気がした。
    「星が好きなのか?」
    「……父が好きだったので、その影響だと思います」
    そう言った後、また小さな声で星座を呟いていた。その星座がどれなのかわからないけれど、同じ星をたどれたらいいと思う。今日は多分いつもより星がきれいだ。数えきれないほどの星が光っていた。少し前のクリスマスイルミネーションよりも厳かで、ささやかだけれど。
    大規模侵攻のあの日から修を最後まで守ってやれなかったことが、そしてあんなひどい怪我を負わせてしまったことがずっと強くわだかまりのように残っていた。きっと謝っても素直に受け取ってもらえないことはわかっていた。だから言わなかったし、きっと修もそれでいいと言うだろう。だからそれが正解なのだとわかってはいたけれど、腹の底に重い石を抱え込んだ消化不良のままそれがどこかに居座っている。
    しんしんと冷える冬の夜道はほほにぴりぴりと風がしみて、氷のかけらのような星がまたたく。まるでこの世の中に二人だけになったような、迷子にでもなりそうな気がして、ポケットの中の手を離さないように強く握った。修はもうなにも言わなかった。

    「……では、ここで」
    玉狛支部に泊まり込む修と自宅に戻る烏丸の分かれ道だった。いつもここまでだと決めている。玉狛支部まで送るのもいいがさほど遠くでもない距離感で、一度提案はしたが修が固辞をしたからそれきりだ。
    「また明日もご指導のほどよろしくお願いします」
    修はきれいな角度で頭を下げる。冷たかった修の手は烏丸の体温が移ってとっくに暖かくなっていた。その手が離れて、ぽかりと広く感じたポケットの中。残った手が所在なく、居心地の悪いものとしてそわそわと落ち着かない気分になる。
    「暗いから気をつけろよ」
    「先輩こそ」
    「おやすみなさい」
    烏丸は遠ざかる修の背中を見ていた。少し振り向けばいいのに。そう念じても修は振り向かずに行ってしまう。そしてそのまま玉狛支部の方へ角を折り返した背中を見届けて烏丸は踵を返した。
    明日も新聞配達がある。早く寝て早朝に起きなければならない。だけど、もう少しだけ修と一緒にいたかったと思う。
    「……おやすみなさい、か」
    誰かの隣が心地よく感じるなんていままで思ったことがなかった。吐いた息が白くモヤになって夜に溶けた。

    <続>
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