夜間外出禁止時間に出歩くと屋敷の中でハンターに出くわすらしい。 この荘園はある種の監獄だ。招かれた者は試合が終わるまで誰も出られないところ、その試合の「再現」が幾度となく繰り返されるせいで、要は、新たに足を踏み入れるものはあっても、ここから出ていくものは誰も居ない。
招待客(サバイバー)が増えたところで、建増し工事をしている風もない居館の客室が足りなくなったり、共有部が手狭になるということは不思議となかった。それを不気味がるには、あまりにも不気味なこと――例えば、ロケットチェアに座らされて爆散したはずの脱落者が、試合後には居館に戻り、五体満足で平然としている――が起こりすぎていて、誰も敢えてそれを気にかけもしなかった。
「試合が終わるまで誰一人として出られない」ため、居館で仕方なく共同生活をしているサバイバーの間にはいくつかの決まり事があり、「夜間外出禁止」はその一つだ。荘園主が姿を見せないまま催すイベント期間中には形骸化しているとはいえ、決まりは決まりであり、平時の違反者にはペナルティが課される。
といっても、館内が消灯されるその時間にわざわざ外出したところで、夜の屋敷をうろつく程度のことしかできないという事もあり、わざわざその禁を破るような変わり者はそう多くはない。しかし、全くいないという訳でもなかった。
夜間外出禁止時間に出歩くと、屋敷の中でハンターに出くわすらしい。という噂がある。ここでいう「ハンター」は、違反者に対して罰則を与える存在だと認識している者もいれば、異なる考察をしている者――存在感を持たない試合外のハンターはいわば「幽霊」のようなもので、夜になると屋敷を漂っているのだ、等――もいるが、兎に角、そういう噂があった。
故に、ハンターと何らかの因縁を持つような招待客、例えば、「自分の船から盗み出された傘を取り戻す」と酒瓶を片手に息巻く赤ら顔の一等航海士や、かつて門前払いを喰らった天才建築士との邂逅を――あわよくば、自分が着想した「父」の機構について意見を求めたいと考えている機械技師。そして、これといった意気込みを表明することはなく、ただ平気な顔をしているだけの庭師――彼女が復讐者の娘であることは、今となっては公然の事実となっていた。復讐者の持つパペットが庭師の姿をしていることが話題になった時、何故そんなことがあるのかと首を捻り疑問を呈していた面々を前に、弁護士が口を滑らせたからだ――などの面々が、時々外出禁止時間を過ぎてから、進んで部屋の外へ出て行くことがあったが、たとえそれを見かけたとしても、敢えてそれを止める者も居なかった。
夜間外出禁止の規定は連帯責任ではない。ペナルティを与えられるのは禁を破った者だけである。自分の身で罰則を受けるのであれば、それはそれで構わない。好きにすればいい、というのが、大体の招待客の意見だった(泥酔した一等航海士が共用部で騒ぐことについては、「やかましい」と苦情を申し立てるものもいたが)。
ある深夜。日々の治療を通して得た気づきを、カルテの代わりに手帳に書き込んでいたエミリーがふと思い立って、火の付いた蝋燭の据えられた銀製のキャンドルスタンドを片手に部屋を出た。そして、なるべく足音を立てないよう意識しながら、屋敷内をそろそろと歩いて見て回ると、ゆったりした寝間着に、内履きを突っ掛けた格好のエマは、きまって明かりも持たず、食堂の窓辺でぼんやりと立ち尽くしている。
「ウッズさん」
ぼんやりとしている彼女にエミリーが声をかけると、普段お団子にしている髪を下ろしたまま、窓越しの青白い月に照らされ、顔色が悪く見える彼女はエミリーの存在に気付いたようで、驚いたように緑の目を丸くすると、普段通りに微笑み「先生! こんばんは」と、月明かり程度しか明かりのない夜の居館という場にそぐわないほど、朗らかな挨拶をする。
「私ね、パパを探してるの。だって夜になれば、ここで会えるかもしれないでしょう? 試合の場じゃなくって、ん? でも、あれ?でも、なんで試合にお父さんが、いるんだっけ……?」
エマは弾む声で喋り出したものの、彼女を見るエミリーの様子が辟易と言う程ではないが、若干困ったような面持ちで微笑んでいることに気付くと、その声はおずおずと尻すぼみになっていく。エミリーはそれを見計らうようにして、「消灯時間に部屋の外に出るのは、あまり良くないと思うわ」と、注意深く切り出す。
「………そうね、先生の言う通りなの」
エミリーの言葉を受け止め、俯きがちになったエマの萎んだ様子にも、エミリーは心が痛んだ。自分の患者であるエマには規則正しい生活を送って欲しいし、そうあるべきだと考える一方で、孤児院で暮らしていた彼女――リサにとって、家族の存在がどれほど慕わしいものかを思えば、敢えてそれを咎めるのも酷だと感じていたからだ。
「眠れないなら、少しお喋りをしましょうか?」
食堂は使えないけれど、私の部屋なら、お湯を沸かすぐらいならできるわよ。と、エミリーが明るい声で続けて見る。すると、それまで規則違反を咎められたように感じ、所在なさげに項垂れていたエマはおずおずと顔を上げ、エミリーが何ら気にしていないように微笑んでいるのを確認してから、「うん!」と明るく顔を綻ばせた。
エミリーがエマの規則違反――夜間の外出――を控えさせるべきだと感じている(が、その動機を鑑みるに強くは言い出せない)のは、何も健康面を気にしているとか、禁止事項を破るのは良くないという感覚があるからというばかりではない。招待されたサバイバーが仕方なく共同生活をするこの屋敷の中は、一応の規範や、不在ながらも時々通知の形で存在感を示す荘園主という縛りがあったとしても、必ずしも安全ではないからだ。
特に、エマにやたらと「関心」を寄せるピアソンは懐中電灯を手持ちしており、停電中は基本的に客間に常備された蝋燭を掲げて使う他のサバイバーと比較すると、随分と身軽に動く。無論無尽蔵に電池があるわけではないが、蝋燭を掲げながらそろそろと進むよりは、多少の無茶もきく。そもそも彼は元々の稼業からして、夜中に潜行することが特技の一つでもあった。
また別の日の深夜、廊下で聞こえた物音の後を追ってきていたピアソンは、その晩も食堂で膝を抱えて蹲っていたエマにライトを向けると、猥りがわしいぐらいに口角をにやりと上げて笑いながら「な、な、何、何してるんだ」と声をかけた(もし、これで物音の源が酔い潰れた一等航海士だった場合、彼はそのまま踵を返すか、そうでなければ、深酒で前後不覚になった男の懐から、財布なり時計なりを盗むか、いずれにせよ、声を掛けはしなかっただろう。)。
「……エマね、パパを探してるの」
屋敷を広く探し回って見つからなかった後か、あるいは、ピアソンに声をかけられたからか。いずれにせよ気乗りしない風にこぼすエマに向かって、「あんた、も、もうさ、親離れしたら、どっ、どうなんだい?」と、ピアソンは言葉に詰まりながら鼻で嗤う(この男のデリカシーや優しさの欠片もない身振りをエマは嫌っていたが、ピアソン自身はそれこそが男らしさがあり魅力的な「強い」態度というものだと思っている。)
「お、俺の部屋に来るといい。こんなとこでうろついてるんならさ、あ、あんたもいい年なんだから……」
薄ら笑い混じりにそう続け、蹲る彼女に手を手を差し伸べると言うには戦慄きながら迫ってきた男の毛の絡んだ指を、エマは手で軽く叩きやりながら、「結構ですの」ときっぱり断った。
「!」
はっきりと拒絶を見せられるとピアソンが一歩引くのは、彼の習い性である。自らに応じない女に(面子を潰された)と思い、周りが自分を嘲笑っているような気分になって、それとなく当たりを見回す。日中であれば、その内にエマは足早に逃げるか、別の人に話しかけて難を避ける……というのが、ひとつの「お定まり」でもあった。
「っま、待てよ」
ここが人気のない夜中の居館でなければ、普段通り、どうにでもなったに違いないが、夜間で人目がないということはピアソンの気を大きくしたし、事実として、外出禁止時間中の廊下に人通りはない。
強張ったピアソンの横をすり抜けようとしていた彼女の手首をピアソンが掴むと、エマは「はなして!」と騒いで手を振り回すが、掴んでいる分には、大した抵抗でもない。
「こっ、これは、これはさ、お前、き、君が悪いだろう!! よ、夜中に出歩いて、売女の真似事か!?」
ピアソンがつっかえながら「あんたはもう少し、淑やかさというものを知るべきだ」といいざま、掴んだ手首を返して捻り上げると、もがいて逃げ出そうとしていたエマは苦痛に喘いだ。男は彼女の抵抗じみた身動ぎが鈍くなったのを見計らって、寝間着に着替えている分、普段よりもゆったりとして輪郭の見えない腰に腕を回して捕まえ、ひねり上げた腕ごと彼女の背中を押して、彼女の細い身体を、食堂の長机の天板に押さえつける。その拍子に、机に載せられている燭台が音を立てて揺らいだ。
「じっ、自分の、身の、身の振り方を、あんたの可愛いおつむでさ、よく考えるべきだろう……ウッズさん、なぁ?」
テーブルに押し付けられた彼女が不平を訴える具合に唸りながらばたつかせる脚の間、彼女が普段作業着にしているジーンズの布地より数倍柔らかく厚ぼったくはあるが、頼りない寝間着の布地に包まれている丸い尻に、自分の股座をしきりに押し付け、布地越しにペニスを擦り付け揺さぶるように動きながら、ピアソンは涎の滴るような物の言い方をしつつ薄ら笑っていたが、不意に、心臓を冷気で握られるような違和感があって、彼はエマの尻に自分の腰を擦り付ける動きを止め、藻掻いていたエマすら息を殺した。その冷気は、試合中のそれ、警戒範囲内にハンターが入ったときの気配に酷似していたからだ。