ある日のエンフィールドとスナイダーある日、エンフィールドとスナイダーはロンドンの街を歩いていた。
目的は言わずもがな、街に潜む魔物を狩るためだ。
二人は市民や警官に見つからないよう、路地裏を移動していた。
その時だった。
突如として二人の視界が歪み始めたのだ。
まるで水面に映る景色のように、ゆらゆらと揺らめく世界。
そして――
気が付けば二人は見知らぬ場所に立っていたのである。
ロンドンからかけ離れた森の中であった。
周囲に人の姿はなく、獣道すら見当たらない深い森。
見上げれば木々の葉で空さえ覆い隠されていた。
そんな鬱蒼とした空間の中で、エンフィールド銃を構えたまま立ち尽くす二人。
すると突然、茂みの中から一人の女性が飛び出してきた。
その女性は黒いローブに身を包んでいた。
フードを被っているため顔はよく見えない。
ただ分かることは、彼女が普通の人間ではないということ。
なぜなら、彼女は二本足で歩く猫のような姿をしているからだ。
二足歩行する黒猫の魔族――ケット・シーと呼ばれる種族だ。
ケット・シーは魔法を得意とする魔物であり、知能も高いことで知られている。
おそらく目の前にいる彼女も例外ではないだろう。
さらにケット・シーは魔力によって体を巨大化させる能力を持っているという。だが、エンフィールドとスナイダーの前に現れたケット・シーには当てはまらなかった。
どう見ても二メートル程度の大きさしかない。
しかし、それでも油断はできない。
この程度の体格でも人を殺すことくらい容易いはずだ。
それに彼女の手にはナイフらしきものが握られていた。
武器を隠し持っている可能性もある。
だからこそ、エンフィールドとスナイダーはすぐに引き金を引くことができなかった。
一方、ケット・シーの方も戸惑いを隠せない様子だった。
自分たち以外の存在がいるとは思わなかったのか、あるいは獲物を前にして舌なめずりをしていたところ、いきなり現れたせいか。
いずれにせよ、ケット・シーは明らかに動揺した素振りを見せていた。
とはいえ、いつまでも膠着状態が続くわけがない。
先に動いたのはエンフィールドだった。
彼はケット・シーに向けて発砲し、そのまま接近戦へと持ち込もうとしたのである。
だが、その判断はあまり賢明とは言えなかったかもしれない。
何せ相手はケット・シーなのだ。
いくら小柄だとはいっても、それはあくまでも見た目の話。
実際は成人男性よりも遥かに大きい体躯をしている可能性だってある。
むしろ、そう考える方が自然だろう。
案の定、ケット・シーは俊敏な動きで銃弾を避けていた。
それも軽々と。
しかも驚くべきことに、ケット・シーは手に持っていたナイフを投げつけて反撃してきたのだ。
さすがにこれには驚きを隠せなかったらしい。
エンフィールドは反射的に後ろへ飛び退いていた。
おかげでナイフを避けることができたのだが……その隙にケット・シーに逃げられてしまう。
「くっ……!」
すぐに追いかけようとしたが、すでに時遅し。
ケット・シーの姿はどこにあるのか分からなくなっていた。
そこでようやくスナイダーが口を開く。
「おい、エンフィールド」
「ああ、分かっているよ」
エンフィールドは小さく嘆息してから答える。「恐らくあのケット・シーこそが魔物を生み出している張本人だね」
「…………」
スナイダーは無言のまま首を縦に振る。
エンフィールドの言葉に同意したようだ。
「どうやら僕らだけで対処できる相手じゃなさそうだ」
「…………」
再びスナイダーは首肯する。
彼の言う通り、今回の任務は『魔物を生み出す元凶を突き止めること』であって、『討伐すること』ではない。
ならば一旦戻って報告すべきだろうか? だが、エンフィールドにはそれが最善の選択だとは思えない。
なぜなら、もしここで逃げ帰ったりしたら、この国に存在するすべての魔物と戦う貴銃士たちが危険に晒されることになるからだ。
それだけは何としても避けなければならない事態である。
「こうなった以上、僕たちの手でケリをつけるしかないと思うんだよね」
「ふん、最初から俺もそのつもりだ」
スナイダーは静かに呟きながら銃を構え直す。
それを見て、エンフィールドも覚悟を決めた。
たとえ相手がどんな魔物であろうと、必ず仕留める――! こうして二人はケット・シーの後を追いかけるのであった。
◆ 二人がケット・シーを追跡し始めてから数分後――
彼らはとある屋敷の前に立っていた。
周囲を高い壁で囲まれており、門扉も固く閉ざされている。明らかに人の出入りを想定した造りではなかった。
つまり、ここは貴族の屋敷ということだ。
「これは……どうしたものかな?」
エンフィールドは困惑気味に尋ねる。
するとスナイダーは淡々と答えた。
「決まっているだろう。このまま奴を追うぞ」
「えぇ!? 正気かい?」
エンフィールドは目を丸くする。
だが、スナイダーは至って真面目な表情をしていた。
どうやら本心から言っているらしい。
「まさかとは思うけど、正面突破するつもりじゃないだろうね?」
「そのまさかだ」
スナイダーは即答する。
「そんなことをすれば最悪、捕まる可能性もあるんだよ? ただでさえ僕らは目立つ格好をしているのだから――」
「ならお前だけ戻ればいいだろう」
「そういうわけにもいかないだろう。ここまで来ておいて、はい、そうですかと引き下がれるものか」
エンフィールドはムキになって反論する。
スナイダーはそれを冷めた目で見つめていた。
それから溜息交じりに告げる。
「まあ、いい。どのみちこの先は侵入者用の罠があるはずだ。それをどう切り抜けるかは、また考えればいい」
「……まったく君はいつも無茶ばかり言うんだからなぁ。僕はただ平和的に解決したいだけだというのに」
エンフィールドは呆れたように肩をすくめる。
だが、それでもスナイダーと行動を共にしているのは、彼の実力を認めているからこそだった。
エンフィールド自身は射撃の腕前には自信があるが、近接戦闘に関しては不得手としている。
一方、スナイダーは近距離戦が得意であり、接近戦では彼に敵う者はまずいない。
その証拠に、今まで彼が戦ってきた相手はすべて返り討ちとなっている。
だからこそ、エンフィールドは彼と一緒に行動しているのだ。
しかし、今回の場合は少し勝手が違っていた。
この先にあるのは魔物の親玉であるケット・シーの潜む屋敷なのだ。当然、そこに仕掛けられたトラップを潜り抜けなければ、ケット・シーのもとへ辿り着くことはできない。
果たして無事にゴールまでたどり着けるかどうか……。
(とはいえ、やるしかないか)
そう自分に言い聞かせると、エンフィールドは改めて前を見据える。
そして覚悟を決めるのだった。
【次回につづく】