毒を盛られる話久しぶりにヤ・シュトラがオールドシャーレアンに来るから、大人達で呑みにでも行かないか、とサンクレッドから提案されたのが事の始まりだった。
サリャク像から落ちる水が夕陽で輝く頃にはみんな集まっていて、先に来ていた俺とクルルで頼んだ物がもう机を埋め尽くしていた。
1番最後に来たのはOyakataa。彼女は珍しく釣竿を背負っていて、なんでもグリーナーとして魔法大学で研究の手伝いをしていたらしかった。
「困ってたみたいだから、つい」
「全く...。貴女らしいと言えばそうだけど、たまには体を休めることも必要よ?」
「ずっと忙しかったから、何かしてないと落ち着かなくて」
と、彼女が困ったように笑うと同時に飲み物が運ばれてきた。
サンクレッドと俺はエール、ヤ・シュトラとウリエンジェはワイン、Oyakataaとクルルが蜂蜜酒を手に取る。
そこからの時間はあっという間で、近況やバルデシオン委員会の状況、第一世界の話なんかが交わされると、グラスは何度も乾きその都度新しい酒が注がれていく。
ちなみに、ここに来られなかったエスティニアンには後でワインポート産の美味しいワインを贈る事にした。
酒が進めば楽しくなる。声もだんだん大きくなる。いつのまにか辺りは真っ暗で、机に備えられたランプが煌々と灯っていた。
ふと彼女がやけに静かだと思い、ランプのすぐそばに座っているOyakataaを見た。
珍しく酔っているのだろうか?机の上の空いた皿をチラチラ見ながら前後にふわふわと揺れている。でも、オレンジがかった光に照らされている、元から真っ白い肌が妙に白く見えた。
「...なぁOyakataa、どうし、」
声をかけようとした瞬間、彼女が軽く咳き込む。酒飲み達の笑い声に掻き消される程の小さな音だったのに、Oyakataaの着ていた白いジャケットが真っ赤に染まっていた。
「え、」
ーーーーガタンッ!
彼女が倒れる。浅く息を吐きながら、手が首を掻きむしるように動いている。
なにが、おこった?
「Oyakataa...?っおい!どうした!?」
サンクレッドがいち早く気づいて、倒れ込む彼女の背中を摩っている。それに気づいたヤ•シュトラも彼女へ駆け寄り、顔を覗き込んでいる。
だがOyakataa自身は目をキツく瞑り、まだ咳と共に吐き出される血で苦しそうだ。首に伸びる手をそっとウリエンジェが退ける。その手はありえないぐらい震え、代わりに握ったウリエンジェの手に彼女の爪が食い込んでしまっていた。
頭が理解を拒んでいるようだ。目の前で起きている事が、まるで夢のように思えてくる。だって全部がスローになっている。一斉に立ち上がったはずなのに、椅子を引く音も聞こえない。
本当に、何が?
「っ!毒か!」
サンクレッドの声で一気に頭が冴え渡る。
条件反射で迅速魔とエスナを使えば、杖をかろうじて掴んだだけの俺と同じように、天球儀を掲げたウリエンジェと目が合った。それもすぐに逸らされ、互いにOyakataaを見る。
幾分手の震えが収まったようだが、依然として呼吸は苦しそうなままだ。
「退いてください!安全な場所に運びます!」
担架を持って来たエレゼン族の男性2人が手早く彼女を載せてエーテライト方面へ連れて行く。あとで聞いた話だが、サンクレッドと同時に気づいたクルルがエーテライトを使ってシャーレアン魔法大学へ駆け込んだそうだ。
運ばれたOyakataaは、静かに真っ白なベッドで寝ていた。
俺たちのエスナが無ければ後遺症が残っていたかもしれなかった。それだけ強い毒が、あの料理にどれだけ混入されていたのだろう。念のためにと検査を受けた俺たちの中から、毒は発見されなかった。つまり彼女が食べた料理にだけ毒が仕込まれていた、という事になる。
すぐに犯人の捜索が始まり、事の経緯を聞いたアリゼーとアルフィノがバルデシオン委員会分館に到着する頃には、既に犯人は拘束されていた。街全体が、かの英雄を殺そうとした犯人を探しているのが耐えられなかったと、出頭して来たのだ。
ガレマルド出身の、優しそうな雰囲気の女性だった。
先の終末の厄災で保護されシャーレアンに入国し、かの英雄を一目見るまでは誠心誠意働いていた。ただ彼女を見た時、沸々と怒りや悔しさ、憎さが湧き上がって来てつい実行に移してしまったと、そう自白した。この女性の両親がイルサバード派遣団が来た事をきっかけに自殺してしまったからだと、肩を震わせながら語っていた。
Oyakataaが目覚めたのは倒れた日から1週間も経った後。アルフィノとアリゼーがガレマルドに戻るからと、最後に顔を見に来た時の事だった。
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意識がゆっくり覚醒していく。薄ら目を開けると、温白色の優しい光が天井を照らしていた。
「...Oyakataa?」
アルフィノの声。どこにいるのだろう?左に顔を向けると、そこにはアリゼーがいた。私の手を握って、泣きそうな顔で。
ということはアルフィノは右だろう。反対を見れば、同じ顔がもう一つ。
「やっと、やっと目が覚めたんだね...!」
嬉しそうに手を握るアルフィノに、手を握り返す事で応える。随分長いこと寝ていたのか、喉が渇いて声が出せなかったのだ。
すぐに水を貰おうと思ったが、目を覚ましたと聞きつけた知り合い達が押し寄せて静かだった個室は途端に喧騒に包まれた。
実に数時間に渡る面会時間の中で私が倒れた経緯も知る事となった。まさか毒で倒れるとは。肩書きが泣き出しそうな程情けない理由に苦笑が漏れ出る。それを泣きすぎて大変な顔のグ・ラハに見られ「こんな状況で笑わないでくれ」と更に泣かれたりもした。
面会時間終了後、医学部のデブロイがスープを持ってきてくれた。本調子で無くとも美味しいものを飲んで欲しいから立候補したんです!と彼女は言っていた。料理の腕は知っての通りだから安心できる。
1週間も食事を取らなかったから、美味しそうなスープを目の前に腹が小さく鳴る。エメラルドビーンをじっくり煮込んだ優しい緑色のスープを、自分を急かすように一口。
だがその一口を飲み込むことは叶わなかった。
舌にスープが触れた瞬間、猛烈な吐き気が襲う。
飲み込めない、そう思って咄嗟にベッドサイドのゴミ箱を手繰り寄せてその中にスープを吐き出した。
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体が食事を受け付けなくなっていると診断された。
嗅覚は正常。ならば心因性のものだろうと主治医は告げる。
仲間と一緒だったにも関わらず毒を盛られ、貴女が考えている以上に身体がショックだったのだろうとの見解だった。
それからは点滴で栄養補充する日々が続き、毎日誰かしらがお見舞いに来るが、点滴を見るたび悔しそうに顔を歪めて帰っていく。誰もその理由を口にする事は無かったが、サンクレッドだけは特段悔しそうな表情を浮かべて小さな声で何かを呟いていた。残念ながら聞き取る事は出来なかったものの、お陰でみんなが憂いている理由に得心がいった。