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    trv_kogi17

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    trv_kogi17

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    完結(仮)

    みえるイヌピー(仮) 終わらせなきゃね。耳音で囁くその声が化け物の声なのか、それとも唯の幻聴か乾には区別がつかない。でも、九井と次に会う約束をしてから焦燥感は強くなっていく。
     ああ。終わらさせなきゃな。ビールを流し込みながら、口の中でそう呟く。ビールを流し込んで、ごぼうの揚げ物をぱりぱり食べて。ふわふわしてきた頭で、なあ、と隣に座っている誰かに話しかける。
    「起承転結ってあるだろ」
    「え!? イヌピーくんが漢字で喋ってる」
    「いやイヌピーだって車の免許もバイクの整備士の免許も持ってるんだぞ」
    「イヌピーだって頑張って生きてるもんなー」
     糞みたいな酔っぱらいに囲まれて、空になったジョッキを取り上げられて今度はまた満タンにビールが注がれたジョッキを持たされた。
     隣は誰が座っていただろうか。羽宮だったか、それとも松野だったか。龍宮寺は斜め前で双子に飲まされいてる最中だ。
     なんでもない日の、ただの飲み会。馴染みの居酒屋を貸し切りにし、その辺に真っ赤な顔の死体が転がるのはいつもの事だった。メンバーは嘗て黒い特攻服を背負った男とまあその辺の関係の人間だ。あの時に関りがあった人間も居れば、なかった人間もいる。
    「終わりはくるからな」
     うん。アルコールを喉に流し込んで、一人で頷く。
     乾は一度はここにいる男たちと敵対したチームの人間だが、最後は黒龍と東卍の二つの名を背負ったままチームの終わりを見届けた。始まりがあれば終わりがある。そんな姉の言葉を覚えている。声や仕草なんてもうちっとも記憶にないのに、そのフレーズだけは頭の片隅に残されていた。
     黒龍の十代目を始めたのは乾で、その終焉を経てそれから十一代目を起こし、終わりも見届けた。
     苦いビールに口をつけ、ぐいっと飲み干す。これが美味しいと感じるようになったのは幾つの時だったか。まだ子供だった頃はアジトで二人、不味いと笑いながら回し飲みをしていたのに。
     ビールを美味しく飲めるようになった頃には、隣には九井の姿は既になかった。
    「イヌピーくん今日は超飲むじゃん」
    「へパ飲んだか?」
    「ドラケンに飲まされた」
    「あ、良いことでもあったのか?」
    「ああ。明日、ココにあってくる」
     ぽろっと零れた言葉に、え、という誰かの声がその場に落ちて静かになる。
     乾がココと呼ぶ人間。九井一がどこにいるか。彼が今どこにいて、どの立場にいるかは暴走族から足を洗い、一般人に戻った筈のメンバーもなんとなく想像がついていた。
     去年の話だ。飛び降りて死んだ友人の葬式に送られてきた非常識に分厚い香典袋と、裏に印字された花札の模様。それを見て誰かが息を飲んだ。
     彼らの組織のマーク。その模様が描かれた本物のピアスを見たことがあるのはその中で乾だけだ。あれが今は誰のもので、あれを掲げた組織が何をしてるのか。数度テレビで取り上げられ、そしていつの間にか埋もれて消えていった報道を見て察する事しかできなかった。
    「ええっと、ドラケン!!」
    「いや、最近急に副業関係でちょっとな」
    「イヌピーの副業って撲殺天使イヌピー?」
    「いやアラサーにそれきついわ」
     すごく馬鹿にされた気がするので羽宮の頭を叩くと、その隣の松野に謝られた。いつもの事だ。
     心配そうな視線が乾に刺さる。彼らの心配は何となくわかる。けれど自分はあの幼馴染に会わなくてはならないのだ。
     そうしないと何も始まらないし、終わらない。
    「大丈夫なのか?」
    「ん。大丈夫」
     どうせなるようにしかならない。あれは自分達が始めて、歪めてしまった呪いだった。
     そうして飲み会は続き、乾は居酒屋の畳の上にごろりと横になる。
     この居酒屋の店主は元東卍のメンバーだ。集まりがある時は、飲み潰れた人間の為にこうして次の日の昼間まで場所を貸してくれていた。だからたっぷり飲んだあとはその場でたっぷり寝て、それから二日酔いで目覚めてよろよろ朝日を背負って帰るのがいつもの飲み会だ。
    「イヌピーくん、スマホ鳴ってるぜ」
     座布団を枕にして寝ていた乾の体を揺すり、転寝からの覚醒を促したのは三ツ谷だった。
     欠伸をしながら店の壁時に目をやると、時間は朝四時。まだ夜だ。
     目をしょぼしょさせながら体を起こすと、畳に沢山の死体が転がったままだった。乾を起こしが三ツ谷は、今日は昼から仕事だから始発で帰る予定でもう準備を済ませていたらしい。
    「三十分前からずっと鳴ってた」
     三ツ谷が気付いた時にはもうずっと鳴り続けていて、時間が時間なのでもしかすると急用なのかもしれないと乾の肩を揺すったらしい。
    「こんな時間に誰だ」
     スマホの画面には非通知の文字。こんな時間に誰だ。
    「でねえの?」
    「非通知とか怪し過ぎるだろ」
    「心当たりは」
    「……あるな」
     あるわけねえ、と言いかけて言葉を飲み込んだ。幼馴染は反社だし、最近の仕事相手も反社だった。治安が悪い。心当たりがありすぎた。
    「もしもし、」
    『さっさと出ろや糞犬っ!!!!!!!!!!』
     怒鳴り声に思わず通話を切る。誰の声だ、あれ。思わず三ツ谷に視線をやると、三途じゃねえのと首を傾げた。握ったスマホは再び震えだし、画面には非通知の三文字。溜息を吐きながら出ると、今度は落ち着いた声が出た。
    『乾か? こんな時間に悪いな。鶴蝶だ』
    「マネキンのやつか」
    『忘れてくれ』
     首のやつといえば、もうそれでいいと大きく溜息をつかれた。
    「で、こんな時間になんだ」
    『九井がどれだけ起こしても目を覚まさない。三途達があれは乾の領域だと』
    「ココが起きない? 今は夜だぞ」
    『反社に朝夕求めんじゃねーっつうの』
    『おい三途、うるせえぞ。……いや、何度起こしても起きないんだ』
     あれは普通じゃない。焦ったようなを聞いて、乾の頭から漸く眠気が飛んだ。
    「すぐ行く」
     腹にぐっと力を入れて立ち上がる。二日酔いはない。やっぱり飲酒前のヘパリーゼは最強だった。
     あ、とそこにいる事に思い出して三ツ谷に視線をやると、苦笑しながら肩を竦められた。畳に転がった酔っ払いにも目を向けると、何人かは起きている気配がする。行って来いと手をひらりと振ったのは寝ころんだままこちらを見ていた龍宮寺だ。
     後ろで誰かが囁く声がする。ふとした瞬間に焦げた臭いが鼻につく。それを全部無視して乾は居酒屋の引き戸を引いた。
     店の前には黒塗りの車が一台。運転席に座る竜胆がこちらを見て嫌そうな顔をしていた。



     幼馴染が会いに来るまであと一日と数時間。もうあと少し。あと少しで乾はここにやって来てしまう。
     九井はオフィスの机に山盛りになった書類の上に体を寄りかからせ、ため息を吐いた。
     いや別に会いたくないとか言う訳でもないし、しいて言えば逆にめちゃくちゃ会いたい。会いたくて仕方なかった。乾に会うためにマジで死ぬ気で仕事を詰めて約束の時間を確保したし、三途の尻を蹴飛ばし灰谷兄弟を地方に飛ばし、きっかけを作ってくれた鶴蝶には五体投地した。
     勝手に同僚が乾に会いに行ったと聞いた時は殺してやろうかと思ったが、実は蘭が幽霊にビビり倒していたと知れたのでほんの少しだけ許せてしまった。
     今更会ってどうする。お互い関わらないようにして、乾をこちら側に来させない様に突き放して十数年。自分たちは背中を向けて歩てきた。それが最善で、最良だと思うことしか出来なかった。
     どうして今なのか。全ては今更だというのに。
     この前はまだ良かった。面と向かってちゃんと会話をした訳じゃない。一瞬の邂逅。なんてご褒美だと喜ぶだけで終わらせたかった。
     会いたいけど、会いたくない。でも約束の時間は待ってはくれない。
    「はぁ……」
    「鏡見て溜息とかナルちゃんじゃん」
    「うっせえ」
     急に人のオフィスに入ってきて束の書類を放り投げてくる男の存在なんて感知したくなかった。けれど無視を重ねれば重ねるほど構ってくれるまでごねだすのはこの兄弟の最悪な所だ。
     この二人はちゃんと昨日に地方に飛ばした筈だ。それなのに何故もう本社に帰って来ているのか。答えは明白だ。こいつらは自分と乾の再会を自分たちの目で覗き見する気だからだ。揶揄する気しかないのだ。
     にっこり笑って仕事はちゃんと結果出してきたぜとか非常に憎たらしい。痛む頭を抱えながら九井は舌打ちをひとつ落とす。
    「まじうぜえ」
    「えー。人が折角舞台を整えてやったのに。なあ兄貴」
     竜胆がスタバのマグカップを持ったまま喚く。隣の蘭はにやにやしたままだ。
    「つかめちゃくちゃ顔色悪いじゃん。そんなに乾に会いたくねえの?」
    「違う。ただ夢見が悪いだけだ」
     鏡に映った自分の顔が不細工すぎて悲しい。コンデションが悪すぎる。こんな顔で乾の前に出たくはなかった。目の下の隈も、浮腫みも。二日前位からぐっすり寝てしっかりと体調を整えて乾と顔を合わせる予定だったのに、これでは駄目だ。
     今も昔も徹夜は得意だった。寝なくても頭は冴えるし、数日の徹夜開けに一日寝れば完全に体調が整うのが自慢だった。けれど、どれだけ寝ても悪夢で起きた時の疲労が取れないのはどうすればいい。
     ただただ夢見が悪い。寝た方が疲れるなんて経験は初めてだ。
    「どんな夢みんの?」
    「人が死ぬ夢を見るんだよ」
    「夢じゃなくても死んでるだろ」
    「それな」
    「いや、死に方がやばい」
     今更じゃんとか頭上で交わさせる会話に適当に返す。額を机につけ、少し瞼を閉じると今朝見た夢が脳裏に繰り返される。
    「バスの中で死ぬのを待つ夢なんだよな」
     人が死ぬ。誰が死ぬ。そして自分が死ぬのを待っている。そんな夢だ。
     夢の中の九井は一人でバスに乗っている。バスは満員ではないが、それなりに人が乗り込んでいる気配があった。そして先頭の座席に座る九井を横を通り、乗客は一人ずつ降りていく。
     夢の中では自由に動く事は出来なかった。車内を見回す事は出来ず、けれど横を通る人間の顔を視界の端に収める事は出来た。誰も彼も、酷く青ざめて覇気のない顔で、どこかで見たことがあるような、ないような、そんな雰囲気の人間だった。
     一日目の夢は三人がバスから降りていった。
    「……ぎは、次は轢死、次は轢死」
     誰とも視線の会わないバスの中。バスは突然止まり、そんな声が響いて一人男が降りていく。
     九井は座席から動けない。窓の外は長閑な田舎の風景だ。田んぼを突っ切る大きな道路を走る車は数台。バスは何もない道路真ん中に一人を置いて再び走り出した。
     ふと、バスが出る直前。見えてしまった。隣の線を走る車が人間の体に触れた。ぱん、と体がぶつかり、道路に転がってたたきつけられて赤い花が咲いた。それから体ががごろりと道に転がって、後ろを通る車が引いて潰れていった。
     人を引いた車は一台も止まらず、バスはまた再び静かに走りだした。
    「次は溺死、次は溺死」
     また九井の横を人影が通る。知っているような、知らないような、そんな印象の薄い顔をした男だった。
     バスが止まったのは橋の上だった。男が無言でバスを降り、ドアが閉じる。人影はそのままふらりと橋の下に消え、聞こえる筈もないのにドボンとい鈍い水音が聞こえた気がした。
     そのあとまた一人、失血死という声と共にバスが止まり、人が死んだ。
     目が覚めたのは、血の海に転がる手首が飛んだのを見た瞬間だった。酷い悪夢だったと心臓を抑えながら飛び起き、思わず今自分がどこにいるのかを確認してしまった。
     悪夢に魘されるなんて今更だ。どちらかと言うと昔から九井は悪夢は頻繁に見るタイプだった。だから慣れているいえば慣れているし、それで睡眠導入剤を使うのは初めてじゃなかった。
     そして次の日、バスの夢の続きを見た。
     バスの乗客は、一日目から三人減っていた。車内を確かめた訳でもないのに、夢の中の九井はそう確信していた。
     そしてまた惨劇を横目にバスは一人乗客を減らして走っていく。そして目が覚めた。
     三度目を前に、無駄な足掻きかもしれないと思いながらも武器を用意した。小ぶりの銃に、ナイフ。そしてスマホを握りしめて気を失う様に眠りについた。しかしやはりバスの中にな何も持ち込む事は出来なかった。
     繰り返し、誰かの死を見せられる。それと同時に、自分の死のカウントダウンをされている気分だ。
     いつかそのうちに己の番がやってくる。九井は冷や汗を掻きながら座席で唇を噛みしめた。
     最初は夢の中では車内の自分を見つめている位置に居た。けれど気が付けば、座席に座っているのは自分自身だった。指が動く。目が動く。唇が動く。思考はそのまま。ただ座席から動く事も声を出す事も出来なかった。
     今自分はバスの中にいるのか、それとも自室にいるのか。現実がどちらかわからなくなってきた。
     また今日も一人消え、二人消え。抑揚もない地獄に続くアナウンスが流れる。
     あ、と思ったのは速足でバスを降りた女が空気を揺らした瞬間だった。イヌピーと赤音さんの匂いだ。親友とその姉が使っていた同じシャンプーの匂い。
     もう道を別ってから何年も経つのに忘れらなくて、時々使いもせずに買ってしまうそれの匂い。
     真後ろの座席に座る誰か。振り向かないでもそこに座る誰かが解かってしまった。
     淡い石鹸の匂いから、急に嫌な臭い鼻をかすめる。腐った肉と、焦げた灰の臭い。何時かの火事の臭い。いつの間にか染みついて離れなくなってしまったあの日の臭い。
     だからこそわかる。今度こそは間違わない。今度こそ、そこに居るのは彼ではなく彼女だとちゃんとわかっている。
     九井の後ろに座っているのは乾赤音だ。かつて自分が夢想し、幻想し、妄想し、そして何もかも間に合わなくて無くした彼女。
     動かない体を無理やり動かそうとして、振り向こうとした。出ない声で名前を呼ぼうとして。それからぱちりと目が覚めた。それが今日だった。
    「ココちゃんさあ、本当に大丈夫?」
     現実はどっちだろうか。あの日の続きは二度とやってこない。その筈だった。
     九井ともう一度強く呼ばれ、九井は顔を上げた。いやあの日に続きなんてなかった。なんだあの悪夢。
    「ちょっと仮眠室で寝てきたらどうだ。乾と会うんだろ。その顔色はねえぞ」
    「……そうだな」
     所詮、夢は夢だというけれど。夢の中で彼女に会えたとして、それはただの自分の願望だとか欲望だとか。けれど。もしも夢で会えたら。いや、でも夢の内容が内容だ。
     いつか自分が死ぬ夢。しかしそれでも会えてしまうのなら。
     九井は大きな欠伸をしながら立ち上がった。
    「ちょっと寝てくる。あとその領収書は経費でおちねえからな」
    「えーまじかよ」


     カーテンで仕切られた、いくつかベッドの並ぶ部屋。灯りは最低限のオレンジ色の光のみの静かな部屋。その内の一つのベッドに九井は寝かされていた。
    「ココ」
     呼んでも返事はない。返ってきたのは、んんっ、と苦しそうな寝息だけだった。
     前回と同じく、目隠しのまま車で連れてこられたビル。相変わらずの化け物だらけのビルだ。足元に散らばっている歯を踏みつぶし、乾は仮眠室だという部屋に案内された。
     九井が仮眠室に入ってから既に十三時間経っている。いつもなら自分でもそもそ起きてきて仕事を再開するか、起きてこなければ部下が指定の時間にスマホを鳴らして起こすのが常らしい。
     九井が眠る仮眠室には決まった人間しか入る事が出来ない。入れるのは梵天の幹部のみだ。その時は会議もなく、部下に起床時間のしてもしていなかったので、九井の異変に気付いたのは偶然仮眠室を使おうとした三途だったらしい。
     最初は九井を追い出して一人で仮眠室を使うつもりで耳元で喚き散らした。けれど顔を顰めるが起きる気配は無く。それから布団を剥いでも頬を叩いても起きる気配がなかったらしい。
    「で、なんか寝る前に悪夢の話とかしてたらしいじゃん」
     それってワンワンの専門分野じゃねえの。煙草を咥えた三途が乾の顔を覗き込む。
    「こいつ、この組織の重役なんだぜ」
    「知ってる」
     よく知ってる。それ故に自分たちは一緒になれない。ココが居なければ成り立たない組織なんて潰れてしまえ。そうやって吐き捨てたのはまだ十代の若い頃だ。
    「いけんのか」
    「ああ」
    「なんか用意するもんは?」
    「いらねえ」
     じっくりと九井を顔を見るのは、あの日以来だ。前に顔を合わせた時はそんな雰囲気でもなかった。目の下に隈が酷い。肌も荒れている。昔はスキンケアだとか紫外線がだとかで乾の顔に色々塗りたくっていた癖に。ああ、でも相変わらず寝相はいいようだ。
     自分よりも冷たい九井の目元に指を這わせて、顔を綻ばせる。
     視界の端でうげっと舌を出した三途は、そうそうと嗤った。
    「こいつが起きなかったらお前も殺すからな!」
     九井が起きなかったら。まあそれもいいかも知れない。頷くと大きな舌打ちと共に三途は仮眠室から出ていった。
     そういえばあの時、この男も一緒に居たなと乾は思い出した。
     始まりと終わり。あの時の廃ビルが始まりで、これが終わり。耳元で囁く声に頷くことはしないけれど、ちゃんと終わらせようと思う。
     自分達姉弟は九井にとって何なのか。
     九井にとって自分は『乾赤音の弟』なのか、それとも赤音が『乾青宗の姉』だったのか。幼馴染として顔を合わせたのは乾の方が先だった。けれど、九井の視線が姉にむかった後。そのあとはどちらがおまけとなったのか。
     でも、もうそんな事はどうでもいい。赤音は死んで、乾はこの世界に生き残ってしまった。どれだけ手を伸ばした所で赤音はどこにも居ないのだ。九井が伸ばす指を掴むのは、自分だっていいだろう。
     あの化け物はもういらない。あれは赤音なんかじゃない。あんな化け物を赤音と呼ぶのは赤音にとっても酷い話だ。
     手を繋いで、一つの布団で横になって。目を閉じれば、そこはバスの中だった。



     気が付けば揺れるバスの座席に乾は居た。いや、自分だけじゃなくて隣には九井が居た。
     バスの一番前の座席に二人で腰かけて。車内の空気は非常に悪い。生臭さと息苦しさに吐き気がする。気持ちわりいと舌打ちした瞬間、隣に座っている九井の肩がびくりと動いた。
    「えっ!?」
     虚ろに窓のを外を眺めていた九井の瞳に光が入る。ばっとこちらを見て、もう一度唇から同じ音が出た。乾はその瞳に反射した自分の顔を眺めて、なんだか小さくねえかと首を傾げる。
     銀だった九井の髪は黒で、その服は天竺の特攻服だ。視線を下げてみると、乾自身は黒を背負っていた。東京卍の文字を見て、懐かしくなる。
     これはあの時の自分たちの姿だ。お互いが別の道を歩む事にいたあの日の抗争の時に着ていた服だった。
     掌を開いて、閉じて。少し前に仕事中に抉った指の傷は消えていた。爪も少し長い。肌がなんだか瑞々しい。まあ夢だからな。そんな事もあるだろう。でも夢ならこんな時位、九井とお揃いの特攻服にしてくれてもいいものの。車内に響き渡る舌打ちに、ちょっとだけバスが揺れた。
    「い、イヌピー!?」
    「ん。ココ、迎えに来た」
     迎えにというか、起こしにというか。首を傾げる九井に、乾は薄く笑いながら指さした。
    「ココ、最近変なものを拾っただろ」
    「へんなもの……?」
    「ポケット」
    「あ、なんか乗り物の回数券を拾った気がする……? コンビニで足元に落ちてたやつ」
    「じゃあそれだ」
     なんで拾ったんだとは言わなかった。これはそういうものだ。見たら、気付いたら拾っていた。
     大体がそうだ。殆どの化け物は理不尽で、こちら側に勝手に関わって来ようとする。無視が一番で、けれど知らない間に目を付けられていたら終わりだ。なんだその理不尽で不条理なのはと言ったのは片方だけ毎回靴をちっさいおっさんに隠されていた大寿だったか。
    「え、でもイヌピーどうしてここに?」
    「ココが起きないからって。明日一緒にメシの予定だったろ」
     だから起こしに来た。ぽかんとした顔を向ける九井は未だに頭が動いてないのか、え、と口にするだけだった。
     バスがガタンと揺れる。外の風景が突然夕日に変わり、窓にはオレンジの日が差してきた。
     九井と一緒に帰るにはこれをどうしにかしないと行けないらしい。今まで結構な回数化け物と関わっているが、閉じ込められた事はあるけれど車内は初めてだ。乾はとりあえず運転手を殴るかと席を立ちかけて、車内アナウンスに動きを止めた。
    「次は焼死、次は焼死ー」
     アナウンスと同時に空気が動いた。これが流れたら強制的に誰かが排除される。そういう化け物のルールなのだろう。前にも仕事で似たようなやつに絡まれた経験があった。
     乾は座ったままぐるりと車内を見回す。自分たちの他には、後ろに座る化け物しか居なかった。
     人の形をした黒い塊。焦げた臭いを纏うその化け物。次に降ろされるのは、自分たちでは無く、これなのだろう。
     うごうごする化け物を横目に、隣に座る九井が真っ青な顔で立ち上がろうとしていた。
    「俺が降りる!」
    「はっ?」
    「だって次は、後ろにいるのは、」
     赤音さん。震える九井の唇がそう動く。
     ああ、このタイミングなのか。ここで終わらせるのか。終わりにさせるべきなのだ。
     乾は九井の手を握りしめ、指を絡めた。冷たい指に熱を分け与えるように自分の指を絡める。
    「降りるのはココじゃない」
     乾は後ろに居た化け物に声をかける。相変わらずの焦げ臭さが漂ってくる。この臭いとも結構な付き合いとなってしまった。けれど、それに馴染むことなんて一度もなかった。
    「もういいだろ。降りるのはてめえだ」
     そう言って、立ち上がろうとする九井の腕を引き留める。
    「なあココ。赤音は死んだ」
    「え、」
    「いいか、赤音は死んだんだ。もうどこにも居ない。そこにいるのは、赤音なんかじゃない。ただの焦げた化け物だ」
     座席から立ち上がった化け物はそのままこちらを一瞥する事無く二人の横を通る。多分、後ろの化け物よりもバスの化け物の方が強いのだ。
    「降りるのはあの化け物だ」
     自分たちにはそれは一人の少女に見えていた。写真のなかから抜け出してきた、成長しない少女。燻る火の臭いをさせた化け物。焼け焦げた黒い塊の化け物に勝手に乾と九井が名前を意味を持たせてしまったもの。
    「赤音さん……」
    「あれは赤音なんかじゃねえ」
     もしもあれが本当に赤音だったものだとしても。あれに自由なんてなかった。ずっと二人の傍に漂って、消える事もちゃんと姿を見せる事も出来なかった。
     姉をこのまま地獄に留まらせておくべきなんかじゃない。そしてずっとここに留まらせて居たのは、自分たちだ。自分たちの未練がそうさせた。
    「だって、この人は赤音さんだろ!??」
     乾は無言で首を振る。そして再び立ち上がろうとする九井の体をぎゅっと抱きしめた。
     ココ。乾は小さくその名前を呼ぶ。もう自由にしてやってくれ。九井は震える声を聞いて、体の力を抜いた。
    「……夢のなかでさえ、俺はあの人に会えないのかよ」
    「だってオレ達は現実を生きてるから。だから、ココ」
     オレを選んで。オレの名前を呼んでくれ。
     それを始めたのは乾と九井だ。だからそれを終らせるのも二人で無ければいけない。
     異臭がする。それは化け物だ。赤音の顔をした、赤音の形をしていた化け物。
    「イヌピー……」
     九井の瞳に映るのは自分の顔だ。もうちっとも姉とは似ていない、顔に痣の残る見飽きる程見た自分の顔。小さく頷いて、ココ、と名前を呼ぶ。
     傷の舐め合いだっていい。それでも選んでくれるなら。あの時と違い、乾青宗を選んでくれるのならばもうなんだっていい。
     二人で抱き合ったまま、手を繋いで。バスの扉から転がり落ちる化け物を見送った。窓の外は見なかった。再び燃えて消し炭になって、もうきっとあれは自分たちの周りには現れないだろう。
     最後に耳元で聞こえた声に乾は反応しないようにして唇を噛んだ。ありがとう、青宗。もう声なんて覚えていない。けれど、それは想像よりもずっと幼くて、高い声だった。
     バスが再び動き出す。耳を塞ぐべきかと迷って、でも繋がれた手を解くのが嫌だったのでそのままにしておいた。
    「なあ、ココ。連絡先を交換してくれ」
     話がしたい。これからの話。昔の話。何時かの話。そしてこれからの話。
    「う、うん。俺もイヌピーと沢山話したいことがあるんだ」
     そして懐からスマホを取り出そうとして、あ、と九井が慌てたように顔を上げた。
    「次は俺達じゃ」
    「ココ、回数券」
     九井がどこからか掌に握らされていた小さな紙をびりびりに破る。それから動いている最中の車内で揺られながらも立ち上がる。
    「バスの止め方なんて簡単だ」
     思いっきり、いつの間にか手に馴染んでいた鉄の棒をフルスイング。ごぎゅっとなんとも言えない音がして、運転手の頭が吹っ飛んで、それから。ハンドルが思いっきり回って、バスが横に回転して、九井の悲鳴が響いて。
     乾は一瞬だけ夢を見た。あの火事の日の夢。姉はリビングで宿題をしている自分をせんべいを齧りながら眺めていた。ケーキがあるのに太るぞと言えば口を尖らせて、それから鉛筆を持って唸る乾に苦笑した。
     起承転結。物語には終わりはあるの。うんと頷くと、赤音は嬉しそうに乾の頭を撫でた。頭の上をぐしゃぐしゃにされるのが嫌だった。嫌だったけど、嫌いではなかった。
     それが夢の終わり。彼女の終わりだ。
    「イヌピー!」
     ぱっと瞳を開けば、顔を覗き込んでいたのは九井だった。
     黒い髪で特攻服を着た姿では無い、銀の髪の目の下の隈が酷い顔が心配そうにしていた。片手は握られたままで、離された手の指が乾の顔を這う。
     良かったと安堵する九井に乾はうんと頷いた。
    「おあよう、ココ。なあココ、ライン教えてくれ」
     体を起こして、視界の端に散らばる紙の破片が見えた。段々と消えていくそれを眺めて、これでこの仕事は終わりだ。
     そしてずっと二人の傍に居た化け物の気配も消えていた。もうきっとあれは二人の傍には現れない。
     スマホを抱えた九井はもじもじしながらイヌピー、と名前を口にする。
    「スマホも良いけど、一緒にご飯食べながら沢山話そうぜ」
    「うん、ココがいいなら」
     終わっていない、あの日からの続き。気が付けば乾の耳元で囁く声もいつの間にか聞こえなくなっていた。









     今日も今日とて仕事が多い。相変わらず同僚も糞だし、世間も糞だ。楽しみなんて使い道の殆ど無い通帳の数字が増えていく事位だ。可哀想な生き方だ憐れみを受けようとも、そこに苦しみは無いから言わせておけばいい。
     ラップトップから目を離し、九井は時計を見た。ビルには着いたという連絡はさっき入った所だった。そろそろ着くだろう。
     相変わらずの纏まらないまま終わった会議の会議室に残る幹部は自分を入れて四人。まあ常駐している事が多いメンバーなので顔合わせには十分だろう。
    「そういえば今日この階に新しい清掃スタッフ入るから」
    「何だそれ、聞いてねえぞ」
     この高層ビルの下半分は梵天のフロント企業が入っている。どこに探られても痛くないようなホワイト企業になっている。しかしエレベーターの乗り場さえ違う上階には梵天の本部が鎮座していた。
     幹部が集まる会議室やオフィスが入るその場所は下と違い、一般の清掃員が入ることは決してない。大体が各幹部の直属の部下が掃除を持ち回りで熟しているが、時々可笑しなことが起こる。
     廊下に水が撒いてあったり、窓に外からびっしり手形がついていたり。この辺ならまだましな方だが、一週間部下が廊下で行方不明になって泥だらけで帰ってきた瞬間、九井は即座に恋人に連絡し、あと鶴蝶にも報告を上げた。
     職権乱用とから言われたくは無い。確かに仕事場に居てくれればそれだけで仕事は捗って、体調も良い。秒二百万位稼げちゃうかもしれない。良いこと尽しじゃねえか。
     会議室のドアにノックが響く。恋人にノックを覚えさせた龍宮寺にはまた肉を送ろう。
     鶴蝶から許可は降りているぞと言いながら、九井は軽い気分で会議室のドアを開けた。
    「は?」
    「てめえ何やってんだよ!?」
    「わあココちゃん、愛人連れ込みかよ」
     ドアの前にはみんなのトラウマ製造機とか東卍OB飲み会でも噂されている乾だった。乾はそこに何かがあるかのようにドアのすぐ前を飛び越えて、会議室に入ってきた。
    「ちげえ。副業だ」
     いつもの作業着にその片手には塩の袋と、あとは腰に差されたスパナ。
    「ここには化け物が沢山でるからな」
     すんとした顔で答えた乾に、灰谷兄弟は震え三途は大きく舌打ちをした。
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