選ばれしもの「香水?」
買いに行きたい、じゃなく作りに行きたいと言われた時は驚いた。香水って作るもんなのかー、って。
「この店だ」
狭山に連れられて行った店は商業施設の中にあって、そこであいつはなにやら真剣な顔をして店員のお姉さんと話してた。てっきり一緒に選ぶのかと思ったのに「お前は適当にその辺見ていてくれ」と言われてしまい暇な俺は言われた通り適当にその辺に置いてあった香水の香りを手当たり次第に嗅いだ。
(お、いい匂い)
(甘ったる)
(……草?)
(どっかで嗅いだな……柔軟剤か?)
(おーっ! これクレっぽい! あとで教えてやろ)
十数種類も嗅ぐとさすがに鼻が馬鹿になってくる。遠目に狭山の方を見てみるとまだお姉さんとなにやら真剣な顔で話をしていた。【ご自由にお使いください】というラベルが貼られた小瓶には珈琲豆が入っていて、嗅いでみると鼻の中のごちゃごちゃした香りがいくらかマシになった。気を取り直してまたいくつか香水の香りを嗅いでから狭山の隣に行くと「香水を作りに行きたい、お前も付き合え」と言った割には話に入ってきてほしくないようで向こうへ行ってろと言いたげな視線を向けてくる。なんだよー、そんなにお姉さんと二人きりで真剣な顔で話すことがあるのか。仕方ない。店内はカップルや若い女の子のグループでいっぱいだ。みんな匂いを嗅ぎながらキャンキャンもといキャーキャー言っている。うふふ、あははと楽しそうな声も聞こえる。俺はきれいなお姉さんと二人で真剣に話し合う狭山の横顔を見つめてた。そんな顔久しぶりだ、と言うか滅多にしたことないだろ、俺にだって。でもそんな顔も好きなんだよなー。色んな匂いを嗅ぎすぎて俺は鼻どころか頭も心も色んな感情でぐちゃぐちゃになったらしい。リラックスとかリフレッシュとか森林浴、とか書いてあるものも嗅いでみたが全然落ち着けない。それどころかざわざわするしイライラもしてきて、なのにお前は変わらずきれいな顔してそこにいる。ここに俺がいるのにまるで眼中にないみたいに。なんだか初めて会った時のことを思い出した。俺に興味がない、眼中にないってツラしてツンとすましてたな。そんな俺と、興味なかったはずの男と楽しげに歩いてるお前が好きだ。なんだか照れくさくて、嬉しくなるから。でも今はちょっとだけ初めて会った時よりも遠く感じる。他人より、他人に感じるよ。
「さや……」
いや、こらえろ。肩を叩きかけた指は代わりにテーブルをトントンと叩く。やっと俺にちらりと視線を向けた狭山に煙草を吸う仕草をすればコクリと小さく一度頷いた。時間かかりそうだし、煙草だけじゃなくどっかその辺ぶらぶらしてくるか。喫煙所で煙草を二本ばかり吸い、雑貨屋や服屋を見て、外の広場を一周し、また喫煙所に戻る。ここにいる人たちもみんな恋人や家族と買い物に来たんだろうか。そして途中何かから逃げ出して来たんだろうか。慌てて出ていく人は催促の連絡が来たか、それとも早く大切な人の所へ戻りたいのか。のんびりしてる人はのんびりして来いとでも言われたのか。一応スマホを見てみるが狭山からの連絡はない。どうやらまだお姉さんとの会話に夢中になってるらしい。普段から狭山の買い物には付き合うし、嫌だとか面倒だとか思ったことはない。どんなにあいつの買い物が長かろうが、店の前で待ってるとかどっかの椅子に座ってるとかもした事ない、そういえば。むしろ楽しい、あいつが夢中で何かを選ぶのも選んだ何かをどうだと俺に見せつけてくるのもそれを見て素直な感想を伝えるのも、俺にとっちゃ楽しい。俺の反応を見て喜んだり照れてみたり不服そうにしたりぷっつんしたり、ころころと天気のように忙しい狭山を見るのが楽しい。逆に狭山に勝手に服を選ばれて試着させられるのも楽しかった。それを着た俺を見て「ほらな、やっぱり俺のセンスは間違いない」と自分で自分を褒めて満足そうにするあいつを見るのが楽しい。狭山と買い物をするのは、出かけるのは楽しい。だけど今日はなんだか置いてきぼりくらってる気分。疎外感、というか。
「寂しいんだよなあ」
気づいたら喫煙所に一人になっていて、そのおかげで俺はやっと煙以外にその言葉を吐き出せた。でもまたすぐに、新入りが入ってきた。
戻ると狭山は俺がしていたように店の中をうろうろしていて、色んな香りを嗅いではなにやら首をひねったり頷いたりしていた。俺をちらりと一瞥し、また香水の群れに向き直る。
「ああ、戻ってきたのか」
「はあ~、素っ気ねえな。お望みならもう少し出てきますけど?」
ぎゅっとブルゾンの腕を掴まれて心臓が跳ねる。
「いや、ここにいてくれ」
なんだよさっきまで俺の事ほったらかしにしてたくせに。突き放したあとは甘える作戦か? ほんっと、そういうところ仕方ねえ、抜け目ねえやつ。狭山はそっと俺の肩口に鼻を寄せるとクンクンと匂いを嗅いだ。
「……煙草くさい」
「あー、今吸ってきたから……悪い」
そうだった、香水作ってんだもんな。色んないい香り嗅いでる中に俺の煙草の香りが混ざっちゃ悪いな。やっぱもう一回外に出て──背中を向けようとした俺の腕を狭山が引く。
「いや、いい……お前の煙草の匂いを嗅いで、そうだこんな匂いだったなって思った……」
「ん?」
「一度に色んな香りを嗅いだからお前の匂いを忘れた……だから今、ほっとした」
何をかわいいことを言い出すんだよ。ああでもないこうでもないとイチャつくカップルの隣で。
「狭山様」
店員のお姉さんが狭山を呼ぶ。狭山様か、似合うな。普段から呼ばれてそうだもんな狭山様。一度小馬鹿にしてそう呼んだ時キレられたから、それからはもう呼んでないけど。
「お待たせしてしまいすみません、こちらでいかがでしょうか」
お姉さんは透明な香水瓶のノズルをシュッと一度細長い紙にプッシュすると狭山に渡した。それを鼻先に持っていくなり、「あ」と短く声を上げる。
「これです……ありがとうございます」
は、なんだその顔。見たこともない柔らかい顔で微笑う。おい、いくらお姉さんが美人でお前に優しいからって、そのお姉さんは誰に対してもそうなんだぞ。勘違いするなよなー。
「相談に乗って頂きありがとうございました」
「とんでもないです、お気に召して頂けてよかったです」
お包みしますねとお姉さんが言い、狭山はなんだか機嫌よさそうにしている。代金を払い紙袋を受け取り、お姉さんに礼を言い店を出る間も、出てからも、狭山は嬉しそうだし足取りが軽い。一番分からないのはなんだか分からないまま一応礼を言い頭を下げた俺にあのお姉さんが「とても悩んでいらっしゃいましたよ」と言ったことだ。
「なあ、どんな香水作ったんだよ」
「もう昼飯時だ! どこか店に入ろう」
狭山の反応がおかしい、明らかに。
「ごまかすなって」
「一度鼻をリセットしたいな! カレー屋にでも行くか」
狭山の右手にしっかり握られた紙袋が邪魔をして、俺に手を繋がせない。いつまでおあずけさせるつもりだ。紙袋の持ち手を握る狭山の右手首を、俺はぐっと掴んだ。
「帰るぞ、昼飯は俺んちで食おう」
「は!? なんで……!?」
「いいから」
「よくない! カレーはどうするんだ! まだ見たい店もあるし……!」
「明日でも明後日でもまた来てやるから」
腕を掴んで早歩きで行く俺に引っ張られたまま、大人しく狭山は着いてくる。珍しい、お前がされるがままになるなんて。圧倒されてるのか? いや、そうでもなさそうだ。そりゃ少しくらい驚いてるかもしれないが、まるでこうなることをどこかでわかってたような、そんな落ち着き払った物分りのいい顔。右手に掴まれた紙袋が所在なげに揺れている。不安そうに。俺だってなんか不安だったんだ、今日は。
「小池! まったく! なんなんだいきなり!」
「それは俺のセリフだ!」
電車に揺られて駅に着き、そこから歩いて俺の部屋に帰るまでの間もずっと狭山の手首を掴んでいた。そういやあいつICカードをタッチする時どうしたんだろう、左手でタッチしたのか? 改札を入った時と抜けた時の記憶がない。部屋に入って廊下を抜けてからも、狭山はコートも脱がずに入口に突っ立ってた。俺もブルゾンを脱げず時計を外せずに部屋の真ん中に突っ立ってた。
「どんな香水作ったんだよ」
「……そんなに知りたいのか」
「当たり前だろー? お前が作りに行きたいって言うから……それなのにほったらかすし……俺いなくてもよかったんじゃねえの?」
ああー、らしくもない、余裕がない。ここで不機嫌になる必要ねえよな。そう思えば思うほどボロが出る。あいつのまっすぐな視線が全然揺るがないからその視線から逃げるようにソファーに座った。狭山もそれを追って俺の隣にどかっと腰を下ろす。互いにコートも脱がないまんま互いを見れずにただ前だけ見つめる。
「いや、お前にいてもらわないと困る……」
狭山はそう言うなり例の紙袋をごそごそとあさり始めた。ずっと大事に握りしめてたやつだ。袋の中から巾着袋を取り出すと、更にその中から香水の瓶を取り出しコトリとテーブルの上に置く。
「買い物する時はお前と一緒に行きたい、これは前から言ってることだ……それに今回は確かめるのにいてもらわなきゃいけなかった」
「確かめる?」
香水の瓶を〝ん〟と狭山が差し出してくる、そして目で促してくる。その目が「嗅げ」と言っている。俺はそれを受け取ってキャップを外すと鼻先に持っていった。
「……普通にいい匂い」
「なんだ普通にって」
「仕方ねえだろ、散々嗅いだからよくわかんねえんだよ」
いや、でも本当にいい匂いだ。ちょっと海っぽい匂いがして、爽やかなスーッとした匂いもして、でも渋いような匂いもする。ちょっと甘くもあり、酸味もあるような、ごくごく僅かに色気も感じられる。なんだかわからねえがとにかく落ち着く匂いだった。
「悪くはねえけどなんかお前っぽくないというか……なにより華やかさとか派手さがない」
「当たり前だ……お前をイメージして作ったんだからな」
「……は?」
「それはお前の香りだ」
「なんで俺? 俺に似合いそうなのを作ったってこと?」
香水作りたくて行ったんだろ? 自分に似合うもんを作らなくてどうする。プレゼント? 誕生日もバレンタインもまだ先だしクリスマスは過ぎた。付き合って何ヶ月記念とかそういうやつ? あれ? ちゃんと付き合い出してから今何ヶ月だっけ? やばい、ど忘れしてる。指折り数えかけて今はやめておいた。
「お前に似合いそうというか、お前の香りを作ったんだ……その……俺が、つけるために……」
「え……? なんで……?」
声に出してみて、なんでも何もないよなと思った。きっと言った通りのそのまんまだ。
「お前がそばにいない時も……お前の匂いを嗅ぎたいからに決まってるだろ」
ああ、ああやっぱり。なんだよそういうこと? 早く言えよ。でもそうだよな、今からお前の香りを作るから一緒に来いとは言えねえし、俺の香りを作るってのに俺に隣にいられちゃ気まずいか。あのお姉さん、どこまで知ってたのかなー。
「お前にもらったジャケットはあるが、さすがに洗ってしまったし……お前が帰ったあとだってさすがに寝具に消臭剤はかける……もったいないからあんまりかけないようにはしてるが……」
「うん……まあそうだよな……。えっ?」
もったいないってどっちが? 消臭剤? それとも俺の残り香? 外は寒かったが部屋があったかいからか隣の狭山の顔は赤かった。
「だから、さっきお前の煙草の匂いを嗅いでああこれだって思った……店員さんにああだこうだ注文してしまったし散々色んな香りを嗅いだ後で、もし間違ってたらどうしようって思ったが……よかった、この匂いだって確信が持てた……俺の判断は正しかった」
〝俺の選んだ香りに間違いはなかった〟
嬉しそうに微笑う。あのお姉さんに見せた顔と同じ顔。あれって俺のこと思い浮かべてたわけか、なんだよ。お前に選ばれた香りは、羨ましいな。でもな、なにも香りだけじゃないぜ。俺を選んだお前も間違いないし、お前に選ばれた俺も、間違いないってことだ。心の中でそんなくさいセリフを呟いたつもりが、俺は思いっきり声に出していた。こんなのあれだ、香水より鼻につく。だって自分で言ってみて、めちゃくちゃくさいと思った。
「ななななな、なに言ってるんだッ!? 顔に似合わない!!」
「そんなの一番俺がわかってるわ!!」
男二人で狭いソファーの上、上着も脱がないまま俺たちは肘で小突きあう。残念だけどな、俺がお前のそばにいない時なんかねえから。だからその香水、あんまり出番ないかもなー。
「なあ、一緒に住もう」
付き合って何ヶ月めかのプレゼントは、それでいいかい狭山様。
【完】