催眠えち導入 その日は、翌日のデートに備えて課題に集中すると決めていた日だった。
美奈子はゼミの飲み会で、しばらくはメッセージの返信も来ない。泊まりに来る予定の彼女に“迎えに行くから、連絡して”と送ってからどれくらい経ったんだろう。
パソコンに向かって作業を始めてから数時間。ふと、時間が気になってスマートフォンを確認する。
――21時……そろそろ連絡が来てもいい頃だな。
集中力も切れてきたので、やりかけのデータを保存してパソコンの電源を落とす。デスクの上の資料も片付けて、スマートフォンで明日行く予定のショピングモールのイベント情報を見ながら行きたいところを吟味していく。
――あのショップ、セールやってるのか……。クレープショップのキッチンカーも気になるな……。
そんなことを考えながらスマートフォンを見ていると、ディスプレイが着信画面へと切り替わった。
「ダーホン……?」
表示されていたのは連絡を待っている恋人ではなく、その恋人と同じ大学に通う友人の名前。
「ダーホン?急にどうした?」
『良かった!ミーくん出てくれた!今すぐ出てきて!オレ、マンションの前にいるから!』
いつもはテンション高めながらも順序立てて話す友人の、珍しく要領を得ない言葉に異常な事態を察知して心臓の鼓動が少しずつ速くなる。
「何か、あった……?」
『小波ちゃんが大変なんだ!いいから早く来てよ!ミーくん!!』
「なに、コレ、どういうこと……」
全速力でエントランスへ向かうと、そこにいたのは困惑した表情で立ち尽くす本多とバッグを抱き締めてハァハァと肩で息をしながら俯いてしゃがみ込む美奈子の姿だった。
「美奈子、大丈夫?どうした?」
声をかけても顔を上げることはなく、ふるふると首を横に振るだけで返事もしない。
「オレも小波ちゃんの知り合いだからって急に呼ばれただけだからよくわからないんだ。言われたのは、本に書いてあった催眠術をふざけて試してみたら、こうなっちゃったってことだけ。」
「催眠術……?」
「お酒の席だったらしいし、誰かがたまたま持っていた本を見て話のネタとしてやったんだろうから、悪意は無かったんだと思う。」
落ち着きを取り戻した本多がわかっていることを説明してくれる。
「催眠術なんて、本当にかかるのか?」
「オレはどんなことをしたのか見てないし、どんな本なのか読んでないから否定も肯定もできない。でも、アルコールで判断能力の落ちた状態で洗脳のようなことをすれば、ありえないとも言い切れないと思う。」
「洗脳……。」
洗脳って、何を……?俺の心を読んだかのように、本多が言葉を続ける。
「ちなみに試したのは、いわゆる“エッチな気分になる”催眠術だって。」
「はぁ!?なんだそれ!?」
美奈子に何してくれたんだ。頭の中が怒りで染まっていく。
「ミーくん、落ち着いて。その場にいた他の女の子たちが怒って引き離してくれたから、とりあえず何もされてはいないよ。オレのことも呼んでくれたし。」
「ていうか、なんでダーホンが呼ばれたんだ?」
同じ大学だと言うならカザマでもいいはず。むしろ、カザマのほうが怒り狂って出てきそうだが。
「リョウくんが知ったら何するかわからないでしょ……。だからオレが呼ばれたの。まだ大学にいたし、店も近くだったから。」
「……なる。」
「ただ、オレが迎えに行っても小波ちゃん何も喋らないんだ。ずっとこの調子で、表情もいまいち見れないし……。」
そう言って、黙ってしゃがんだままの美奈子を本多がチラリと見る。
「オレのことをわかってるのかも正直よくわからない。……でも、ミーくんの家に行こうって言ったら頷いて着いてきたからミーくんのことはわかってると思うんだけど……。」
「わかった、助かったよ。礼は今度する。」
「うんうん!催眠術の人たちはオレとリョウくんでなんとかしておくから、安心して!」
違う意味で安心できない言葉を残して、本多が去っていく。
「美奈子、立てる?」
そう声をかけて肩に触れると、彼女の身体がビクッと跳ねた。
「美奈子……?」
「あなた、誰……?実くんはどこ?」
確かに俺の目を見て、彼女はそう言った。