安全地帯 ほろ酔いを通り越した、最早泥酔状態のアベンチュリンがこの部屋を訪れたのはつい数刻前だった。顔を赤らめ気分も上々に扉を開いた彼に対して、レイシオの機嫌は急降下である。何がうれしくて、こんな酔っぱらいを深夜に迎え入れなければならないのだろう。
「このカードキー便利だねぇレイシオ。どの部屋の鍵でも開いちゃうんだ」
「カンパニー所有のホテルだ、幹部である君がマスターキーを持っているのに大した疑問はない。が、何の理由もなく使用したことは報告させてもらおう」
「えぇ、固いこと言わないでよ」
ねぇレイシオ。相変わらず彼は上機嫌で、着の身着のまま抱き着いてきた。汗と、酒と、それから香水なのか甘ったるい匂い。こちらは既に風呂も終えているのに、汚されるなどたまったものではない。
「おい、せめて風呂に……いや、ソファーなら貸してやるから離れろ」
「ん~……レイシオも、一緒?」
「僕はベッドで寝る」
「やぁだ」
ぎゅう、と回されていた腕に力がこもる。あぁくそ、無理矢理にでも風呂に突っ込んでしまおうか。しかしここまで泥酔状態の彼を風呂に入れるとなると、それはそれで危険性があるのも事実だった。体温が上がれば酒が回る。これ以上アルコールの影響が出た場合、それこそ彼は中毒症でぶっ倒れるだろう。
だからこれが最適解だったのだ。汚いままの彼に引っ付かれるのはごめん被りたいし、彼も一度寝て酒を抜くべきだ。今いるソファーは二人掛け用で、狭くはあるが横になるくらいはできる。そう思っての提案。なのにそんなレイシオの考えを知ってか知らずか、離すまいと抱き着き体重までかけてくる始末だ。よっぱらいめ、と舌打ちとともに悪態をつく。
「仕事してきたんだよ~レイシオ、ねぇ~」
「そこまで泥酔するのが仕事か。聞いて呆れるな」
「だって、のまないとはなしきいてもらえなくて」
「……話?」
レイシオの声音がひとつ、いや三つほど下がる。しかし正気ではないアベンチュリンは気付かない。そもそも、自分の失言にも気付いていないのだろう。
レイシオとアベンチュリンは、昼間のパーティーに参加するためにここを訪れていた。それは滞りなく終わりホテルで一泊、そして明日の朝の便でピアポイントへと戻る。そういうスケジュールだったはずだ。あくまで、レイシオに共有されているスケジュールでは。
まだ飲み足りないからと言ってバーに向かう背中を見て、確かに話をするばかりで何かを口にする頻度は高くなかった。レイシオだってホテルのルームサービスを頼んだくらいだ。つまり彼も一人で飲むものだと思っていた。彼も、きっとそれを言うつもりはなかったのだろう。
しかし今、露見した。バーに向かったのはたまたまでもなくスケジュールで決まっていたことなのだろう。そして、そこにレイシオを連れていくという項目はなかった。だから彼は一人で赴き、相手の話を聞くために酒を飲み、そして今こうなっている。
「……酒以外に、何を口にした?」
「んぅ、え……なに?」
「どんな酒を飲んだんだ、アベンチュリン?」
「うーん、と」
逃げられないようにさりげなく彼の腕をつかむ。その細い腰に腕を回して引き寄せて、しかし決して力任せにはならないように。逃げ場がなくなったことに彼は気付かない。それほどまでに泥酔しているのだ。そんな状態でもここまで来たことを、褒めてやるべきだろうか。
「えぇっとねぇ……なんだっけ機械の王様の……」
「……スクリューガムか?」
「あ、そう! すくりゅー、えぇっと」
「スクリュードライバー」
「それ~。ふふ、レイシオはものしりだねぇ」
腰を抱いたまま、ゆっくり身体を倒していく。足元がおぼつかないらしい彼はされるがままだ。声もだいぶ呂律が怪しくなっていて、まだ寝てくれるなよとその頬をつついた。
「ほかには?」
「えぇ……うぅん」
「イエローパロット、ピンクレディ。……アレキサンダーやキス・イン・ザ・ダークは?」
「なんか、いわれたきがする……」
つまりは出され、飲んだということか。それらはすべてレディキラーと呼ばれる度数の高い酒であり、しかし飲み口が甘いことから飲みすぎる危険性がある。言ってしまえば女性を酔わせ思い通りにするために差し出されることが多い酒だ。アベンチュリンはともかくとして、相手にはおそらくそういう意図があった。
そもそも商談ではよく酒を勧められるのだ。彼がここまでに酔ったことも見たことがないし、つまり今日の飲酒量はそれほどまでだったということか。何故、そんな相手との『話』にレイシオを連れて行かなかったのだろう。一応彼のビジネスパートナー兼、恋人であるというのに。
「……相手に触られたりは?」
「……」
レイシオの上で、アベンチュリンがのそりと起き上がる。さっきまでの上機嫌さはどこへやら、その顔は酷く不満気だ。ぷくりと頬を膨らませる様はあまり怖いとは思えないけれど。
「してるとおもうのかい、れいしお」
「……今の君であればされてもおかしくはない」
「じゃあたしかめてくれ」
起き上がられたことで行き場をなくしていた片手が、アベンチュリンの手に捕らえられた。そして唯一肌の晒された胸元まで持ち上げられ、その穴の中へと誘われる。はだけてもいないそこは手を入れるには無理があって、しかしそれを理解していないのかぐいぐいと彼の手が押し込もうとして。酔っ払いめ。
見かねてもう片方の手でボタンをひとつ、ひとつと外していく。そうすれば力任せだった彼の手はぴたりと止まって、見上げればぼんやりとした瞳がそこにあった。
「アベンチュリン?」
「……うれしい」
「は、」
「ぼく、ずっとれいしおが、れいしおじゃないといやだ、っておもってて」
触れた肌がしっとりと汗ばんでいる。頬が紅潮して呂律も回っていなくて、まるで情事中の、ようで。
「だからぼく、ここまで」
にげてきたんだよ。しかしレイシオのそんな浅ましい欲は、たったの一言で霧散してしまった。きっと今日の、バーでの話をしている。その間中ずっとそう思って、おそらく連れ込まれそうになったのを回避して、レイシオの元へ。
「んん、れいしお……あったかい、ねぇ……」
「……そうだな。そのまま眠るといい」
「でもぼく、おふろ……」
「僕がいいと言ったんだ。さぁ、おやすみ」
抱き寄せて、耳元で柔く囁いて。そうすれば彼の呼吸音が寝息に変わっていった。ソファという狭い場所、風呂に入っていない上に酒臭い恋人を腕に抱いて、しかし気分はそう悪くはなかった。明日起きたときに一緒に風呂に入ればいい。そんなことを思うくらいには、彼の健気な言葉に毒気を抜かれているのかもしれない。
そんな自分の変化が嫌ではないのだから、恋とはなんとも不思議なものである。