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    trv_kogi17

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    trv_kogi17

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    ココがほとんど出ないココイヌのホラー、鶴蝶編

    みえるいぬぴー5「こっちは4人死んだ。次は弟が死ぬ」
    「え、兄ちゃん俺死ぬの!?」
    「かわいそうにな」
    「超他人事じゃん。うける」
    「もっと感情こめろよ! え、九井、これのどこがいいわけ?」
    『はっ? 何いってんだよ!?ていうかイヌピー? え、なんで糞兄弟イヌピーと一緒にいるの、え、は? ドラケンは? 保護者は!?????』
    「うっさ。うけるー」
     そうして蘭のスマホの電源は落とされた。
     もう二度と会わないだろうとか道は交わらないとか、そんな雰囲気を出していた灰谷兄弟と別れてから約二週間。即ち乾と龍宮寺がちょっとだけ良い値段の焼き肉を食してから12日後。
     深刻な顔をし、バイク屋にスマホ片手に突然現れた二人組。思わず龍宮寺は頭を抱え、乾はつい最近近所の小学生に貰った防犯ブザーの紐を引いた。
     



     ただ、水をやるだけ。それで観葉植物の世話は完了だ。最初は水だけで本当にいいのかと思っていたが、葉は瑞々しく枯れもしていないのでそれで良かったのだろう。一つ観葉植物を置くだけで、随分とちがうもんなんだなと鶴蝶は一人頷く。
     人には面白みもない部屋だと言われていたが、部屋に面白みもなにもないだろうと思っていた。寝るためのベッドと、体を鍛える為の機械。大きな冷蔵庫は同僚が勝手に置いていったものだ。なかにはペットボトルとこれも貰いもののハムが転がっている程度で。部屋に最初から設置してあった薄型テレビは時々音が聞きたくなってスイッチを押すが、確認するのはニュース位だ。
     倉庫変わりにしている部屋も一部屋あるが、そこには持ち主から忘れられた空の水槽と音の鳴らないギターが突っ込んである。あれは自分の部屋じゃない。ただ置いてあるだけ。それだけ。
     そんな色のない部屋に新たに現れた観葉植物は、何となくリビングの真ん中のテーブルに置かれていた。
    「水はこんなもんか」
     コップに半分いれた水を根元に流しこんで、飾られた観葉植物の世話はそれで終わり。鶴蝶は元気な葉を確認し、コップを片付ける。
     数日に一度立ち寄るだけの、ただ寝に帰るだけの部屋は一つものを増やすだけでなんだか少し明るくなった気がする。
     鶴蝶がその植木鉢を手に入れたのは、ただ偶然にその色鮮やかな緑が目についたからだった。
     細い路地裏の、ゴミ箱の隣。壊れた室外機の上。暗く、湿気の多い場所。そんな放棄された場所に放置された鉢の中身は元気に緑色を茂らせていた。
     用があったのはその路地裏のすぐ隣にあるビルだった。ビルに入っている接待飲食店で鶴蝶はほんの少し酒を飲み、フロアを見てまわる。
     喧嘩屋時代と違い、成長した今、この仕事は暴力で全てが片付くわけではない。組織の三番手だと称されているが、実際の所、組織内では鶴蝶はそれほど重要な事をしているわけではなかった。自分よりも金庫番の方がずっと重宝され、されるべきだともちゃんと理解している。
     けれど暴力が全てに勝というシーンは未だに多いのも確かだ。
     店にいる黒服を横目に店長と会話をし、それから嬢の付きまといで出待ちまでしている男を車に乗せ始末する様に指示しておく。あとは適当にたまにいる酒で気が大きくなり暴れる客をフロアの端で殴り飛ばして終わりだ。
     そうやって組織の息が掛かった店を数店まわり、一息ついた所で鶴蝶はまだ枯れてもないのにうち捨てられた植木鉢を見つけた。
     ビルから出て、部下が運転する車に乗る直前だった。ふと、その隙間に目が惹かれた。
     後ろから止める声を無視して、路地裏に置かれた鉢を手に取ってみる。こんなところにある植木鉢には根元に薬だったり鍵だったりが埋めてあるのは定番だが、その気配はなかった。土に指を這わすと根元は乾き、けれど茎から上は元気だ。
    「あの、それ、」
     部下が何か言ってるが、何を言っているのかよくわからなかった。視線は観葉植物から離せなかった。
     ふと、映像が見えた気がした。自室の、目立つリビングのテーブル。そこに置かれた観葉植物。なんだかちょっとだけ懐かしくて、暖かだった時代の残り香。
    「もって帰る」
    「え」
    「ここで枯れるまで放って置くのは可哀想だろう」
     可哀想。するりと出た言葉に自分で可笑しくなる。ついさっき指先一つで人を処分してきた所だ。実際に手を下すのは自分ではないが、命じたのは自分だ。そんな人間が、植物にむかって可哀想だと。
     両手で大事に鉢植えを抱え込み、鶴蝶は部下の運転する車に乗り込んだ。





     電源の切ったスマホをスーツの内側に仕舞った竜胆は据わった目をしていた。
    「マネキンの頭に水やりする組織の幹部とかどう思う?」
    「くそやべえ」
    「やめろイヌピー。お前らも内情を漏らすな。話すな」
     龍宮寺は呆れた声を出しながらも、冷蔵庫から冷えた缶コーヒーを人数分用意した。
     もうこれ以上は仕事にならない。そう店の代表が決めたので乾は無言でカフェオレの缶を手に取ってその場に座りこむ。居座る気満々でやってきた反社のおかげで、D&Dは昼のさなかでシャッターを降ろす羽目になってしまったのだ。恐らくこれは話を聞かないと動かないだろう。
     ちらりと視線をやると、龍宮寺が仕方なさそうに頷く。確実にこれは副業案件だ。肉のためにまた頑張るか。いや、今度は魚介がいい。大きな魚が食いてえ。
    「で、なんだ」
    「ちょっとうちのやつが厄介な感じだから、どうにかしてくんない?」
     金は用意するからさあ。前回に珈琲屋で依頼してきた時よりもずっと弱った声だ。乾は視線を蘭の隣に向ける。相変わらずなんか憑いているが、前と変化がないようなのでそれが理由ではないのだろう。
     缶コーヒーを一気飲みした竜胆の顔を覗き込む。兄も弟も、それなりに取り繕っているだろうが、顔色は前回よりもずっと悪かった。
    「どうにかって、マネキンに水やりってやつをか? 病院行った方がよくないか」
    「控えめに言って病んでるんじゃねえのか」
     な、と龍宮寺と頷きあう。反社なんかやってるから病むんだ。
    「いや、それがまともじゃねえんだって」
     頭を抱えた竜胆が呻く。化け物見えて殴れる自分の方がまともじゃねえし反社の時点でまともとはほど遠いだろうという言葉はとりあえず飲み込んでおいた。
    「この前のあれと似たような感じ。金は出す。鶴蝶が」
    「……仕方ねえな」
     別に乾は霊能力者なんて上等なものじゃないので、全ての化け物の事件を解決出来る訳じゃない。とりあえず話を聞いて、受けるか断るかは内容次第だ。最悪神社の坊主を紹介して丸投げした方が早い場合もある。
     やばいと思うやつには手を出さない。それは乾と龍宮寺が化け物退治を副業とする上で決めたことだった。
    「で、マネキンだったか」
    「そ。最初は観葉植物を拾ったって話から、家にいる時間よりも事務所にいる方が長いからってそれを持ち込んで来たんで判明してさあ」
     それは唯の世間話から始まったらしい。家に色があると落ち着くだとか、世話は水だけでいいだとか。そこから出張や泊まり込みが多いから、事務所にある鶴蝶の部屋にその鉢を置いてもいいかという話になって、他にも私物を勝手に持ち込んでいる者は多いので許可は勝手に蘭が降ろした。
    「で。満面の笑顔でマネキンの首に水やりする鶴蝶に望月と明司が被弾した死んだ。やべえ」
    「あれじゃねえのか、ほらマンドレイク? マンドラゴラとかいうやつ?」
    「いや、あれ、まじもののマネキンの首なんだよなあ……」
     植木鉢に生えているというか、置かれたマネキンの首。
     それぞれ請け負っていた仕事の片が付いたので、仕事量がそれなりの末っ子の部屋に顔を出した瞬間だった。にこにこと笑い、今水やり中だからちょっと待ってくれと答えた。
    「兄貴がそれ植物じゃないって指摘しても、いつもの冗談だろって感じで話を聞いてもらえねえし」
    「日頃の行いの所為じゃねえか」
     それな、と竜胆は頷いて蘭に脛をおもいっきり蹴られていた。
     まあ、対象と周囲に全く違うものを見せてくる化け物はそれなりに多い。この前のこの灰谷兄弟に付きまとっていた泥の塊もそうだし、龍宮寺の家の前に落ちていた手首とか。手袋落ちていたと手首を渡して来たときは思わずスパナを投げつけてしまった。
    「鉢に植えられてるんだろ。ゴミの日に出せばいいんじゃねえの」
    「捨てたら次の日ふつうに笑顔でマネキンの頭に水をやる鶴蝶に被弾して今度は三途が死んだ」
    「反社の癖に死にやすいな」
    「ココちゃんは幻覚だなって仮眠室でぶっ倒れてたよ」
     懐かしい。昔もそんな感じの時があった。大寿の家の水槽に浮かぶ目玉を見て、幻覚だとかどうとか言ってたっけ。ちょっとだけほっこりしてると、龍宮寺に名前を呼ばれて頭を叩かれた。
    「で、報酬だけど九井と三分だけ電話とかどうよ」
    「いや、金でいい」
    「金、金、金、って九井みたいなこといってんじゃん」
     だって今更。何を話せと。鮪丼食いたいだとか、いくらとウニの半々の丼とか、えんがわの寿司だとか蟹とかエビとか。今度は海鮮がいい。いや別に九井を蔑ろにする訳ではなく、けじめってやつだ。けど、でも。声が聞きたい。会話がしたい。それで。会えるなら、会いたい。
     そうやってぐるぐる考え込み黙りこんだ乾に、前金ねと笑いながら蘭がスマホに指を滑らせた。
     




     綺麗な花が咲いた。鮮やかな、真っ赤な花が小さな観葉植物から幾つも咲いた。
     咲いた花の数を二つ、三つと数えて、十を過ぎる頃に止めた。この木はいつの間にこんなに蕾を付けていたのか記憶にないが、きっと部屋の気候と与えていた水の量のおかげだろうか。
     寝にだけ帰るようなマンションの寂しい一室ではなく、空気だけは若干殺伐としているが職場の環境が良かったのか。
     ふわりと花から香る甘い匂い。花の数が多い為か、部屋中に甘くてどこか重たいにおいが漂ってきた。
     赤い花の真ん中には黄色い花粉。ちいさく可愛い花。血の空気に触れたどす黒い赤とは違う、色鮮やかな赤。
     いつも通り、コップに半部の水をやる。最初は自分付の秘書にでも世話を任せようと思っていたが、すごく微妙な反応をされてしまった。仕方ないので結局は自分で世話をしているのだが、人間と違って特別手がかかる事もないので楽なものだ。
    「あ、」
     赤い花が一つコロンと棚の上で転がった。室内には風もない。ただの偶然だろう。
     鶴蝶はその赤い小さなものに手を伸ばして、そして昔をふと思い出した。甘い匂いに紐づけられた、優しい記憶。
     ああ。イザナと、いつかこうやって笑った日々もあった。花の蜜を吸う、幼い過去の無邪気な記憶。どれだけ食べても腹が減ると嘆いて、しかたねえとイザナが手を引いて連れて行ってくれたのは、施設の奥で育っていた背の低い木だった。赤い花を咲かす木に手を伸ばし、花を千切って根元を鶴蝶の口にあて、吸うように命令した。
     甘いと驚く自分にイザナは。どんな顔をしていたか。鼻を鳴らしたか、目を細めたか。珍しく笑顔だったか。そんな気がするが、同時にそんな甘い顔をイザナが自分にするわけがないかと否定もする。
     脳裏に彼の正しい表情が浮かばなくなったのはいつからだったか。
     手の内の花を握りこむ。甘いにおい。眼の奥が少し痛み、けれどそれは幻肢痛のようなものだろう。
    「あの花もこんな色だったな」
     懐かしくなって、目を細め。それを唇に近づけ、それから。
    「ちょっと待った!!」
    「鶴蝶っ!!!!!」
     どん、と大きな音を立て鶴蝶の私室の扉が蹴り破られた。その音に、思わずスーツの懐に手を伸ばす。
    「蘭、と竜胆か。どうした。敵襲かと思ったぞ」
     視界に入る、二人の男。音と共に部屋に飛び込んできたのが同僚の灰谷兄弟だった。
     花を握っていた手には銃。赤い花は地面に落ち、床の上で鶴蝶の靴の下でひしゃげていた。


     龍宮寺を店に残し、乾は灰谷兄弟にフルスモークの車に乗せられ、ついでに目隠しをつけられた。
     流石に場所までは教えらんねえからと竜胆に言われたが、東京に住んで灰色に片足を突っ込んでいた経験がある人間にしてみれば大体の場所の予想はつく。自分の店を出てからの車から聞こえてくる指示器の音と回数、速度と重力。いや、探るとめんどくさいことになる。やめておく。
     それほど口数が多くない乾は、目隠しをされたまま唇を閉ざし、大人しく車の後部座席におさまっていたが、まあ運転席が騒がしかった。そもそもなんでこいつら運転手つけてねえんだ。
    「つうか、これ拉致の現場みてえ」
    「誘拐じゃね? てかこれココちゃんに写真送ったら面白そう」
     蘭の言葉と同時に、スマホのシャッター音が響く。
    「うっわ、即電話だわ」
    「やべえ。電源切っとこうぜ」
     うるせえ。思わず舌打ちをすると、ごめんってと半笑いの声が帰ってきた。はあと乾は息を吐く。
    「……で、他になんかあるのか」
     急にこの二人が店にやってきた理由。態々梵天の金庫番が見張っている店にやってきたのだ。
     互いに向かう道の先が交わらないと別れたのに、バイク屋に何かアクシデントがあると突然出てくる不可解な出資やら寄付やら諸々。龍宮寺も、乾自身も自ら後ろに何が居て、誰の息が掛かっているのかは何となく知っている。副業でそれなりに稼ぐようになってからはあまりその手のものは無くなったが、使うのは怖いのでその金は全部纏めて店の隅にある神棚に隠してある。
     前回のは特別、切羽詰まっていたからだと言われればそれなりに納得は出来る。けれど今回は、乾でなくたって良かった筈だ。そもそも自分たちの本拠地まで連れ込む必要性はなんだ。
    「化け物関係か? そいつの耳元にいるやつなら相変わらずの顔でなんか囁いてるぞ」
    「はっ? 何それ」
    「蘭の方の……違うのか?」
    「ちょっと待って、兄ちゃんのそこに何かいんの!?」
    「……まあ、実害はないからいだろ」
     よくねーわ。弱弱しい兄の方の声をスルーして、欠伸をひとつ。怖いもの知らずだとか図太いだとかいう声を聞き流して、下車を待つ。
     何か別の目的があるとして、このタイミングで話す気がないのなら面倒だ。マネキンの件をどうにか終わらせてさっさと帰ってしまいたい。まだバイクのメンテが二台ほど残っている。龍宮寺に全て任せるのも流石に悪いだろう。
     目隠しはそのまま、車から降ろされて建物内に入る。建物のにおいや靴に響く床の感触からして結構良い所のビルだ。そしてエレベーターの開く音がして、漸く目隠しが外された。
    「あ、乾。これ、途中で必要だって言われてたやつな」
     エレベーターの箱の中には灰谷兄弟と乾。それなりに身長のある三人が乗っても圧迫感はなかった。箱の隅に落ちている目玉は少しだけ気になるが、反社の本拠地なのだから目玉ぐらいその辺に落ちてても可笑しくはない。
     竜胆が乾に手渡してきたのは、スーパーで良く見かける粗塩だ。バイク屋を出る前に連絡をしていた部下に買いに行かせていたのか、それとも前回自分たちが使ったものの残りなのか。封が開いているから後者だろう。
     化け物退治に最適なのは、とりあえず殴っとければ消えるのだから鉄パイプかスパナかだ。今回はどちらも龍宮寺がいい顔をしなかったので、塩にしておいた。塩が効かなければ殴ればいい。
     前回、自分たちが化け物に追い回されている時に振りまいた塩に懐疑的な視線を向けてくる二人を無視し、エレベーターの隅にあるぎょろりと動く目玉に一つかみ塩を振りかけてみる。
    「え?」
    「目玉」
    「は?」
     塩を喰らった目玉は真っ黒になってどろりと溶けて消えていった。反社の二人がひいっと声を上げたが何が見えたんだろうか。
     元々眼は二つセットだ。もう一つの目玉もエレベーターのボタンに紛れて瞬きをしていたので指を突っ込んでやった。嫌な感触の瞬間、随分と長い時間扉を閉じていたエレベーターは乾と残りの二人を吐き出してさっさと違う階に逃げていった。
     エレベーターに乗り込んで約5分。気付いていたのは自分と蘭の耳元に憑く化け物だけらしい。
    「随分な化け物ビルだな、ここ」
     エレベーターを降り、改めてビルの廊下を視る。なんだここすごくめんどくせえ。思わず乾は顔を顰めた。
     何時か入院した病院並みの騒がしさがそこにはあった。実害があるのかないのかよくわからないものが多すぎる。小さな化け物が動物の形の何かを喰い荒らす跡もあれば、その辺に散らばる歯もある。
    「なあイヌピー、なんで俺達の時は塩効かなかったんだ?」
    「知るか」
     まじ知らねえ。乾自身、有無も言わさず塩を撒いとけと昔に言われた事を実行しただけだ。
     普段なら化け物退治は拳か鉄パイプで潰すが、それを見たイザナに汚えと理不尽に切れられた事あった。随分昔の事だ。多少の潔癖の気があったのか、イザナはあれに素手で触る事を嫌がった。いちいち雑魚を相手にしてんじゃねえとか言っていたが、イザナがいつも持っていた白い粉の中身が怪しい薬なんかじゃなくてただの塩だった事を知っている人間は自分以外居たのだろうか。
     不満そうな竜胆の隣で蘭が自分の体に塩をかけてみていたが、そこじゃない。耳元のばけものは左側だ。
    「あ、ここ」
     鶴蝶の部屋、とノックもせずに二人が扉を開けて中を見た瞬間、凄まじい勢いで扉を蹴り飛ばして怒鳴り散らした。
     怒鳴り声に困惑した声。乾はひょいっと二人越しに室内に顔を出した。部屋の中には黒い髪のスーツの男がひとり。そういえば鶴蝶ってこんな顔のやつだったか。
     乾が鶴蝶を見たのはほんの数回だ。会話をした記憶は多分ない。あの関東事変の前にもイザナの傍で見た気もするが、十数年前のそれだけで色々と朧げだ。
     きゅうに覗き込んだ部外者の顔に気付いた鶴蝶は、乾の顔を二度見した。まさか灰谷兄弟が勝手に一般人をここまで連れてくるとは思ってなかったのだろう。慌てて懐に何かの塊を隠しこんで、それから表情は困惑に変わった。
    「え、なんだ?」
    「まじ、鶴蝶さあ……」
     竜胆が向かう机の上には鉢が一つ。その上には生首が生えていた。マネキンだと聞いていたが、乾にはそれが本物の人間の生首にしか見えなかった。
     あれを観葉植物だと呼ぶ鶴蝶と、マネキンだと呼ぶ灰谷兄弟。スマホのカメラを通すとどうなるのか。しかし前に同じように皆違うものが見えている状態の写真を羽宮に送ったら今度また心霊写真送ってきたら殺すと言われているのでやめておくことにする。
     乾には生首は見えるそれは、黒目しかない目玉で瞬きをしてげらげらと哂った。高く、低く、言葉の欠片すら聞き取れない音が部屋に響く。
     自分以外聞き取れない音。現実とそうじゃないものの境目。生首はにいっとびっしり歯が生えた口を見せながら乾に笑顔を見せてきた。
    「きっも」
     零れた声に、視線が集まる。視線が集まって、そこから自然とその視線の先が乾が見つめるそれに変わる。
     視線を集めたさそれはにたにた嗤う。声にもならない音を響かせながら、不思議そうな顔をする鶴蝶の後ろで楽しそうにしている。
    「お前確か、九井の……」
    「イヌピーくんな。で、これどうすりゃいいの」
     一定の距離から近づかないまま、蘭はマネキンに見えているそれに指さす。
    「処分は簡単だ。それよりも先に、」
     乾はぐっと握りこんだ塩を鶴蝶に向けてふり被った。ぽかんとあいたその口から。見えたのは指だ。
     バットは振り下ろす方が専門で、ピッチャーは未経験。取り合えず拳一杯に握りこんだ塩を投げつける。
    「はっ? なんだ、しょっぱ、」
     ぽかんと開いた鶴蝶の口や目に塩が入り込んで、そして口を手で覆う。
    「うっわ」
    「おえっ、」
     とてつもなく低い蘭の心底引いた声と、鶴蝶の嘔吐く声。
     びちゃびちゃっと、水分と一緒に口から流れたもの。ごぽりと鶴蝶が吐きだしたのは、真っ黒な生臭い液体におもちゃの指だった。
     ごぽり、ごぽりと乾が塩を突っ込んだ鶴蝶の口からは続けて幾つもの人形の指がこぼれ落ちてくる。
    「宿儺の指じゃん……受肉してんじゃん……」
     呟いた竜胆の頭に蘭の拳骨が落ちる。
    「兄ちゃん!?」
     こんな時に兄弟喧嘩する必要あるのだろうか。嘔吐する同僚の横でこれはいいのか。乾だって隣で龍宮寺が吐いたら一応介助ぐらいするのだが。
     床に広がる黒い水にも塩を振りかけると、じゅっと嫌な音を立てて黒い水はおもちゃの指を残して消えていく。げほりげほりと漸く嘔吐が治まった口にもうひと掴み塩を放り込んでやり、いつのまにか黙り込んだ生首に視線をやる。
     乾はぱちりと瞬きをする。ああ。マネキンだ。あれはただのマネキンだ。それはついさっきまで黒目をぎょろぎょろと動かしていた生首なんかではなく、ただの人形の首だった。
    「そろそろ水でも飲ませてやれ」
     部屋の端に設置されている小さな冷蔵庫に手を伸ばしたのは。竜胆だ。塩を突っ込まれて悶絶していた鶴蝶に中に入っていたらしいペットボトルを渡してやる。礼と共に水を一気に飲み干した鶴蝶は、改めて自分が吐き出した小さな指を見て、頬を引き攣らせた。
    「俺は人形の指なんて食った記憶はないぞ!?」
    「よくある。気にするな」
    「あってたまるか」
     乾は床に散らばった指の上を歩いて潰す。吐物の上を歩くのは気持ちのいいものじゃないが、別にこれは消化液と共に出た食べ物とかの吐瀉物じゃないのでセーフだと思い込む。
    「というか、二人と乾はどうしてここに」
     水を飲み、漸く落ち着いたのかそっと床から視線をはずした鶴蝶が疑問を口にする。
    「鶴蝶がマネキン抱えってバグったってお前の部下からの報告と、色々被弾して死んだから何とか出来る人間を兄貴と連れてきた」
    「マネキン……?」
     そこで漸く鶴蝶は自分が世話をしていた観葉植物に視線を向け、絶句した。マネキン。うんマネキン。竜胆と鶴蝶が目と目でそんな会話をしているしている間に、蘭は興味気に床に転がる指を拾おうとしていた。
    「さっきまで赤い花を咲かせていた鉢植えは!? 俺は一体何を、」
     何かを思い出したのか、掌で口元抑えた鶴蝶に良かったなと乾はいつもの平坦な声で答えた。
    「あのまま食べていたら内側から喰い破られてたぞ」
     乾の足の裏で潰れた人形の指。そのうち幾つかはむにゅっと中身が詰まっている感触があった。
     プラスティックの欠片はそのまま誰かが掃除をするだろう。乾はそれを靴で蹴ってからマネキンの頭に手を伸ばした。
     そこに何の気配はない。これはただの薄汚れたマネキンの首だ。
    「もうこれは何もしねえ。ただの首だから処分していいぞ」
    「え?」
     首に憑いていた化け物はもう何処かに行ってしまった。またそのうち別の何かに取り憑き、自分を産んでくれそうな寄生者を探し出すだろう。
     その場に延々と留められている化け物と違い、場所を固定していない化け物は厄介だ。目をつけられたのは酷く運が悪かった。ただそれだけだ。
     ドン引きする三人の顔を眺めながら乾は言葉少なめに説明してやる。運かと頭を抱えた鶴蝶の隣で、蘭は不満げに声をあげた。
    「えー退治できねえの?」
    「追っ払えるが、成仏させるとか知らねえって言ってるだろ」
     あくまで自分が出来るのは殴り飛ばすか、すり潰すか。その程度だ。それで一時的に消える化け物も居れば、そのまま消滅していなくなる化け物もいる。
     そもそも本格的にお祓いを受けたいのなら神社や寺に頼めばいいのだ。自分がやっているのはただの小遣い稼ぎのちょっとした副業だ。最初から除霊しますなんて、窓口をする龍宮寺も含め乾だって一度も口にしたこともない。
     まあこのビルは結構なものが憑いているので、もしかすると何処かにいる真っ黒な化け物に食われてしまっているかもしれないが。
    「で、これの首の処分ってどうすればいいんだ? ゴミに出していいのか?」
    「焼却処分で良くね」
    「すきにすればいい」
     鶴蝶と竜胆の会話に乾は適当に返事をする。
    「じゃあ今燃やすか」
     蘭が懐から出したのは、使い捨てのライターだった。スプリンクラー!と叫ぶ弟と、慌ててスプリンクラーを切る鶴蝶と。大変なんだなと他人事に溜息を吐く。もう帰っていいか。
     そもそもオイルでもかけないと、ちょっと火で炙った所でマネキンの首は燃える訳がない。けれど。蘭が笑いながらライターの火を近づけた瞬間、それはぼうっと火柱あげた。
    「まじか」
    「水!?」
    「冷蔵庫!!」
     マネキンが燃えだした瞬間、耳元から歓喜の声がする。焦げ臭い。肉が腐って、燃えて、焦げて消し炭のにおいがする。
     火に騒ぐ三人を横目に、乾は一人違う所に視線を向けた。それは人の形をいた何か。自分よりも小さい、黒く焦げた何か。
     あ、不味い。遅かった。
     一歩、それが近づいてくる。一歩後ろに下がる。絨毯には小さな焦げた足跡が一つ。乾はまた一歩後ろに下がった。それの顔は黒くて、赤くて、腫れていて、小さくて。口はどこにあるかわからない。鼻も空洞で。眼は。瞳は。
    「……おい、乾!?」
     名前を呼ばれて、漸く化け物から視線を外す事が出来た。顔を見る前で良かった。顔を見てしまうと、きっともうどうにもならなかった。
    「……なんでもねえ。ちょっと飛んでた」
    「大丈夫かよ」
     乾は曖昧に笑う。大丈夫だった時なんてなかった。あれは自分たちの傍に居る。ずっと、気にしない、気付かないようにしていても、時折忘れるなというように出てくるのだ。
    「はい、お清めなー」
    「しょっぺえ!」
     いつの間にか火の消えたマネキン人形。まだらに焦げたそれはプラスティックが溶けた特有の臭いを放ち、灰谷兄弟により上から塩を大量にかけられていた。
     いつの間にか塩は蘭の手に渡っていたらしい。竜胆の頭からぱらぱら塩をかけ、それからちょっと難しい顔をして、乾の頭にも塩を振りかけてきた。
    「なんのつもりだ」
    「なんか、イヌピーくせえんだもん。九井と同じ臭いさせやがって」
     あれは人が燃える臭いだ。タンパク質の燃えるたやつ。
    「ココちゃんさあ。あいつ、煙草やんねえのにたまに今のイヌピーと同じ臭いするんだよなあ」
    「え、そうか?」
    「兄貴、なんか前もそんな事言ってたよな。俺は気付かなかったけど」
    「お前らの鼻が可笑しいんじゃねえの」
     多分、それはさっき自分の傍にいたあれと同じ化け物だ。もう赤音かなにかわからない化け物は、自分と九井の傍にすっと存在している。終わらなせなきゃね。ふと、耳元で誰かが囁いた。
     始めた事は終わらせなきゃ。いつか終わるの。人間の忘却は声からだ。この言葉はずっと覚えている。時折あたまの中をぐるぐるして、でもそれを発した人間の声はもう記憶に残っていない。
     でも、そうだ。そろそろ。数年ぶりの再会。これを逃がせば次にいつ機会に恵まれるのかわからない。踏み込まないと、そっちについていかないと決めた筈なのに、足元から揺らいでいる。
     あの化け物の決着をつけるのは、このタイミングなのかもしれない。
    「そうだ。報酬の件、」
    「ココに一度だけ。一度だけいい。会わせろ。話がしたい」
     九井の役割は、黒龍の時から変わっていない筈だ。そしてあの頃の子供だましの金集めから、今はもっと複雑で巨大な金の動く会社の金庫番をやっているのだろう。そんな重要人物に、ただの一般人が会うとなると。
     蘭が鶴蝶に視線を向け、鶴蝶が困ったように笑いそれから静かに頷いた。
    「三分会話させてやるって約束だったけど、まあいっか」
     ほら、自分で約束を取りつけなと通話状態のスマホを渡された。
    『イヌピー!?? 無事か!!!!? なんか糞兄弟に拉致られたとか、』
    「ココ。会いたい。明日開いてるか」
    『え、』
    「うける小学生じゃん」
     耳を当てた先に居たのは九井だった。九井はもしかすると今いるこのビルの何処かの階にいるかも知れない。でも突然今会おうぜなんて言うと困らせるだろう。だから明日。龍宮寺にもアポは大事だからなと良く言われるから、今日じゃなくて明日だ。
    『明日!?』
    「あー、月末の決済が来週だからそれが終わってからでどうだ」
     こほんと咳払いした鶴蝶は、取り繕うようにそれでいいだろうとスマホの先にいる九井に尋ねた。
    『う、うん。イヌピー、来週末だと大丈夫だから』 
    「ココがいいなら、それでいい」
     だから、そろそろ終わらせよう。ふと感じる焦げた臭い。きっと自分たちが近い場所にいるからあれは姿を現した。あれをどうにかするのは、乾だけではどうにもならない。
     物語には終わりがあるの。姉のその言葉を、最期の会話を乾は覚えている。

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