龍遙「南天」隣に腰掛けてココアを飲む男。が、最近気になって仕方がない。
プールから離れて、2人きりになると妙に意識してしまって困る。缶コーヒーを煽って左隣を気にしながら視線を泳がせ話題を探した。
「なぁ…」
「はい?」
「………今日、の、泳ぎ……ストローク、昨日よりも良かった」
「ありがとうございます」
「あぁ…」
会話が止まる。いや、小学生の感想じゃねぇんだから…もっといいコメント出来ただろーが。妙な意識の結果、自身のコメントにがっかりして隣の様子を伺うと、なんだか七瀬は嬉しそうだった。
「何、喜んでんだ?」
「…別に」
「ふーん」
何かに喜んでる七瀬、可愛すぎるだろ。
ちょっと足、パタパタさせて。やべぇ口元緩む。飲み干した缶コーヒーをベンチに置いて緩みそうになった口を隠すと、再び沈黙が流れた。
それに耐えられなくなってきて、また話題を探しているとスマホが震えたので、組んでいた足に置いていた手をベンチに移して、身体を傾けながらスマホを眺める。
メールチェックの最中、ふと隣を見ると先ほどまでココアを流し込んでいた小さな口が、ふぁぁとあくびで開いている。練習終わりで少し眠そうな七瀬が、あまりに愛おしくて変な声が出そうになる。
「眠いんだろ?部屋戻って少し休め」
「……いや、別に眠くない」
「そうかよ」
「なぁ、コーチ」
「なんだ?」
メールを打ちながら返事をする。
「コーチの手、見せてくれないか?」
あまりに突拍子もないので思わずスマホから視線が七瀬に移る。
「なんでだ?」
「何となく」
「何だそれ……」
「いいか?」
「いや、まぁ……いいけど、ほら」
開いている方の左手を七瀬の方に向けると、何の躊躇いもなく、七瀬は俺の手を持って弄り始めた。
突然突拍子もない事を言う、なんて不思議な奴なんだ、と思いながらも七瀬の冷たくて俺より一回りくらい小さな手が、ムニムニと俺の手を揉んでくる。
平静を保っていても、擽ったくて、手のひらを揉まれて気持ちよくて、おまけにそれをしているのが、七瀬かと思うと堪らなくなって、メールどころではない。
「…コーチ、ここ、痛くないか?」
「いてぇよ」
「疲れが溜まってる証拠だ。早く寝ろ」
「何だよ突然」
「良いから今日は早く寝てくれ。明日休みだし」
青い瞳が強く訴える。
「………わかったよ」
見つめないでくれ、目が合っただけでなんだか気恥ずかしい。中学生のガキみたいだ。
そうこうしているうちに七瀬は俺の手のひらに自分のそれを重ねる。
「コーチの手は大きいな…だから、あんなにダイナミックなストロークが出来るんだな…」
繁々と眺めているところ悪いけど、もう限界だった。
「……もう、そろそろ、いいか?」
耐えられなくなった俺は、七瀬に告げる。
「すまない」と手を離した。
もう少し気持ちに余裕があったら良かったのだが、このままでは色々取り返しのつかないことを言ってしまいそうだったから、こちらこそ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
気を悪くしていないだろうか。不安になって隣を伺うと、七瀬と目が合う。
「さっきのツボ、俺も疲労が溜まってくると痛くなるから、たまに押して確認してる。でも少し揉んだらコーチの手、暖かくなって、血の巡りが良くなったみたいだな。疲れた時は、さっきのツボを押すと効くらしいから試してみてくれ。」
七瀬はふわりと柔らかく微笑む。
最近、表情豊かになった七瀬は、時々だが笑みを向けてくれるようになった。それがまた、堪らなく胸を鷲掴んでくる。
ダメだ、これ以上一緒にいたら、俺も七瀬も危ない。色んな意味で危機を感じた俺は、残りの仕事のために事務所へ行くと言い訳をして、ベンチから腰をあげた。
「じゃぁ、また明後日な。」
「はい、また明後日に」
座る七瀬の前を通り越し、事務所に向かおうとして、思い出して引き返す。
七瀬の前に立って不思議そうな顔をする奴の頭をひと撫でした。
「マッサージ、ありがとな。明日、ゆっくりやすめ」
「…はい」
これくらいなら許されるか?と頭から手を話すと、心なしか七瀬の頬が赤くて、その表情に気づかないようにバクバクと跳ねる胸を抑えながら速攻で事務所に向かう。今の顔、勘違い…するだろ。七瀬、無防備すぎだ。また、にやけそうになる表情筋を必死に抑えて廊下を早歩きで突き進むと、事務所に入る前にトレーナーから声をかけられる。
「七瀬くん、良い子ですね」
「どうしたんですか?突然」
「いや、昨日、東さんが最近疲れてるから、何かいいマッサージ教えてください。って聞いてきたので、手のマッサージ教えたんですよ。コーチ思いの良い選手ですね」
「……普段は生意気ですよ。…でも、ありがとうございます。それでは」
事務所に入った途端、しゃがみ込む。
マッサージって、お前………俺のために………?健気すぎ。
もう、あいつ、俺のことどうしたいんだよ。
結局、その日は仕事に身が入らず、七瀬にも「早く寝ろ」と言われたから速攻ベッドに入った。
そして、七瀬に握られた手の感覚を思い出して、布団をめくり股間を確かめて、頭を抱える。
これは流石に大人としてどうなんだ…?罪悪感にかられつつも、どうしようも出来ないでいると、部屋をノックする音が聞こえてくる。
このタイミングで誰だよ…焦りながらも身体は治ったようで、不機嫌そうにドアを開けたら七瀬が立っていた。
「どうしたんだよ、こんな時間に」
「コーチがちゃんと部屋で休んでるか、確認に……」
マジかよ。なんだよ確認って……。風呂上がりなのか、上気した肌に潤んだ瞳。
俺を見上げる七瀬を部屋に引き入れ、次の瞬間抱きしめていた。
「俺を、どうしたいんだよ。お前は………」
心臓うるせぇし、なんなんだよ。
でも、今ならまだ間に合う。寝ぼけてたとか、いくらでも、言い訳ができる。そう思ったのに……
七瀬は、俺の服を弱々しくキュッと握ってすり寄ってきた。
俺、もう……降参だよ。