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    trv_kogi17

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    trv_kogi17

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    二人が一緒に出ないココイヌの筈のホラー

    見えるイヌピー44、

    「なあココちゃん、霊能力者? 祓い屋だっけ? 紹介してくんない」
    「アッパーかサイケデリックか? どっちにしても吐くほど水飲んで死んどけ」
    「薬じゃねーよ」
     いつも通りの実にも毒にもならない会議が終わり、会議中寝たふりをしていた紫頭の片割れがふいにそう声をあげた。
     会議が終わればさっさと皆仕事に戻るべきだ。鶴蝶はこの後出張だとかでスーツケースを取りに戻ったし、明司はけつもちで呼び出されていった。急に距離を詰めてきた灰谷蘭に思わず九井は舌打ちをしてしまった。
     質素な会議室に残ったのは、再起動を始めたパソコン待ちをしていた九井と碌でもない兄弟と面倒な同僚だけだった。
     九井もさっさとうざ絡みされる前に会議室を出る予定だったが、会議中に株価チェックする予定で持ち込んだパソコンのシステムの更新時間を忘れていたのが敗因だ。らしくもないミスだ。
     最近そういうミスが多い。小さなミスばかりでまだ何か大きな事をやらかしてはいないが、ちりも積もれば山だ。気を引き締めて行かねばならないと、九井は冷めた珈琲を口にする。
     原因はわかっている。あの時ひょこっと出てきて十数年ぶり会話をした生の乾の顔が、声が、忘れらないからだ。
     ぱっと顔を見て、乾はあのころから何も変わることなく。あの日の延長の様にココと呼んでくれた。
     ただ余韻に浸っていたかった。こんな糞みたいな職場で糞みたいな仕事をして心をすり減らしていても、その声を思い足しつつ乾の写真に囲まれたディスクで仕事をしていればまだあと数十年は生きられるだろうに。
    「でさあ。ちょっとお前の知り合いにお祓い出来るやつがいるって小耳に挟んだんだけど」
    「その耳挟んだまま引っ張って千切れ、ろ」
     特に頭を使わず勢いだけど言葉を返していると、急に椅子を蹴られた。誰だと振り向いて見れば、まだ部屋に残っていたピンク頭だ。
    「あれ紹介すればいいんじゃねー? ほら、てめえのペット」
    「だから!!イヌピーは犬じゃねえ!!!!!!!!」
    「え、うっさ」
    「九井ってそんな声出せたんだ」
    「ていうか三途名前だしてなくね?ペットとしか言ってなくねえ?」
     ひでえと笑う灰谷蘭を横目で睨みつけ、九井は三途にむかって大きく舌打ちをした。
     あの再会のあと。佐野に報告したあと、三途は勝手に乾の事を調べ直したらしい。その報告書は律義に上にあげられ、九井の手元にもきちんとまわってきた。
     半分は九井も知っている情報で、もう半分は知らない話だ。表側に残った乾の為に、自分の為に。踏み込みすぎないようにしていた結果があれだった。幼馴染がいつの間にかその道で有名な祓い屋になってるとか思ってもいなかった。
     確かに乾は見える人間だった。そういえばやっかいな事に巻き込まれそうになったときにも、不思議なタイミングで乾が止めるから手を引けば、その数日後ニュースで待ち合わせ場所に車が突っ込んで来たりもしたっけ。
     一応バイク屋が本業の筈だが、頻度としては副業とカウントされるぐらいには乾は依頼を受けて怪奇現象と呼ばれる場所に鉄パイプ片手に出かけてるらしい。
    「乾青宗だっけ。元黒龍の」
    「気のせいだ。幽霊なんて存在する筈ないだろ。まじでお前らそんなもの信じてんか? 俺達反社だろ。自分が殺した幽霊に殺されるとかマジで馬鹿な事考えてんのかよ。幽霊なんて存在する筈ねえだろ。現実みろよ」
     思わず指先が震えた。三途はもうこの際仕方ない。前回、顔を合わせてしまったのは事故だ。図ったわけでもなく、引き寄せられたような偶然だったのだ。
     裏社会には関わらせないようにちょっとだけバイク屋の仕事を調整したり、乾の存在を慎重に全てを隠蔽し、唯一の自分の弱みの情報は握りつぶしてきた。三途があとからあげてきた情報だってそうだ。書類は全て適切に九井の手により握りつぶされた。
     なのに。どうして、それも今更。
    「めっちゃ喋るじゃん」
     呆れた風な竜胆を睨みつけると大げさに肩を竦められた。
     感情が揺れる。落ち着けと怒鳴りつけそうな感情を何度も飲み込んで、灰谷兄弟の香水の中から微かに漂う焦げ臭いを拾い上げて唇を噛む。
     裏社会のお前たちが関わってくれるな。何の為に俺とあいつが背を向けて歩き出したと思ってるんだ。
    「何ムキになってんの、九井」
     面白そうに顔を覗き込んでくる蘭から視線を逸らす。いきなり不機嫌になった九井に、にやあと笑って、まあいいやと顔をあげた。
    「札束で連絡ついちゃった」
    「っは?」
    「紹介オンリーだけど、ちゃんと依頼取って仕事にしてるんだな」
     話ついちゃった。蘭がスマホを見せつけるように揺らす。
     龍宮寺か。あの男か。仲介するにももっと背後関係を考えて、いや、普通は反社からの依頼とは思わないよな。龍宮寺には乾が多大に世話になってるので九井はそれ以上はやめた。
     思いっきり舌打ちをして糞がと吐き捨てると同時に兄弟が吹き出した。仲が良すぎるだろう。死んでほしい。
     じゃあばいばいーと笑って兄弟は九井の反応を見ることもなく部屋から出ていった。
    「……まあほらなんつーか。がんばれ」
    「うっせえ」
     柄にも無く慰めにまわったのは三途だった。しかしこの男さえいなければあの時、あの場所で乾と出会った事を隠蔽する事が出来たのだ。というかペットとか言い出したのは三途だ。全ては目の前の男が全て悪い。
     明日からこいつ出張で三週間ほど鳥取の砂漠に行って埋まってくれねえかな。駄目だろうな。なんかいつも自分ばかりが外れくじを引いている気がする。今も、あの時も。
     ちゃんと当たりを、正解を選べたのは。あの時に乾青宗を手放せたこと位か。
     ずっと間違い続けて、唯一選べた正解だ。だからこそ自分を含む間違いだらけの彼らとのつながりを持たせる訳にはいかなかった。
     こいつほんと海に沈まねえかなと三途の顔を見上げた瞬間、ふわりと鼻につく臭いに九井は顔を顰めた。九井がこの世に置いて最も苦手で最も嫌っている何かが焦げたような臭いだ。もしかすると会議の前に薬でも炙っていたのか、それともはっぱを燃やした残り香か。
     近づいてくんなと嫌な顔を隠さない九井に、三途は構わずつうかと笑う。
    「あいつら憑かれてんの? うける」
    「憑かれるんならお前もみんな憑かれてるだろ」
     九井の言葉に途端に表情を無くしてそうだなと呟くのは、心覚えがありすぎる所為だろう。九井も指先一つで多数の首吊りを自主的に出させているが、自ら直接手をかけ人を殺している三途もなかなか業が深い。
     どうせみんな良い死に方なんてしないだろう。殺すのなら殺されもする。そんな世界だ。ベッドの上で安らかに逝くなんて誰も想像していない筈だ。
    「てかそろそろ仕事しろよ」
    「お前もな」
     パソコンの更新は灰谷兄弟が出ていった瞬間に終わりの表示を見せ再起動も済ませていた。立ち上がった九井は、視界の端にドアの近くて急に立ち止まった三途を見た。
    「どうした?」
     ドアの手前。皆が出入りしていたセキュリティが物騒なごく普通の扉。九井が立ち止まって下を見る三途の足元を覗き込むと、扉の前の床の変色を見つけた。
    「なんだこれ」
    三途はしゃがみ込み、スーツのポケットから取り出した白い手袋を付けてからそれに手を伸ばす。普通触るかと九井はドン引きしたが、三途は構わず指先についたそれをこすり合わせた。
    「汚ねえなあ。誰だよこんな所に泥落として行ったやつ」
    「泥?」
     ほらよと見せてきた指先に付いていたのは、乾いてもいない土の痕跡だった。



     仕事の待ち合わせ場所は六本木のドトールだった。アイスのカフェラテを一つ頼んで、入り口から一番遠い席を陣取った。
     シャツにスリムなパンツに、指先が隠れる位の少し大きなカーディガン。肩からかける鞄には、財布とスマホだけが入っている。
     乾の普段の私服といえば、首元がだるだるに伸びたシャツに、裾が地面についているような腰でジーパンを履くスタイルだ。今日も依頼の打ち合わせに、仕事着のつなぎかいつもの私服で行く予定だったが、偶然職場に遊びに来ていた三ツ谷にそれはねえわと真面目に怒られた。マジな怒り方だったので視線だけで龍宮寺に助けを求めたが、そっと視線を逸らされた。明日の缶コーヒーはやつのおごりで良いだろう。
     待ち合わせなら窓側が良いと龍宮寺に言われたが、そんな気分じゃなかったのでガムシロップたっぷりのカフェラテを飲みながら壁に囲まれた席につく。
     たぶん、向こうだって人目に付く席は望まないだろう。乾はちらりと視線をレジに向け、依頼人の姿を見つけて溜息を吐いた。
    「スタバじゃねえのかよ」
     レジをスルーし、手ぶらで乾の方に真っ先に来たのは依頼人である灰谷蘭だ。弟はレジに立っていた。
    「注文楽だろうが」
     レジに立ってカスタムだのサイズだの言われるとイライラする。あと単純に高い。自分の舌に一番合うのは自販機の缶コーヒーだ。職場のすぐ傍にある、全品100円のやつ。
    「山田とか適当な偽名で依頼してきやがって。依頼人の灰谷兄弟だな」
    「そうそう。なんかさあ、お化け退治してる犬がいるとかどうとか小耳に挟んでさあ」
     勝手に乾の斜め前に座った灰谷の兄はにやにや笑い、元気だったぁと小首を傾げた。
     なんだか知り合いみたい雰囲気を醸し出しているが、この男と顔を合わせたのは十数年前の夜の廃墟で少しだけだ。会話した事すら多分ない。ただのうざ絡みだ。
     乾が依頼人が灰谷兄弟だと知ったのは、龍宮寺が仕事を受けてから数分後にかかってきた電話からだ。電話をかけてきたのは、以前後ろから見られている気がするからどうにかしてくれと依頼して来たホストだった。
     その時はその変に転がる目玉を踏みつぶして終わりだったが、そのホストが働くホストクラブの後ろに居るのが梵天だったらしい。除霊してくれるやつ知らねえかとオーナーに聞かれてD&Dを教えたものの、色々と不安になって連絡をしてきたようだ。
     梵天と聞き、龍宮寺は乾を止めた。けれど依頼を受けると押し切ったのは乾自身だ。
     きっと九井は来ない。けれどあの日、あの瞬間。ほんの少しだけ繋がった糸を切ってしまうのが惜しかった。梵天の誰が来るのかはわからないが、それでももしかすると、と思ったのだ。
     でもやっぱりやっぱりココはこなかった。来たのは梵天でも夜の街を仕切っていると聞かされた灰谷兄弟だ。
     くそうぜえと顔を顰めていると、アイス珈琲を二つ乗せたトレイを抱えた灰谷の弟が兄に声をあげた。
    「何してんだよ、兄貴」
    「お前が座るの待ってたんだって」
     兄の蘭の隣に弟の竜胆が腰を降ろした。アイス珈琲を一口飲んで、うっすと爆笑する兄をそのままに、仕事の話なんだけど、と竜胆は溜息を吐いた。


     客の少ない店内で、乾は声を抑える事すらせずに二人に先を促した。
     灰谷兄弟は一瞬ぎょっとした顔をしたが、どうせこんな戯言を他人に聞かれた所でどうってこともない。だれが信じる。頭の痛い人間だと一瞬思われて終わりだ。
    「パーカーの化け物だったか?」
     化け物退治の窓口をやっている龍宮寺には、それの詳しい所までは聞くなと伝えてある。あれはどこから浸食していくかわからない。ただの情報からの汚染というものある。
     一度花垣からの依頼でビデオを介して侵食していく化け物とやりあった事があったが、あれは正しく汚染だった。とりあえず三つほどテレビを鉄パイプで殴り飛ばし、龍宮寺には大いに怒られた。
     どうせ自分が出来るのは化け物を殴り倒すだけだ。何かの謎を解くこともなく、解決を方法を探る訳でもない。目の前の害を暴力的に叩き潰す。ただそれだけだ。
     だから龍宮寺には依頼は最低限の情報だけでいいと言ってあった。
     乾が聞いたのは、どこからともなくパーカー姿の女がやってくるとというものだけだった。
     竜胆が青い顔で頷き、蘭もどこか貼り付けた笑顔のまま手元の珈琲に視線を向けた。
    「どこにいてもあいつがやってくるんだよな」
     パーカー姿の、女らしき何かがやってくる。それなりに、組織にも知られていな家を幾つか所有する灰谷兄弟だが、そのどこにもそれは姿を見せた。
     毎回同じ色をした薄汚れたパーカー姿の、蘭と竜胆よりも随分背の低い、恐らく女が毎日呼び鈴を押すのだ。どれだけ場所を替えても、それは執拗に二人を追ってくる。
    「ピンポンダッシュじゃねーか」
    「逃げてくれねえから気持ち悪いんだよ」
     カメラで外を確認すると、毎回ぼうっと女が立っている。ただ何をしてくるでもない。立っているだけだ。ただその足元は裸足で、パーカーの中身は不思議と見えなかった。
     ドアの隙間から発砲しても効かず、体が揺れるでもない。ただドアの前にその化け物は立っている。
    「あ、兄貴それ駄目だって。ほら、発砲って、あれだからな。モデルガン的な」
    「そういうの、今はいらねえ」
     竜胆と蘭が別行動時は、どちらかがいる場所にしか化け物は姿を見せない。そして割合的に蘭の所に来る回数の方が多いらしい。
    「塩撒いても無駄だし、朝になればドアの前から消えてるしだけど。兄ちゃんがやばいからどうにかしてほしい」
    「反社が化け物怖がるのか?」
    「いや、あの子が現れるたびに、こう、動悸が激しくなって眠れなくて……これは恋じゃね?」
    「めちゃくちゃ怖がってんじゃねえか。つうかストーカー被害なら警察に相談に行け」
     ぶるりと震えた蘭に、乾は吐き捨てた。なんだその茶番。
    「俺達反社だから無理」
    「ついでに自首してこい。女埋めたんじゃねえのか」
    「こっわ。パンピがさらっと何言っちゃってんだよ」
    「俺達山より海派だから」
    「兄ちゃんやめて」
     ちなみにどうして化け物が女の形だとわかるかというと、足首の細さらしい。素直に気持ちわりいなと言葉を落とすと、うっせ、と蘭に震える指で付けた煙草の煙をかけられた。
    「つうか、イヌピー俺らにあたり強くね?」
     だってココじゃなかったしとか、言える訳もない。ずずっとストローを行儀悪く鳴らして、乾はそっぽを向いた。そんな乾の心情を察しているのか、蘭が青い顔のままにやりと笑った。
    「イヌピー、飼い主に会いたかったのかあ。それは悪かったな。合わせてやらねえけど。あ、電話番号やろうか?」
     いらねえ。そもそも知ってるし。断るとちょっと目を細めて蘭はそっかと年長者の顔で笑った。
     別に。元気にしてるなら別にいい。この前何年振りかに顔をみたけれど不健康そうだったが元気な声が出ていた。だから別にいい。
     納得した上で自分たちは別の道を歩く事になったのだ。ただ、気になるのはあの黒く焦げた人の形をした化け物。あれはもう赤音の形をしていなかった。
     もう、姉の声なんて覚えていない。自分の名前を呼ぶ姉の声はとっくに記憶から消え失せた。
     焦げた臭いがする。乾があれを思い出すたびに、近くにいる気配がする。耳元で小さく名前を呼ばれて、けれど乾はそれに答える事は一度もしない。
    「いい加減まいってるんだよ。ちゃんと金はやる。金以外は何がいい。女か?」
    「肉。つうか肉買う為の金」


     一回それを見ない事には何も始まらない。なんか作戦あんの。そう聞かれたが、首を横に振る。
     殴って転がして潰す事位しか乾は出来ないし、祓うなんてそんな難しい事も出来ないので先戦会議とかはそもそも時間の無駄だった。ええーっと顔を顰める二人に、依頼を下げるかと聞くと慌てて案内するからと車を呼んだ。
     ドトールを出て、恐らく兄弟の部下らしき男が運転する車に乗って。ぐるぐるまわって着いたのは、六本木の端にあるマンションの一室だった。
     広いエントランスを抜け、エレベーターに乗って。時間をそれなりにかけて到着したそこは兄弟のセーフハウスの一つらしい。
     どうせこの後処分する部屋らしく、一度彼女と遭遇した事もあるマンションの一室らしい。
     確かに部屋に通されるまでの至る所に赤茶色の穢い汚れ目に着いた。多分、これが見えているのは自分だけだろう。傍にいる蘭も竜胆も気付いてはいなかった。
     ドアにもべったりと手形があって、何度も何度もドアノブを触って開けようとした痕跡があった。
    「あー……」
    「なんかあった!?」
    「いや、別に」
     化け物にも、自分なりにルールのようなものを課しているものがいる。例えば、ビデオを視なければ現れないだとか、返事をしなければ手を出して来ないだとか、同じルートを歩きまわるやつだとか。
     これは何度か出会った事があるが、招待されなければ入る事が出来ないとかいうやつだ。
     けれどちゃんとしたルールを持っている化け物は珍しい。あれは理不尽で、我儘で、ルールなんて存在しない生き物だ。生きてはないけれど。
     あいつらに扉んて必要はない。そんな物理的な壁なんて通過してしまえる化け物が多いなか、そういったルールがあるものは多少の知性を持っていたりもする。
     まあ知性があろうがなかろうが、殴り飛ばせばどうにでもなるだろう。
     ビビる竜胆の背中を蹴っ飛ばしながら部屋に入った乾は、手に馴染む鉄パイプを握りしめ、チャイムが鳴るのを待った。


    「鳴った」
     三人が部屋に籠り、十分ほど。蘭は乾に声を何かかけようかと思ったが、玄関で鉄パイプを素振りし広さを確認しているのを見て口をつぐんだ。
     九井がずっとこの男動向を追っていたのは梵天の上にいる人間の誰もが知っていた。蘭自身もその顔は半月に一度は実は写真で見ている。ただ、祓い屋まがいの事をしていたのは初めて知ったし、そもそもこういうことに巻き込まれるのは始めてだった。
     やんちゃしていた時代の乾の顔は思い出せない。思い出せないということは恐らく関りは殆どなかったのだろう。今になって顔を合わせるなんてすげえ縁だなと現実逃避している間に、チャイムの音が部屋に響いた。
    「うわ、やっぱいるよ兄ちゃん」
     外に繋がる小さな画面を覗き込んだ竜胆が顔を顰めた。
    「開けろ」
    「え、入って来るじゃん」
     拒否る竜胆に乾はさっさとしろと鉄パイプを床で鳴らす。その床、めちゃくちゃ金かかってるんだけどな。まあいいか。
     腰が引けている弟の姿を眺めながら、蘭は自分の腰にある銃を確かめる。護身用だが、一度効かなかった事はちゃんと覚えている。しかしまあ安定剤代わりだ。
     竜胆が恐る恐るドアのキーを解除し、開けた瞬間乾の鉄パイプが振り降ろされた。
    「やったか!?」
    「竜胆、それフラグだわ」
     急に玄関の電気が点滅し、色が落とされる。真っ暗ではない。ぼんやりとした明るさだ。
     乾の舌打ちが響いて、汚らしいパーカーのそれはゆっくりと何のダメージもなく玄関に現れた。
    「塩!? 塩撒く!??」
    「うっせえ」
     竜胆に怒鳴りながら乾が人の形をしたそれを蹴飛ばしたが、化け物の体は揺らぎもしなかった。舌打ちをもう一つ、乾はそれを見て鉄パイプを構えて、威嚇をするように素振りをした。顔面ぎりぎり、ちょっとだけ体もかすったかもしれない。ためらう事無く胴体を狙って、けれど鉄の棒は弾かれた。
    「うぜえな」
     弟の顔色は真っ白だ。自分だって同じような顔色だろう。興奮してうっすら頬が赤くなってきた乾にこいつどんな精神してんだよとドン引きしながらも蘭はその場から動けなかった。 
     一歩、それがこちらに近づいてくる。乾が押しとどめようとしたが、無駄の様だ。けれどそのうちパーカーがするりと外れて、中身が見えた。
    「きっも……」
     竜胆の対して大きくもない声が響く。
     眼と鼻と、口と耳。見える穴という穴、全てに土が押し込まれていた。
     動く毎にぼろりと土が地面に零れ落ちる。ぼた、ぼとりと穴から中身が零れおちる。
     唇が動いて、再び口から泥が撒き散らされた。その穴から当たり前だが声なんて聞こえてくる筈もない。
     けれど。ねえ、と耳元で声がする。ねえねえねえねえ。蘭はぐっと奥歯を噛みしめた。ただ呼び掛けてくるだけの声だ。何の害もない、ただの呼び声。
     どうせ空耳。朝も昼も夜も、気を抜けば声だけが蘭に囁いてきた。
     伝えると怖がらせるだけだと、それを蘭は弟に話さなかった。兄ちゃんホラーだめだっけと首を傾げる弟の膝裏を蹴りつつ、蘭はそれに耐えた。
     ちらりと乾が蘭の肩を辺りを見た。感情の薄い瞳がぱちりと瞬きをして、視線をそらした。
     もしかして何か見えてるのか。肩に何か乗っちゃってるのか。何の反応だよと突っ込みたかったけど空気を呼んで気付かないふりをした。
     それは途中で足を止めた。自分の意思で足を止め、そして蘭と竜胆にむかって片手を伸ばした。
    「……なんか訴えてるのか?」
     やっぱお前ら埋めたんじゃねーのかなんて目で乾が一瞬こっちを見てくるが、そんなこと覚えてねえよ。知らねえよ、と言いかけて、あ、とちょっと前の仕事を思い出した。
    「あー客のところに居たやつじゃん……」
    「兄貴?」
    「ほら、おっさんがガキの内臓いらないかってやつ」
     一回だけ、飴をやった記憶がある。竜胆が、あ、と声をあげた。思いだしたらしい。
     同情でもなんでもない。ただ、小銭が欲しくて崩した時に買った薄荷の飴。子供も嫌いそうな、蘭自身も好きでもない味だった。
     子供がどんな反応をしたのか記憶はない。足元に散らばった飴をひらったのかも、覚えていなかった。ただ随分細くて、小さくて、掌だけが大きかった。
     子供といっていいのか、女といっていいのかわからない、わからない程酷く薬を売るおっさんから扱われていた人間だった。
    「あの子、か」
    「同情すんなよ」
     乾の声が響く。そんな忠告を片耳で聞きながら、弟一緒に蘭はその化け物の前に立った。


     伸ばしていた掌を開いて、その中からぼろぼろと土が溢れ出た。元がなんだったのか、そこに何が握られていたのか。
    「ごめんな」
     謝ったのは竜胆だった。鉄パイプを握ったまま、乾はそんな二人を眺めた。
     何が人の形だ。何が女だ。子供だ。乾の眼にはそんなものは見えていなかった。
     そこにいるのはただの泥人形だ。人の形すら取れてもいない。確かにふたつの穴は目に見えるだろう。歪な横に広がるそれは口なんだろうか。
     土の詰まった虚ろな二つの黒い穴。ぼとりと泥を撒き散らし、何も映さぬ穴は恐らく灰谷の兄弟を見ている。口からもぼろりとぼろりと泥が零れ、けれど二人の男は顔を顰める事無く、じゃあな、と手を振った。
     二人には女の子に見えているらしいそれは理解したのかしていないのか、けれどひとつ頷いてずりずりと足を引きずる音と何かが零れる音を響かせながら部屋から去って行った。
     竜胆も蘭もその場から動かない。それを一瞥し、乾はその背中を追いかけ廊下を覗き込んだ。
    「まあ、いねえか」
     想像通り、既に泥の塊はそこにない。ただ泥の跡だけが残っていた。
     随分と聞き分けのいい化け物だ。いつもあれは理不尽で、不条理で、不合理なのに。
     まあ今回も理不尽と言えばそうだが。勝手に縁が繋がって、あれはこの兄弟の跡をついてきた。
     あの子供のような化け物は二人に救いを求めたのか、それともまた別のなにかなのか。最悪同情から泥に塗れた頭蓋骨が増えるんじゃねえかなとも思っていたが、いらぬ心配だったらしい。
    「……いなかった?」
    「ああ。どっかいった」
    「そっかあ」
     部屋から動かなかった、いや動けなかったらしい二人は乾が部屋に戻るとその場に座り込み、頭を抱えていた。
    「世の中とち狂った人間が多いな」
    「……ためらいなく人の形を幽霊に鉄パイプぶっ飛ばす人間がいう台詞じゃねえだろ」
    「あれが人の形に見えてたなら良かったな」
    「はっ? え、ちょっと待って」
     二人して凄い顔でこちらを見てきたが、乾は無表情で首を横に振った。
     蘭は大きく溜息を吐き、竜胆はもうやだと泣き言を溢す。
    「……なんか、一個だけ答えてやるよ」
    「ココ、ちゃんと飯食ってるか。寝てるか。元気にしてるか」
    「一個じゃねーじゃん」
    「詳しい事言うとココちゃんに怒られるけど、まあ、頑張って生きてるよ」
     蘭が煙草を咥え、竜胆がなれたように火を付ける。赤い火が揺れて、視線が動かせなかった。
     線引きの向こう側にいる彼らは、依頼人の癖に何も語らずこれで終わらす気だろう。
     それが裏に足を向けた彼らと、表に背を押された自分の差だ。頭が可愛いなとか散々言われている乾にだってちゃんとそれは理解している。だからこそ隣に九井がいないのだ。
    「そうか」
     これでいいのだ。金を貰って、この関係は終わりだ。目の前の男はただの副業の依頼者で、飯の種で金づるだ。
    「金、振り込んどくくわ。このあとどっか行くのか?」
    「バッティングセンター」
     乾は肩にかけた金属棒を入ったバッドケースを指さした。
     色々と準備してきたのに鉄パイプを振り回す回数が少なすぎた。今日は途中で仕事を切り上げて来ているし、なんだか力が有り余っている。あとなんだかもやもやする。
     龍宮寺にメールすると、仕事も大丈夫らしいし、他に暴れる依頼もない。いつもこんな物足りない時はハプバーにめげずに何度も現れる手だけの化け物を鋭いヒールで磨り潰して発散させるが、つい数日前にも潰した所だ。だからまだきっと生えてないだろう。
     六本木にバッティングセンターはなかった筈だが、神宮辺りのセンターは何度か行った事がある。
    「えー俺も行く」
    「うわ懐かし。どっちが遠くまで飛ばせるかイヌピー勝負しようぜ」
     いやさっさと自分たちのテリトリーに帰れというと乾の言葉は、わくわくした反社二人にかき消されてどこかへ行ってしまった。


    「ついにやべえ顧客がついちまったのか」
    「どうだろうな」
     ジョッキに注がれたビールをグイっと飲み干し、龍宮寺が視線を下に向けた。
     首を傾げる乾も下を向き、トングをかちかちを鳴らす。もうすぐ肉が焼けるのだ。網の上の薄いタンは上げ時が難しい。色が変わった一瞬で取らないと、小さく縮んで残念な事になってしまうのだ。
    「いけるか」
    「駄目だイヌピー。それは生肉」
    「……いけるか」
    「ああ」
     白米に肉を一枚。乗っけて食べると幸せが広がっていた。龍宮寺も同じように山盛りの白米に肉を乗せ、がっついている。
    「で、灰谷兄弟だが」
    「これ以上はねえだろ。多分」
     灰谷兄弟からはもう連絡は来ないだろう。偶然裏側の人間と道が交差しただけだ。
     紹介として間に立ったホストの男とも連絡が取れない。実家に帰るとか言っていたが、それが本当かどうか知る術は自分達にないだろう。
     あの化け物はもう蘭と竜胆の元へは来ない。来てもきっと二人はそれに気付かない。きっともう見える事も感知することも出来ないだろう。だから二人はもう乾の所には来ない。
     そう何度も表側に関わろうとはしないだろう、普通なら。まあ灰谷兄の耳元にずっといた、目を潰された顔だけの化け物に何かされたらまた連絡してくるかもしれないが。
    「いやそれも祓ってやれよ」
    「害なさそうだし。別料金だろ」
     飲み放題、食べ放題でひとり約四千円。テーブルにビールと空いた皿を並べ、龍宮寺と乾は肉を焼いて食う。
     山田太郎とかいう名前の知らない人間から振り込まれた今回の報酬は、今までの依頼から考えると結構な額だった。その金を片手に二人が選んだのは結局いつも行くチェーン店の焼き肉食べ放題だった。通帳を片手に二人して色々考えた結果、壺漬けカルビ美味いしな、で決まってしまった。
    「他人に同情するからだ」
    「ん、イヌピーなんか言ったか?」
    「別に。肉が美味えなって」
    Tap to full screen .Repost is prohibited
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