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    gnsn本編が歴史上の出来事になった現代(風tyvt)で、本編時代をモデルにした偉人擬人化系ソシャゲ(F●O風)をプレイする人々の話。

    ※元素なし未来世界if
    ※息をするように転生後も同居してるカア
    ※歴史上にジョークが残っちまったセ
    ※弟子モデル男の娘キャラ激推しナリ
    ※ソシャゲキャラはほぼ別人

    神が実在した時代は遠く過ぎ、元素も神秘も衰退した、遥か未来のテイワット。元素を扱う力を持った原神たちは皆天上へ昇り、地上には元素と親和性のない人類だけが残った。草元素なしでは草は枯れ放題だし、岩元素のない地盤は緩いし、炎元素のない料理は不味い。様々な文化や国家の基盤を担っていた原神たちの失踪により、テイワットの文明は一度崩壊した。
    しかし残された人類は元素のなくなった世界で、再び自らの手で畑を耕し、道を敷き、建物を作った。人々は、世界から失われた元素反応の代わりに、様々な化学現象を研究し。そうして、特別な個人が持つ神秘の力に頼らない、新たな文明を作り上げた。
    一部の天才ではなく、大多数の凡人のための世界。
    それが今の文明のはじまりだ、といわれている。
    今では、この世に本当に元素があったことを信じる人は少ない。魔神と原神たちが生きた時代は、神話時代と呼ばれている。
    そんな、未来の話だ。

    「こちらは、神話時代後期スメール文明の最高裁判官・第××代大マハマトラのセノが書いたとされる特別な文章です。この文章が何を意味しているか、未だに論争が続いているんですよ」

    周囲の子供たちと同じように、もしくはそれ以上に。壮大な歴史の謎に目を輝かせていたその少年は、今とは全く違う、七つの元素が大陸中に充満していた古の世界に想いを馳せていた。草元素がこの世界に溢れていた頃、草木はどんなかたちをしていたのだろう。幼い少年の好奇心は、留まるところを知らない。知りたい。確かめたい。会いたい。
    そして、博物館の奥から僅かに運ばれてきた、古めかしい筈なのに何故か馴染み深い香の匂いに。彼の魂が記憶していた、もうひとつの人生の記憶の扉が開かれた。
    両手の数にも満たない数しか生きていない少年の人生は、それより長く充実した人生を生きた男のそれと混じり合い、やがて、ひとつのものになった。
    その少年の正体は、教令院生論派の学者であり、ガンダルヴァー村のレンジャー長、ティナリだ。
    そうして彼が“前世”の記憶を思い出すや否や。古いというだけで不相応な価値をもたされることになってしまった、“未だ解読されていない古代言語”で書かれた、よく見知った相手の耳タコジョーク集を見つけてしまったティナリは全力で頭を抱えた。



     Ⅰ

    「おしまいだよ! まさかあのセノのジョークが当時のスメール人の文化レベルを示す重要な史料だと思われてるなんて! 僕たち元スメール人のイメージが、完全に終わってしまっている……」

    難解で誰にも解読できなかったから、当時の大マハマトラが仕事用に用いていた暗号文と思われ、それはもう大切に保存されてきたらしい。その内似たような文書が次々と見つかるので、完全にそうだと誤解されてしまっているのだ。そもそもかつて元素の力とそれを操る人々が本当に存在したこと自体信じられていないのだから、それに言及した部分は全て比喩と見なされることになる。
    未だ解読されていない程のジョークの難解さを笑うべきか、現代の言語学者の質の低下を嘆くべきか。というかティナリが知らないジョークすらある。間違いなく、文書等の有形資料の保管に気を遣う専門家である“誰か”の手が入っているに違いない。
    致命的な誤謬はあれど誠心誠意史料に残る事実と向き合った結果の学術活動そのものは非難できないティナリは、それはもう嘆いた。論駁したくとも、今のティナリは神の目を持つ元素使いではないので、元素力を分かりやすく実証してみせるということができないのだ。
    ティナリは、とてつもなく白々しい顔で自身の話を聞いている目の前の男を睨み付けた。

    「アルハイゼン。君はなんだかんだ僕らより長く生きたでしょ。後世に遺す情報の取捨選択をしようと思えば、いくらでもできたんじゃない? よりにもよって、あのセノのジョークを……遺さなくたっていいじゃないか……」

    気付いて、探そうと思えば。かつてのテイワットを知る元素使い――神話では“原神”と呼ばれていた――は沢山いた。
    というより、彼らの生き方が前と殆ど変わっていないので、見つけるのも容易かったのだ。
    ティナリが目に入れても痛くない程可愛がっていた義姉――色々あって数年前まで寝たきりだった彼女は、産まれ年こそ先であるが、ティナリは彼女を妹のように思っていた――はコレイだったし。よく店で会うカードゲーム仲間はセノだった。セノは飽きもせず今生でも七聖召喚によく似たカードゲームに熱中しているらしい。何だっけ、何とか王? デュエル何とか? 兎に角、七聖召喚みたいなやつだ。
    アルハイゼンも、そうして見つけた元仲間の一人だ。正確には、見つけたというか、見つけてもらった、というか。ティナリたちの共通の友人である旅人の仲介のお陰だ。
    アルハイゼンは表情を殆ど変えないまま、珈琲入りのカップを傾けた。

    「確かに、情報の選択に俺個人の恣意的な判断があったことは否定できない。しかし俺は、評価されるべき人間が正当に評価されるよう気を遣っていただけだ」
    「まさかあのアルハイゼンから“気を遣う”なんて言葉が出るとはね」
    「……恐らく誤解しているだろうから言っておくが、俺は自分の周囲に関する情報を職務権限で強引に操作するようなことはしていない。残るべきものだけが残るようにしただけだ。そして俺はセノのジョークには手をつけていない」
    「じゃあまさか、本当にセノのジョークは“自力で”歴史の荒波を乗り越えちゃったって訳?」
    「そういうことになるだろう」

    ティナリは溜め息を吐きながら、前と変わらぬ頭上の大きな耳をぱたり、と畳んだ。
    今の世界では、かつてのティナリたちは歴史上、もしくは神話上の登場人物となっているようだった。
    ティナリは、自分や友人たちが当時のスメールの中でそこそこ目立つ立ち位置にいたことを否定しない。そもそも神の目線が向けられる人間という時点で希少だったのだ。故に、自分たちの名前が歴史に残っているということも不自然ではないと思っている。それにしたって、不名誉すぎる残り方なんじゃないかとは思うのだが。……まあ、本人が気にしてないし、難解すぎて相変わらず誰も理解されていないみたいだし、別にいいのかもしれない。
    ティナリは今世でも、殆ど前と同じ見た目をしていた。アルハイゼンも、前と殆ど容姿が変わっていない。違うのは服くらいだ。自分たちが昔着ていたような服装は、現世では古めかしいコスチュームでしかなかった。
    それでも、アルハイゼンはシンプルな黒のタートルネックに、黒のパンツ、深緑のジャケットと、前とあまり変わらない色の組み合わせであるし。そういうティナリも、大きめの帽子と厚めのロングコートを羽織っている他は、昔と同じようなシルエットに落ち着いてしまっている。ティナリのように耳と尻尾の付いた人種は昔よりずっと絶対数が減り、希少となっているようだったので、普段は大きな耳を帽子の下に隠し、尻尾はコートの下に隠しているのだ。今は自らのプライベート空間に、元々の自分をよく知る相手を招いているだけだから、問題ない。

    「僕はさあ、僕の名前に肖ったらしい学名の一部に自分の名前が残ってる位だったけど。カーヴェは当時建ててた物の一部とか手記とか、本当に色々残ってるよね」
    「保存状態が良かっただけだ」
    「へえ? 彼が自分の没案とか後生大事にとっておくタイプだとは思わなかったな」

    かつては大富豪の邸宅だった“遺跡”を形だけ模したらしいタフチーンもどきをつつく。……もどきというのは、多分レシピが残っていなかったからだろうが、あまり当時と似ていない再現料理だからだ。かの邸宅には、竣工後の金銭的問題もあったけれど。庭園のレイアウトに関して、植物学的な観点から色々とアドバイスしていたティナリにとっても、思い出深い建築だった。
    最初の持ち主であり依頼人のサングマハベイ没後、伝説の建築家カーヴェの代表作のひとつであるアルカサルザライパレスは、絶大な富と権力の象徴として様々な富豪の手を渡った。その後、今は文化財として国の所有になり、誰も住めない一大観光地となってしまった。自らの情熱の結晶のような建築物がこのような歴史を辿ったことを、非実用的で権威的な建築を蛇蝎のごとく嫌っていたカーヴェが知れば、今では絶滅してしまった生き物に含まれる風スライムみたいに、怒りでパンパンに膨れ上がってしまうかもしれない。
    こうして、かつてこの世界でそれぞれの道を生きた友人たちの記録が残っていること自体は、不自然ではないと思うけれども。それにしたって、スメールに関するそれらは、少々残りすぎている気もするのだ。教令院を卒業した学者の一人であるティナリは、様々な資料に時代を越えさせることの難しさを知っていたので。

    「……そう意外ではないだろう。あの時代でさえ、カーヴェの建築は一定以上の評価を受けていたのだから、保存したいと考える人間がいてもおかしくない」
    「君も人間だから、あながち間違った主張でもないね」

    植物は枯れ果て、開拓が進み、あの頃とはすっかり違った、人工的な景観ばかり広がっている。硬く無機質なコンクリートの下には、種一つない、綺麗な土が隙間なく敷き詰められているのだ。こうなってしまえば、森の記憶も無力だろう。そうなれば、頼むべきは、人の記録だけである。――ティナリたちの代に関する種々の記録を保存する者、つまり書記官であったアルハイゼンは、それ以前の書記官と比べても、相当仕事をしたらしい。不自然な位、彼の在任期間は必要な記録がしっかりと残っている。その内容がありのまま信じられるか信じられないかは兎も角、彼のような人間のお陰で、かつてのテイワットは伝説や歴史のような文学に形を変えて、今の世界のあちこちに生きている。



     Ⅱ

    仕事の打ち合わせというにはプライベートな対談を終えたティナリは、久しぶりに顔を合わせた一人の友人に、話を振る。

    「そうだ、聞いてよカーヴェ」

    役職の名前こそ違えど、ティナリは今世でも森林保全活動をしたり、パトロールをしたりしている。カーヴェが建築家を続けているように。そのため、ティナリがカーヴェに植物に関するアドバイスをし、カーヴェがティナリの森林保全のための施設をデザインする、という共生のような関係は今でも続いていた。
    少し違うのは、ティナリの側には今よりずっと昔になってしまったテイワットの植生と現代の植生を比較するという仕事が増え、カーヴェの側には岩元素の保護を失い弱くなった地盤を整備するための土木設計の仕事が増えたくらいか。
    元素力のあった時代の植物と、そうでない現代の植物はかなり違っている。特に、ティナリが好むキノコなんて、全く違う。そもそも開拓が進んだ今と昔では地形や環境からして異なるのだ。元素力の宿らない今の世界は昔よりずっと虚弱で、あの頃のような建物は最早建てられないのだという。そのため、アルカサルザライ“遺跡”の建築方法も、不明とされている。設計した本人であるカーヴェは、不明ってなんだ、この上なく分かりやすいだろう、と日夜学会で主張し続けているらしいけれど。彼の考え方は“天才的”過ぎて、全く受け入れられていない。
    そして今回の話題は、まさにティナリの新しい仕事に関するものだった。

    「少し前にさ、テイワット神話時代の植生研究者としての僕の方に、監修依頼が来た訳。あ、これもう公表済みだから、言っても問題ないやつだからね」
    「……珍しいな」
    「ね。珍しいよね」

    テイワット神話期に関する研究は、一部の歴史学を除き、元素力やその存在を示す証拠が綺麗さっぱり現存しなくなっていることもあり、すっかり非科学的なオカルト研究扱いされている。昔はそれらの証拠を何とか探そうと、あらゆる研究者が手を伸ばす一大ブームのようになっていたらしいが。結局何も見つからなかったので、初めから存在しない、と思われているのだ。つまり、比喩や空想の物語の類いと考えられている。
    一方、元素力とは関係ない部分の公的記録は残っているから、当然セノが大マハマトラとして行った裁判記録などは残っているのだ。……セノのジョークが謎に評価されている理由もここにある。あの厳格で有能な“大マハマトラ様”がそんな変人だとは、とてもじゃないが信じられないというのも理解できる。
    今、テイワット神話として残っているのは、殆どがティナリもよく知る金髪の旅人の実体験を元にした物語だ。旅人たちが生き別れのきょうだいを探して、色々な国を旅する話。モンド、璃月、稲妻、スメール、フォンテーヌ、ナタ、スネージナヤ……カーンルイア。実際に旅人たちに出会い共に過ごしたティナリたちは、それが事実であることを知っている。多少ティナリの記憶とは異なる部分もあったけれど、恐らくそれは旅人独自の視点によるものだろう。クラクサナリデビ様のところに暫くいたらしい自由聴講生に関する経緯とか。そして、あの頃のティナリたちが知るべきではなかった、“先代の草神”に関する顛末も。……元素が蔓延するあの時代では致命的だった種々の禍は、地脈の力を失い世界樹もただの大樹と化してしまった今では、何の心配もする必要がないらしい。だからこそ、この世界を一度旅立ち、長い時を経て再びこの世界に戻ってきたらしい旅人も、今なら語っても良いと判断したのかもしれない。
    元素が実在した世界を知るかつてのテイワット人なら、あのテイワットはこの世界にも確かに存在していたと確信できる理由はある。けれど、世界の全ての情報を記録していた世界樹の力が失われているから、何も知らない人々をも納得させられるような、強い証拠が殆どないのだ。前世も含め普通の学者より長い期間を生物学に捧げてきたティナリでさえ、古代植生研究だけでは生活できない。それほど、文明の崩壊による史料の逸失というのは徹底的なものなのだ。
    残っているのは、元素から完全に切り離された、“科学的に妥当な”方法で記録されたもののうち、様々な戦火や経年劣化を生き延びたもの。もしくは、元々この世界に所属していなかったもの――つまり旅人の証言だけ。
    故に、歴史は、神話となった。

    「……元々、テイワット神話をモチーフにしたストーリーを展開しようとしているらしくてね。僕もかつてのテイワットのことをちゃんと伝えていきたいし、いい機会かなって」
    「へえ。それで、どうして君に?」
    「“当時の生論派学者をモデルにしたキャラクター”に、植生についてちゃんと語らせたかったみたい」

    旅人は世界探索を通じ様々な情報を集め、それを日誌に記録していた。それらの記録は適切に系統付けられていて、失われた世界樹の代わりとなった。もしかするとアルハイゼンも、資料提供などに手を貸していたのかもしれない。ティナリも、旅人たちに様々な植物に関する教示をした記憶がある。

    「……まさか」
    「そ。ティナリ。“ガンダルヴァー村の大レンジャー長、ティナリ先生”……だってさ。ほら、僕は一応、彼の子孫ってことになってるから」

    大レンジャー長って呼び方やめてほしいって言ったのにな。そう呟きながら、ティナリが差し出した画面には、レンジャー風の衣装を身に纏った、いかにも頼りがいの有りそうな女性キャラクターが映っていた。

    『あっ、こら! 素人がキノコに手を出したら駄目だよ! ……しょうがないなあ、私がしっかり教えてあげるから、一人で森に入らないでね、マスター』

    艶やかな黒髪の彼女は、大きな耳と尻尾をパタパタと動かしながら、仲間たちの世話を焼いている。どこかかつてのティナリに似ているような見た目をしているが、しかしかつてのティナリとは違い、スレンダーな体型をした女性である。髪も肩甲骨につくほど長い。背中には、精巧な草木のような意匠の弓が背負われている。

    「女性じゃないか」
    「そういうゲームだからね。必ずしも史実通りじゃ面白くないだろ? ほら、見て。この主人公と一緒にいる仲間の一人は、うちのコレイがモデルになってるんだよ」

    今のティナリは、古代の学者ティナリの子孫であり、同名同業の人物として知られている。そしてコレイは彼のアシスタントとして、今世も一緒にいる。コレイに関する情報はティナリのそれほど残りはしなかったけれど。旅人の吟遊には、確かに彼女のような人物のことが含まれていたので。それなら、情報が殆ど残っていない“コレイ”の代わりに、今いる彼女をモデルにしよう、ということになったのだという。
    かつての自分とティナリをモデルにしたキャラクターが本当に実装されたことを知った彼女は、嬉し恥ずかしそうに自分のキャラクターを自らと関わりのある人物に似たキャラクターたちと並べていた。

    「プレイ……しているのか?」
    「たまにね。監修で名前が出てることもあって、作品への感想を求められたりするし……コレイがさ、なかなか重要な立ち位置のキャラクターになってるみたいで。まあ、聞くところによると、コレイがモデルになった子は女の子じゃなくて、“男の娘”ってやつらしいんだけど……」
    『みんなのことは、ア、アア、アタシが、守るからッ!』

    画面には、森によく馴染む色の衣装を来た小柄な子供が、スポーティーな衣装を纏った茶髪の女の子――コレイの友達の一人である、アンバーというモンドの女の子をモデルにしたキャラクター――を背中に庇っている絵が表示されていた。うん、ちゃんと大切な人を守れていて、文句無しに格好いい。彼女は、魔鱗病のせいで旅人たちの作戦の役に立てなかった期間のことをほんの少しだけ気にしていたみたいだから。
    “うちの子”であるコレイのことを大切に思っているティナリは当然、彼女によく似た彼をゲーム内でも入手し、しっかりと育成している。

    「……あの子がモデルなら、女性じゃないのか?」
    「最近実装されたときにストーリーの中で新しく語られていたんだけど……本当の身分を隠すため、ずっと女の子の振りをさせられてたっていう設定なんだ。あ、勿論コレイは今世でも女性だよ」

    カーヴェが再度画面に目を向けたときには、テキストで綴られるストーリーパートが終わり、独自のシステムによるバトルパートが始まっているところだった。見慣れたような見慣れないような、キノコンとリシュボラン虎が合わさったような二足歩行の異形たち。それらと向き合っているかのような、仲間たちの凛々しい横顔が描かれた数枚のイラストから、手早く目的の組み合わせを指先でポンポンと選択していく。コンボ、チェーンなどの術語はカーヴェには分からないかもしれないが、まあこういうものは慣れるに限るものだ。

    「……そう、スメールの章のコンセプトが“反転”らしくってね。歴史のいろんな要素がちょっとずつ反転してる、って話題になってるみたい。かつての僕が何でか女性のキャラクターになってるみたいにさ」

    選択されたスキルの組み合わせに従って、画面内のキャラクターたちが敵を攻撃していく。“ティナリ”が弓矢で敵の体力を削り、最後に“コレイ”が大きなブーメランを放って、とどめをさす。今回のバトルはこれで終了だ。戦闘結果を確認して、画面を閉じる。

    「まだ完結してないし、そこまで詳しいことは知らされてないけど、しっかりとテイワット神話時代の研究家を僕の他にも監修として入れてるみたいだし……いずれ君やアルハイゼンも出てくるかもね。やってみたら?」

    結局のところ、ティナリの本題はそれだった。
    聞くところによると、このゲームのライターはそれぞれのキャラをとんでもなく辛い目に遭わせるようなシナリオに定評があるらしい。勿論、そうでないシナリオもあることにはあるのだが。
    ティナリは人の不幸を喜ぶタイプの人間ではなかったが、右の頬を張られたら左の頬も無条件に差し出してやるようなお人好しでもなかった。コレイの活躍を見たい気持ちと、精神的ダメージを受けるリスクを慎重に天秤にかけた結果……一人では無理だと判断し、地獄に巻き込む相手を慎重に吟味、そしてカーヴェを道連れとして選択した。一番反応がいいと思ったのと……多分、いつもとても頼りになる旅人は、恐らく今回の件に関しては、仕掛人側だろうと思ったので。

    「僕はともかく、アルハイゼンがどんなキャラにされるのか、気になる……かもしれない」
    「まあ、旅人由来のテイワット物語だと、スメールの章って、殆ど僕らの知り合いの話だしね……」

    招待メッセージを送った後、葛藤するカーヴェの手から彼のスマホをするりと取り、ストア画面を開く。

    「とりあえずやるだけやってみてよ。つまらなかったら辞めてもいいからさ」
    「目的は?」
    「フレンドになってくれたら、嬉しいかなって。自分が招待したフレンドと一緒にプレイすると、特典があるんだよ」

    ティナリは彼の性格をよくよく知っていたので。適切な頼み方というものも理解していた。



     Ⅲ

    『僕なら大丈夫だ! 大船に乗ったつもりで任せてくれ』
    『ますたぁ~助けてくれ~!』

    それから数ヵ月後。自ら様々な災難に飛び込んでは、情けない悲鳴を上げ周囲の人間に助けを求める金髪赤目の女性キャラクターを見て、カーヴェは天を仰いでいた。
    カーヴェはティナリから薦められた例のゲームを、結局様々な理由から、プレイすることになっていたのだ。カーヴェとティナリのアカウントには、それぞれの招待特典が与えられた。
    内容としては、現代テイワットを生きていた主人公がひょんなことから世界の平和を守る秘密組織にスカウトされることになり、なんやかんやあって、歴史上の偉人や生物をモデルにした様々なキャラクターを召喚によって集め、育て、従えて戦う唯一の“マスター”となる、というものだ。そしてそのキャラクターというのが、様々な個性を持った美男美女、という訳だ。
    そんな世界の中で、彼女――“カーヴェ”は、酔っ払った末に変なものを作り上げたり、明らかに詐欺みたいな文言にホイホイ騙されたりしては、彼女の仲間であるマスターたちを様々なトラブルに巻き込むのだ。様々なイベントの導入に便利というのもあるかもしれないが……くりくりと大きな赤目をいっぱいの涙で潤ませ、幼稚で情けない泣き顔を毎度のように晒している。
    何故、カーヴェは“こんなの”なのか。ティナリはあんなに、それっぽくて、格好良かったというのに。この天才建築家を――カーヴェは天才というレッテルを嫌っているが、同時に自分が周囲からどう見られているかも理解している――モデルにしたキャラのわりには、いくらなんでも、ダメダメすぎないだろうか。カーヴェは自分のことをそこそこまともで良識的な人間だと思っている。
    そこがかわいいとか、守ってやりたいとか、助けてやりたいとか。チャームポイント的な意味があるのかもしれないが……一体こんなやつの何処がいいのか。カーヴェはかつての自分の生活を全力で棚に上げ、彼女から目を背けた。
    モンド、璃月、稲妻がモチーフの章が終わり、今はスメールでかつて起こった草神救出騒動――カーヴェはそれに参加していない――を元にしたストーリーが進行中である。
    繰り返すが、カーヴェはかつての救出作戦に全く参加していなかったので、カーヴェ(もどき)が味方側に参加している時点で、相当オリジナル要素が多いものなのだろう。
    実際、他の章も、昔旅人から聞いた話とは全く違っていたので、そこに独自性があって面白いのかもしれないと思う。

    「……カーヴェ?」
    「ん、」

    リビングソファに座りながら頭を抱えるカーヴェの横を通ったアルハイゼンが、その非日常的な動作に興味を持ったのか、書斎から持ち出した厚めの本を片手に近付いてくる。
    カーヴェとアルハイゼンは今世でも、前と似たような家に住んでいる。現代のスメール――今はもうスメールという国は存在せず、かつての土地の名前も一部地域にしか残っていないのだが、便宜上そのように呼ぶことにする――は、昔のスメールとは全く違う建築様式の建物ばかりだった。そのため、今の家はカーヴェが自ら再現設計したものだ。教令院による家の支給制度もなくなっていたので、カーヴェは自らの資産で昔と同じ家を作って、何だかんだ前世でも最後まで同居することになったアルハイゼンを、再び同居に誘った。彼は表情一つ変えないまま、当時の住居より快適かつ通勤時間が短く済むから、という理由で、同居を承諾した。それからアルハイゼンは、カーヴェが条件について提示する間もなく、まとめて半年分の家賃を払ってきたので、突っ返すこともできず受け取ることになってしまった。
    アルハイゼンはカーヴェの隣に腰を下ろし、上体をカーヴェの側に傾けると、同じ画面を覗いた。画面の中では、赤目の少女が泣き言を零しながら、敵性生物たちを攻撃している。攻撃を受けボロボロになった衣装からは、普段見えない服の内側部分が見えている。敵から攻撃を受けた彼女の体力は少なく、次攻撃を受ければ倒れてしまうだろう。敵の体力も僅かであと少しで倒せそうではあるのだが、このターンで倒し切るには、此方の攻撃力が足りていない。彼女以外に攻撃が向くことを祈り、殴るか、それともここで回復スキルを使うか。
    ……次の手をどうしようか悩んでいたカーヴェの目の前を横切り、アルハイゼンの指が画面に伸びた。彼は流れるような動作で画面端のアイコンをタップすると、一日一回限定のデイリースキルを勝手に発動し、敵の動きを止めた。

    「ちょっ、何勝手に押してるんだ」
    「使えるものは使うべき時に使うものだ」
    「君なあ! これは、一日一回しか使えない貴重なスキルで……」
    「それで? 昨日は結局使ったのか?」
    「使って……ないが、この後もっと強い敵が出てきて、必要になるかもしれないだろ!」
    「必要ないよ」

    カーヴェの反論を鼻で笑いながら、アルハイゼンはそのままの姿勢で手に持っていた本を開いた。
    画面の中では、敵を何とか打ち倒した少女が、歓喜の声をあげている。それを見たカーヴェの意識は自然と、片肩にかかる重みを忘れ、次のストーリーの内容に向いていった。



     Ⅳ

    『僕があいつを終わらせる! もう誰の手も借りないからな』
    『カーヴェさん、話を……』
    『僕には話なんてない! 大丈夫だって言ってるだろ!』

    もう誰の力も借りない、アルハイゼンは僕が倒す、と。主人公たちの手を振り払い、悲痛な顔で告げる少女の決意に。情緒を滅茶苦茶にされたカーヴェは咽び泣いた。前までの間抜け振りはこの豹変をさらにドラマチックに彩るためだったのか、というシナリオ手法的な理解など無力だった。
    お願いだから、この哀れな“アルハイゼンだったもの”を救ってくれ。
    彼女は今のカーヴェとは全く似ても似つかない少女であったが、その信念や行動原理は、カーヴェの作品に関する解釈を元に産まれただけあって、カーヴェの中でとてつもなくしっくりくるものであった。つまり、感情移入が容易すぎる。
    それぞれのキャラに持たせられた必殺技は、その人物の歴史上の逸話の中で最も特徴的なものだ。
    建築家として名を遺したカーヴェをモデルにした彼女にとって、それは当然代表作となる建築物である訳で。

    ――なんだこの胸糞シナリオはーーーーっ!!!

    カーヴェはバッドエンドに対する耐性がなかった。世の中の汚さは知っているけれど、それはそれとして、今でも、愛と勇気と努力が全てを征服すると無邪気に信じている節がある。カーヴェはアルハイゼンが身も蓋もない冷徹な思考実験結果を口にする度に、どうしてそんなことを言うんだ、と全力で反論し続けてきた。
    紆余曲折の末、仲間たちの力を借り受けた“カーヴェ”が顕現させた大建築で、黒幕の手で化け物の一部とされてしまった“アルハイゼンだったもの”を閉じ込め、建物ごと押し潰すシーンをしっかりばっちり見てしまったカーヴェは、反射的にスキップボタンを押していた。

    ――僕の建物は人の幸福を守るために使うものであって、攻撃の手段にするものではないんだが?? いや、確かに璃月の方では、そういうことをした記録があるというのは知っているが。ここで来るかぁーーッ!!!

    彼女の悲劇に、作品ファンが悶え苦しみ叫び嘆くように、カーヴェもまた物語の展開に涙した。
    これが他人であれば、まだ良かった。いや、良くないが、責任転嫁は容易かった。放っておいたら大変なことになるとはいえ、アルハイゼンを殺しやがって、と憎めたのだ。しかし、その悲劇の片割れがカーヴェの名を冠する少女で、もう片方がアルハイゼンの名を冠する異形だったから。どっちの選択も鮮明に理解できてしまって、自分でもきっと同じ選択をする、と思ってしまったのだ。だってカーヴェは、アルハイゼンは世界を滅ぼそうなどとは思わないと知っている。自分自身の生きる世界を大切に思っている彼は、自分に関係ない世界にはどこまでも無関心である一方、自分の生活環境を維持することには常に全力を注いでいる。
    カーヴェは、“カーヴェの芸術で、禍の源泉となったアルハイゼンを殺す”という、もしもの可能性から産み出された思考実験の結果を受け入れるしかなかった。
    カーヴェはアルハイゼンの性格を気に入らないとは思っていたが、それはそれとして彼(ではないことはわかっていたとしても)の身に降りかかる不幸を積極的に喜べるような人間ではなかった。
    傷付いた勢いのまま引退を考えたが、先輩プレイヤーであるティナリ曰く、救いのない死に方をした敵役であっても、後に仲間キャラクターとして実装することがあるらしい。
    カーヴェは“アルハイゼン”実装までゲームを続けることにした。せめて、せめて救われるまでは見届けなければならない。……見事に、運営の手の上で転がされているという自覚はある。しかしこの先に、これ以上の爆弾がある筈もない。
    “カーヴェ”が自称天才の美少女なのだから、“アルハイゼン”とてちょっと違う美少女であろうことはすっかり忘れていた。

    なお最期の最期でちょっとだけ正気を取り戻した“アルハイゼン”から“カーヴェ”へのコメントがあったことを後で知ったが、スキップしたので見ていない。再び見る元気もなかった。その上、全力でスキップしたスタッフロールに親の顔より見た男の名前があることも気付かなかった。




    それからさらに数か月後。

    『……教令院書記官、アルハイゼン。閲覧したい資料があれば、所定の申請用紙に必要事項を記入して窓口時間内に提出して下さいね』

    温度のない、しかしどこか柔らかさも感じさせる表情で、淡々と定型文を発する銀髪の“少女”が、そこにいた。艶々の唇。大きく膨らんだ胸は、組んだ両腕の上にしっかりと乗っている。

    「誰だよっ!」
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    Psich_y

    PROGRESS2024/2/11カヴェアルwebオンリー「Perfect Asymmetry 2」展示。

    遺跡探索中メラと入れ替わりでやってきた学生時代カヴェを持ち帰り甘やかすゼンと、情緒(と性癖)を滅茶苦茶にされている二人のカヴェの心が猛スピードですれ違ったりぶつかったりする話です。
    (未完:進捗展示)

    ※過去カヴェ+現カヴェ×現アル
    ※“メラ←→過去カヴェ”のため、カヴェの隣にメラが不在(重要)
    Won't be spoiler K-1

     カーヴェがこれまで経験してきた人生には、“最悪”と名付けられる出来事が既にいくつもある。そういった事実を鑑みたとしても。今のカーヴェの目の前に広がる光景は、間違いなく新たな最悪として数え上げられそうなものだった。
    「メラックをなくした?!!?」
    「手元にない、というだけだ。約束は三日だった」
    「本当に帰ってくるんだな?」
     妙に秘密主義なところのあるこのかわいくない後輩――アルハイゼンの、錆びついた沈黙に潤滑油をしこたま流し込み、どうしても調査したい遺跡があるらしいということを聞き出したまでは、多分、良かった。だから、問題はその後にある。……いや、“前”というべきか。まあ、前か後かはこの最重要じゃない。重要なのは、問題はそこにはないということだけだから。
    20174

    Psich_y

    MOURNING祈願でやってきた少し不思議なhorosy(ネームド)が新人妹旅人たちを草国までキャリーする話……になるはずだったものです。

    ※空放前提蛍放
    ※以前書いていたものなので、院祭以降の内容を含んでいません
    ※尻切れトンボの断片

    去年の実装時に細々書いていたものをせっかくなので供養。
    折角だから君と見ることにした その夜、私はパイモンの提案に従い、新しい仲間と縁を繋げられるよう夢の中で祈願していた。
     旅の途中で手に入れた虹色の種――紡がれた運命と呼ぶらしい、夢と希望の詰まった不思議な形の結晶――を手に、祈るような心地で両手の指先を合わせる。前に使ったのは水色の種だったけれど、此方の種はそれよりずっと珍しく、力のあるもののようだったから。
     ――今の私にとって、旅の進行はあまり芳しいものとは言えなかった。失われた力はなかなか戻ってこないし、敵はいつの間にかやたらと強くなってしまっているし、兄の情報も殆どなくて、どこへ行けばいいのかもあまり分からないし。今まで頭脳労働の面で散々兄の世話になってきていたために、私は旅のアレコレが得意という訳ではなかった。私が得意なのは、兄に頼まれたお使いのような頼まれ事を解決することだとか、ただひたすら敵と戦うことだとか、そういう部分で。仕掛けの解き方とか、工夫が必要な分野はこれまですべて、兄がどうにかしてくれていたのだ。
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    Psich_y

    DOODLE自分の前世が要塞管理者だったと思い込んでいるやけに行動力のある少年と、前世の家族を今世でも探している手先の器用な少年と、前世で五百年以上水神役をしていた少女が、最悪な地獄を脱出し、子供たちだけの劇団を作る話です。
    ※無倫理系少年兵器開発施設への転生パロ
    ※フリリネリオ不健康共依存(CP未満)
    ※フリに対し過保護な水龍、に食らいつくセスリと弟妹以外わりとどうでも良いリn
    ※脱出まで。
    ※~4.2
    La nymphe et les bêtes Side: FSide: F

    「さあ! 僕についてきて。君たちがまだ見ぬ世界を見せてあげよう!」
     フリーナ、と。かつて歩んだ永い永い孤独な神生と、その後の自由な人生を通し、唯一変わらず己と共にあった響きにより己を再定義した少女は、指先まで魂を込めた右手をネズミ色の天井へ真っ直ぐピンと伸ばし、高らかに宣言した。
    「君たちはただ、僕という神を信じればいい」
     すべての意識を周囲へと傾ければ、ほら。息を呑む音まで聞こえる。フリーナは思い通りの反応に、少し大袈裟に、笑みを深めてみせた。
     目の前の小さな観客たちは、フリーナの燃えるような瞳の中にある青の雫しか知らない。いくら多くの言葉をかき集めて自然を賛美してみせたところで、生まれた頃から薄汚れた白灰色の壁に囲まれながら育ち、冷たく固い床の上で寝ることしか知らない、哀れな子供たちには想像すらできないことだろう。
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    Psich_y

    PROGRESS刑期延長病み囚人セスリが支配するBADifメロ要(洪水前)と正規パレメルのトイレの扉が繋がってしまったので、少し様子のおかしい通常セスリの勧めの下囚人セスリを七日間(中週休二日)で攻略する通常ヌヴィの話(予定)……の二日目。よしよし不穏シグリオ回。
    ※囚人リの世界はシグ→←←リオ( )ヌヴィ
    ※通常世界はヌヴィ→リオ
    ※旅人はsr
    ※~4.1
    ※呼び名捏造あり
     Day 2

    「公爵? そっちのリオセスリくんは、公爵なの?」
    「ああ」
     次に訪問したとき。ヌヴィレットを出迎えたのは、主不在の執務室でティーセットを広げ、お茶会を嗜んでいたシグウィンだった。
     彼女にねだられるまま用件を話せば、彼女は人のそれによく似た手で、彼女に合わせられたのだろう小さく可愛らしい柄のカップと小麦色の焼菓子を差し出してきた。
    「ごめんね、これしか用意がなくて」
    「こちらこそ、連絡もなく訪ねて申し訳ない」
    「謝らなくていいのよ。ウチ、ヌヴィレットさんの顔が久し振りに見られてとっても嬉しく思っているの」
     そう言って微笑むシグウィンの表情には、どこか翳りのようなものが見られる。ヌヴィレットとメリュジーヌの間の距離は、ヌヴィレットと普通の人間との間の距離よりもずっと近いから。彼女もまたこのヌヴィレットが彼女たちの“ヌヴィレット”ではないことを、よく理解しているのだろう。
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    Psich_y

    PROGRESS審判に失望しシグしか信用できなくなっている刑期延長病み囚人セスリが支配するBADifメロ要(洪水前)と正規パレメルのトイレの扉が繋がってしまったので、パレメルを洪水の巻き添えから守るため、少し様子のおかしい通常セスリの勧めの下囚人セスリを七日間(中週休二日)で攻略する通常ヌヴィの話(予定)……の一日目。
    ※囚人リの世界はシグ→←←リオ( )ヌヴィ
    ※通常世界はヌヴィ→リオ
    ※旅人はsr
    ※~4.1
    「ヌ、ヌヌヌ、ヌヴィレット様、大変ですっ!!」
     慌てた様子のセドナが執務室の扉を叩いた時。丁度数分前に決済書類の山を一つ崩し終え小休憩を取っていたヌヴィレットは、先日旅人を訪ね彼の所有する塵歌壺で邂逅した際受け取ったモンドの清泉町で取れたらしい“聖水”を口にしながら、これは普通の水と何処が違うのだろうか、と、時に触角と揶揄される一房の髪の先がパッド入りの肩にベッタリつく程大きく首を傾げていた。
     しかし、日頃から礼節を重んじるしっかり者の彼女がこれ程までに慌てて自身の元へやって来る程の報告となれば、再度首を傾げることもあるだろう。丁度傾げていた首の角度をわざわざ戻すこともない、と判断したヌヴィレットは顔を少々傾けたまま、扉の前で律儀に自身の答えを待つメリュジーヌに入室許可を与えた。
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