いけにえの白羊は純白の夢を描けるか? エスパーはヒトではない。
いくら国連の条約やらエスパー人権団体やらがお綺麗なお題目を掲げてくれたところで、この国の、そして研究施設の中ではそれが現実だ。
エスパーとノーマルの間に横たわる境界線を埋めるのは並大抵のことではない。あるものを持たない。ないものを持つ。有史以来、人間同士が争ってきた原始的な理由。
それでも互いに手と手を取り合う努力を諦めてはいけない、と。繰り返し説いていたのはエスパーの戦災孤児たちが暮らす施設を運営するノーマルの老婦人で。けれど。彼女の言葉は現実に響くことはなかった。政府による検査で高レベルの能力の発現が確認されたライデンに突きつけられたのは言葉どころか銃口だ。
追い立てられるように軍用トラックへと乗せられて。着の身着のまま荷物のように運び込まれた研究施設ではヒトではないものへと向ける視線と態度に晒され続けて――十代前半の少年の精神など、簡単に荒むものだ。
『まもなく模擬戦闘実験を開始。検体番号01並びに02は所定の位置で待機するように』
電子音声のアナウンス。衝撃を吸収する特殊素材で覆われた訓練室内部に反響する、無機質な音声。
どこの研究施設でも移送されてきたエスパーに対して最初に行うことは変わらないらしい。有する超能力を記録するための模擬戦闘。
実験も模擬戦闘も聞き馴染んできた単語だが、聞き馴染んできたという事実自体に嫌悪を覚える。衝動のままに舌を打った。――周囲のカメラやマイクはライデンの態度を拾っているだろうが、咎められることはない。『実験動物』は模擬戦闘前で気が立っているだとか。せいぜい、そんな注釈が精神状態のチェックリストに書き込まれる程度だろう。
『まもなく模擬戦闘実験を開始。検体番号01並びに02は所定の位置で待機するように』
再び響くアナウンス。検体番号02とやらであるライデンはとっくに所定の位置についている。だが検体番号01――『対戦相手』がまだ来ていないのだ。
というか、もう開始予定時刻を十分近くオーバーしている。
ぴきり、と。ライデンのこめかみに血管が浮かぶ。そもそもがクソみたいな状況に、更なる苛立ちを加えられる羽目になるとは。
ライデンがまた舌を打った、直後だった。
「――やっと来やがったか」
がこん、と。
隔壁扉の作動音。
ライデンから見て真正面、自身が入室したのとは反対側の扉が開いていく。
現れたのは、小柄で痩せ型の、ライデンと同じか幾つか歳下とおぼしき少年。
見た瞬間、ライデンはぎょっとした。
何故って。――身なりがだらしなさすぎる。
寝癖がついた黒髪。寝起きのように重たげな瞼。釦を途中で掛け間違えたまま無理矢理着込まれたシャツ。とりあえず顔を洗ってこい、と言いたくなる風体だ。
唖然としているライデンを少年が見返す。紅い瞳。鮮やかな色彩でありながら――奇妙な底冷えを感じて。ぶるり、と背筋が震える。
だから。威嚇のように大きく歯を剥いたのは、真実虚勢であったのだろう。
「なんだよ、寝坊か?」
「ああ」
返ってくるのは肯定。悪びれもしない口ぶり。
こいつ嫌いだ。ライデンは思った。厳格な老婦人の庇護の下で長く集団生活をしてきたライデンの価値観はルールを守るつもりからして薄そうな少年を、自らとは相容れない存在だと判断する。
少年は悠々と歩き、指定の位置で足を止めた。ようやく所定の位置へとついた『対戦相手』の少年を、ライデンは睨みつける。
「せめてシャツの釦ぐらいはどうにかしろよ。動きにくいだろ」
「口うるさいなお前……」
鬱陶しそうに呟きつつもライデンの言い分に一理あるとは思ったのか。少年は掛け間違えている釦に手をやって、途中で面倒になったらしく、シャツごと脱ぎ捨てた。なんだこいつ。
ばさり、と。放られたシャツが床の上に落ちる。露わになるのは細身が際立つぴったりとしたアンダーウェア。細い首に嵌った無骨な機械。――募る苛立ちは、ライデンの首にも全く同じものが嵌っているから。
“首輪”。
エスパーの能力を阻害して管理するための拘束具。
ヒト扱いされていない事実の証明。しかし拘束具を晒しながらも少年は悠然とした態度を崩さない。大きく伸びをし、床に置いていた金属製の棒を片足で蹴り上げて掴み直す。
「……」
ライデンは瞳を眇めた。模擬戦闘への持ち込みが許可されている以上は必要と認められている得物なのだろう。特定の金属を媒体とする念動力ベースの合成能力者か、……まさかとは思うが。
ライデンが抱いた嫌な予感を置き去りに、“首輪”のロック機能が解除される。
『参加者両名が所定の位置へとついたことを確認。カウントの後、模擬戦闘実験を開始する』
電子音声のアナウンスは実験開始のサイレンを鳴らす。
動いたのは、少年が先だった。
「――――」
躊躇はなく、音もなく。けれど肉体ごと消えたわけではなく。――つまり瞬間移動能力者ではない。意表を突かれるほどの速度であれど、少年の足は床を蹴って進んだ。――つまり念動能力で自らの肉体を動かしたわけではない。
つまり、
「ッ、」
潜り込むように踏み込まれて。低い位置から振るわれた棒が風を切る。
ごきん、と。
甲高い音。
「くそったれ」
懸念の的中にライデンは低く唸る。
見下ろす位置、紅い瞳が僅かに見開かれた。
金属棒でしたたかに打ちつけられたライデンの胴体はまったくの無傷だ。さもありなん。こちとら念動能力者。念動力の障壁は棒切れ一本で砕けるほどやわではない。
しかし。この『対戦相手』の少年は、
「お前、念動能力者とかじゃねぇだろ! 精神感応能力者か! 接触感応能力者か!? ふざけんな、やり返してこれねぇ奴を殴れるか!!」
気炎を吐いたライデンに紅瞳が一つ瞬き――じとりと半眼になった。
「……思ったことをそのまま口に出さなくていいぞ」
二重に響いて鬱陶しい、と。吐き捨てながらも少年は連打を打ち込んでくる。けれどいずれも意味はない。そもそも棒一本で高レベルの念動能力者と対峙する発想自体がまともではないのだ。
念ずることで物理的な影響を齎す念動力や瞬間移動能力とは異なり、通常見たり感じ取れないものを察知する超感覚的知覚の能力は直接的な攻撃や防御の手段となるわけではない。
だからライデンの『対戦相手』であるこの少年は戦車の前に丸裸で立たされているにも等しいわけで――、
「随分と過小評価をしてくれるものだな、サイコキノ」
こちらの思考を読んだかのような言葉。
実際、読まれたのだろう。おそらく接触感応能力。触れた対象の思考や情報、残留思念を読み取る能力。――攻撃性を備えた能力では、ない。
ライデンは奥歯を噛みつつ、少年の手から得物を奪い取ろうと画策する。
これはあくまでも模擬戦闘。分かりやすく武器を奪って、必要ならば意識を落とす。続行不可能と判断されたならば実験は終了するはずだ。
“死ぬまで戦え”と指示されたことはなかった。これまでも。高レベルのエスパーは国家にとっても貴重な『資産』だ。
しかしライデンの思惑を汲み取ってくれてもいいようなものなのに、少年はちょこまかと動き回る。上手く狙いが定まらない。
念動力の余波を浴びて黒い髪が散る。前髪の隙間から覗く、紅く冷たい瞳。
「――純粋なサイコキノ。肉体の二次性徴に前後して能力も急激に成長したタイプか。そのわりにコントロールが繊細だな……ああ、集団生活が長いのか。能力が急成長したあともしばらく隠し通していた、と。ご苦労なことだな」
読み取られた結果が淡々と述べられていく。
チッ、と。ライデンは舌打ちを零した。
「黙ってろよサイコメトラー! 人の過去なんて読んでどうすんだ!」
「動作は過去から形作られるものだからな。リアルタイムの思考より、染みついた動きの方が咄嗟に出やすいものだ」
掬おうとした足先はひょいと持ち上げられて回避された。半身を捻り、膝を屈め、上半身を逸らし――最小限の動きで少年は念動力をすり抜けていく。
ライデンの狙いはことごとくが躱されてしまう。おまけに少年は手にした棒で常にこちらの身体を狙ってくるのだから堪ったものではない、と。そこまで考えて、はたと気づく。
「はっ」
少年が吐息だけでわらった。
嘲笑の類いだった。
「やっと気づいたか。――思考も動作のクセも。お前の動きはお前以上に読み切っているぞ」
「この野郎……!」
咄嗟に少年へと向けて伸ばした掌が棒先で叩き落される。届かない。
「っ、大人しくしてろってのに……!」
「断る。……見縊られるというのは、存外に腹が立つものだな」
「はあ!?」
ふざけんな。そんなの単なる意地じゃねぇか。
思った言葉は音にはならなかった。
「ああ。意地だな」
ライデンの思考に応える少年の声と共に。
トン、と。鳩尾に響いた音。
「そら」
響いた衝撃は、ごく軽い。
けれど。それはライデンの身体に直接響いた衝撃。意識の隙間を縫うように。念動力の障壁をすり抜けて放たれた一撃の、意味を理解して、ぞっと背筋が凍った。
もしも、直前に突きの勢いを落とされていなければ。
もしも、突き立てられたのが金属棒でなく刃物や銃口であったならば――、
「サイコキネシスは思考に連動するとはいえ、せめて急所ぐらいは無意識下でも覆っているようにしておけ――それが出来なければ、」
死ぬぞ、と。
声は冷たく。
瞳は昏く。
感じたのはまごうことない――死の恐怖。
「――――」
ひゅっ、と。
引き攣れた息と共に、ライデンの身体を中心に念動力が衝撃波として撒き散らされていた。目の前の『脅威』を払うべく。本能に紐づき漏れ出た能力は咄嗟の制御が効かない。
金属棒が、少年の身体が。紙きれのように宙を舞う。
「っ、あ――くそ!」
ざ、と。自らの血の気が引く音が耳鳴りじみて響く。目の前の光景がどこかスローモーションのよう。少年の身体が床へと激突する前に慌てて念動力で受け止めようとするが、間に合わない。
しかし。
「舐めるな」
――くるりと。
少年は空中で猫のように一回転して危うげなく着地。と、同時に床を蹴った。
「は?」
猛然と突っ込んでくる小柄な身体。ぶらりと垂れ下がり奇妙な方向へと捻れた片腕。
呆気に取られているライデンの懐へと少年は潜り込み、
「隙だらけだな」
顎下へと放たれた膝蹴りがライデンの意識を喰い千切った。
これが後々まで続く腐れ縁の始まり。
この、徒手空拳で高レベルの念動能力者を討ち取った、控えめに言って頭と発想のおかしい接触感応能力者が国内唯一の最高超度のエスパーだというのだから――そんな希少な存在を『こう』仕立て上げてしまったわけだから――つくづく、この国はイカれているのだ。
* * *
見上げた天井は白々しいほど眩しい。ライデンは数度瞬いて、自分が医務室の寝台に寝かせられていることに気がついた。
ゆっくりと上半身を起こす。――目眩などの脳震盪の後遺症はない。全身に伸し掛かってくる倦怠感は“首輪”の機能によるものだろう。超能力を阻害されるということは、脳機能の一部を制限されるということだ。無視できない程度には違和感を伴う。
模擬戦闘後に医務室に運ばれるなど久し振りだ。前は確か、オッドアイの少年だか少女だか――一見した程度では性別の判断がつかない風貌と言動だった――と戦わされたとき以来か。あちらも高レベルの念動能力者で、どうにか制圧したが双方無傷とはいかなかった。
その後は早々にライデンが今の研究施設に移送されたから、顔を合わせたのは一度きりだが。
ともかく。
「……」
ライデンは首を動かす。リノリウムの床。寝台同士を仕切るカーテン。白く重たい布に手を伸ばした、丁度のタイミングで、声を聴いた。
「起きたのか。……元気そうだな」
やはり冷たい声だと思う。
感情という温度が拭い取られているような。そういう響き。
「……おう」
ライデンは寝台下に置かれていた使い捨てのサンダルを足に引っ掛けながら、カーテンを開け広げる。
隣の寝台にもやはりカーテンが引かれていて。つんと鼻を刺す消毒液のにおい。……カーテンを開けるか否か。少し迷うライデンに、「開けたいのなら好きにしろ」と少年の声が届く。
「……開けるぞ」
そうして開けたカーテンの奥。治療のためか上半身の服を脱いだ格好で、ライデンから背を向ける格好で寝台の上に腰掛けている少年。
思わず、息を呑む。
少年の身体は。
予想通りで、予想以上の惨状だった。
「――――」
予想通りだったのは少年の片腕を包むギプス。
先の模擬戦闘の最後にあらぬ方向に曲がったところを見ているから、驚き自体は少ない。裂傷を覆っているとおぼしきガーゼの類いも同じだ。
予想もしなかったのは――少年の全身に刻まれた夥しい古傷。
何か鋭利なものが肌を走った痕跡。でこぼこと浮かび上がったケロイド。縫合痕。元々の肌が白く、なにより少年自身が成長途上の小柄で細い体格であるから、よりいっそう傷痕の無惨さが際立つ。
そして首筋。ライデンと同じように“首輪”が嵌ったその下にも、首を一周する赤い傷痕を見つけてしまって、
「なに」
少年が弾かれるように振り返った。紅い瞳。射貫かんばかりの眼差しに、ライデンは思わずたじろいだ。
ふん、と。
少年は鼻を鳴らす。
「元々こういう身体だ。今更骨折の一つ二つ、どうってことはない」
「いや、あるだろ」
「衝撃に逆らわないようにして綺麗に折らせたからな。すぐに治る」
「なに言ってんだよお前」
コミックの登場人物か何かのつもりか。ライデンは呆れる。
……多分、『怪我をさせた』と気に病まれる方が嫌なのだろう。とんでもない負けず嫌いだということは、嫌というほど、思い知った。
ライデンが顎下を掻く一方で、少年はシャツを着ようとしていた。だが片腕では当然手間取る。
悪戦苦闘を見かねて手伝おうとしたライデンの掌を、少年は払い除けた。
「馬鹿かお前は。サイコメトラーに触る意味も分からないのか」
ライデンは片眉を持ち上げた。
“首輪”のロック機能も高レベルのエスパーの能力を完全に封じ込めるわけではない。それはもちろん、実感として理解している。
「研究施設の職員にも最低限の処置以外ではおれに触らせない。それが普通だからな」
「は……?」
よく見ればギプスはともかくガーゼの類いは微妙によれて貼られているし、剥き出しのままの傷もある。軽傷であるから。少年が自分自身で処置したのか。
チッ、と。ライデンは舌打ちを零す。
「そんな『普通』なんざ知るかよ」
今日一番、腹が立った。
目の前の少年がどういう環境に置かれてきたかなんてライデンには知るよしもない。
だからライデンには少年の口にする『普通』に付き合ってやる義理なんて、ない。
「っ、おい、」
制止を無視して、払われた掌を再度伸ばす。掴む。骨ばった手首。紅い瞳が一つ瞬く。――意表を突かれたかのような。
別に。心を読む能力がなくとも表情から察するぐらい、出来るのだ。
「生憎と読まれて困るようなものなんざ抱えてねぇからな」
もとより研究施設に押し込まれた時点で四六時中監視されている身の上だ。心の中を覗かれたとて、せいぜいこの環境に対する鬱憤や不満がある程度。脱走やら反抗やらを企てているわけでもない。
ましてや読んで嫌悪を抱かれるようなことなんて、何も。
「……変な奴だな」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」
ライデンは少年の手首を掴んだまま、寝台の端にどかりと腰を下ろす。変な奴に変だと言われたところで痛くも痒くもない。
少年はむっと眉根を寄せた。
「武器を持った相手に襲いかかられて、その相手をどうやって無傷で制圧するかなんて考えているような奴を変だと言わずになんだというんだ」
「寝覚めの悪いことはしたくねぇからな」
減らず口に言い返しながら、ライデンはシーツの上に散乱した包帯やらガーゼやら消毒液のスプレーやらを拾い集める。少年は表情こそ歪めているが、手首を離しても逃げるような素振りはない。自分で処置をするにしても限界があると分かっているのだろう。
ライデンはよれたガーゼを剥がして、張り直していく。
少年が微かに息を詰める気配。
「ん、悪い。痛かったか」
「痛くない」
「痛いなら言えよ」
「痛くないと言っている。おれは痛みを感じにくい」
「そういう歳頃か?」
「違うしお前と同い歳だ。歳下じゃない、変な勘違いはやめろ」
「そうは見えねぇからな」
「お前だって人のことを言えたクチか」
言い合いながらもライデンは手を休めずに動かしていく。幸い、とはとても言えないが。骨折以外に深い傷は無さそうだ。
「……」
少年は大きく息を吐いた。
「……痛覚の制御は、超能力の応用だ」
ライデンは視線を動かして少年の顔を見やる。
「お前、複合能力者か」
間近で見るとそら恐ろしいほどに整った、白い貌。
「複合能力者ではないと言った覚えはないぞ、純粋種。……超能力戦はルールの違う者同士の戦いだ。自分の常識が全てだと思い込むと痛い目を見る」
つ、と。ライデンの顎下へと向けられる紅い眼差し。耳が痛い。
複合能力者とは複数の能力を併せ持ったエスパーのことを指す。決して珍しい存在ではない。高レベルの、となると当然数は少なくなるが。
「サイコメトリの他に、生体電気の制御に特化したサイコキネシスも持っている。まあ、色々出来るな」
生体電気の制御。確かに応用が利くだろう。人間の身体は電気信号によって動いている。意図的に干渉出来るのならば模擬戦闘の最中に見せた人間離れした動きにも納得がいく。『すぐに治る』という弁もあながち嘘ではあるまい。神経系を弄れば痛覚を誤魔化すことも可能だろう。
成程、と。ライデンは頷いた。
多用しない方がいいと思う。
「余計なお世話だ」
「サイコキネシスの括りでも障壁とかが張れねぇなら生身で戦ってたのは変わらねぇだろ」
「放っておけ」
確かにライデンには関係がないが。
おそらく能力の射程範囲が極端に狭いか、自分自身にしか使えないのだろう。そうでなければ先の模擬戦闘でライデンの身体に直接干渉していたはずだ。
つらつらと考察を重ねるライデンに対し、「お前、真面目に勉強したりする性質か」と少年は顔を歪めた。まあ、それなりだ。研究施設でも課題は出されているし、実験ごとにレポートの提出もある。課されたのならば行うのは当然だろう。
少年は、何故かますます眉間の皺を深くした。
「……確かに。運動能力の増強はサイコメトリと併用してリアルタイムで微調節し続ける必要があるから自分自身に対してにしか使いどころがないが、能力自体を他者に対して使えないわけではないぞ」
「あ、そうなのか」
「他者に対しても電気刺激による自己治癒力の増強や痛覚の低減……とはいえ触れている間しか使えないから所詮は気休めだがな。致命傷を治せる魔法じゃない」
へぇ、と。ライデンは少年の言葉を聞き流す。
すぅ、と。少年は紅瞳を眇めて、指を動かす。
「……あとは、」
荒れて硬い。けれど歳相応の細い指先が少年自身の左胸へと触れた。
薄く平たい。しかし歳に似つかわしくない傷だらけの肌をなぞる。
うっそりと。肌と肉と骨の奥。鼓動する心臓を視つめるように。
罅割れた唇が自嘲を刻む。
「安楽死」
――ひゅん、と。
思わず浮かび上がらせていた消毒液のスプレーを、少年は片手でキャッチした。
「危ないな」
少年はぬけぬけと宣う。
ライデンははくはくと口を開閉させて、唸るように、歯を剥いた。
「っ、――冗談でも言って良いことと悪いことがあるだろ!!」
「冗談、冗談か。……そう思うのか」
その言葉も冗談ではあるまいか。
すっかり疑心暗鬼に陥ったライデンに対し、少年は軽く肩を竦めた。
「安心しろ。手足がついていて、受け答えがはっきりしている限りはしない」
自分の足で動ける奴にはしてやらない、と。
やはり真意を計りあぐねる言葉。
「お前、」
言いかけて、はたと気づく。
「……いい加減、名前ぐらい教えろよ」
ライデンの言葉に少年は首を傾げた。何故と言わんばかりの仕草。――薄々察していたがコミュニケーション能力に難がある。ライデンは口端を引き攣らせた。
高レベルの感応能力の持ち主にはままあることだとも聞くが。認識している情報の質も量も通常とは全く異なるのだ。
しかし、こちとら念動能力一辺倒。心の中を読むような便利な能力は備えていない。
「不便だな。ライデン・シュガ」
「仕方ねぇだろ。ってか、お前の名前は、」
「――sin」
「は?」
イントネーションが奇妙だ。その単語を人名に用いることなど、
「……シンエイ・ノウゼン。拘りはない。呼びたいように呼べ。ライデン・シュガ」
ライデンの思考を中断させるように少年は――シンは名乗った。
「ライデンでいい。……シン」
今ひとつ腑に落ちないものを感じつつも。
ライデンは、シンの掌を握る。
今度は、紅い瞳はぴくりともしなかった。
それは帝国との戦争が停戦に至って幾ばくもない頃のこと。
軍内部でも秘密裏に存在した研究施設の壁の中。閉じ込められて、未来も見えず、何処にもいけない子供たちが引き合わされただけの話。
ライデンはまだ知らない。
“墓掘り”。
“死神”。
シンが携えた異名を。その意味を。
戦争末期に活躍した“英雄”部隊。
若年ながら高レベルのエスパーを集めた特殊部隊。
戦争を終結に導く礎となった、勇猛果敢な若者たち。
……実態は。戦局の悪化により訓練途中で戦地に送られた少年少女が、たまたま戦果を上げてしまったが故のプロパガンダ部隊でしかなかったということを。
何より。
シンがその部隊の最年少にして唯一の生き残りだと。
ライデンが知るのはもう少し先の話だ。