花を折る 公然の秘密というものがある。
新選組の隊長格間においてのそれは一番隊隊長の性別で、八番隊隊長の性別だった。
若武者として知られた両名は少女の身を持っていた。とはいえ。かたや指南の場においては局長以上に恐れられる激剣師範。かたや常に先陣を切っていく恐れ知らずの魁先生。実際の性別を知らぬ新人隊士から体格や細面を揶揄されようものなら実力行使で黙らせる猛者ふたり。
原田としても、特に沖田からは、しっっっかりと躾けられた自覚がある。集団ないし人間関係における上下を即座に嗅ぎ分けて自身に相応しい立ち位置に収まるのは密偵の性質でもあった。沖田は原田の先輩である。ゆるがないじじつ。
他方、藤堂に対しては気の置けない同僚というところ。生真面目を体現したかのような藤堂であるが年齢や入隊時期の違いで線引きされることもなく、語らいもしたし笑い合いもした。馬が合ったということなのだろう。
それはカルデアにおいても同じ。同僚であるし――友人、だ。原田には密偵として組織に潜入したことを引け目に感じるような愁傷さの持ち合わせはなかったが、なんのしがらみもなく彼ら彼女らの仲間で在れることは嬉しかった。
多分、浮かれていたのだ。
「ねえ原田さん。――僕のこと、抱けますか?」
宴もたけなわ。
新選組のみならず、維新志士に信長公を擁する一派や邪馬台国の巫女ふたり、宴席の気配を察して現れた越後の龍と甲斐の虎。生きた時代も場所も当時の主義主張もごっちゃになった『馬鹿みたいに』賑やかな空間で聴くには随分と場違いな響き。
幸いというべきか、藤堂の言葉を拾ったのは原田のみであったらしい。盃を手にしたまま、原田は自身の膝上へと視線を落とす。ちょこんと。原田の身体の内側に収まる小さな身体。余興にと腹踊りを披露しようとした原田を物理的に止めた結果の姿勢。――『新選組の恥部を余所にまで広めないでください』と重石役をかって出た藤堂は、原田の胸板を背もたれにしながら麦チョコを齧っていた。
「……んー」
原田は藤堂のつむじに頭を乗せる。ふわふわした癖毛に頬ずりした。「重いです」という文句は無視して口を開けば、藤堂が溜息と共に原田の口の中へと麦チョコを放り込む。
「甘ぇ」
「そうでしょうね」
「もういっこ」
「食べるんですか」
「とろっと溶けて、うめぇ」
再び伸びてきた指先へと原田は舌を伸ばす。甘いにおい。藤堂が好んで食べる南蛮由来の菓子は体温で溶けていくらしい。
だから原田は藤堂の指先ごと喰らった。
「っ、!?」
藤堂の肩が僅かに跳ねる。原田は構わず細い手首を掴み、口内へと招き入れた指をしゃぶった。――鍛錬が滲む硬い皮膚と分厚い爪の感触。味わう。チョコレートの甘い苦味とかすかな塩味。
堪能しきってから指先を解放してやれば、硬直している藤堂と視線が合った。
「……抱けるかどうかって話ならよ、」
しゃくん、と。
麦チョコの麦の部分を奥歯で噛み潰しながら、原田は小さな耳朶へと口を寄せて、
「むり」
「……」
「酒のみすぎて、たたねぇ」
言いつつ、原田は腰を軽く揺すった。すると膝上に座る藤堂は今度こそ跳び上がらんばかりに身体を震わせるから、原田としては苦笑するしかない。
たかだか指一本、なぶられた程度でこんな初心な反応をしてみせる子供に手など出せるか。
「おら。立て、平助。酔ってんだったら部屋行くぞ部屋」
「よ、酔っているのは原田さんの方ですよね!?」
ぎゃおぎゃおと騒ぐ藤堂を俵のように抱えながら、原田は立ち上がった。
「それじゃあ俺らは失礼しますね」
襲うなよ狼、と。野次が退席する原田の背中に突き刺さる。甲高いので多分女性の声音。誰だろう。此度の宴席は女性の比率がそこそこ高い。なんなら一番呑んでいるのは越後の龍こと歴史に残る酒好きである。
そもそも俺らはどっちも新選組だ、なんて。
ふわふわした頭で考えながら敷いた布団に藤堂を転がした原田は、やっぱり浮かれていたのだ。
「油断しすぎですよ、原田さん」
――見上げる。
薄明りの中に浮かび上がる、白い貌。
白すぎるほど白い肌も銀色の髪も青い瞳も目立つから、よく、目で追っていた。日の本の人間離れした赤毛と長身を備えた原田に言われたくはないだろうけれど、藤堂は浮世離れした容姿の持ち主だった。
青空の色を写し取ったような双眸を、原田は見上げて、
「……」
藤堂を転がしたはずであった布団に横たわるのは原田で、原田の胴体に跨っているのは藤堂だ。
「…………」
油断は、確かにあった。
だが一尺ほど身長差がある相手を引き倒したのはなにかがおかしい。確かに藤堂は生前から結構な怪力の持ち主だし、自分よりもよほど大柄な相手を前に切った張ったをしてのけていたが。みぞおちが痛い。
鍛えようがない急所に喰らった当身のせいで悶える原田を、藤堂が覗き込んでくる。
「で、抱けますか」
「むり」
ここまでひどい酔い方をする奴だったろうか。
藤堂平助というのは生真面目で、どちらかといえば周囲を諫める側に立つ人間だった。――有能で誠実で素直で。だから目上に可愛がられて、当人は目を掛けてくれた恩に報いたいとますます励むような奴で、少なくない人間がお前の先行きの幸福を願って、だからこそ、
「……理由、言えよ」
……酔いすぎだ、だなんて。軽く流してやるべきではなかったのだろう。
藤堂は酔った程度で他者に擦り寄れるようなタマではない。生真面目である。頑固である。死ぬほど。抱けるのか、なんて。冗談でも口にするはずがない。
「平助」
ひくん、と。
藤堂の口端が引き攣った。
“なにかがある”と白状しているも同然だった。
「……ない、ですよ。別に。なんとなく、です」
「平助」
「……」
「平助」
じっと見つめる。視線を逸らすことすらさせぬよう、殺気すら籠めた眼差しに怯えることが出来る気性であれば、多分、全てが違っていた。
「――――っ」
真正面から睨み返してくる負けず嫌い。意思の強さが如実に顕れた眼光。いつだって、斃れる間際だって、藤堂の眼は自身へと向けて振るわれる刀を、師の躯を、見つめていた。
「言ってみろ、ほら」
原田は藤堂の頬に手を伸ばした。触れる。撫でる。原田の片手で包み込めてしまう小さな顔。感じる温度は確かにあった。飲酒によってか常より些か高い体温。伴って浮かび上がる傷跡。陶器に生じた罅割れのようなそれが――ぱきん、と。音を立てて罅を広げた、気がした。
「いたい」
藤堂が言葉を漏らす。
「いたい、いたい、いたい、あつい、」
怒り。
増悪。
のろい。
滴り落ちてくる感情は粘つく炎のよう。
「……おさまらない。憎い、って。もう思っていないはずなのに、なのに、僕は油小路を忘れられない。楽しいのに。なんで。局長が、みんなと、また笑い合えて幸せなはずなのに、それでも、それでも……っ」
藤堂平助は復讐者だった。
その霊基の内側には怨嗟の炎が燻る。いくら水で流そうと苦心しようと『忘れられない』。そも、憎悪がなければ成り立たない霊基。かつての、そして今の仲間である新選組という枠組みの中で笑っているときでさえ、自己矛盾で引き裂かれかねない。
ぱしん、と。
呆然として動けぬ原田の片掌が払い落とされて。代わりのように。藤堂の両掌が原田の袂をわし掴んだ。
「抱いてください、原田さん」
真白い顔が迫ってきて、しかし、口吸いの寸前で思い留まったように停止する。互いの鼻先が触れ合う距離で、青い瞳がぐしゃぐしゃに歪んだ。
嗤おうとして失敗したのだと、遅れて気付いた。
「……いえ。原田さんはなにもしなくていいです。僕がどうにかします。……必要なのは、原田さんからの、新選組の縁者の魔力です。……僕が、みんなと、おなじになるための、」
他の誰にだって頼めない、と。
呟く藤堂に、原田は思わず尋ね返していた。
「本当にいいのか」
今度こそ、藤堂はわらう。
「それ、僕の台詞ですよね?」