はじめはなんだっただろうか。山姥切に同情を覚えたのか、情けをかけたのか、もう覚えてない。
「ふぁ……ん、く」
深く深く口付けされ、山姥切の舌が口内に侵入してくる。一見すると、恋人たちの深いコミュニケーション。だが、俺たちは深い中になっている訳では無い。山姥切の目的を叶える手段として、口付け選んだだけの事だった。
口内を動く舌に合わせて負けじと唾液を送り込めば、山姥切ははっと目を見開いた。これが欲しかったのだろう。できる限り唾液を分泌し、山姥切に渡す。それだけで、目の前の山姥切の生活は少し救われるのだ。
やがて口を離した山姥切は、はあはあと上がった息を整えて言った。
「すまない、助かった。……美味しかった。とても」
「そうか。お主の役にたてたようで何よりだ」
頭を下げて、山姥切は部屋を出ていった。睦言も何も無い、手段としての愛瀬の時間は終わった。
この世には身体の性の他にもうひとつ、二次性が存在している。ふぉーくと呼ばれる食べることに特化した性と、けぇきと呼ばれる食べられることに特化した性。この本丸の山姥切国広は、ふぉーくだった。
山姥切は前の本丸から引き取られ、うちの本丸に迎え入れられた個体だった。山姥切の前の主は、ふぉーくに対して強い偏見をもった人物だった。味覚の不調を訴えた山姥切をふぉーくだと決めつけ、本丸の奥底に監禁した。ふぉーくにとって、けぇきの身体全てが唯一味のする食料だ。だから、抵抗できないような幼いけぇきを拐かし、殺して食べてしまう猟奇殺人犯がふぉーくには存在する。山姥切はふぉーくだから、本丸の誰かを殺して食べてしまうに違いない。そんな決めつけと偏見からきた蛮行だったという。
幸い前の本丸にけぇきはいなかったから、山姥切の味覚の不調は二次性から来るものなのか心身の不調からくるものなのか分からず、審神者は逮捕されて終わりを迎えた。山姥切は保護され、うちの本丸に移籍になった。
その時、不運にも出会ってしまったのだ。
俺というけぇきに。
「あんたと口付けがしたい」
ある日の夜、俺の部屋に尋ねてきた山姥切は頭を深く下げ、そう言った。何故だ、と問えば「俺がフォークだからだ」と返ってきた。
「味覚に異変を感じた時から、疑ってはいたんだ。俺はフォークじゃないかと。だが、ストレスが重なっても人の体は味覚を失うと聞く。あんたに会うまで、本当にフォークだという確信は持てなかった」
山姥切は淡々と話す。その目にあるのは、恐れだ。ふぉーくである自分への恐れと不安が、翡翠の目の中でぐるぐると渦巻いている。
「あんたを初めて見た時、全身に雷が落ちるような衝撃をうけた。あんたを食べたい。食べたら、どれだけ甘くて美味いだろう。そんなことばかりが頭を占めていた。だから、あんたはケーキで俺はフォークなんだ」
けぇきは、自分の性を知る術はない。ふぉーくから告げられ、初めてけぇきだと自覚するものだ。ただ、肉体は普通の人間となんら変わりない。自分がけぇきだったと言われても、実感がないまま話は進んでいく。
「俺の味覚は完全に失われている。燭台切や歌仙が作ってくれる料理も、鶯丸が持ってきてくれる茶請けも、何も感じない。だから、食事の時間が苦痛だった。でもあんたの身体なら、味を感じられる。そう思うんだ」
とはいえ山姥切は優しい性格だ。俺の腕を切り落としたり、肉を喰いちぎったりはどうしても出来ない。そこで考えたのが、体液の一つである唾液を簡単に食すことができる、口付けだった。
「他に心を通わせている相手がいるなら潔く身を引く。だが、居ないならどうか俺に情けをかけてくれ。」
そう言って頭を下げる山姥切に、初めに浮かんだ感情は何だっただろう。同情か、憐れみか、それとも。
「……あいわかった。」
気づけば俺は、そう返していた。
今日も口付けを交わし、山姥切は部屋を出ていく。そこに愛は存在しない。ただ、山姥切の無味の生活に少し彩りを添えることぐらいしか俺には出来ない。だが、俺の身体が少しでも役に立つのならそれでいい。
あの可愛い子からの愛が欲しい。そう喚いてる心を飲み込んで、俺は今日も何事も無かったかのように食堂へ向かうのだった。