誇れる兄貴でいたいのよ「はぁ……」
「あんだよオミ、俺の店で辛気くせえ面すんな」
繁盛しているわけではないが、そこそこの客足で維持しているS・SMOTERSで盛大なため息をついたのは明司武臣。そのため息に文句を言ったのは佐野真一郎。今日は予約もないので、のんびり頼まれたバイクのメンテナンスを行なっていた。
初代黒龍の幹部4名のうち、今牛若狭と荒師慶三はジムの経営で本日不在。オミが何故ここにいるのかは、聞かないでいただきたい。
「なあ真ちゃん、お前さ弟とかにどう思われてる……?」
「はぁ?そりゃ、お前、ちゃんと兄貴として敬われて……」
敬われて?
「真一郎、帰ってきたらまず手洗ってこい」
「真兄、お弁当箱出して!」
「シンイチロー屁臭え」
日々言われていることを思い返してみると、だいぶ怪しい。う゛ぅん……と頭を抱える真一郎。
一体オミはどうしてこんなことを言い出したのか。
「千壽と春千夜がな、俺を兄貴だと思ってないような気がして」
例えば、買い物に行った時。千壽がアイスの自動販売機に視線を奪われているから、買ってやろうかと尋ねる。すると、一瞬悩んで「今はいい」と返される。
例えば、家の冷蔵庫に何もない時。春千夜が腹が減ったと台所に来て、中身がないことに気づいて舌打ちをする。じゃあラーメンでも食いに行くかと提案すると、即座に「出かけてくる」と返される。これはもはや、言葉のキャッチボールすらできていないのではないだろうか。と、こんな感じで千壽と春千夜がなんとなく余所余所しいと感じるのだ。春千夜に限っては視線を合わそうともしないし、舌打ちをするし、もう社会のゴミとでも思われているのではないか。
その話を聞いて真一郎は爆笑した。
だって、一時代を築いた初代黒龍の幹部、世間に軍神とまで言わしめた明司武臣が、何で悩んでいるかと思えば、弟妹に嫌われているかもしれないというのだから。
真一郎も弟妹から敬われているかといえば怪しいものの、さすがに嫌われてはいない、と思うので自分のことを棚に上げてオミの背中をバシバシと叩く。
「お前、その手オイル触って拭いたか?」
「気にすんなって」
焦って首にかけていたタオルで手を拭いたが、少し遅かったらしい、オミの背中には大きな手形がついていた。多分オミは気づかないだろうけど、ごめんなさい洗濯する人。
「じゃあなんだ、オミは千壽ちゃんと春千夜と買い物に行きてえってことか?」
「いや、兄貴だと思って欲しい、叶うなら敬って欲しい……!」
前者はまだしも、後者は大層なワガママではないだろうか。
「シーンイーチロッ!!!」
「ぐぇっ」
「こんちは」
「お、ドラケン」
そこにやって来たのはマイキーとドラケン。真一郎に調子を見てもらっていたバブの迎えに来たのだ。
「終わった?俺のバブどうだった?」
「悪いとこなかったよ、苦しい苦しい」
首に抱きついたまま尋ねるマイキーの手に、真一郎がタップして、ようやく離れてくれる。
「ただ、乗り方が雑。もっと大事にしろよな」
「え〜……わかった」
「よし」
少し不貞腐れたマイキーの頭を、真一郎は優しく撫でる。一応、タオルで手を拭いてからね。マイキーは不貞腐れた表情のままだが、少し耳が赤い。
「……真ちゃん、ちゃんと兄貴してんだな」
オミは驚きを隠せなかった。
先ほどの真一郎の話からは、疎まれているような感じがしたが、そんなことは全くと言っていいほどなかった。
事実、佐野兄妹は真一郎のことをちゃんと兄だと思っている。しかしそれ以上に、真一郎へのダメ出しが多く、素直になれないオトシゴロなのだ。なので、真一郎の悪口を言う人間がいると殴りかかる。
バカにされることは許せない。
ちなみに、妹であるエマは
「真兄はモテないけど、世界一カッコいいお兄ちゃん、かな?」
とはにかむのだ。なんだかんだで真一郎のことを愛している佐野兄妹を紹介したところで、オミは肩を落とす。
「あの、武臣くんはどうしたんスか」
そんなオミに話しかけたのは、マイキーと一緒に来ていたドラケン。ドラケンといえば、東京卍會の良心で、マイキーの面倒をよく見ている副総長、もちろん周りから慕われている根っからの兄貴肌。
「あ、あ〜、あのさ……どうしたら下のやつらに慕ってもらえんの」
「え、」
ドラケンが驚くのも無理はない。
何度も繰り返すようだが、弱々しく目をウロウロさせながら相談してきた相手は、初代黒龍の幹部の1人、軍神明司武臣である。ドンピシャではないドラケンたちの世代でも、彼に憧れている不良はいるし、オミと同じ学年やドンピシャ憧れた世代の不良ならば尚更、彼に惚れた不良は大勢いる。それがどうして、下のやつらに慕われたいと相談してくるのか、ドラケンにはさっぱりわからなかった。
「いや、武臣くんめっちゃ慕われてるじゃないっスか」
「ちげーよ堅。オミ、春千夜と千壽ちゃんに嫌われてんじゃねえかって泣いてんの」
「泣いてねえよ!」
オミを指差して笑う、佐野兄妹長男と三男の笑顔はそっくり。
ドラケンは少し苦笑いをしながら頬をかいた。
「……で、なんかいい案ねえ?」
落ち着いたオミが改めてドラケンに真剣に問う。
「それなら俺の担当じゃないんで」
ドラケンは春千夜に慕われていないし、千壽との関わりもほとんどない。春千夜と千壽を手懐けている人間といえば、
「ムーチョ呼びました」
ドラケンはその手に握られたケータイを見せて笑った。
初めて聞く名前に首を傾げるオミと、なんかどこかで聞いたことある名前だなと首を傾げる真一郎。
「あ、ムーチョってムーチョ?」
そう、東京卍會伍番隊隊長と横浜天竺幹部を掛け持ちで勤め、マイキーとイザナ両方から信頼されている武藤泰宏のことである。天竺組が佐野家に遊びに来た時に鶴蝶以外で唯一頭を下げていたことと、東卍組が来た時にもいたことで、真一郎の記憶に残っていた。
「ムーチョなら三途もなついてるしちょうどいいな」
何故か誇らし気なマイキー。
「は!?」
あの春千夜が懐いていたと聞いて、オミは一際大きな声を上げた。
「うるせー」
「マイキーも懐いてるくらいなんで、多分役に立つと思います」
「おいドラケン、どういうことだよ」
「お、ムーチョおつかれ」
しばらくしてS.SMOTERSの店先にやってきたのは、ライダースを羽織ったムーチョ。手に持っているのは、最近マイキーが気に入っている屋台の鯛焼き屋の袋。それに食いついたマイキーがムーチョに食ってかかる。
「マイキー、これはお前の兄貴たちへの土産だ。少し待て」
東京卍會の中でも抜きん出た年上、横浜天竺の中でもマトモ寄りであるムーチョは、両総長の兄である真一郎の店に手ぶらでは行けないと、急いで買いに走ったのだ。
「いつもイザナとマイキーに世話になってます。もちろん三、春千夜にも。武藤泰宏って言います」
差し出された鯛焼きの袋。しがみつくマイキーの手が届かないように高く上げたりしながら真一郎に手渡そうとする。
「ありがとな、万次郎に渡していいぞ」
真一郎のその言葉に、マイキーは即座にムーチョの手から鯛焼きを奪い取った。
「マイキー、1人で食うなよ」
「全部俺のだろ」
「マイキー……」
「……わかったよ。ほらケンチン、シンイチロー、オミくん」
よしよしと満足気なムーチョと、少し不貞腐れたマイキー、驚きで開いた口が塞がらない真一郎とオミ。鯛焼きを咥えながら、俺の言うこともこれくらい素直に聞いてくれればなと思うドラケン。
口をあんぐりと開けたままの真一郎は状況を把握できず、マイキーを指差しながらドラケンに説明を求めるが、俺も知りたいくらいなので何も言えない。ただ黙って首を横に振るだけだ。
「で、俺が呼び出されたのは」
場所と、真一郎とオミが呼んでいるということだけを一方的に知らされたムーチョは困惑していた。
改めて、真一郎がオミの肩をポンと叩けばオミがおずおずと前に出てきて頭を下げる。まさか初代黒龍の幹部の1人に頭を下げられるなんて考えたこともなかったムーチョは、ワタワタと頭を上げるように促すが、オミは頑として譲らない。
「頼むっ!俺に兄貴を教えてくれ!!」
俺がオミさんの兄貴になる……?だいぶ言葉が足りていないせいでムーチョは勘違いしている。
カクカクシカジカ。事の次第を知らされたムーチョ、しばし顎に手を当て考える。
「……あの、言いにくいんスけど」
「おっす」
オミはすっかり教えてもらうために不良なりの敬語を使い、それにムーチョは微妙な顔をしつつあることを確認する。
「オミさんが、三途、あぁ春千夜と千咒に嫌われている、ってことスか?」
「おっす」
「それなら多分、気のせいです」