228さんが帰ってこなくなった話228がどこかに行ってしまった。
かれこれ2か月と15日は姿を見ていない。
まあ、228は気まぐれに現れたり消えたりするので、いつも通りといえばいつも通りなのだが・・・しかしながら、これだけの長期間特に前触れもなく何処かに行ってしまったのはこれまでに無かったともいえる。俺はそのうち帰ってくると思うのだが、ポンコツロボどもは少し心配そうだ。(そもそも心配なんて言う感情があいつらにあるのか俺は知らないが…)
しかしそんなことより…あれからスリップとかいうガキが俺の研究室に頻繁に訪れるようになった。正直とても迷惑だ。よりによって俺が寝ている日中にやってきてはわざわざ俺を起こして、何の用かを聞いても答えずに、不機嫌そうに帰っていく。
ゴミバコ曰く、奴は「228チャンがダイスキ」で「いなくなっチャッテ心配してイル」らしい。それでしょっちゅうここに来るようになったらしいのだが、何せシャイボーイなので話しかけることができないそうだ。だから先日、228は今日もいないと伝えたのだが、謎の逆鱗に触れたらしく「そんなことに興味はない」「いなくなって清々する」等々喚きながら怒って帰ってしまった。まあ、俺としては帰ってくれた方が嬉しいのだが。
ああいう、わけのわからん奴はすごく苦手だ。
もう来ないでほしい。・・・正直怖い。
・・・しかし今日も奴は来た。
モニター画面に映った長身細身の男を見てげんなりする。ルテニに「追い返しておけ」と言ったが、そういう無責任なことをするからああだとかこうだとかクドクド言われて猶更げんなりする。
結局嫌がる俺を無視してルテニはそいつを研究室に入れてしまった。
悪人面を際立たせるような物凄い隈のついた目で、俺を睨みつけながら奴は言う。
「・・・ニニャは…」
・・・なんでそんな殺意のこもった声で喋るんだお前は。
もちろん今日も228はいない。明日もきっといない。明後日もいない。もしかしたら一年後も帰ってこないかもしれない。そもそも得体のしれないデータの集積だ。228が一体どこから来て、どこに行くのかは俺も知らない。こっちだって全然わからないのに、毎日毎日ガンつけて脅されるのは迷惑だ。
心配なのはわかる。わかるが、俺は何も知らないし何も悪くない。心配だからって八つ当たりするのはやめろ。そりゃあ心配だろうな。心配だろうよ。俺だって心配だよ。癒しマスコット枠がいなくなった研究所のもの悲しさ。心なしか機械どももギスギスしてるし、ぶっちゃけ寂しい気もする。
しかしそれとこれとは別である。
もうめんどくさいので、どうにかして帰ってもらいたい。
「・・・ほい」
一つのUSBを目の前のトゲトゲシャイボーイに手渡す。
「…何だよこれ」
「228だ」
「は!?」
目を見開いて俺とUSBを交互に見ている。困惑しているようだ。そりゃあそうだろうな。
「えーーと、スリップだったか。お前、ロボットにはハードとソフトがあることは知っているな?」
「・・・。」
沈黙。めっちゃ睨まれてる。怖い。
「・・・えーー、わかりやすいように説明すると、ハードというのは人間でいうところの肉体・・・で、ソフトというのは人間でいうところの精神の事だ。」
「・・・・だから何だ」
「228のハードは壊れてしまった。黙っていて申し訳なかったのだが…数か月前から様子がおかしくて、二か月前と15日前に消滅してしまったんだ…。しかし、228のソフト…つまり、ココロみたいなものだな…は、今俺が手渡したそのUSBの中に、そっくりそのまま、まるまる入っているというわけだ。」
大嘘。それは単なるUSBだ。しかも壊れていて読み込みできない。
「・・・ふざけんなよ…」
「ふざけていない。これが紛れもない事実だ。俺もなんとかして復元しようと試みたのだが・・・これが限界だった。」
「は?・・・・なんだよ・・・それ、…どういう、・・・」
握りしめた拳が震えている。相当怒っているんだろうな。殴られても困るぞ。
「そのUSBには音声や文字などの出力機能が無いので会話することは不可能かもしれないが、それは紛れもない228だ。もしかすると、こちらにわからないだけで、228は俺たちのことを認識しているかもしれない。」
「・・・・・・・・・・・」
「俺はこれからも復元作業を続けるつもりだ。混乱させると悪いと思ったから黙っていたのだが…悪かったな。」
「・・・・・・なんでそのUSBがニニャだとわかる」
うげっ。
「本当に意味がわからんとは思うが・・・とにかくそれは228なんだよ。俺もまだこの現実を受け止めきれない・・・」
「・・・・・。」
「とにかく、そのUSBはお前に渡しておく。俺はまあ、この通り整理整頓が苦手なのでどこかに無くしたら一大事だからな。」
まあ、なんていったって同じようなUSBが百個はそのへんに転がってるから秒で無くす。
「・・・・・・・直すつもりなんだろ、おまえ」
「え?ああ、まあ。」
「直すんだったらなんでオレに渡す…」
さっきよりも殺意のこもった目でこちらを睨みつけてくる。生憎、睨まれるのはルテニで慣れているんだが。・・・何?怖。
さてはお前、疑っているな?まあ、嘘なんだけど。
「いや、・・・あのだな。それは228のオリジナルデータであり、俺のパソコンにコピーがとってあるからそれについては大丈夫だ」
「なんだよコピーって・・・」
「コピーはコピーだ」
「・・・わけわかんね…」
分からなくて当然だろうな。俺もわからん。
「・・・コピーで本当に直せるんだろうな」
「大丈夫だ。俺を信じてくれ。」
「・・・・・・だとしてもオレに渡す必要はねーだろうがよ…」
そうだな。全くそんな必要は無い。その通り。That's right.
でもここでひいてはいけないのだ。なにせ、俺の安息な睡眠がかかっているのだから。マフラーで手を掴んで、目と目を合わせて(これは俺が世界で一番苦手な行為なのだが頑張った。)念を押す。スリップは高層ビルみたいにやたら背が高いので、かなりの角度で見上げることになり首が疲れる。何させてくれとんじゃ。
「頼む、お前しかいないんだ。・・・お前が、多分228のことを一番大切に扱ってくれるから・・・」
「はあ!?」
「・・・228もそのほうがきっと幸せだと思うしな」
「・・・・・・・なん、」
「228はお前のこと大好きだったみたいだぞ」
「・・・・・・・・・・・!!!」
これは嘘じゃないぞ。主要な興味対象として大好きだったみたいだからな。
「もし仮に俺が持っていたところで、228はきっと嬉しくないだろうし、何かの拍子に俺がこのUSBを捨ててしまったら取り返しがつかないだろう。」
「・・・・・・・・」
「だからお前が持つしかないというわけだ・・・わかるか?」
「・・・・・・・・・・・・。」
こっちの話が聞こえているのかいないのか、黙り込んだまま虚空を凝視して固まっている。
たまに何かを言おうとして息を吸ったり口を動かしたりするが、何も言わない。
微妙な沈黙が流れる。
「大丈夫か?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
手を目の前で振ることにより意識を戻そうとしたが相手の身長が高すぎるので断念した。
「おーい???」
「…………。」
虚空を凝視していた目線がスーッと降りてきて、目が合ったと思ったら今度は足元の地面を凝視している。
しばらくしておもむろに口を開いた。
「・・・・ニニャは、」
「・・・・?」
「・・・・・・・・・。」
再び口を閉ざして黙り込み、ふいと後ろを向いて、目頭を押さえている。
よくわからない奴だな。
「228は?」
「・・・……ってく、だろーな、」
「???」
ぼそぼそ喋られても喋られても全然聞こえないぞ。
「・・・・かえってくるんだろー、なって、聞いてんだよ・・・ッ!!!」
肩とツノ?とハネ?をいからせたスリップに胸倉を掴まれる。なんでキレやすいやつってこうもすぐキレるんだろうか。俺はこういう人種が心から嫌いだ。頼むからもっと理性的になってくれ。カマキリの威嚇みたいだぞ。
「いや、あのだな、あの、・・・そのUSBが228なんだって。俺も極力努力するし、勿論戻ってきてほしいとは思っているが…正直、どうなるかはよくわからん。」
「・・・・あ”?」
真正面から睨みつけられ慌てて俺は目をそらす。やっぱりスッゲー目つき悪いなコイツ。
「つ、つまり・・・帰ってくるかどうかはよくわからないということだ。」
チラチラと様子を伺いながらなるべく目を合わせないようにする。野生動物は目が合うと闘い始めるらしいからな。
「・・・・・・・・・・あ”あ”?」
「もう二度と、前と同じようには会えないかもしれない。」
突然、胸倉から手を離される。よろめき転びそうになったがすんでのところで体勢を立てなおす。もしや殴られるかと思って見ると、腕は脱力している。肩もツノもハネも力が抜けてだらりと下がっていく。「怒髪天を衝く」みたいな感じだったツンツン髪も、こころなしか元気がなくなってしおれてしまったようだ。お前の頭は一体どうなってるんだ?
スリップは雨に濡れた電柱みたいに棒立ちしたまま俯いていたが、後ろを向いたかと思うとツカツカと部屋の隅に行き、そのままドカッと地面に三角座りして、塞ぎこんでしまった。
あれ?もしかしてこいつ・・・・
「な、泣いてるのか?」
「・・・・・」
ついつい素っ頓狂な声が出る。これはこれは計算外だ。
「そんなにショックか?」
「うる"せえ…!!・・・泣いてねぇよ・・・死ね。」
…お前こそうるさいぞ。突然大声を出すな。
「大丈夫だ、俺が何とかするから。保障は出来ないが。」
「・・・・戻、てこなかっ…たら…」
スリップは顔を膝に埋めたまま、目を腕でガシガシ擦ったあと、こちらを睨みつけた。
「…殺す」
「ははは、物騒だな」
お前は228の何なんだ。
「いつになるかはわからないが、絶対に直してみせる。俺を誰だと思っている?天才プログラマビスク博士だぞ。」
「・・・・。」
「…戻ってくるまでそのUSB…もとい、228を大事にしてやれ。」
「・・・・・・直さないと殺す」
「ああ。直すぞ。殺されるのは嫌だからな。」
「・・・。」
スリップはそのまま何も言わずに踵を返して帰っていった。
これで一件落着というわけだ。さあ俺は昼寝の続きでもするか。
その前にビスケットでも食べながら新作ゲーム漁りでもしようか・・・
俺は袋から出したビスケットを適当にムシャムシャやりながら、パソコンの前に座って、飲みかけのドクペを飲みほした。
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悲しくなんてない。
心底どうでもいい。
・・・このUSBがニニャだ?
馬鹿馬鹿しい。
あのビスクとかいう奴も気に入らない。
オレを馬鹿にしやがって。
ニニャが入っていようが入っていなかろうが、オレにはそんなことは関係ない。
姿の見えない者なんて存在しないのと同じ事。
それに、これはどこからどう見ても何の変哲もないただのUSBだ。
USBが何を見る?何を聞く?何を感じる?
・・・全く持って荒唐無稽な話だ。
どうせあのクソニートもオレを馬鹿にするためにこういう子供騙しをしたんだろう。
オレは騙されない。
「・・・こんな物捨ててやるよ」
自販機の横のゴミ箱に投げ捨てようとして思い留まる。
64GBのUSBは自分で買うと2000円くらいする。
オレはまだパソコンを持っていないが、いつか使う日が来るかもしれない。
だから捨てないでおいてやる。
・・・頭がガンガンする。寝不足のせいだ。
寝不足はあいつのせいだ。
イライラするのでポケットの中でUSBを握りしめる。
冷たい。硬い。
二か月半もどうして帰らない。
どこに消えた?
何故何も言わない?
どうして・・・
涙が出るのは頭痛のせいだ。
あいつのせいだ。
違う。あいつのせいじゃない。寝不足のせいだ。
寝不足はあいつのせいで、
涙が出るのはあいつのせいで、
俯いたまま街を歩いていると重暗い空から冷たいものが降ってきた。
・・・そうだ。...低気圧のせいだ。
頭が痛いのも、涙が出るのも、低気圧のせいだ。
どうでもいい。
どうでもいい。
どうでもいい・・・
雨脚が強くなり始める。道行く人はまばらに傘をさして歩き、そうでない人は急ぎ足で過ぎてゆく。
店や看板や車の明かりが水たまりに反射して目にうるさい。相合傘をして歩く男女がうるさい。手をつないで歩くレインコートの家族がうるさい。
傘が無いので濡れる。寒い。最悪だ。
クソ、クソ、クソ、クソ・・・
USBが水気で使い物にならなくなると困る。
違う、そんなことはどうでもいい。
早く帰らないと風邪をひく。
繁華街を抜けて人通りがなくなって静かになった。
日もだいぶ傾いたようで、曇り空も相まって空が暗くなる。道が暗くなる。
墨汁のように黒い水溜まりにぼんやりした街灯が歪んで崩れて揺れている。
靴の中まで濡れて足の指が冷たくなり始めた。
家々は窓を閉め切ったまま生暖かい明かりを漏らしている。
夕食時なのだろう。換気扇からなにか料理の匂いがしている。各々の家から、各々の家の料理の匂いがする。
カーテンに影になって揺れる子供の影。親の影。
関係無い。
背中に足に体に濡れた服が纏わりついて気持ち悪い。
ポケットの中の手も冷えてきた。USBは冷たい。
ゴミ捨て場の横を曲がると、閑散とした住宅街に出た。
消えかかった街灯が雑音を出しながら明滅する。
耳が冷えてきた。頭が痛い。濡れた髪から冷たい水が首筋に流れ込んでくる。不愉快だ。
早く帰りたい。
暗い側溝のグレーチングの隙間から、ごぽごぽと人の溺れるような音が、うるさい。
うるさい。
うるさい。
街灯と街灯の合間合間、闇の中から視線を感じる。
関係ない。
どうでもいい。
気のせいだ。
冷たい雨水が背中を流れるので、寒気が止まらない。
これ以上濡れるのは嫌なので、走って帰る
転んだ。
膝が熱い。手も擦りむいた。服の腹が泥塗れになる。
痛くない。痛いわけないだろ
死ね、死ね、みんな死ね…
死ね、ビスクとかいう奴死ね、あの研究所のいけ好かない助手も死ね、研究所のアンドロイド共も壊れて死んでしまえ、手をつないで歩く親子も死ね、サラリーマンも死ね、高校生も死ね、雨も死ね、冬も死ね、水たまり死ね、ニニャだって一生帰ってくるな、帰ってこなくていい、ニニャなんてどうでもいい、はやく死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね・・・
気が付くとUSBに向かって怒鳴っていた。
「お前なんか死ね、お前なんかいなくなれ、お前なんか帰ってくるな、お前なんか消えちまえ!なんで勝手にいなくなるんだよ・・・ッ!」
突然胸が苦しくなる。首を絞められた後みたいに喉が痛くて、鳩尾のあたりから何かがせりあがってくるような感覚が襲ってきて、変な声が出た。
眼球のあたりから、やたら熱い何かが流れ出てくる、吐きそうだ。
・・・一体何が辛い?何が苦しい?清々するじゃないか、オレに付きまとう得体の知れない機械人形、あんなやつ早くいなくなればいいと思っていた、ずっと邪魔だと思ってた、気味が悪いと思ってた、いつもいつもくっついてきてイライラした、その癖いてほしい時にはいつもいなくて、いて欲しいときなんて無かったし、馬鹿が、死ね、いつもいつも邪魔で、いなくなればいいのに、いなくなってしまった、オレのせいかな、いなくなってしまえばいいんだ!いなくなってしまった、オレが悪い子だったから?いなくなって、いなくなってしまえ、消えてしまえ!消えてしまった、もう戻ってこない?何で独りにするんだよ、馬鹿野郎、何で独りに、するんだよ、オレは独りが好き。ひとりがすきだ。
このUSBがあれば、いつかまた会えるのか?嘘だ。会いたくない、捨ててしまえ、捨ててしまえ!二度と会いたくないんだろ!ほら!早く捨てろよ!こんなもの、捨ててやる・・・!
雨で増水した側溝のドブに、USBは流されていった。ごぽごぽ、ごぽごぽ、音を立てて渦巻く黒い水の中に沈んでいく。
ニニャは消えてしまった。本当に、消えた。
ニニャは、暗い水の底に消えた。
オレが捨てた。…お前がオレを捨てたのが悪い。
お前が、オレを捨てて、どこかに行ってしまったのが悪い。何も言わずに、どこかにいなくなったのが悪い。
ざまあみろ。
笑いが止まらない、こんなに愉快なことがあるだろうか?
こんなに笑ったのは初めてかもしれない。
前笑ったのは、ニニャと話してた時か?
オレは笑いながら家に帰った。
笑い過ぎて胸が痛かった。
笑い過ぎて喉が詰まって、
笑い過ぎて涙が止まらなかった。
笑い過ぎて苦しくて、こんなに辛いなんて。